首都圏において国公立を目指すのは主に偏差値70前後以上の進学校の生徒のみである。
なぜなら、首都圏の国公立大学は基本的にどこもレベルが高く、地方においての駅弁大学のようなレベルの国公立大学が存在しないため、
自宅からの進学を考えた場合に国公立大学を目指すこと自体が高いハードルだからだ。
よって、国公立大学を目指すのは目的意識が高い理系の生徒や国公立大学でも都心から離れすぎていない上位校に手が届く可能性が高い
進学校の生徒に限られてしまうのである。
また、私大文系は受験時に理数系科目が一切不要なため、数学を大の苦手とする多くの文系学生が、
それなりのブランド力があり、かつ数弱の自分たちに渡りに船のような入試をしてくれる有名私大文系に飛びつくのは当然である。
必然的に、偏差値70前後未満のいわゆる自称進学校の特に文系の生徒は私大専願という受験をする人間が大半になる。
ここで、え?と思ったあなたは試しに偏差値50台後半〜65くらいの都立高や神奈川県立の高校の進学実績を見てみたら良いだろう。
国公立大学の合格者が異様に少なく、早慶上智やマーチやニッコマ等私大の合格実績ばかりであることに気づくはずだ。
さて、ここで首都圏自称進学校の生徒のほとんどを占める私文専願について述べよう。
上記の構造があるため、彼らは高校時代の早期から国公立大学を受験するという選択肢を放棄し、
理数系科目や記述入試の勉強からは足を洗い、英語国語歴史という文系少数科目のみを頑張るようになる。
ここで彼らの頭の中の大学地図から国公立大学が消失し、早慶上智を頂点した私大文系の大学序列が彼らの全てとなる
(もちろん難関国立大学の世界がさらに上位次元にあることは知っているが都合よく頭の片隅に追いやられる)。
このような経緯を経て、彼らは私文専願という国公立大学受験という大きな世界から隔離された鎖国世界に入り、
早慶に合格すること称賛されるものであると信じ、目指すべき目標に据える。
そして彼らは受験の結果、早慶上智やマーチなどの私大文系学部に収容されていく。
自分は早慶に受かった!!!難関を突破した!!!どうだ!あの早慶だ!!!みてみろ!早慶に合格した彼らは充実感でいっぱいになる。
しかし、やがて早慶合格も「あくまで私文専願という鎖国世界でのすごさ」という注釈がついた上でのものである事実を彼らも突きつけられる。
所詮は文系科目だけで、理数科目や記述入試の勉強を放棄した事実と後ろめたさからは逃れられない。
自分が知っている世界はあくまでパラリンピックでありオリンピックではなかった。
自分が第一志望として頑張って合格した早慶も、難関国立大学受験者からすれば所詮は片手間で併願され
国立に合格すれば蹴られる事実からは逃れられない。
東京では早慶合格が称賛されるという思いも、あくまで自分のいる高校、あくまで周囲が私文専願ばかりの環境であり、
東京スタンダードではなく私文専願界という限られた範囲の中での話であることに気付かされる。
ここに加え、早慶上智やマーチなどには難関国立大学に落っこちて進学してくる人間が一定割合存在する。
基本的に国立大学に落ちて私大進学になる場合、受験相性のせいでワンランク下ではなく3ランク以上は下の進学先になるパターンが多い。
彼らの国立大学コンプレックスは言うまでもなく強烈であることは誰でも察しがつくだろう。
かくして、私大文系専願も国立大学落ちも、自分は早慶だというプライドと難関国立大学に対するコンプレックスが複雑に絡み合って爆発し、
早慶等私大関係者の難関国立大学叩きという名物行為がネット上の掲示板で溢れるのだ。
<今日のまとめ>
早慶等による国立大叩きは、国立大学受験から早期離脱して早慶を目標に勉強し合格してきた私文専願が
早慶合格はすごいもので称賛されるべきだという思いと国立大学に対する各種側面からの劣等感という
二律背反の思いが複雑に入り混じったことで発生するコンプレックスが原因。
なぜなら、首都圏の国公立大学は基本的にどこもレベルが高く、地方においての駅弁大学のようなレベルの国公立大学が存在しないため、
自宅からの進学を考えた場合に国公立大学を目指すこと自体が高いハードルだからだ。
よって、国公立大学を目指すのは目的意識が高い理系の生徒や国公立大学でも都心から離れすぎていない上位校に手が届く可能性が高い
進学校の生徒に限られてしまうのである。
また、私大文系は受験時に理数系科目が一切不要なため、数学を大の苦手とする多くの文系学生が、
それなりのブランド力があり、かつ数弱の自分たちに渡りに船のような入試をしてくれる有名私大文系に飛びつくのは当然である。
必然的に、偏差値70前後未満のいわゆる自称進学校の特に文系の生徒は私大専願という受験をする人間が大半になる。
ここで、え?と思ったあなたは試しに偏差値50台後半〜65くらいの都立高や神奈川県立の高校の進学実績を見てみたら良いだろう。
国公立大学の合格者が異様に少なく、早慶上智やマーチやニッコマ等私大の合格実績ばかりであることに気づくはずだ。
さて、ここで首都圏自称進学校の生徒のほとんどを占める私文専願について述べよう。
上記の構造があるため、彼らは高校時代の早期から国公立大学を受験するという選択肢を放棄し、
理数系科目や記述入試の勉強からは足を洗い、英語国語歴史という文系少数科目のみを頑張るようになる。
ここで彼らの頭の中の大学地図から国公立大学が消失し、早慶上智を頂点した私大文系の大学序列が彼らの全てとなる
(もちろん難関国立大学の世界がさらに上位次元にあることは知っているが都合よく頭の片隅に追いやられる)。
このような経緯を経て、彼らは私文専願という国公立大学受験という大きな世界から隔離された鎖国世界に入り、
早慶に合格すること称賛されるものであると信じ、目指すべき目標に据える。
そして彼らは受験の結果、早慶上智やマーチなどの私大文系学部に収容されていく。
自分は早慶に受かった!!!難関を突破した!!!どうだ!あの早慶だ!!!みてみろ!早慶に合格した彼らは充実感でいっぱいになる。
しかし、やがて早慶合格も「あくまで私文専願という鎖国世界でのすごさ」という注釈がついた上でのものである事実を彼らも突きつけられる。
所詮は文系科目だけで、理数科目や記述入試の勉強を放棄した事実と後ろめたさからは逃れられない。
自分が知っている世界はあくまでパラリンピックでありオリンピックではなかった。
自分が第一志望として頑張って合格した早慶も、難関国立大学受験者からすれば所詮は片手間で併願され
国立に合格すれば蹴られる事実からは逃れられない。
東京では早慶合格が称賛されるという思いも、あくまで自分のいる高校、あくまで周囲が私文専願ばかりの環境であり、
東京スタンダードではなく私文専願界という限られた範囲の中での話であることに気付かされる。
ここに加え、早慶上智やマーチなどには難関国立大学に落っこちて進学してくる人間が一定割合存在する。
基本的に国立大学に落ちて私大進学になる場合、受験相性のせいでワンランク下ではなく3ランク以上は下の進学先になるパターンが多い。
彼らの国立大学コンプレックスは言うまでもなく強烈であることは誰でも察しがつくだろう。
かくして、私大文系専願も国立大学落ちも、自分は早慶だというプライドと難関国立大学に対するコンプレックスが複雑に絡み合って爆発し、
早慶等私大関係者の難関国立大学叩きという名物行為がネット上の掲示板で溢れるのだ。
<今日のまとめ>
早慶等による国立大叩きは、国立大学受験から早期離脱して早慶を目標に勉強し合格してきた私文専願が
早慶合格はすごいもので称賛されるべきだという思いと国立大学に対する各種側面からの劣等感という
二律背反の思いが複雑に入り混じったことで発生するコンプレックスが原因。