クラフトワークの共同創設者、フローリアン・シュナイダーが73歳で死去
2020/05/07 01:30
クラフトワークの共同創設者でキーボーディストのフローリアン・シュナイダーが73歳で亡くなった。
「クラフトワークの共同創設者で、エレクトロニック・ミュージックのパイオニアでもあるラルフ・ヒュッターが、何十年もの付き合いとなる友人であり仲間であったフローリアン・シュナイダーについて非常に悲しいニュースを送ってきました。
フロリアン・シュナイダーは73歳の誕生日を迎えた数日後に癌の病気で亡くなりました」とバンドは声明を出している。
「1968年、ラルフ・ヒュッターとフローリアン・シュナイダーは芸術的、音楽的なコラボレーションを開始しました。1970年、彼らはデュッセルドルフにエレクトロニック・スタジオ『クリング・クラング』を設立し、マルチメディア・プロジェクト『クラフトワーク』をスタートさせました。
クラフトワークのアルバムはすべてそのスタジオで構想・制作されました」
60年代後半にシュナイダーとラルフ・ヒュッターによって結成されたクラフトワークは、キーボードとシンセサイザーの先駆的な使用により、後のロック、電子音楽からヒップホップ、ポップスに至るまで、あらゆるジャンルのアーティストにインスピレーションを与えてきた。
70年代から80年代にかけて何度もラインナップを変更しながら、シュナイダーとヒュッターのパートナーシップはグループの創造的なバックボーンであり続けた。デュオは著名なクラウトロックのプロデューサー、
コニー・プランクと一緒に3枚のアルバムを録音している(1970年の『Kraftwerk』、1971年の『Kraftwerk 2』、1973年の『Ralf und Florian』)。しかし、クラフトワークは1974年のアルバム『Autobahn』こそ、2014年にグラミー賞生涯業績賞にも輝いた、彼らのキャリアが真に始まった瞬間だと考えている。
シュナイダーとヒュッターは、『Autobahn』でクラフトワークのサウンドを確固たるものにした。催眠術的なループと反復するビート、シンセ、ヴォーカルを駆使して、レコードの片面に丸々収録されたタイトル曲のように、無限のサウンドスケープを生み出した。
カール・バルトスとヴォルフガング・フルールがエレクトロニック・パーカッションに加えたクラフトワークは、1975年に『Radio-Activity』、1977年に『Trans-Europe Express』を発表した。
後者はデヴィッド・ボウイの1976年作『Station to Station』にインスパイアされたもので、両者の間でリスペクトが育まれ、ボウイの『Heroes』に収録された「V-2 Schneider」はシュナイダーへの頌歌となった。
シンセサイザーの世界に飛び込む前、シュナイダーはフルート奏者だった。「フローリアンはフルート出身で、同じ学校でクラシック・オーケストラに所属していたんだけど、その時にはすでにイコライザーやディレイ、ファズボックスなどのガジェットを使って音を操作していたんだ。
それらはエレクトロニックなサウンドではあったが、コンピューターやシンセサイザーに近いものではなかった」と、かつてのクラフトワークのメンバーであり、ノイ!の創設者でもあるギタリストのミヒャエル・ローターが2016年にUncutへ語っている。
ヒュッターがクラフトワークの声でありマウスピースであったのに対し、シュナイダー(ドイツのボン空港を設計した建築家ポール・シュナイダー=エスレーベンの息子)はプレスに対するシャイな態度で有名だったが、バンドを境界を超えた限界へと導いたことで知られている。
「フローリアンは音フェチなんだ。私はそうではなく、どちらかというと言葉のフェティシストだね」とヒュッターは2005年にMojoに語っている。「これらの役割は義務ではなく、私たちの好みとして長年に渡って発展してきたものなんだ」
エレクトロニック・ポップの先駆者として、クラフトワークは1978年の『The Man-Machine』と1981年の『Computer World』という2枚のアルバムで彼らの評判に応えた。
2005年、コールドプレイはクラフトワークの許諾を得て、後者のアルバムに収録された「Computer Love」 のリフを拝借してバンドのヒット曲「Talk」を作り上げている。
以下ソース
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33803/1/1/1