>>75 故・木川田一隆元会長と本当に駝懇の仲だったのは天野光晴
http://210.175.207.44/pub/topics/jishin2011/2011/11/post_2555.html 「天野先生以外に誰の後援会長も引き受けるつもりはない」。昭和47年春、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで開かれた衆院議員天野光晴(旧本県1区)の在京後援会の総会。初代会長を務める東京電力会長、木川田一隆は言い切った。
木川田は天野の選挙区内の梁川町(現伊達市)で医師の三男として生まれた。東電創立10年後に社長となり、経営基盤強化に敏腕を振るっていた。一方、天野は当時、当選4回。建設族の道を歩み、後に国土庁長官、建設相を務める。
秘書だった塩谷憲一(64)は毎朝、天野の背広の内ポケットにある議員手帳の中身を確認するのが日課だった。日程欄には木川田の頭文字「木」の字が並んでいた。
http://210.175.207.44/pub/topics/jishin2011/2011/11/post_2549.html 天野が思い描いたのは、原発に不可欠な水の供給源である海と、手付かずの広大な敷地だった。夢はさらに広がった。「電気を首都圏に送るだけでなく、電気を使う工場を誘致する」。
阿武隈山地から浜通りにまたがる地域を振興させる「阿武隈総合開発」だ。天野が生涯を懸けて情熱を注いだ構想だった。
その頃、東電は原発の建設用地を探していた。30年には本店社長室に原子力発電課を設置した。天野は周囲に話した。「東電はとてつもなくでかい会社だ。持ってくれば、みんなの生きる糧になる」
当時、東電の副社長は木川田一隆。36年に社長に就く。天野の選挙区にある梁川町(現伊達市)出身だった。2人は切っても切れない関係になっていく。
東電が出資してる会社ってJヴィレッジのことだろ
JヴィレッジはJFAや福島県や東電の出資で設立されたサッカー施設で、社長は福島県知事が務めることになっていて
たまたま知事の職務として社長に就任していただけ
佐藤雄平の前の社長も知事の佐藤栄佐久で、今の社長も現知事の内堀雅雄だ