<貧しくとも豊かな生活が昔の中国にはあった。だが私の祖国はあれから大きく変わった。移り住んだ日本で、まさか理想の社会主義を見つけるとは思ってもみなかった>
ご存じの読者も多いと思うが、中国は完全なる社会主義国だった。1978年に改革開放が始まるまでは、贅沢こそできないが、皆が平等に暮らせる社会がそこにはあった。
1963年に浙江省紹興市で生まれ、23 歳で来日するまで紹興と北京で生活していた私にとって、思い出深いのが配給制度だ。
肉の配給は月に1回、つまり肉にありつけるのは1カ月に1度だけだった。
年に1回は「布票」と呼ばれる布の引換券が配られ、それを元に布を購入していた。
その布を使って母が、ミシンで新しい服――いわゆる人民服――を作るのだ。
こんな話をすると同情する人もいるかもしれないが、私自身に嫌な記憶はない。むしろ配給は待ち遠しいイベントだったのである。
そんな、貧しくとも豊かな生活が昔の中国にはあった。しかし中国は、あれから大きく変わった。
今はむしろ日本のほうが「社会主義国」だ。配給制度こそないけれど、平等で弱者に優しい社会がそこにある。少なくとも私はそう感じる。
資本主義の悪い面ばかり取り入れ、社会主義の悪い面ばかり残してしまった祖国。まさか日本で、理想の社会主義を見つけるとは思ってもみなかった。
社会主義が嫌で中国を脱出してきた人の中には、日本が中国よりも社会主義的だと知ってガッカリする人もいる。
しかし私は、むしろ最近の中国にガッカリしており、その思いはこの新型コロナウイルス禍でますます強まった。
「特色ある社会主義」などとうたっているが、弱者ばかりが割を食うあの弱肉強食社会のどこが社会主義なのか。
日本では教育の機会がおおむね保障されており、大卒で会社に入れば、だいたい皆同じくらいの給料からスタートする。
中国もアメリカも過酷な競争社会だが、日本では正社員ならそうそうクビになることはない。
また、日本に人種差別がないとは言わないが、中国人として日本で学び、働いてきた私自身は、これまで差別された経験がない。
中国ではアフリカ系の人々への差別が深刻だが、それと比べるのはおかしな話だろうか。
それに、日本では医療費が安いため、病気になれば貧しくても医者にかかれるし、スーパーやコンビニ、ファストフード店も多いので、食べ物も割と安価に購入できる。
東京ではあちこちでホームレスの人たちを目にするが、彼らも他の国でよく見掛けるような「物乞い」ではない。
もちろん、そんな日本にも貧困から抜け出せない人は大勢いて、とりわけ最近は格差が拡大していることを私も知っている。
それでも、貧しい人や苦しんでいる人を助けようとせず、逆に石を投げ付けるような者が多い今の中国と比べれば、ずいぶんましだと思ってしまう。
コロナ禍での経済補償に対しても、額が不十分だ、給付が遅過ぎると怒っている人が多いが、補償はゼロではない。
ロックダウン(都市封鎖)で国民の経済活動を封鎖しながら何の補償もしない中国を知る私からすれば、中国籍でも給付してくれる日本の特別定額給付金制度は大変ありがたい。
このコラムで韓国出身の李娜兀(リ・ナオル)さんも書いていたが、外国人にもコロナ支援の手を差し伸べているのは非常に素晴らしいことだ。
韓国でも外国人には支給していなかったし、アメリカの給付金も留学生の多くが対象外だったらしい。どうです? 私も中国とだけ比べて日本が素晴らしいと褒めているわけじゃないんです。
日本のメディアは格差拡大の現状を憂い、それに対する政府の施策を厳しく批判する。それ自体は報道環境が健全であることの証しだ。
ただ、私のような見方があることも知ってもらいたい。日本は日本流の「特色ある社会主義」を誇りに思い、それを世界にもっと「輸出」すべきだ。
周 来友 ZHOU LAIYOU
1963年中国浙江省生まれ。87年に来日し、日本で大学院修了。
通訳・翻訳の派遣会社を経営する傍ら、ジャーナリスト、タレント、YouTuber(番組名「地球ジャーナル ゆあチャン」)としても活動。
https://www.newsweekjapan.jp/tokyoeye/2020/07/post-32.php