Чеховの“красавицы”
手許には【松下裕訳】しかない。
《ナウカ》のサイトで調べたが
ロシヤ語テキストを見つけられなかった。
冒頭
「わたしはよくおぼえているが、まだ中学の五年生か六年生のころ、・・・・・・」
1877年の8月の出来事を1888年9月に記している。
なぜ、5年生なのか6年生なのか確定できないのか?
8月は夏季休暇で9月か10月に新学年になるから、
レトリックなのか?
「・・・・・・祖父につれられてドン州ボリシャーヤ・クレープカ村からロストフ・ナ・ドヌー市まで行ったことがある。
八月の、うだるような、うんざりするほど退屈な日だった。暑さと、もうもうたる砂ぼこりをまともに吹きつけてくる
乾いた熱風とで、ろくに眼もあけていられず、口のなかはからからだった。・・・・・・」
どなたか帝政ロシヤ時代の学制について教えていただけませんか?
三省堂のハンドブックを失くしてしまいお手上げなんです。
就学年齢、新学年開始月、何年制なのかなど。
よろしくお願いします!
なんかさぁ、ロシヤ人による【英訳】のほうがいい気がする!
『ドクトルジヴァゴ』のパステルナークの甥 Nicholas Slater Pasternak の英訳がある。
こちらを読んだ方が解りやすい。
【英訳】の冒頭
I remember, when I was a high school boy in fifth or sixth class,
チェーホフが17歳のときの話。
日本なら高校2年生。
10歳から小学校3年、中学校7年そして大学というコースだったかな
60年代に農奴解放を受けて国民教育が広く庶民にも開放されたが
ギムナジウムの貴族独占は続いていて
64年71年にギムナジア法、新ギムナジア法が制定された
そういえばドストエフスキーの「未成年」に
「デビュー前に先立つ不孝をお許しください」という変な遺書を残して
自殺する女学生が登場するけど
こういう変な文章を書くような層が高等教育を受けられるようになった時代であり
制度移行上いろんな混乱があったらしい
1879年中学卒業だから
1878年中学6年修了
1877年中学5年修了ということだね。
>>9の新ギムナジア法制定が71年で
おそらく施行が翌年の72年だから
チェーホフは旧制と新制の切り替えの時期に小学校を卒業したんじゃないの
そうすると戦後日本の旧制から新制への切り替えのような混乱があって
繰り上げもあれば留年もあったと想定し得る
日本の文学者で言えば石原、開高、江藤らの世代のようなもので
そういえばあの当時のロシアでは庶民階級出身者の退学者が多かったらしい
チェーホフはトルストイやドストエフスキーような貴族・準貴族階級ではなく
下層階級の出だからかなりの苦労もあったわけで
それが本作「美女」やその他の作品にも影を落としている >>12
ありがとうございます。
8年制のギムナジウムもあったそうですね。 チェーホフ没後100年の2004年に
中央公論社や筑摩書房から「チェーホフ全集」が再版されることを期待したが
徒な望みだった。
同年、水声社から『チェーホフ小説選』が出たので購入した。
書架に収めて忘れていたのを今回読んでみた。
「ちくま文庫」とくらべて改訂箇所は19。
岩波文庫に『美女』が収められているとは思わなかった。
1年ほど前に『ともしび・谷間』に入っていた。
これも今回読んでみた。
「ちくま文庫」のものを改訂したことになっているが、
実際は水声社のものの改訂。
新たな改訂箇所は17。
そのほか、平仮名を漢字表記にしたところ多数。
漢字表記を変更したところもある。
たとえば、「芦」 ⇒ 「葦」
「ちくま文庫」 ⇒ 「水声社」 の改訂は松下先生の手になるものだろうが、
「水声社」 ⇒ 「岩波文庫」 の改訂は松下先生による改訂ではないような気がする。
岩波の編集部員によるものだと思う。
日本語としての完成度をあげようとしたのだろうが、
「ちくま文庫」にくらべて胸に迫ってくるものがなくなった。
【訂正】
>>15
×「1年ほど前に『ともしび・谷間』に入っていた」
○「1年ほど前に『ともしび・谷間』に入っていることを知って購入した」 結論をいえば、
「ちくま文庫」の翻訳がいちばんいいと思う。
「岩波文庫」のは漢字が矢鱈多くて各頁が汚い。
文学作品を読んでいる気がしない。
センスがないのだと思う。
手を入れればいれるほど訳文がよくなるというものでもない。
『美女』は2章構成。
改訂箇所は第1章についてです。
『美女』第2章
「ちくま文庫」 ⇒ 「水声社」 改訂8箇所
「水声社」 ⇒ 「岩波文庫」 改訂20箇所
(いずれも平仮名⇒漢字は含まず)
ここまで改訂箇所が多いというのは
「ちくま文庫」は不良品、欠陥商品ということではないのか?
ちくま文庫版は文庫化に際して改訳・訂正がなされているけど
それは文庫化に際しての新訳などもあったので
松下裕が気合をいれて手直しをした結果に過ぎないと思う
【松下訳(ちくま文庫)】第2段落
よくおぼえているが、わたしは埃にまみれ、暑さにぐったりして、
片すみの緑いろの長持に腰かけていた。
【英訳】
I remember sitting, covered in dust and worn out by the burning heat,
on a green box in a corner.
「よくおぼえているが」
煩い表現だ。
翻訳者の解釈なんだろうけどね。
ロシヤ語テキストがないからなんとも言えないんだけどさ
「アルメニア娘」と「アルメニアむすめ」の訳仕訳が
水声社のと岩波文庫では「アルメニア娘」に統一された。
【英訳】ではどちらも‘this Armenian girl’なんだけど。
【松下訳(ちくま文庫)】では
連なる段落の冒頭に同じ言葉がならぶのを嫌ったのだろうか?
「そのアルメニア娘の美しいことに気づいたのは、……」
「このアルメニアむすめの美しさは、……」
埃をかぶり焼けつくような暑さにぐったりとして
隅の緑色のチェストに腰かけていたことを覚えている。
このくらいかなあ
【松下訳(ちくま文庫)】264頁
【松下訳(水声社)】295頁
「……雲や空をありとあらゆる色あい―真紅、橙色、金色、むらさき、あかね色に染め、……」
【松下訳(岩波文庫)】10頁
「……雲や空をありとあらゆる色合い―真紅、橙色、金色、紫色、茜色に染め、……」
【英訳】では
crimson, orange, golden, lilac, dusty pink
色、色、色、色
煩いね。
融通のきかない女子学生の訳文みたいだ。
「色あい」
この方がいいですよ!
……雲や空をありとあらゆる色あい―真紅、だいだい、こんじき、むらさき、あかね色に染め、……
【松下訳(ちくま文庫)】263頁
主人はわたしにも茶を飲むようにと言ってくれた。
テーブルにつきながらわたしは、茶をさしだした娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心のうちを吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで最も美しい、魅惑的な顔立ちをわたしは見た。
わたしのまえには美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、わたしは雷にうたれたようにそのことをさとったのだった。
【英訳】
Our host invited me to come and have tea.
As I sat down at the table, I glanced at the girl's face while she handed me my glass,
and suddenly felt something like a breath of wind over my soul,
blowing away all my impressions of the day, with its tedium and dust.
I saw the enchanting features of the loveliest face I had ever seen in my waking life,
or imagined in my dreams.
Before me stood a beauty, and from the very first glance I understood that,
as I understand lightning.
【英訳】
Our host invited me to come and have tea.
As I sat down at the table, I glanced at the girl's face while she handed me my glass,
and suddenly felt something like a breath of wind over my soul,
blowing away all my impressions of the day, with its tedium and dust.
I saw the enchanting features of the loveliest face I had ever seen in my waking life,
or imagined in my dreams.
Before me stood a beauty, and from the very first glance I understood that,
as I understand lightning.
ひと晩考えたんだけれど……
「深紅、橙、黄金(こがね)、菫、臙脂」
クリムゾンは朱色でしょう
木の切り株を切った際にあらわれる赤い部分のことで
「真の赤」という意味
ほんらいは朝焼けの燃える様な色調のことだけど
日本では顔料に使われる水銀をケチったので
ああいう橙色のように誤解されている
>>39はおかしかったな
×木の切り株を切った際にあらわれる赤い部分のことで
〇木の切り株にあらわれる赤い部分のことで 「真紅」より「深紅」のほうが字面がいいと思ったのね。
【松下訳(水声社)】294−295頁
主人はわたしにも茶を飲むようにと言ってくれた。
テーブルにつきながらわたしは、茶をさしだした娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心のうちを吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで最も美しい、魅惑的な顔立ちを見たのだ。
わたしのまえには美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、わたしは雷にうたれたようにそのことをさとったのだった。
【松下訳(岩波文庫)】9−10頁
主人はわたしにもお茶を飲むようにと勧めてくれた。
テーブルにつきながらわたしは、茶をさしだした娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心のうちを吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで最も美しい、魅惑的な顔立ちをわたしは見た。
わたしのまえには美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、わたしは雷にうたれたようにそのことをさとったのだった。
言い回しはこなれているが
いかんせん「わたし」が多すぎるわ
【松下訳(岩波文庫)】9-10頁
主人はわたしにもお茶を飲むようにと勧めてくれた。
テーブルにつきながら、わたしは、お茶を差し出した娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心の中を吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を、退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで誰よりも美しい、魅惑的な顔立ちを見たのだ。
わたしの前には美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、雷に打たれたようにそのことを覚ったのだった。
【松下訳(ちくま文庫)】263頁
主人はわたしにも茶を飲むようにと言ってくれた。
テーブルにつきながらわたしは、茶をさしだした娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心のうちを吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで最も美しい、魅惑的な顔立ちをわたしは見た。
わたしのまえには美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、わたしは雷にうたれたようにそのことをさとったのだった。
【松下訳(水声社)】294−295頁
主人はわたしにも茶を飲むようにと言ってくれた。
テーブルにつきながらわたしは、茶をさしだした娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心のうちを吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで最も美しい、魅惑的な顔立ちを見たのだ。
わたしのまえには美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、わたしは雷にうたれたようにそのことをさとったのだった。
【松下訳(岩波文庫)】9-10頁
主人はわたしにもお茶を飲むようにと勧めてくれた。
テーブルにつきながら、わたしは、お茶を差し出した娘の顔をちらと見た。
と、たちまち一陣の風が心の中を吹きぬけて、
きょう一日のあらゆる印象を、退屈感や埃もろとも吹きはらってくれたような気がした。
これまで実際に会い、また夢にも見た人びとのうちで誰よりも美しい、魅惑的な顔立ちを見たのだ。
わたしの前には美しい女が立っていた。
ひと目見たとたんに、雷に打たれたようにそのことを覚ったのだった。
米文学の短編に
アルメニア移民の農民を扱ったものがあったね。
サローヤンだったかな。
美少女が登場する。
ウィリアム・サローヤンはアルメニア系移民の息子だよ
水声社の『チェーホフ小説選』が決定版でないことを考えると、
同社の『ドンキホーテ』を高いカネを出して買うこともない気がする。
スターグループってまだまだ展開するみたい・・・俺も雇ってくれるかな?