明治大学→1920年4月15日に認可
立教大学→1922年5月25日に認可
中央大学→1920年4月15日に認可
法政大学→1920年4月15日に認可
青山学院大学→1949年に開学
大学としての歴史の長さなら大東文化大と変わらない
大学令により大学となったのは、慶応義塾大学と早稲田大学が最も早く(設立許可は共に大正9年2月5日)、
ついで明治大学・法政大学・日本大学・中央大学・国学院大学・同志社大学(設立許可は大正9年4月15日)が
認可され、東京慈恵医院医学専門学校(大正10年10月19日)は東京慈恵会医科大学となり、
龍谷大学・大谷大学(設立許可は大正11年5月20日)・専修大学・立教大学(大正11年5月25日に設立許可)・
立命館大学・関西大学・東洋協会大学(設立許可は大正11年6月5日)が設立を許可された。
このような情勢の中にあって青山学院も明治末期以来のキリスト教諸派の連合大学設立の計画からはなれて、
独自の大学設立の計画を具体化するに至った。大正9年12月13日、高木院長は臨時理事会に
青山学院単独の大学設立計画を提議し、理事会はこれを可決した。しかし、この計画の推進者である
高木院長は、大学設立計画可決の翌月、病に斃れ、不帰の客となってしまったのである。
(青山学院 『青山学院九十年史』 1965年)
大正12年9月1日、突如として関東地方一帯を襲った大震災は、青山学院にも大打撃を与えた(中略)。
明治19年落成の神学部校舎、39年落成の中学部校舎、40年落成の大講堂、大正7年落成の
高等学部校舎(勝田館)は大破し、学校はその諸施設をほとんど失ってしまったのである(中略)。
このような大震災による大打撃のため、いままでの拡張事業は消し飛んでしまい、
災害からの復興に米国メソジスト監督教会の特別の支援も乞わねばならなくなった。
(青山学院 『青山学院九十年史』 1965年)
「回顧するに我等は大正8年故高木院長の拡張事業を賛して資金募集に従ひ、金40万円を
集め得たるも、其大部分たる勝田銀次郎氏の指定寄附に係る高等学部校舎の建築費を除けば、
其余は甚微々たるものなりき、次で彼の震災復興の事業に当りて我等協賛再び募集に務めたる資金は
12万円余に過ぎず。更に間島図書館充実費募集の為め得たる所のものも是亦当初の希望に満たざりき。
今や校舎は中学部高等学部神学部何れも建造整ひ校友の寄附に係る大講堂と間島図書館とを控へて
学院の偉観を呈すと雖も其内容は遺憾ながら完備せりとなすことを得ず」
(米山梅吉 「校友諸君に檄す」 昭和8年6月20日)
戦前の設立だと何かいい事あんの。
戦前からあるから名門でハイレベルな教育で偏差値も高いとか?
ICU、東京理科、青学、学習院
この辺りは戦後設立だが立教中央法政より上という事実
新MARCH
明治大学
東京農業大学
立教大学
中央大学
法政大学
東京農業大学は東都リーグのオリジナルメンバーで旧制大学
(中央 日大 専修 國學 農大)
インキャが青学に嫉妬してて草
歴史なんて誰も興味ないよ
自閉症くん
むしろ歴史あるのに青学に人気面で負けてるところは恥かきすぎてどうしようもないな
◆日本五大キリスト教系総合大学
・上智大学(1911年〜)
・青山学院大学(1874年〜)
・立教大学(1874年〜)
・同志社大(1875年〜)
・関西学院大(1889年〜)
◆ 東京の名門「ミッション御三家」
"「JAR(ジャル)」は、上智大学・青山学院大学・立教大学の総称。
昭和40年代、女子の進学率が向上。昭和43年の『経済白書』に「国際化」という言葉が初めて登場した。そのような時代背景の中で、ミッション系の大学に人気が集まった。"
◆"SMARTは「上智大学・明治大学・青山学院大学・立教大学・東京理科大学」の略称です。"
出典「SMART大学」って何?SMARTの偏差値や各大学の特徴を紹介 | cocoiro
法政・中央の没落により「SMART」が最近注目されている大学群です。
上智大学・青山学院大学・立教大学は、SMARTの一員として早慶に次ぐ人気・難易度を誇ります。