>>1さんは何か具体的な事を発信しないと誰もレスしないと思うの。
あとね、五線譜の無いここの世界でより抽象的な現代音楽を話すのはとっても難しいと思うの。 >>3
今はMAX/MSPを使って、群音作法を発展させたものを作ってます。
だれか新しい音楽理論を模索してる人いないかなあ
>>4
完全なデタラメだと、つまり完全なランダムだと、そこにまったく構造が入っていないから、詰まらない。
やはり確立テーブルを統計的に処理して、偶然性をコントロールすべき。 音列技法、群的技法
両方とも知らない
現代音楽は難しそうでよくわからない
音列技法は、まず一オクターブのうちの12個の音を、重複しないように
好きに並べます。
これがセリーと呼ばれます。あとはこの素材としてのセリーを逆にしたり縮小・拡大したりして、
和音にしたりして
構造的に音楽を作っていく方法です。
群的作法は、人によって使い方が全然違いますが、
1960年代から現れました
いわゆるポストセリエルの時代の産物です。
ある音や音の連鎖、リズムからなる形態を定義します。そしてこの形態を、
徐々に変形させていくことで音楽を展開させていく方法論です。
>>1
現代音楽については全くの無知なのですが、「これは聴いとけ!」っていう作品を教えて頂けますか? Cerha:spiegel X
ダウンロード&関連動画>>
リゲティやペンデレツキの陰に隠れているが、厳密な意味でのポストセリエル作品の
最高峰
Xenakis:metastasis
ダウンロード&関連動画>>
こちらもポストセリエル初期の名曲として超重要。
なお楽譜つきなので、それを追って聴くと面白い なるほどここまで読んで初めて現代音楽の楽しみ方を少し理解したわ
けどまだまだチンプンカンプンだからとりあえず半年ROMってみる
>>10
現代音楽はハマると楽しいですよ
地域、国、民族、思想、政治的立ち位置・・・等によって、
作曲家の作風に物凄く幅がありますからね。
POPS畑の人でも、イレギュラーなコード進行やてみようかな、
とか、そういう作曲の楽しみ方があるじゃないですか。
現代音楽も、聴き慣れないうちはどれも似たように聞こえるかもしれませんが、
21世紀現在で言えば、「新しい複雑性」「アメリカ実験音楽」「ポストミニマル」「東海岸アカデミズム」「スペクトル楽派」
「新ロマン主義」、といった大枠はあっても、個々の作曲家は
それぞれまったく別の私的言語をもって作曲しているので、その差異を聴きとるのが
楽しい。
その点は、けっこうメタルに近いと思いますね、メタルもグローバルなジャンルですし、
民族性や風土性がかなり影響してくる。ポストロックやエレクトロニカなど
比較的新しいジャンルから貪欲に取り入れる。 ならば、日本人ならではという観点から探っていくのはどうだろう?
あまりに西洋式手法に捕らわれてしまい、古来からの我々独自の感覚をなおざりにしてはいまいか?
作りたいとスレを立て
作らずに去っていく
早く作れよ
>>12
邦人作曲家は雅楽や能と言った要素を積極的に採り入れてますよ。
黛敏郎「涅槃交響曲」
ダウンロード&関連動画>>
お経を採り入れた恐らく日本人作曲家で一番有名な交響曲
細川俊夫: 「ヒロシマ・レクイエム」1989
語り3人、独唱(4あるいは8人) 混声合唱、児童合唱、テープ、オーケストラのための
ダウンロード&関連動画>>
現代日本作曲界でかなり影響力ある人。
>>13
作ってますが、めっちゃ時間かかってます。ごめんなさい。年内には・・・ >>15
お、なかなかかっこいいね
ところで、俺が20年前、音大にいた時代の他の作曲科の連中もそうだったけど
半世紀も前の、もはや語り尽くされた「近代音楽」の理屈や技法を「現代音楽」と呼んで
最先端のことをやってる気分になってる連中ってどうなんだろうね
古いことをあえて今リバイバルで追求するのなら、近代よりもむしろ古典やロマン派の方が面白そう。 聴いていただいて有難うございます。
20年前に音大生だった、ということは、既に新ロマン派が流行ってた時期ですよね。
W.リームとかシュニトケとか。
あるいはファーニホゥ・フィニスィーの新しい複雑性、それへのアンチテーゼとしての新しい単純性、
またフランスではスペクトル楽派が既に台頭していた。
アメリカ東海岸では、ピッチセット・クラス理論が誕生していたか。
そう考えると、20年前と状況はなんら変わっていませんよね。
それらに対するオルタナティブがない。
あなたも、そうやって50年前の技法を使っている、という批判はできても、じゃあ
それらの理論に対する新しいオルタナティブを提案できていたのでしょうか。
なお、この作品に関しては、単に50年代、60年代の技法を取り入れたのみならず、
脱西洋的な思想をも前提しています。
対案あるのかとか言い出すのがね
プライドで作ってんのかね
>>16さんと>>18さんは同じ方?
そりゃ対案がないなら、ケチつけてるだけにしか見えないでしょう
保守主義者でもないみたいだし
作り方に拘るのは当然では?そうじゃないジャンルがあるんですか? >>20
いや違う人だけど
なんか作り方のみにしか目が行ってないんだなと感じましたね
先に作りたいものがあるってのが私にとっては順番なんでね 言ってしまえば宗教の対立みたいな話なので無理に押し付けはしませんが、なぜ現音がこのような音で、このような位置に置かれているのかはこのスレの内容で十分に理解できました
それでは
現代音楽は、基本的に「作り方」を作るものですからね、メタ的ですよ。
作り方が違えば、当然アウトプットとしての音響も変わってくる。
それが面白い。
いや、単純に、方法論ばかり先行して(その方法論もとっくに錆びたオールドスタイル)
肝心の音楽が、まったく良くないし、刺激的でもないから、批判意見が出るんだよ。
50年前から変わらない。
この手のマンネリ君達は、音楽そのものより、作品解説に熱心。
で、この人がやがて、こういう「小児性」を卒業したと思いきや
すぐに次の世代クローンが沸いて、同じ言葉と同じ発想で、同じようなことを語る。その繰り返し。
家庭環境のせいかもしれないけど、特有の子供じみた自己顕示欲が、こっちに向かわせるんだよね。
近代音楽好きってみんな同じ目つきしてる。
遅くても30歳前後で卒業できればマシだけど、40すぎてやってたら、ただのとっちゃん坊や。
>肝心の音楽が、まったく良くないし、刺激的でもないから、批判意見が出るんだよ。
これがその批判意見ですね。意見は意見ですから。私の意見としては、
50年前のポストセリエルから、いくつかのオルタナティブが出てきていて、
(それは具体的には>>17に示した通りですが)、音楽自体もそれそれの方法論によって
かなり異なってきているので、面白いと思いますよ。
1930年代に生まれた作曲家(湯浅、一柳)、1950年代に生まれた作曲家(細川、西村)、1970年代に生まれた作曲家(藤倉、山根、木山)では、
世代ごとの音楽観の違いも顕著だと思うし、
そういった音楽観の違いというのは、方法論もそうですが、文化潮流にも大きく依っている。
まあ、私のような音大卒じゃない人が、PCを使って、かつては使える人が限られていた
50年前の方法論を気軽に使えるようになった、というのは大きい変化でしょうね。
>で、この人がやがて、こういう「小児性」を卒業したと思いきや
>すぐに次の世代クローンが沸いて、同じ言葉と同じ発想で、同じようなことを語る。その繰り返し。
まあそんなのはどこの分野でも同じでしょう。
特にアカデミックな要素の強い現代音楽は、現代までの技法を一通り習得するのに時間かかるだろうし、
20代までは修行ですよ。
今は、1970年代生まれの作曲家の作品もリリース増えてきていますが、その辺の
作曲家たちあたりから、やはり個性的な響きが出てきていますね。
それを聴き比べるのが楽しい。なぜ他の作曲家とは違う響きがするのか、
その差異を方法論に求めるというのが楽しい。あと家庭環境云々の下りは意味不明 山根、木山は1980年代生まれでした。適当でごめんなさい。
家庭環境に、目を背けるのは、君がただの甘えた子供だからだね。
嗜好も思想も発想もすべては家庭環境の影響が大きい。
まあそれは良いとして
現代音楽が、真に現代最先端の音楽だったのは50年代までだろう。
ビートルズのようなポップカルチャーの象徴たちが、それにシビれて模倣していたくらいだから。
今やポップカルチャーが完全に逆転しているよ。
今から15年くらいまえに自称現代音楽家の演奏会に付き合いで顔出したけど、大半はやはり君のような化石系。
だが何人か「お、いいなあ」と思った作品があって、現場でも賞賛を受けていた。
その作品は、はっきり言って、創作についての講釈なんか聞かなければ
ん?ビョーク? レディオヘッド? エレクトロニカ?
みたいな当時最先端のポップカルチャーのようなモダンなサウンドだった。
その比較的モダンな音楽をやってた連中は、今、助教授クラスまで行ってるけど、化石くんたちは非常勤講師のまま。
今、一番新しいものって、本当に難しいけど
少なくとも君が「現代音楽」だと思ってるものでは全然ない。ノスタルジーや懐古趣味でやるなら、別に否定しないけどね。
二コ二コ動画見た事あるか? オレはほとんど見ないけど
人間が紡いだメロディーを「ボーカロイド」という不自然なソフトに歌わせて
更にはその奇妙奇天烈な歌を、人間が一生懸命真似て、カバーしている、という異常な構図ほうが
好むと好まざるに関わらずまさしく、現代音楽的だ。
>>9の下はまだしも、上が最高とか言われてもそれはもはやカルトとしか思えないけどなあ
これを聴いた人に、何も与えられない 作り方の出発点から違う発想をするってのは素晴らしいだろう
でも、普通の人の感性を馬鹿にせずアクセスする努力は必要じゃないかなあ
それこそ新しいスタンダード目指すくらい
>>27
詳しくはいいませんが、あなたより20は若いくらい
>>28
いや、そういう話はどうでもいいというか、ポップカルチャーに対抗しようとかそういう
意図も全然ないし、そもそも現代音楽のセールス面、市場のこととか、
本当にどうでもいです。
シーン的に全面に出てきてない、あるいは市民権を獲得してない、というのなら、僕はメタルも好きなんですけど、
ポストメタルとかフューネラルドゥームとかデプレッシブブラックメタルとかポストブラックとか比較的新しい
サブジャンルもそうですよね。
アンダーグラウンドな音楽が個人的に好きで、
それを作りたい、というだけのスレッドなので、そういう政治的というか、何が
「シーン的に」最先端か、とか、そういう話はいいので・・
新しい音響体験の追求としての現代音楽は、50年前から着実に変化しているし、
あなたが情報を追えてないだけでは。 >>28
>二コ二コ動画見た事あるか? オレはほとんど見ないけど
人間が紡いだメロディーを「ボーカロイド」という不自然なソフトに歌わせて
更にはその奇妙奇天烈な歌を、人間が一生懸命真似て、カバーしている、という異常な構図ほうが
好むと好まざるに関わらずまさしく、現代音楽的だ。
これとか読むと、本当恥ずかしい。私も初音ミクで音楽を作る時もありますが、
ミクがオワコンといわれて数年たつのに、そういう先端の事情が把握できてないじゃないですか。
現代音楽がシーンの先端でないなら、ポストメタルを含めてメタルも化石みたいになってるし、
エレクトロニカ、ポストロック、ノイズ、インダストリアル、と前世紀末にちょっと騒がれた
ジャンルのうちで、現在聴いてフレッシュな印象を抱かせるのが本当にあるのかどうか。
全体的に閉塞状態なんじゃないですか?
>>29
まあ感想を押し付けることはしませんけど、私はこのチェルハの「鏡」という作品を
聴いて、とても感動しましたよ。もちろん、涙腺を刺激するとかそういうんじゃなく、
当時騒がれてたリゲティやペンデレツキの陰で、というとあれですが、あまり認知されてないだろう
作品で、これだけ緻密でかつスケール大きく、また伝統的なオケからこんなに新しい響きを
産み出した、ということに感動しました。 >>30
うーん、まあまたクラシックに連なる現代音楽が、シーンの先端に行こう、と
本気で考えてるなら、そうかもしれませんが、悪い意味でのアカデミックで権威主義的で、、
閉塞的な世界で満足していますからねえ、それで市場も事実回ってるんだから、
特にどっかのポストにある現代音楽家は特にそういう野望を抱いていないと思いますよ。
他方で、山根あきこさんとかは、現代ポップアートの感覚で、ポップな現代音楽作ってるし、
あるいは音楽や美術と言った垣根に捕われないインスタレーションですね。
私はMAX/MSPを使っているのですが、そういう映像と音楽をリンクさせるソフトで
作られた作品というのは、直観的に楽しめるし、もっと広く聴かれてもいいかな、
と思ってます。 とはいったものの、やっぱり今更生楽器で新しい音色を引き出すのには限界があるよな・・・
特殊奏法も研究され尽したし。
なので音源をデジタルなものにして、それをさまざまな現代音楽の理論でコントロールする、
という方向性で行くべきですかね。
音大を卒業しても楽団や教育方面に行けなかった落ちこぼれが選ぶ道
それが現代音楽
ここでグダグダ能書き言ってる時点でダメだ
作品に語らせないと
現代音楽でも音程が悪かったりするとすぐに分かるものだ
強ちデタラメ弾いてるわけではないからね
芸大卒でもヘタはヘタ
現代音楽って実は楽器弾けるやつが頭で考えて無理やり変なことするからつまらないんだと思う
頭で考えた理論によって、その出力結果が様々に異なるから、聴いていて楽しいのではないでしょうか
>>38
弦楽器とかなら音程外れてるのはなんとなく分かるけど、
ピアノ曲とかでもミスタッチを聴き分ける耳を持ってるなら凄い 奇抜さを重視するあまり、とんちを音楽にとりいれたのが現代音楽の最大の失敗
ヘタクソの習作より4:33のほうが名曲というのはどういう意味か?
この重大さがいまいちわかってない
あれはネタで済ませる問題ではない
現代音楽はすべからく(誤用)4:33の延長上に存在すると言っていい
修正できるとするならそこからじゃないか?
4:33がネタで済ませる問題でない、というのには同意です。
あれはパラダイムシフトといってよい。
西洋では、ブーレーズなんかが「管理された偶然性」として、結局合理的に
捉えてしまったけれど、ケージの国(アメリカ)では、それ以来非常に自由な、
実験音楽が誕生しましたからね。
まあでもケージの延長線上にある実験音楽も、それはそれで、アメリカの中だけでも、
ポストミニマルや東海岸アカデミズムなどの他の立場に対して相対化されている状況。
ただ、実験音楽は現代音楽の閉塞的で権威主義的な世界の外部にある印象ですね。
やはり音高の基礎単位が、ノート(ド、レ、ミ等)からピッチにまで限りなく拡張された今、
新しい和声法が必要だろう
一時期は和声そのものが不要だと言われてたが
21世紀になって、現音作曲家は積極的に長短3和音を使うようになった
関係ないけど、
こういうスレ見てると音楽やってるやつは鼻持ちならんし性根悪いなと思うわ
>>1さんはそうでもないけどね >>45
安心しろ
音楽やってる奴が性根悪いわけじゃない
2ちゃんやってる奴の性根が悪いだけだw このスレは凄い面白いし凄い勉強になってる
音源もちゃんと上げてるし
是非ともこのまま続けて欲しい
このスレに居たやつみたいに変に突っかかる野朗も居るけれどガンガレ!
>>50さん応援有難うございます。
なかなか前面には出てきにくいジャンルではありますが、一リスナーとして
好きなジャンルをこれからも作曲面でも追い求めていこうと思います。 放置しててすみません。
>>44で言っていた、ピッチレベルの和声法に基づいたシステムが完成したので、
今週末には上げます。 ほぼ誰も居ない状況で自演してまで続ける内容とも思えんし
ブログでも作ってそこでやった方がいいぞ、適当なとこでやめとけよ
自演はしていませんよ。もちろん証明はできませんが。
しかし、現代音楽というものがいかに市場のニーズにコミットしてないかを痛感しました。
現代音楽は終わりのない探求なので、商業的でない以上、もはや学問といったほうがいいのかも
知れません。
まあ私といてはそういった事情はどうでもよく、純粋に個人的に音の持つ可能性を
追及していければ、と思っています。
有難うございます!
ヘッドフォンで改めて聴くと、ちょっとクリップノイズとかが気になりますね・・・
そこらへんの基本的な部分含め今後も精進します。
亀レスになってしまいましたが有難うございます。
今は、複雑なリズムを自動生成するシステムを考えています。
複雑なリズムを自動生成するということが、単に拍がランダムであることであるとするなら、
そのBPMは保ったまま通常のBPMの各拍を、ランダムで遅延か先取りさせればいい。
ということなら、作るのは簡単でした。
つまらない自動生成された現代音楽はさすがに誰も聴きませんからw
自動聴取ならされるかもしれませんがww
東大のやってた自動作曲とか、ほんとくだらないw
理屈に落ちたようなつまらない曲しかできないwww
機械自体にゼロからパターンを考えさせると無機的、無意味になってだめなので、
むしろ、人間が考えたパターンを、機械によって選択させるロジックを考案したほうが有意義ではないですか?
放置しててすみません。
自動作曲といっても、人工知能的なものはまだ個人的には考えていません。
プログラムする過程で、生成や偶然を管理しているのは当然プログラムしている人なので。
偶然や生成といっても、こちらで管理可能なパラメータはいくらでもあります。
ので、リアルタイムで曲を作るときも、パラメータを操作しつつ、プログラムがもつ偶然性によって
生まれた思いがけない音や出来事にこちらが逆に反応して、またパラメータを操作する、
というインタラクティブな方法を採っています。
でも、今後は人工知能が発展してくるので、それは確実に作曲に採り入れられるのが
主流にはなるでしょう。私も勉強しなきゃ。
>機械自体にゼロからパターンを考えさせると無機的、無意味になってだめなので、
>むしろ、人間が考えたパターンを、機械によって選択させるロジックを考案したほうが有意義ではないですか?
機械によって選択させる、という時点で、なんらかの自律性を機械に認めることになる
わけですが、機械は何を基準にしてそのパターンの選択を行うのでしょうかね。
ランダムか、それともある程度条件づけられたランダムか・・・
つまりトリガーとか条件とかそういったこちらで予めプログラムしたものに沿って
機械が選択する、というのなら、それは自律性など持たないと思うのですが、
例えばある特定の音楽ジャンルの特定の要素をトリガーとして、リズム(あるいはコード進行でも楽器選択でもなんでも)をその音楽やジャンルに
適切である範囲で生成していく、というのは面白そうですね。
音階を無視して、完全にランダムに周波数を決めて作曲させたらどうなりますか?
それあんま面白い結果にならんよ
一様ランダムじゃなくてブーレーズみたいに細かく偶然性を管理しないと
どれ聴いてもどの部分聴いても同じ印象になる
それもMAXだったら確率テーブルつかって簡単にできるけど。
おもしろい結果にならないところこそ現代音楽らしいじゃないかww
現代美術もしかり。どうして現代芸術はつくる者の自己満足で
おもしろくなくても成立することになっちゃっているのだろうか?
ネタ切れってことですか?
聴き手側のある程度の鍛錬も必要でしょ
何曲も何度も沢山聞いてれば、いい曲悪い曲があることに気づくし、
面白くなってくると思うけどな
まー俺は疲れるから現代音楽なんて普段聞きたくないが
現代アートなんかと一緒で、なんかもう言葉遊びの世界というか
音源買ってリピートして聞こうと思える物は皆無のキワモノ一発芸にしかなってないわな
それでも大金持ちがたまにへんな現代アートを買ってくれたりするから、
ダメもとで展示しとくかwという流れで存在しちゃってるのかなw
昔のいい曲とかは30年も40年も繰り返し聴いても飽きないのにねww
現代音楽はまったく売れないw
音楽が一番盛り上がったのはロマン派の時代だろうw
今はその残りカスがひそむ角質をボリボリかじってる時代だろw(嘲笑)
現音をやる理由が「従来の作り方はもうやり尽くしたから」とか中学生レベルの寝言な時点でアーティストじゃないんだよ
そもそも何に美を感じて音楽始めたんだって話だから
まあ「普通の良い曲」をいくらでも書ける実力がある奴が言うなら言うだけあるぜ、ってなるけど書けないわけじゃんw
意識低い系にすら負ける作曲能力しかないw
いくら知的ぶって説明したところで聴いてダメならゴミ、裸の王様だってちゃんと周知していかないとね
ボクは意識低い系なので、現音に勝てるようですw(含み笑)
>>79
そもそもの葡萄の実が生ってないというのが一番の問題なんじゃないだろうか
この手のジャンルやってる人間の統一見解として評価されてる近年の作品とかあるんか?
ジョンケージが末期のネタで捏ね繰り回して大団円って印象しか無いんだが >>81
お前が無知なだけだろ
てかジョンケージって・・・
最近元気でクオリティ高い曲を量産してて俺が好きなのは、
エトヴェシュ、W.リーム(最近はちょっと枯れてきて美しい合唱付きの曲を書くことが多い)、
マーンコプフ、イェルク・ヴィトマン、フィリップ・ヘフティ、トマス・アデス、マクミランあたりかな
日本人だったら木山光とか山根明季子
50年代、60年代、70年代生まれは頑張ってるね
それ以前の長老的作曲家(チェルハ、ルジツカ、シャリーノ、アルフテル等)も
流石の円熟味を示している 無知だから教えてよ
人名並べられても良く分からんから「一般的に評価されてる代表作」いくつか教えてくれ
>>82
その辺の連中がバッハくらい普遍性ある曲書いてるわけ? >>80
雑音出しといてこの態度なのが現音のダメなところ >>83
一般的に評価されてるのだったら、
最近だったら
イェルク・ヴィトマンのVn協奏曲とか最近人気だし(ネオロマン派風で分かりやすい。だが彼の本質はそこにはない。)
グバイドゥーリナの「In Tempus Praesens」(実質Vn協奏曲。これもネオロマン派風だから聴きやすい)
W.リームの「ルカ受難曲」
ファーニホゥの「想像の監獄」、弦楽四重奏
グリゼ―「音響空間」
ラッヘンマンの「Ausklang」「マッチ売りの少女」
ミュライユ「ゴンドワナ」
あたりがぱっと浮かぶ
最近じゃないのもあるけど。これらは何度も再演されてるから、評価が固まって人気もあるんじゃないかな >>84
まあ俺も最近歳を取って現代音楽なんてよほど元気な時か読書とか知的な活動するときくらいしか聴かんし、
バッハベトモツシューベルト聴くのがほとんどだ。
バッハ並の普遍性を求めるなら、バッハ以前のバロック・ルネサンス、また古典派ロマン派近代もみな失格だろうな 現音も現国も現社もうさんくさいなw
現代の本質は価値があやふやでインチキくさいということかw
現代の特徴は、歴史的価値が確定していないので、価値判断があいまい。
それがすべての元凶www
スティーブライヒのエレクトリックカウンターポイントが一番有名なんじゃねえの
ライヒを現代音楽と言っていいものか
初期の実験的なものはともかく
譜面上をビジュアルで捉えて作曲しました、みたいな糞曲より、
バッハの譜面のほうがよほど幾何学的な美しさがある
図形楽譜なんて70年代のアイデアじゃん
今じゃだれもやってない
今はコンピュータばりばりで、すごいことになってます。
最新のテクノロジーと融合して、図形楽譜は最先端を突っ走っていますw
3Dプリンターや、ドローン、AIと連携して、なんでもありになってますw
これぞまさに、ザ・現代音楽のど真ん中www
パソコン使えれば何でも出来ると思ってるお爺ちゃんかな?
>>102
103は無知で書き込んだんだろうえkど、
実際、今現代音楽で前衛的なことをやるにはプログラミングができないと話にならない
それもシェーンベルク―ブーレーズ時代の素朴なパラメータ(音楽の三要素)じゃなくて、
ソフトウェアシンセでつかうような微細な数百ものパラメータを管理していく、という感じじゃないか。 パラメーター増やしてどうするん?
アナログなら無限に調整できるぞ
その調整を楽譜なりにして指示するんだよ
デジタルのレベルで行われた大量の計算結果を楽譜にしてアナログで弾かせるということだ
アナログなら偉いという発想はそろそろ捨てたらどうだ?
現音らしくもないw ドローンが飛ぶ時代ですよw
MAX for Liveあたりが現音にいいですか?
>>105みたいな苦労したあげく出てくる音は雑音だから笑えるよな
そもそも前衛気取りでなんで楽器なんか使ってんだ
スズムシでも養殖したほうがいいだろ ドローンを飛ばしながらスピーカーの位置を動かして
音場を立体的に変化させる現音はどうですか?
秩序を感じ取れないから雑音に聞こえるわけよ
IQテストと同じ
分かる奴は分かる
理解力の問題
真理を感じ取れないから戯言に聞こえるわけよ
仏教の解脱と同じ
信仰心のあるヤツは分かる
お布施の額と修行期間の問題
ピッチクラスセットって、ピッチクラスのセットじゃなくて、ピッチクラスのセットのクラスだよね
英語ではクラスもセットも共に集合を意味すると思うんだけど
まあピッチクラスセット理論の詳細は知らんけどね、
とりあえず音を離散的に捉えてる時点で、現代音楽の実状的実践には追い付いてない感じ
バビットやカーターの実際の作品は今のところ面白いけどね
ピックスクラッチには理論も何もない。
思いっきり歪ませて、ギャーーとひっかくだけw
>>118
数学の用語としては、set は class の一種で、日本語では set は集合、class はクラスと呼んでる。
ピッチクラスセット理論での用語法はまた違う。 日本語では特に数理基礎論や形式論理の文脈で
集合と言えば数学的な厳密な定義があり、クラスはもっと一般的に使われているというのはその通りだな
ピッチクラス・セット理論については手元にForteの「無調音楽の構造」の原文があるけど読む気しねえw
邦訳も高いし。
実践的には、カーターやバビットのフォロワーはいるのだろうか?
ファーニホゥ、フィニスィーのフォロワーはヨーロッパに限らず世界中に広がったけど
>>116
いや、両方の場合で曖昧に使われることが無くはないが
(どちらを指すか、用語としては正確に定まったものでもないし、文によっては(その分別が不要なものでは)曖昧な場合も多く
必要な場合、用法としては内容(著者)によってどちらを指しているか解ればいい、という感ではないかな
より(深度のある)内容によっては、ピッチクラスセットのセットクラスみたいになるし
つまり>>116の場合より正確には「ピッチクラスセットクラス」
セットのクラスを指すときには「セットクラス」
例えばより正確に(細かく)分けると
「ピッチクラス」の「クラス」は先ずピッチのオクターブ等価を表し
「ピッチクラスセット」はただそのピッチクラスのセットを指す(場合と、セットクラスを指してしまう場合もある)
で、そのセットのクラスを表す(指す)ためには「ピッチクラスセットクラス」
という風に そういうのって現代音楽じゃなくてエレクトロニカっていうんじゃねーの
>>119
ピッチスクラッチはドミナントだよ
理論はないなんて言ってる奴はトニックでも平気で使うんだろうな Scratchで音楽プログラミングをするのがオシャレw
でたらめな音楽ができてしまうようなプログラムを作ったとして
「現代音楽ジェネレーター」としてリリースしちゃってもいいですか?
プログラマブルにジェネレートしている時点でその音楽は構造に基づいているから
デタラメな音楽ではない
その構造が聞いて理解出来る範囲なのかそうじゃないのかっていう
12音階(と休符)の4分,8分,16分音符でランダムに鳴らしていくとか、そういうのなら音楽の構造と言えるけど
短時間で急変するテンポ、ピッチ、音量、加えて微分音やノイズまでパラメーター入れるとやっぱりデタラメになるん
>>132
それはない
てか言ってることが自体がデタラメ >>135
なにがデタラメなんだ?
仮にプログラムで無造作に一様乱数を用いたとしても、
それは一様乱数に基づいた構造=プログラムなのだから、
その出力としての音楽は(非常に面白みはないとしても)構造に基づいている。
デタラメというのが、単に聴覚上のカオスの比喩でないとしたら、
その音楽は厳密に構造の上に成り立っているからデタラメではない。
もちろん現代で音楽作ってる人はランダム関数をそのままナイーブに使うことは
せんがね ちなみに133は「デタラメ」という語を聴覚上のカオスの意で使っているようだ。
そうでないとしたら、ランダム関数で規定するパラメータが増えれば増えるほど、
本来音楽は論理的には厳密になっていく(ランダム関数に任せるパラメータの余地が少なくなっていく)から、
それに相関してデタラメ度が増すという発言は間違っている。
×(ランダム関数に任せるパラメータの余地が少なくなっていく)
○(ランダム関数に任せないパラメータの余地が少なくなっていく)
>>135
gen.に一様乱数を使ったからといって(としても)out(結果)が(設定した諸々パラメーターについて)一様乱数にならない
ということ
そこに気がつかない出鱈目アホは非常に多い >>142
俺の何に反論したいんだ?
>>132を否定したいんじゃなくて、
俺の一様乱数の用語法を批判する方向にシフトしたのか?
俺はgen.は使ったことなくていつもjsオブジェクトを使ってるが、
一様乱数を使ってるから論理的にはそれぞれの値が出力される確率は
一様なはずなのに、事実的なアウトプットは
一様乱数にならないとかそういう話か?
それは骰子の投擲の比喩と何が違うんだ? >>144
>>それは一様乱数に基づいた構造=プログラムなのだから
これが出鱈目ソーカル
ここでいうその構造とやらが問題で
プログラムがある構造を持つからといってその構造がout(出音・音楽)の(意図する・しない)構造と一致するわけではない
ということ
乱数生成アルゴリズムのクオリティの話ではないよ
都合の良い監視役に"システム"があるが
”意図しない””システムを放棄”、などといえばなんでもアリだが
しかしその時点で構造はすぐさま詭弁(的なもの)に転ずる、ということも忘れてはいけない。 >ここでいうその構造とやらが問題で
>プログラムがある構造を持つからといってその構造がout(出音・音楽)の(意図する・しない)構造と一致するわけではない
>ということ
お前さ、ソーカルの名を出すレベルにすらないよ
ソーカルの名がでたから思想史的な話をするが、
基本的に、構造というのは潜在的なものだ
潜在的な構造が現実的なアウトプットの構造と一致するなどと俺は一言も言ってない
というか、そのoutの構造、言いかえればアクチュアルな構造という言い回しがデタラメ
アクチュアルな構造など存在しない
俺は「構造=プログラムに基づいた」という言い回しをした。
基本的なことだが、「基づく=基づけられる」という関係が「一致」という関係である訳がない
>>146
そうだよね?
>>プログラマブルにジェネレートしている時点でその音楽は構造に基づいているから
>>デタラメな音楽ではない
だからこれはデタラメだといっている
「自分はデタラメが好き」というならそれはあなたの自由だ >>147
146を踏まえて、
その発言をみたとき
どこがデタラメなのか?
その発言が
「基づく=基づけられる」という関係が「一致」という関係である
と解釈されてしまったなら、確かに132はお前の>>145の発言とちょうど同じ程度にデタラメだ
だが俺はもちろんそれを意図していない
だから問題は132がそのようにも解釈できてしまうような発言であったということ
その時点では俺はそれほど厳密な言い回しを意図していなかったがゆえに、
お前が俺の意図とは誤って解釈してしまったという事。 >>プログラマブルにジェネレートしている時点でその音楽は
先ずこの時点でどうであれあなたはプログラムされたものから出る音を「音楽」と定義(宣言)している
デタラメだろうがなかろうがノイズだろうが「音楽」として捉える立場ということは判った
(「好き」なのは伺える)
この時点で「音楽⇔非音楽」の議論は成り立たない
「デタラメ⇔非デタラメ」は別の話
言ってることコロコロかわるね
もっと焦点を絞んないと。支離滅裂だよ。
>「音楽⇔非音楽」の議論
これはどこから始まった議論なのかな?
俺は131にレスしただけなんだけど、
131は「音楽⇔非音楽」の議論をしてないよね。
例えば
「音楽の構造」と「プログラム(嫌でも構造をもつもの)」
この違いについての見解は?
同じもの?(というような意味のことを言ってる訳だよね?)
>>150
ここではその話は不毛になってしまう(短絡されちゃってるからw)
というだけのこと / (^) (^) \ まあまあ、>>131はボクだから、
ボクの顔にめんじて言い争いはやめてくれyo(苦笑)
ボク的には、音楽的な理論に基づいていない構造で乱数的な
音列を吐き出してるだけでも、それはプログラムに基づいて
いるのだからデタラメではなく、構造的な(現代)音楽である
と言っちゃっていいのかな?という疑問はあるけどne(訝しい笑) あと
>>アクチュアルな構造という言い回しがデタラメ
>>アクチュアルな構造など存在しない
こういうテキトーなソーカル言うのも止めたほうがいい
「アクチュアルはアクチュアル」が正しい
そこに構造を見出すかどうかは個人の(偏向)趣味
>>158
面白いソフトだとは思うけど
残念ながら含まれません
何の関係もありません す、凄すぎるw
現代音楽の枠組みさえも超越してるzkun studioハンパないww(崇敬笑)
まあ、吐き出す音楽はまったく普通のポップミュージックなのでねw(含み笑)
超越してるのでなく
片足の小指も届いていないだけのことです
いや、現音がそんなに崇高なものだと誰が決めたんだ?
ポップ感覚において、zkunスタジオが圧勝してると思うがw(妥当笑)
1. 全く新しい音楽を試みる活動と、
2. 100年以上前の音楽システムから一歩も出ないどころかむしろその中心領域に留まろうとする活動とを比べて、
3. 後者は前者に含まれるか?
という問いに対して、「全くそんなことはない。かすりもしない。後者は前者に比べて非常に“古い”」という回答がなされる。
それに対する反応が「前者がそんなに崇高なものなのか?」
まあ、そう熱くなるなyo
zkunスタジオにはユニークなエディット機能が組み込まれているので、
設定しだいで非常に新しい音楽も吐き出せるようになってるyo(微笑)
たとえば、ボーカルのメロディーラインは音高の確率を自分で設定して
やることで、いかようなスケールも生み出せるyo
伴奏パートもツインパートになっていて、それぞれのループ長を変えられる
ので、途中からどんどんずれていくパターンを作ることもできるyo
なかなか新しい試みだと思わないかい?
まあ、歌詞は思いっきり渡辺美里の曲の語彙から作りますがw(微笑)
その意味では、現音の人たちはポップ音楽と新しい音楽を共存させる取り組みにおいて
zkunスタジオに片足の小指も届いていないということのようですw(含み笑)
>たとえば、ボーカルのメロディーラインは音高の確率を自分で設定して
やることで、いかようなスケールも生み出せるyo
いやそんなのMAX使いにとっては確率テーブルを勉強する際の初歩的な過程に過ぎないわけだが・・・
>伴奏パートもツインパートになっていて、それぞれのループ長を変えられる
ので、途中からどんどんずれていくパターンを作ることもできるyo
これもループ再生学習の初歩中の初歩なんだが・・・
無知って怖いね。
>>169
ライヒが昔やってたのは手作業だろうね。アルゴリズムでやってたわけじゃない。 >>165
いやいや、ちゃんとスレタイ見てみな
お前さんのその妄想と稚拙な思い込みによる現音の定義なんて誰も興味ないし相手にしてないから す、すごいw zkunスタジオの大衆感覚は時代にマッチし過ぎww
だから無関係でいいじゃない?
なんで超越だのとさも踏襲したかのように表現で欲張って絡んでくるの?w
全く踏襲もしてなければ従って超越もしてないし
お前さんの軽薄な玩具キャラは知ってるからそれほど責める気もしないけどw
糞野郎が居るから糞スレに見えるのか
それとも糞スレだから糞野郎が来るのか
>>174
クソ野郎はどのスレにも来るからスルーしとけ これが新しいんだ、といえるような現代音楽を貼ってくれyo
やたら目新しきを求むるは
歴史(その本質)を知らずに等しい
知らざるに等しい
とすべきところでは?(教養ある笑)
スクラッチでバカみたいなでたらめ音楽生成してる子どもたちは現代音楽ですかぁ?
このスレは「現音を作りたい人」も参加できるだろ?
だったらzkunもこのスレにからんでいいはずだ。
少なくとも、現音も作りたいと思っているからne(納得笑)
スクラッチでただ機械的反応で音列を鳴らしてるプログラマーは
現代音楽ですか?
サイコロの出た目に座る観客の
頬をぶつ
曲名『偶発的事故の結末
タイトルは「This is Jazz − Jazzを体験・体感・実感・実体験できるコンサート」
弟子に本番で裏切られたイエスみたいなやつだなw(日野笑)
師匠の顔に泥を塗ってでも、本番で目立てたらいいと思って
勝手なことをする弟子も弟子だなw
ボクなら黙って羽交い締めにして舞台裏へ引きずっていき、
その場で破門だなw 表でビンタしても効果がないし
自分が批判されるだけで損してバカみたいだからw(賢明な笑)
もうこのスレも終わりだな
キチガイが居着いちゃったし
現代音楽=キチガイ御用達
なんだから当然だろwwwww
そらまたずいぶんステレオタイプな発想だなw
そんなんで斬新な音楽はつくれるかな?
斬新かどうかは小手先の技術の問題ではない。
生き方そのもの、存在そのものが問われているのだww(納得笑)
人体に微弱電流を流していろいろ音楽にするのは面白そうだw
観客に笛くわえさせて
ランダムに電気流せばよいよ
電圧可変で
音楽性と言う時点で新しいものは作れない。
破天荒で誰もやらないことが革新的。
ない物を作る
現代アートのいかんところだな。
ない物をやることが優先されて、質に対する配慮がない。
>>213
ランダムって実はかなり難しい
人間が意図的にランダムに感じる様ランダムを作らないとランダム感でないよ >>217
それは理論上の話であって音楽の話ならばほぼ関係のない話
半端な知識を持った人間によくある勘違いによる只の思い込み
音楽の受動体としての人間の知覚はもっと単純
なので当て嵌まらない >>219
いや、ランダム感のないランダムには価値がないって話な
不気味の谷と似てる感覚に陥るだけだよ 過程の屁理屈と言葉遊び、そして誰も居なくなる
現代音楽いつものパターン
>>220
それはもはやランダムではないしな
制御されたランダムなどと言いたいのだろうけど
これは只の流行語だし
それを一々ランダムと言わなくて良いと思う 居残るのはzkunだけという楽作板のパターンw(鉄板な笑)
俺は>>50だけど久々に覗いたらクソスレになっちゃってガッカリ
スレ主も忙しいのか居なくなっちゃったしね
まあ、スレ主がこれ見てたらまたvipでもなんjでもいいから暇な時に現音について紹介してよ
いろんな現音作曲家を知れたしそれなりに目からウロコだったからさ 2ちゃんはどこへ流れていくか誰にも制御できない。
たまにしか覗かない人が「あのときがよかったのに」と言っても
どうしようもないし、なんの意味もない。
それが現実です。
このスレはまだ4分の1しか終わってない。
ここから先の展開は今定住している人がつくっていくことになるyo
どうした? ロケットマンを題材に現代音楽をつくってくれよw
zkunスレにzkunテクノロジーの歴史を大量連投しといたから読んでw(苦笑)
現代音楽に特化したバージョンの作曲演奏アプリというのもアリかもしれないなw
ルートとかスケールとかテンポとかを全部独立バラバラに動かせる各パートを
任意のタイミングでON/OFFできたり、音程さえも自在に伸縮させて聴いたことの
ないような旋律を生み出したり、ポケミクのXGエフェクトを駆使してさらに
普通ではない音作りをするww それだけだと単に奇をてらっただけのナンチャッテ
現代音楽でしかないけど、そういうツールを使ってあくまで人間が表現を考える
ための道具として、あってもいいんじゃないかと思うよne(微笑)
まずはパーツとなる個々の楽器ユニットづくりから始めて積み上げていくのが
いいだろうne いいものが揃えば、それだけでアイデアがさらに膨らむからw(含み笑)
やり尽くされてると言って何もしない人より、
自分ではまだやってないことをやってみる人でありたいne(妥当笑)
セリー
十二音技法
セリー音楽 セリエル音楽
トータルセリエリズム
無調音楽
の違いについて教えてくれ
セリー:音楽用語では単なる音列(あるいはそれを拡張した音価や強度の配列)
十二音技法:セリーを音高だけに限った場合
セリー音楽、セリエル音楽:十二音技法でいうセリーを音高だけでなく他のパラメータにも適用した音楽
トータルセリエリズム:セリー音楽と同義
無調音楽:単に西洋的古典的機能和声、近代和声に基づいて作られていないあらゆる音楽
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絵や彫刻は残しておけば100年後に誰かが
評価してくれるかも知れないけど
歌や踊りはその場の客が評価しなきゃ
埋もれてしまってなかったことになる。
最先端と思ってる音楽やダンスも、何百年も前に
誰かがやって、ボツになった奴かもしれん。
おまえらのは現代音楽っていうか胡散臭いハッタリ音楽だろw
今ってもはやAIとか取り入れないと前衛と認めない!的なところあるよね
10年前はカオス理論がそのポジだった
ほんとミーハーな界隈やで