https://article.auone.jp/detail/1/3/6/7_6_r_20220227_1645931153960690
半身不随に絶望した男が障害者の為に起業した訳
営業マンとしての成績はつねにトップクラスで、誰もが知っている某IT企業の営業企画部でバリバリ働いていた36歳のある日、脳出血で倒れて何とか一命を取り留めたものの右半身にマヒが残り、当時は人生が終わってしまったと感じた男性がいる。現在、その男性は障害者が自立するための会社、アクティベートラボ(東京都新宿区)という会社を立ち上げ、日々障害者の人がQOLを向上できるよう努めている。彼の名は増本裕司氏(48歳)。どのような経緯やきっかけがあって起業したのか。
就業先のミッドタウンで倒れて生死をさまよう
増本さんは右半身にマヒがあって動かないため、名刺交換の際は左手で「片手で失礼します」と言われたが、そのほかはほぼ違和感がなく普通に歩けて普通にしゃべれていた。ちなみに利き手は右手だが、右半身が動かなくなってしまったので利き手交換という訓練をして、現在は左手で文字を書いたり食事をしたり、車の運転も左手でハンドルを操作し、車を改造して左足でアクセルを踏めるようにしているという。
「就業先の六本木のミッドタウンで倒れたのですが、そこから病院に運ばれ、医師からは48時間以内に出血範囲が広がったら、おそらく脳死状態になる可能性が高いだろうと言われて、実家の両親も長崎から飛んできてある程度の覚悟を決めていたほどです。しかし、2週間の意識不明から奇跡的に目覚めました。
でも、しゃべろうとしてもあーとかうーとかしか出てこない。看護師さんに『奥さんの名前言えますか?』と聞かれ、うちの妻はノリコと言うのですが、なぜか『ルミちゃん』と答えてしまい、周りからは浮気を疑われたという(笑)。ルミというのは姉の名前なんです。高次脳機能障害が残ってしまったため、妻のノリコという名前がわかっているのに混乱して姉の名を言ってしまって」
増本さんには右半身のマヒと高次脳機能障害が残った。両親はもう自活は無理だろうと何度も感じ、地元である長崎に連れて帰ることも頭をよぎったが、両親も高齢で裕司さんの介護なんてできない。看護師さんからは気の毒そうな目で見られたという。また、医師が研修医をゾロゾロと連れてやってきて「これが半身マヒというものだ。よく見ておけ」と説明していて、見せ物にされたように感じた。
「入院していたある日、回診の先生に『僕はもうダメなんですか?』と聞いたら、おどおどされながら『人生終わったけど頑張ってください』と言われました。彼に悪気はなかったと思うのですが、ああ、終わったのかと思いわんわん泣きました」
暇すぎて1日8時間もリハビリに励む
そこから増本さんはリハビリに励むようになる。本来なら1日20分すればいいものを1日8時間もやった。なぜそんなにリハビリを頑張れたのかと問うと、暇でやることがなかったからだという。リハビリははっきり言ってつまらなかったが、逆につまらないことを必死でやったらどうなるのだろうという思いもあり、毎日長時間取り組んだ。その懸命なリハビリを4年間続けると、何とか杖を使わずに歩くことができるようになった。また、リハビリ中は働けないので障害年金で過ごした。
リハビリをやった4年間、東京都多摩障害者スポーツセンター(東京都国立市)に通い、障害者の友人ができた。この施設は障害者が無料で利用できる。ここで、さまざまな障害のあるいろいろな人に出会った。身体障害者もいるし知的障害者もいるし精神障害や発達障害の人もいる。
その人たちと会話をしていると、障害者というものが大まかにひとくくりにされていて、理解が及ばず誤解されている面がたくさんあるのではないかと強く感じた。そして、いつかその問題を解決できるような「事業」を自分の手で作りたいと思った。しかし、具体的な案もお金もなかったため、とりあえず障害者となった自分が社会で働いてみようと思った。