「シン・ゴジラ」と「君の名は。」の違い
小林よしのり
むかつくのは、この映画のファンは、「俺たちだけのゴジラ」という内向きのナショナリズムが強すぎて、
オタクに動員かけてヒットさせたようにみえるのだ。
ここまで「俺たち日本人にしか分からないゴジラだぜ」という独占欲の強いファンってどうなんだ?
自分を客観視できないオタクって、つまりネトウヨとの親和性がかなり強い。
外国では『シン・ゴジラ』ってウケるのか?
『君の名は。』で描かれるのは、共同体の喪失である。『シン・ゴジラ』では家族も共同体も描かれない。
いきなり国家組織VS怪獣である。そこがいいと言うのは砂粒の個と化したネット民だからだ。
共同体なき空疎なナショナリズムである。
『君の名は。』を見てわしが思い出したのは、あの原発事故のあとに訪ねた、無人になった飯館村だった。
あの村の住民が見たら、ただただむせび泣くに違いない。
『君の名は。』は名作である。
男女が乳繰り合ったら大災害がなかったことになる神アニメ
メッセージ性なんか無かったぞ
ヒロインが可愛くてパンツ見せたから売れたんだよ
「シン・ゴジラ」と「君の名は。」どうしてこんなに差がついた
「シン・ゴジラ」ニューヨークタイムス評
とっちらかった特殊効果のてんこもりはあたかもわざと印象を散漫にしようとしているのかのよう。
物語はかなり雑でついていくのに苦労する。嵐のごとく大量に登場するキャラクターはまあ日本人の観客に
とってはアメリカ人の思う以上にたぶん意味があるんだろう。
本作は、パロディに徹しているときには最高のパフォーマンスを見せる。だが、それだけで二時間の尺がもっ
ているかといえばあやしい。他にも、アメリカに対する日本の愛憎が 大雑把かつ幼稚に描かれたりもする。
クライマックスに、特別印象的な特殊効果シーンがあった。日本の在来線車両は、客を運ぶよりも怪物をひる
ませるほうが得意らしい。
「君の名は。」ニューヨークタイムス評
作品全体がとてもチャーミングで優しいユーモアに溢れている。 体が入れ替わるという設定を通して性別という
ものに軽く触れたかと思うと、新海氏は話を別の、もっと複雑な方向へともっていく。
最初のほうではあまり重要でなく見えた神道、彗星、口噛み酒が、次第に話の前面に出てくるようになるのだ。
ストーリーの展開に比例してビジュアル面でも淡い水彩画のような背景が感動的な役割をもつようになる。
三葉と瀧、そして観客がようやく何が起こっているのかを理解できた時、映画は混乱の喜劇から、 国、歴史、
カタストロフィー、記憶といったものを静かに考察する感動作へと形を変えていく
できればオリジナルの日本語版で見てほしい。
↓
JJエイブラムスによりハリウッド映画化
お前らが必死にシンゴジラ下げても面白いものは面白いんだからしょうがないだろ
お前らがどう意見しようが面白いんだもん
シン・ゴジラ(2016)
映画そのものは、ツッコミを入れながら半笑いで観る二流の怪獣映画としては郡を抜いていると思います。
会議ばかりでテンポが悪いので、欧米に持っていく時には30分ぐらいバッサリ切ると90分のホラー映画の尺になってちょうど良いかと。
特に主人公たち対策チームのシーンが要りません。キャラが立っていないのに、立てようとするカットが多すぎです。
オタク族と一括りにしてモブにしてしまった方がスッキリしていいんじゃないかと思います。
一般の方は、なんで早口で喋るアニメキャラみたいなのばかりなのがリアルだと熱狂的に言われてるのか分からないでしょう。
あの暗記した台詞をそらんじてるかのような、焦り以外の感情の見られない早口、そして会議室でのPCを覗き込みながらのメンバーの会話、
あれはオタクのコミュニティでのリアルなのです。
つまり、この映画の「日本のために立ち上がる、若くはないけれども老てはいない人間」パートは、コミケ後の打ち上げや、路上での立ち話、
ファミレスなどでよく見られる光景の再現で、それゆえにそういう年頃のオタク・かつてのオタクたちの自尊心や劣等感をくすぐるのです。
つまりこの映画は、世間から石つぶてを投げられてきた記憶に苛まれる中年オタクの「ありのままの私」の肯定なんですね。
物語の進行や設定を説明しているだけの台詞の応酬を「情報量が多い」と持ち上げて、考察だの補完だのをしだすのも、それが出来る「頭の良い
自分」を確認して自信を持つためだし、人間ドラマを過剰に嫌悪し嘲笑するのも、それがない自分に自信がなくなり不安になるからです。
だから、この程度の怪獣映画で国家の大事やら日本映画の破壊やらを語ったり叫んだりしてしまう。
国家の大事については、語りたい人は何をネタにしてでもこじつけて語るのでしょうがないですが、映画については完全に時代遅れの認識です。
今も富野や押井、ガンダムやパトレイバー映画の時代に生きている。この映画と一緒ですね。
社会システムとか理屈っぽいなんか凄そうな事を描いている風の作品が偉い=アニメすごい=オタクである自分すごい、と言う価値判断が絶対
だった頃で頭の中が止まってしまい、それ以上に進歩していない。
だからこそ、その古臭い価値基準をスクラップしないでビルドしているこの作品は中年オタクにウケるんです。
もっとも日本の中年オタク、50代・40代は数が多いので、的確に射抜けばリピートしてくれて儲かるのですから、商業的にはそれもありでしょう。
しかし彼らがリアルな今の社会を認識できているとは、とても思えません
むしろ震災後から今までの作品で一番希望を描いていたのが「君の名は。」とも言える
三年後にみんな災害のこと忘れてるのがリアルだったよね