今までの価値観
左脳、グローバル資本主義、形而下、合理主義、非宗教
これからの価値観
右脳、ローカル社会主義、形而上、経験主義、宗教
贈与を導入した、新しい経済学の本、なのだと思う。
贈与って、貨幣が発明される前からあるものだし。
最近の、ユーロ危機なんかを引き合いに出すまでもなく、お金を持っていても、投資先がないのが21世紀に入ってからの世界経済なんじゃないかな。
でも、ぼくたちはごはんを食べなきゃいけないし。
たぶん、貨幣による経済が、限界なんだと思う。
というようなことを、エネルギーにあてはめると、原子力や化石燃料ではなく、自然の贈与としての自然エネルギーになる。
とまあ、この間には飛躍があるし、そこが読者の中できちんと埋まらないと、うすっぺらな本に思えてしまうかもしれない。
でも、本質は、贈与というしくみを経済の中にとりもどし、持続可能な社会にしていくっていう、そういう方向への大転換は、正しいと思う。
そうじゃないと、破たんするしかないとも思う。
中沢は、東日本大地震をきっかけに引き起こされた、福島原子力発電所の事故を受けて、日本は大転換を図るべきだと訴える。
原子力エネルギーの利用を取りやめ、太陽エネルギーを中心としたエネルギーに転換するべきだという。
その転換は、単にエネルギー利用に止まらない。原子力エネルギーと20世紀後半の資本主義は密接に関係しているので、経済システムも転換しなければならないとも主張している。
150ページほどの小論だが、その内容は豊穣で、そこから派生するであろう様々な要素を含んでおり、読み進みながら、自分の思考が、拡張されていく快い感じがした。
中沢が主張するような大転換が、本当にこの国から起こるかどうかは、私たちのこれからの考え方、行動にかかっている。
今ある「反原発論」のほとんどは、原子炉の構造やエネルギー供給システムについての、ナイーヴな反省の上に成り立っている。
技術的・工学的な問題が回避出来るのであれば、原子力発電所はまだまだ使い出のある巨大エネルギー供給元だ、
という主張はかなり根強い。ならば「もっと科学技術を発展させて、工学的に解決していけばよい」というわけだ。
この考えは、原子力エネルギー推進派だけでなく、反対派の主張の中にさえ、とても強く残っている。
果たして本当にそうだろうか?本書はこの前提に、真っ向から立ち向かっている。そもそも原子力というものは
、私たちの生命が生起する生態圏の「外部」にある過激な力を、無理矢理社会の内部に持ってこようとする、
かなり危うい思想の産物なのではないか?原子力エネルギーは、第二次大戦の渦中から戦後にかけて生み出された、
核爆弾開発とコンピュータ制御技術を総結集した「平和利用」の成果だというけれど、その背後には暗雲のような影が立ちこめているのだ。
本書で語られている新しい「エネルゴロジー(=エネルギーの存在論)」は、原子力エネルギーを消費する経済のあり方や、
そこにどっぷりと漬かっている社会通念に揺さぶりをかける。その上で、いっさいの先入観なしに、原発への依存体質を乗り越えた、
未来社会の構想が語られている。いまや日本列島は大災害と原発事故によって、世界に先駆けて新しい文明をつくりだす、最前線の位置に立たされたのだ。
生態圏自体との共生、贈与経済の再活性化、第一次産業のルネッサンス、日本から世界へのヴィジョンの提示など、
災害の傷跡を乗り越えようとするすべての人々にとって、本書は役に立つアイデアの源泉となるだろう。
21世紀の「生態圏の思想」は、ようやくエネルギーという大問題を俎上に載せられるようになった。
20世紀の「エコロジー」を超える思想のヒントは、この中にたくさん隠されている。
心霊現象、幸運幸福、
心霊写真、幸運幸福、
log((所有金融資産Money;単位円))=9 対数は常用対数、底は10
log<(所有金融資産Money;単位円)>=9 対数は常用対数、底は10
天変地異、天変地異、勃発近し。
@富士山大噴火。
A首都圏直下型巨大地震。
B東海東南海南海大地震。