あの頃のF1って良かったよね
・セナvsプロストvsピケvsマンセル
・ターボから自然吸気へ
・日本人ドライバーフルタイム参戦
あの頃の思い出に浸ろう。
議論は熱くならない程度で程々に
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
最近目立ちますので、もう一度コレを見直してください。
∧_∧ ※このスレは1987〜1993年までを主に語るスレです。
(´・ω・) 他年について少々語るのは構いませんがあくまで程々に。
(__) スレ趣旨から脱線気味に語りたい場合は別スレにどうぞ
F1から離れた思い出話は節度をわきまえてください。
前スレ
【F1】1987〜1993年のF1を語ろう 58laps [無断転載禁止]©2ch.net
http://2chb.net/r/f1/1489132918/
ワッチョイ有りで次スレッドを立てる時、本文(テンプレート)の最初に以下の1行を追加してください。
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@YouTube
約1周ブロックか
コース特性考えると故意かペナかの判断は
俺にとっては何とも微妙
それにしても1989年モナコGPは
プロストはアルヌーに青旗無視の通せんぼされたおかげで
運が勝手に舞い込んでセナ勝手に自爆して優勝できた感が
逆にセナは1992年モナコGPで目の前でアルボレートがスピンして通せんぼされたおかげで
運が勝手に舞い込んでマンセル勝手にパンクの緊急ピットインして優勝できた感が 今はペナ厳しからなあ
FIAやFOMのひいきドライバーだろうが悪意でやらかしたらチャンピオンシップかかってようが
無期限出場停止食らうし
89年モナコのアルヌーのプロストに対する執拗なブロックに注目が集まってるけど、
たまには91年モナコのピロによるモデナに対する悪質なブロックにも触れてあげてください。
中嶋と勘違いしたって言い訳してたけどね。
ピロって人よさそうに見えるのに腹黒なのね
同郷にホンダエンジン取られたのが悔しかったのかな?
悪質なブロックならシューマッハが随一だろう。
まあその報いは引退後に受けることになったが…
ピロといわれるとカーグラのテストでMP4/4にライツ・コレヴィットくっつけてた人って印象。
まあ、ハーバートの乗り替わりでベネトンに乗って、その怪我人のはずのハーバートより
よっぽどパッとしなかった印象しかないという時点でry
悪質なブロックと聞いて思い浮かぶのはグルイヤール
バックミラーは見ないし、成績もパッとしないし、フライングかましまくるし、なぜあそこまで何シーズンも参戦できたのか
やっぱりelfとマルボロの金なのか
ピロの印象は
予選が遅く
決勝で輝いたこと無し
知らない間に消えていたな
ピロはナンバー2ということよ。
89アデレードではナニーニのために
ブーツェンにブロックしてたしな。
>>17
そういえばピロは常習犯だったなw
91年のモナコではモデナを散々ブロックした挙句、
ちゃっかり6位入賞してるんだよな。
…ペナルティが課せられてもいいのに。 昔はそこらへんかなり甘かったよね
そもそもはトラブルでもないのに同じ車に一周遅れにされる悟さんが悪いんだけどさ…
日本中継以前の昔のAUTOSPORTS誌には
レース結果とかアイルトン・セナ・ダシルバ表記だったな
>>20
セナ
「チートとは失礼な。ルールで許されていることをやっただけなのに!
予選で他者のタイムアタックを邪魔してはいけないルールがあるというのか?
言いがかりもはなはだしい!!」 今宮
「セナのストイックさは、ときに周囲の誤解を産むこともありました。」
86スペインで勝敗に関係ないプロストがマンセルをブロックした形になって後で謝罪したそうだけど結果的に...
>>21
KART来日からF3までアイルトン・ダ・シルバ
セナって誰? って思ってた。 当時、ピケをピケットと記載してる自動車雑誌もあったな。
前もはったけど
「ピケット」
「ヘスノー」
「ダ・シルバ(センナ)」 マーク・ズラー
マーク・シュラー
マルク・スレール
無限ループスマンな
エジェ・エルグ、エヤ・エル―辺りが元祖。
オートスポーツ編集長でさえロベルト・グエッレロ、またはガレロ。
まあ間違いでは無い。
>アルボレット
87年金曜鈴鹿フリー(初っ端練習)走行の時にはアルバトーレと言う名だったらしい。
長文でなくても、
内容のくだらなさで誰の書込みか特定できるって、
ある意味すごいな
長文爺、あんたのことだよ
AS読者だったなら、パトレーセ、アルボレト、ブートセン、センナ辺りが親近感ある表記なのでは。
よく見ると >>27 は
M.ブランデルなんだな。この年でタイレルの話である以上、Brundleだと思うけど。 当時日本でF1中継してなかったんで情報はオートスポーツ誌とTBSのダイジェスト版で得てた口だけど
ピエルカルロジンザニもね
>>35
Mブランデルの1985年はまだ未成年でFF2000に乗ってた頃だと思う 85年ならASダシルバと英F3で大バトルの末敗れたブランドルか‥こちらも十分スーパールーキーなんだが。
この時期は英F3出はパーマーとかバーンもいたしなあ‥。
鈴木利夫は87年半ばあたりまでダシルバ言ってたね、ダシルバは一応カート時代の
ライバルだったらしいw
86年までのF1の知名度はどれくらいだったのだろうか?
当時はネットも無く、テレビでは全戦中継していなく、TBSで数戦まとめてのダイジェスト放送してた。
>>41
モナコだけは毎年放送してたから覚えている
だから、モンスターマシンのレースというより、ヨーロッパ貴族の優雅なレースというイメージが強かった
ステーションヘアピンだけは、86年以前から強く印象に残ってた ヴィルヌーヴがベルギーで死んだときは朝日新聞の国際面に
「F1のスターヴィルヌーヴ選手事故死」みたいな見出しが載ってた記憶が
伝説の流れ星、記録より記憶、F1史上最もエキサイティングなドライバー
でも、スレチスマン
>>41
f-1はタミヤのプラモかラジコンの車種を少し知ってるだけだったなー
89年にヘルメットの上に大きな空気取り入れ口があるのを見て、その理由が分からないけど昔のマシンみたいでカッコ良くてびっくりしたわ こうですね、わかります。
※これは旧フォーミュラニッポン・スイフトをベースにオセアニアで計画進行中のやつ TBSは92年のインディの放送の最初でF1の結果をネタバレしたことで、モタスポファンのヘイトを集めたな(´・ω・`)
知人が石川アナに会った時にあの事を問い詰めたら、めっちゃ謝ってたらしいんで俺は許した
まぁどうせ予想通りのレース結果だったし
>>49
FW11とFW11Bがごっちゃになってるねw
まあ、FW11にもBB7B載せてるくらいだからいいか。 89年は20チーム(20台ではない)もあったなんて今思えば夢のようだ
>>47
確か亜久里の表彰台を日テレが流したという記憶もある >>45
最初に初期JS5見たらチビッてたと思う。 インディと、ルマンとモナコを全部地上波で見れるのは世界の中で日本だけである!
と今宮純が言ってたなあ
>>47
当時俺はTBSの映らない所に住んでたが、あのヅラウンサーがネタバレしたのは
生で見てる、という事は92年じゃなくもうちょっと前の話じゃなかったか? >>54
広告禁止で3人くらい並んでる時なかった? FW11/FW11Bは一番好きなマシンだな〜。
良い物観させてもらったわ。
ちなみに、こういったデモランは速度どれくらい出すのかな?
>>59
FW11のデモランでのパワーというと、
86年オフの鈴鹿ファン感謝デーを思い出す。
ピケがホイールスピンさせて白煙を上げたら、
桜井が言ったのは
「今、フルブーストで1350馬力出ています!!」
だったっけ。
デモランで壊れかねない仕様の訳無いやんけ!
と思うとともに、
きっとBMWが1300馬力に到達したと報じられたから、
対抗して言ったんだろうなとも思った。
実際のところ、当時のホンダはフルブーストで
1100馬力程度だった。 >>60
86年初頭のイベント?
86年シーズン終了後のイベント?
後者の時期のイベントならフルブーストで1500馬力以上出てるね >>61
86年終了後の話だよ。
日本のメディアとホンダに調教されるとこうなるんだな…
ホンダは予選仕様の最大馬力は小さいほうだよ。
最大はBMWの1300馬力強。
次いでルノー、そしてホンダ。
決勝は燃費もあるからまた別の話。
ホンダは、パワーサーキットのホッケンハイム、エステルライヒリンク、モンツァでは予選下位に沈んでるさ。 ちなみに、86年のホンダ(ウィリアムズ)の予選順位は
ホッケンハイム 5位6位
エステルライヒリンク 6位7位
モンツァで 3位6位
>>57
あれは90年だね。ルイエンダイクが勝った年。
パレードラップ中に「そういえばF1なんですが…セナが勝ったそうですねぇモナコは」といきなり喋り出した >>62
86年シーズン中のテスト風景を中継中、桜井総監督が1500馬力って口を滑らしてしまったんだよ >>65
1500馬力もあって年間4回しかPPが取れなかったことに疑問持たないのかい。
1500なら、他より200馬力も上ですよ…
ちなみに、川本社長は1100馬力に満たなかったと言ってるよ。
そして、
過給圧無制限が続いたら、きっと1500馬力も夢ではなかった
とも言ってるね。 川本社長が言ってたのは、86年でも1100に満たない、ね。
>>64
92年にもやったような気がするぞあの人w こいつ馬力に異常に反応するよな
あと
「○○さん(⬅やけに親しげ)が保管してる△△号車」とかストーカー臭い話題
>>69
92年にもバラしてたな
前にもあれ何年だっけ?と話題になったけど
結局一度じゃなかったが確か答えだった >>52
フジも17時30分からのスーパータイムで放送前にセナプロのクラッシュと亜久里の表彰台をフライングして伝えた >>60
50馬力上に言ったんだw 面白いエピソードだな ホンダターボの報道は、
嘘も100回言えば真実になる
というのを地で行ってるからね。
情けねえなと思うし恥ずかしくも思うよ。
実際、真実になっちまった >>70-71 みたいなのも居るしな。 >>46
ドデカいインダクションポッドが74年のF1みたいでいいな >>60
当時の記録(モンツァに関する社内資料)では1160ps。 モンツァなら最もピークパワー追求仕様だろうから、
他の仕様よりはパワー出てるかもね。
社内で使う資料としても、パワーが大きい方が
プレゼン的に恰好がつくだろうし。
当時のホンダには1000psベンチしかない。
過吸圧を落とした上で耐久や性能を評価。
過吸圧の増加分を線形で推測して性能を出していた。
そのぐらい分かるだろ?
>>82
プレゼンじゃねーよ。
グループ内の性能比較を目的にした議事録だよ。 >>76
少なくとも、NAからの出力データは公表値通り出てるし、ターボの時も本社公表値は出てる(個人のxx馬力出てたという発言は関係ない)。 当時の1研には1000psダイナモしかないんだから、それ以上の数値測定は無理。
因みに、1986のモンツァ予選で最大化過吸圧は5.6bar.だった記憶。
>>85
まあさ、公表値ではない青天井な数字を
ホンダマンが言うし、それが記事になるでしょ。
ホンダのサイトのマシン紹介のページにも
怪しい数字が並ぶわけだしさ。
それを、嘘も100回と言ってるんよ。 goo.gl/CSQgNk
こんな記事をホンダのサイトで堂々と出してるでしょ。
当時を知らなければ、読んだ人は信じるんじゃないのかな
それを正式な技術報告ではないからとか言われてもねえ…
逆にいうと過給圧無制限時代にはBMWがひとつの伝説を作っちゃったってことか。
「スケートボード」BT55は言うに及ばずとして、直立型のベネトンB186にしても
少し後のカーボンモノコックF3そのまんまみたいなレイアウト
(正確にいえばタンクの入る部分が多少長いのだが。でも空力設計とかが初期のレイナードっぽい)
で常識外れたパワーを叩き出してた。
横倒型のBT55はトラブルが出まくったけど、一応まともに回った直立型のベネトンは
幾つかのポールポジションと、優勝1回を含め2度の表彰台を手に入れた。
4bar時代や2.5bar時代になって以降も直立型(メガトロン)はリザルトを見る限りにおいて
意外と悪くないエンジンだったようだけど、馬力としてはどんくらい出てたんだろう。
扶桑社の公式イヤーブック87-88年版(87年のリザルト載せたやつ)だったはずだけど
「燃費の問題から決勝では実用にならないことを含めると、4bar以上を切られて困ったのは
ホンダ陣営ではなかったようだ」との見解が当時述べられていたとかも踏まえると、
実はその領域を使ってたのはルノーやBMW辺りの予選スペシャルユニット辺りであって、
決勝仕様は燃費や耐久性の問題と、逆に1年分の進歩とのトレードオフで
実は86年仕様と87年仕様の間ではいざピークパワーだけを言えば大差なかったオチ?
FW11Bは本当にカッコイイ、未だに一番大好きなF1マシン
シーズン開幕からシーズン中ひたすら改良された前身、FW11より完成度が高いためか大きな変更点もターボダクトか、ICIのデザイン変更ぐらいで、洗練されていたのもよかった
87のF1関連本けっこう買ったけど、モデルグラフィックスのF1増刊号記事では、東急百貨店で開催したF1展にあったRA166Eの説明文に、ホンダの公称600馬力以上とあるが実際は1000馬力以上を発揮した、とあったな
ホンダは一発勝負の予選エンジンなかったからあまりPP取れなかったし、最高で1250馬力程度じゃないか
それでもあのマンセルが、あまりのパワフルさにビビってたってw
>>93
その本は持ってる。
森脇基恭の記事内だが、書いてある内容は
燃費の問題があるから、4バール以上を規制
されて困ったのはホンダだけだろう、とある。
ホンダは最も効率の良いエンジンだったから
86年は決勝仕様の過給圧が最も高かったからね。
ルノーやTAGは3.6や3.7程度だった記憶が
ある。
ホンダは3.8以上で、4.0にはギリギリ届かないくらい。
オーバーテイク時のブーストはどのエンジンも
4.0を超えてたはず。 FW11Bのプラモは高値がついてる。タバコ広告が無いからデカールも省略されてないし。
>>94
FW11いいよな。
俺は池袋西武かどこかでやったのを見に行った。
ウィリアムズもあった気がするが、FW11
だったかは覚えてない。
ベネトンB186があって、それがかっこよかった。
ホンダとTAGは、ルノーやBMWとは違って
予選専用エンジンが無かったよね。
過給圧を決勝よりも高めるだけだったから
ルノーに対しては分が悪かった。
BMWは直線番長だったから、パワーサーキット
以外はホンダの敵にはならなかったけど。 >>97
サイドポッドの前側面に小さくBarclayがあるよ。 >>96
そっか逆に覚えてたんだ。燃費の問題があるから決勝で4barオーバーでも
運用可能なのはホンダだけだ、と。
かつ予選スペシャルは(86年時点で)BMWとルノーだけで
TAGポルシェですら使ってなかったということだと、
単純なピークパワーでは彼らの予選仕様の方が上回ってたんですかね。
BMWはサテライトのはずのベネトンの方が空力バランスも取れてたけど、
これまた件のイヤーブックの津川さんのイラストエッセイみたいなやつによると
信頼性に問題があってリザルトに繋がらなかったみたいな話が。 >>97
ホントか、買ってて作ってないのが2つあるわ。 >>100
ホンダとTAGは予選スペシャル無かったね。
ホンダは壊れない限り金土で1台のエンジンだった。
TAGはプロジェクト全体の4年間で、ベンチやテスト走行
まで込みで60台程度しか作らなかったくらいで、
予選スペシャルなんて最初から無かったよね。
まあ、86年のホッケンハイムでケケがPP取ったのは、
ポルシェの地元だし、サービスでハイブーストを
掛けたのかもね。 >>100
車体構成で言えば、
ロータス 98T≒99T
ウィリアムズ FW11≒FW11B
ということから考えると、
86年に8回もPP取ったセナが87年には2回しか
PP取れなかったんだから、ルノーの予選スペシャル
はホンダの予選仕様よりはパワーがあったと思うよ。
99Tはアクティブを考慮しなければならないけど、
最後までアクティブを捨てなかったところを見るに、
パッシブより圧倒的に悪かったということでも無いだろうし。
なお、ルノーの予選スペシャルを使えなかったレースでは、
セナは一度もPP取れてないんだよね。
そのことからも、ルノーの予選スペシャルの優位性は
かなりあったと思う。 マクラーレン
ウィリアムズ
ロータス
ベネトン
ブラバム
アロウズ
ティレル
レイトンハウス
オニックス
リジェ
AGS
ラルース
ザクスピード
リアル
ユーロブルン
フェラーリ
スクーデリアイタリア
ミナルディ
オセーラ
コローニ
夢のような時代だった…
エプソン
PIAA
三洋電器
オートポリス
日本信販
フットワーク
エスポ
東芝
パイオニア
他にもあったよね?
>>109
ケンウッド
タミヤ模型
ゲオ
マイルドセブン デーモン小暮がデーモンヒルのクルマにステッカー代出してた記憶がある 違うかも
>>98
モデルグラフィックスF1増刊に掲載されたのは、東急じゃなくて西武でしたね、87年夏に開催してたの見に行ったんですか、いいなー
ウィリアムズはFW10だった、リヤウィングフラップのDENIMが、11Bと同じくCanonに変更されていた
B186は本当にインパクト強い
リヤ上部の、刷毛で描いたようなカラフルなブラッシュパターンデザインがスタイリッシュ
B187も十分派手デザインだったけど、比べるとやっぱり地味だなw B186とあとMP4/2Cかな
あれFW10か、11だと思ってた。
高校生の時に撮った写真が手元にあるわ。
あとテオ・ファビやプロストのレーシングスーツとメット、ホンダv6ターボエンジンが
展示されていたな。ベネトンはほんと綺麗だった。
西武百貨店の店員に展示場所が分らなくて聞いたら
その女性も知らなかったという、ひっそりした展示であった。
この頃動き出したムーンクラフトや童夢のF1進出実現して欲しかった。
後のホンダ、トヨタ、アグリを日本のコンストラクターとは認めない
87年ならF3000作ってるレーシングカーコンストラクターが
自社製品の改造車でギリギリ出ることが出来た
(マーチ871はフューエルセルの入る部分が拡大されてる)からねぇ。
88年以降は爪先ルール対応が必要となるはずだけど…
スクーデリアイタリアの開幕戦仕様(確か前年のダラーラのF3000)はありゃどうしてたの?
ペダル下げればOKな仕様だったのか、もしくは「87年に製作された車の改造車ルール」で
OKということになったのか。どっちにしろタンク足りないんで使い物にならなかったけど。
しかし記録を見るとそのダラーラ3087/DFV(!)で88年のブラジルで予備予選落ちしたのも
4年後にアンドレアモーダC4B/ジャッドでキャラミの予備予選に出走し損ねた時のエースドライバーも
同じ人だったというのが何だろう…。
正直な話、最近は長文よりそれに一々反応する奴のがウザい
嫌ならさっさとNGしときなよ、何の為のワッチョイよ
ガキじゃないんだからさー
日本のモタスポって「つくる」は後退してるね。
フォーミュラはF1目指した童夢が最後、スポーツカーもCカー時代が最後だな。
あとのトヨタ、ホンダと名乗るドイツ製、英国製。
>>119
その雑誌見てないんだけども、あのこぢんまりした
イベントを取材していたメディアあったんだな。
当時のモータースポーツの扱いだと、来てもASかRon
くらいに思えてしまうw
>>120
MP4/2Cもあったんだ。
自分で撮った写真もどこか行っちまったので、記憶もだいぶあやふや… >>129
確かにフロントウィングのフラップが無くなって翼端板も短くなってるようだし
フラップ1枚分くらいタイヤが前進してる感じが…。足回り改造してますね。
この手でよければ童夢F101改(仮)などというのも…。
それにしても決勝ではなおのこと燃費が悪化して航続距離的に絶望的になるとしても
予備予選-予選だけでもDFZで走るというわけにいかなかったのかと。
どっちにしても新車が出来上がった時には使うエンジンなんだし。
首尾よく予選通れちゃった時にどっちのエンジン使うかは後で考えりゃー良いってことで。
あと、F3000マシンとしても成績はいまいち地味だったらしいものの
当時のF3000にしては案外見た目は見た目はイケてるというか、ダラーラらしく
空力に配慮した細身のスタイルという印象。シフトバルジが膨れてる程度にモノコック絞ってるし。
V8のヘッドが被るところを膨らませてるところを見ても、もしかして後のレイナードみたいな感じで
F3の設計使い回して一部を修正した的な造り?
この膨れてるところとかでタンクが増量出来ないのかとも思うけど、
そこはとっくの昔に使用済みなんですかね。
あと…アピチェラが日本に来た時は既にすげー歳だったのか
真っ白ヘルメットでF3000走ってた時が若かったのかも気になるw >>131
ダラーラの場合はマーチ871とかとは異なり、
単純にF1マシン(F188)の完成が間に合わなかった
だけだから、あの3087をF1に仕立てる気は
最初から無かっただけでしょ。
車両レギュレーションに合わせて前輪を前進させた
だけで充分だと思うよ。
ハナからマトモに走る気のないマシンでDFZの
マイレージを浪費するのも馬鹿馬鹿しいだろうから
DFVで良かったんじゃないの。
F3ベースとかは知らないね。もちろんG.ダラーラの
インタビューでもあれば興味深く読むだろうけど。 >>131
アピチェラは、来日した年のシーズン前に
代々木公園でやったイベントに来ていて、
そこで初めて見た。
質問タイムがあったので、タイヤのことを
聞いたら、予選タイヤが楽しみ的なことを
答えてくれた。
すでに頭皮が透け掛かっていた気がするが…
アピチェラの他にもう一人居たんだけど、
ザナルディだったかな?そっちはあまり
覚えてない…
このイベント、タイヤでウォールを作った
仮設コースでレーシングカートに試乗できた。
バブル万歳w えっと確か童夢でナスペッティがチームメイトだった記憶はありますが
全然使い物にならなくてシーズン中に帰国しちゃったような…。
あの頃はステラの1台にモレノが乗るんじゃないかとか色々豪華な話がありましたわ。
結局アンドレアモーダに乗るわけですがw
>>134
そうだ、エマニュエルナスペッティだ。
ありがとう思い出した。 シーズン途中で中谷に代えられてたな。
その中谷も前年の大クラッシュ以降フォーミュラではパッとしないで終わったし。
∧_∧
(´・ω・`) あけおめ! ベルトラン賀正♪ ことしもよろしく!!!
//\ ̄ ̄(;;゚;;) \
// ※\___ \
\\ ※ ※ ※ ヽ
ベルトラン賀正
ヴェンチュリ・ラルース192/クライスラー・ランボルギーニ
自分が初めて知ったのは、ベルトランド・ガシェだった
同じような時期にF3000でフィリップ・ガショー(オートスポーツ式発音)
というドライバーが居てこんがらがった記憶。
この人は後にクラッシュ多発の92年のインディ500に出て事故ってテレビ目立ちするのだが
ガシューとかガシェとか言う方が本来に近いようだった。っつかスペル的には
ゴッホの絵に出てくる医者のガシェ先生の方みたいである。
いたな、フィリップ・ガシェw
凄く紛らわしかったよ。
P.ファーブル
というの表記のドライバーが同時期に二人居ましたね。
Pascal Fabre
Philippe Favre
ジェフ・リースがSWCとかルマンとかに出てた頃に
イギリスでギャレス・リースというF3ドライバーが居たので
この時期G・リースも2人居ました。
ブラバム家とかアンドレッティ家とかは区別つけるために
一緒に出る場合は例えばジェフ・ブラバムが「G」、ゲイリーが「Ga」って表記されたり
マリオが「Ma」、マイケルが「Mi」とかやってたはず。
ジャック・ヴィルヌーヴは時々叔父さんの方に「Sr.」が付かないことがあってとっちらかる。
大抵は出てるカテゴリで分かるんだが叔父さん結構忘れた頃にアトランティック出たりすっから…。
ごるぁ!カス長文書くな!長文ゴキブリ!クソゴミ長文死に腐れ!
新年ウォーミングアップ完了✌
合体ビックリドッキリメカでウォーミングアップだけ走って除外失格ですねわかります。
なんでこんなに下らないことばかり書けるのかね
本人は面白いと思ってるみたいだけど
多少の脱線はいいけど、何かあまりスレタイに無関係な話題になってきちゃったね。
後から後から思いついたことを書き足すからどんどん本題から外れていくんだよ。
文章の精査ぐらい自分でやってほしいわ。
なんでも思いついたことを喋る子供じゃないんだからさ。
スレが盛り上がる>>キチ長文が来る>>長文キター連呼厨>>シラけて誰もいなくなくなる
完全にループ
キチガイ共全員氏ねや
今更だが85ロータス97Tって5速ミッションだったんだ
MP4/2 Mp4/3も5速ミッション
セナはポールポジションを沢山とったし(14回?)
プロストも沢山勝ってる、ちょっと意外だったな
ウイリアムズはFW10 FW11(B)共に6速ミッション
98Tもダンフリーズが実験台でセナはどうやら使わなかったらしい、というのも意外。
予選エンジンまで含めてルノーエンジンはそんなに超ピーキーではなくて
5速でも十分使えるレベルのエンジンだったと?
でもHパターン時代だとドライバー的にはなるべくなら多段化したくない、
したとしても全日本F3000でそうだったように1速→スタート専用ギアで
シケインとかも含めた全てのセクションを残りのギアで走れるようにとか
インディみたいに一番上はクルージング用に、とかいうことになるのも分かるような。
狭い運転席で片手ハンドルのシフトレバー、そして3ペダルを操作できたものだ。
右京とガショーって仲悪かったのかな?
よくチェザリスやブランデル、サロの話はするけどあまりガショーの話をするところを見たことがない
モントリオールといい鈴鹿といい、よく絡んでいた印象は強いw
>>157-158
何を言ってるのか分からん。
なんかの記事を基にしてるならソース
プリーズ。 バナードやヘッドと肩を並べる名デザイナーとして評価されてたドゥカルージュがこの時期に凋落したのはどうして?
ドゥカ爺はバーナードやヘッドよりさらに一世代前の人って印象
パトリック・ヘッドも基本は保守堅実といわれてて
フルカーボンに全面移行したのが85年か86年くらいの話、
ピークはホンダパワー込みでのFW11系ってのが実際のところではなくて。
ホンダエンジンを失ったFW12はV8勢としても必ずしも良くはない(逆にいえば尖ってはいない)
クルマで、ルノー時代の12C/13は手堅い設計ゆえの安定がエンジンに見合う成績をもたらした、
というところでは。
FW14以降はニューウィ先生の暴走を止める係的な様相が強くなるでしょ。
バーナードはフェラーリ640系までの人って印象…。
ベネトン時代にチーム全体の技術力を高めたことでロリー・バーンが戻ってきて以降の
黄金時代を築き上げる下地を作った功績はあるけど、B191自体は大した車とはいえない。
ドゥカさん(中嶋氏呼称)はカーボンモノコック&フラットボトム初期に才能を発揮した人だなと。
でも、もう駄目かと思った頃にラルースでもう一花というか、「中堅チームの名作」
的なものをきっちり作ってみせたのは大したもんだ。
>>157
MP4/2Cから6速。
多分Wikipedia見たんだろうけど、MP4/3も6速。 俺も調べものしてた時にチェックしたけどWikiって結構いい加減なんだよな
ドゥカルージュといえばロータス真似っこDFVのJS11、この頃がピーク。
さらに上をいったのがヘッドのロータス真似っこFW07シリーズ。
本家は極めすぎて低迷。
その後はドゥカルージュ↓ヘッド↑。
ハーベイ・ポスルスウェイト博士やグスタフ・ブルナーとかはどういう位置に?
>>161
ソースはウィキペディアの当該マシンの項
念のため英語版も確認の事 86最終戦で有名なダンスリーズの車載では6速使ってるね
タンベイは5速っぽいな
セナのは85モンテカルロが見やすいけど5速かどうかは判りにくい
ただセナは88年モンテカルロで5速仕様のMP4/4を使ったのは比較的知られている
レジェンドの86ヘレスではウイリアムズやマクラーレンに対して
セナロータスの車高がかなり低かったとレポートあり
86ハンガロリンクでもかなり低そうでセナのリアはインリフト気味である
ブルナーは意外や初期作品の ATSのシリーズが良かった気がする。
ドライバーが派手な走りだけのウィンケルホックだったので成績はいまいちだが‥。
貧乏チームでそれなりのもの作るのは旨い、それとアグリの天敵。
ハーベイさんはヘスケス、ウルフでちょっと成功、フィッティパルディはおまけ。
後のフェラーリ以降は皆さんご存知。
3期ホンダはBARなんぞと組まずに、そのまま新チーム立ち上げさせてから後に
ワークス化にすれば良かったのにと思う‥この人も金ないけどそこそこのもの作る
タイプだと思う。
トニー・サウスゲートもこのタイプ?
・センスよく短いセンテンスでわかりやく
・思いの丈を語りたい5行以上は自分の日記帳へ
知識をひけらかしたい気持ちが前に出すぎて
主題からいつもズレるんだよなあ。
全部書き込んだあと、書き込みボタンを押す前に一旦読み返して推敲してほしい。
関係ない話を盛り込みすぎでしょ。
文章の垂れ流しで品がない。
わ!
ちょっと目を離してたらウンコ撒き散らしてやがるwww 最悪www
本筋に関係ないムダな薀蓄は、当時を知らん世代には必要ない話だし
知ってる世代には常識レベルのネタなのでこれまた必要ないのだw
モナコで5速ってのは、1周70〜80回はギアチェンジする過酷なコースでは
かなりの疲労軽減になっただろうね。
>>182
長文から蘊蓄を取ると抜け殻の廃人w
生きる目的ゼロw
長文の間抜けバカ親がコイツに使った3千万は完全に捨て金www >>172
いやね、マクラーレンのギア段数は
MP4/3の段階では6段だった記憶があるし
97Tは85年に14回もPP獲ってないからね。
翌年の98Tとの合算という計算をしている
なら、最近になって98Tは実は97Tその
ものだとの暴露でもあったのか?
との想像をしたので、
特別な記事を基にしたのかと質問した。
少なくとも、設計思想は別にしても、
98Tは新たに製造した車両だと認識して
いたからさ。
プロストがたくさん勝ってて驚いたと
言われても、85年のチャンピオンなのに
5勝で驚くほど多いのか?とかも気になった。 80年代の半ばに5速が主流だったのは、
エンジンのパワーバンドが広かったから
というより、1000馬力を超えるパワーに
耐えるためギアの厚みを確保したかった
ことが主な理由なんじゃないかな。
長文グセの人って、もしかして年齢若めで昔のF1非リアルタイムな
知識だけ満載の頭でっかちの人?
>>172
と、Wikipedia見たけど、 >>158 の結論になるようなことが書いてあるようには思えんのだが。 >>164
以前はみんなやさしく言っていたのにね。
「ごちゃごちゃ書き込むと何を言いたのかわからなくなるから話を絞って書いたほうがいいですよ」
みたいに。 >>186
それはあるかね。多段化したいけど耐久性からいってどうにもならないから
5速でやらざるを得ないと。
一方ベネトンB186は6速、ブラバムBT55に至っては7速(!)という記述まであるのを見るに
シングルターボで超ドッカンだと嫌でも多段化せざるを得ず、
ツインターボならドライバー次第では何とか制御出来る範囲に収まるということで、
耐久性の目途のついたところは6速を採用した、ロータスは98T時点ではまだテスト段階だった、
という事なんでは。
4barルールがいつの時点から採用決定となったかの記憶が曖昧なので
(なんか排気量自体を1.2リッターに縮小してターボを存続とか色々議論があった方は覚えてる)
ロータスが6速の開発を決断するに至った理由が「翌年にはパワーダウンすることを見込んで」なのか
「今のままの馬力でも耐久性を向上させて6速を使いたいと考えて」なのかはそこで違ってきそう。 >>190
本題だけを読み解けないほうが悪いって結論で開き直ってるから、どんなに粘り強く説得しても無駄なんだよな。
ここだけじゃなく、どこでもかしこでも疎まれてるなら普通は自分を改めるんだけどね。
そんなに自分の我だけ通したいならブログでもやればいいのに。 冗談抜きで障害がある人だと思う。
おそらく両親も。
「球団別のアカデミー増えて盛り上がってきたぜ」
→どうあがいても12からは増えないwww
そう言えば、87年の中嶋選手もモナコやデトロイトでは5段のギアボックスで走行したとあったな。
4速でもホイルスピンするとか言って嘆いてたみたいだがw
アクティブはトラクションを柔らかく吸収してくれるのかと思ったらそうでもないのか…。
当時のモーターファンの技術解説を引っ繰り返すと
「ガツンと来るかと思ってもそうならないから不思議な感じがする」とは
中嶋氏自ら語っていたし、筆者(両角氏だったか)も「車載カメラの映像が振動で乱れない」
「他の車はシャーシ裏から火花を散らすのに2台のロータスはそうならない」
といった辺りを指摘していたので、正常作動している限りにおいて
荒れた路面で跳ねないからタイヤが常に接地している、という辺りでは有利なんだろうけど
例えば加速時に程よく柔らかく沈み込むとかそういう制御まではしてくれなかったのかねと。
後年のF3000でアンチダイブジオメトリーガチガチ(そもそもサス自体の基本セットも硬いが)の
レイナードに乗った星野さんが「トラクションが逃げる感じが嫌だ」とかで
ピックアップポイントのアジャスト機能(アーム固定部の位置変えられる設計になってた)で
リアのアンチダイブをキャンセルして走らせたけど、それでもどうしても馴染めなかったとのこと。
ムンクラでも服部車と中谷車で全然違う仕様を試してて、服部車のが出荷設定に近かった。
レイナードなら空力マシンなので「意地でも適度に前下がりの水平固定」にこだわるのも分かるけど
ロータス99Tの場合はもうちょっとメカニカルグリップも考えた制御が出来ればその方が…。
え、トラクションの意味すらわからん
柔らかいとか吸収とかwww
後年のF3000で〜
このくだり一切要らないよね。
コンピュータ制御に拘って失敗したことも理解できんとか
このスレなんで長文の人が巣食っちゃったの?
こんな変な人いなかったよねここ
このスレ、耄碌爺の長文とその熱狂的信者しかいないのなw
>>203
脳に障害があって親も知的障害者だから優しく見守ってスルーとNGにしてあげて >>199
普通の後輪駆動車はアクセル踏んで加速しようとする時にリアが沈むけど、
この時に単純にサスペンションが突っ張ってその動きを抑え込めば良いのではなくて
タイヤの面圧を最適な立ち上がりで上昇させるように「程よく柔らかく動く」方が
実はグリップ的にも得だしタイヤも傷まないんだよ。
安物の若者騙しの車高調や珍走のバンプラバー直じゃないんだから。
後年においてもパッシブのクルマだと、空力マシンといわれる車種においてすら
意外とリアはそういう意味では柔らかくしてることが多く、
アンチダイブジオメトリーでもそれを邪魔しない挙動になるようにしてるケースが多い。
いずれにせよ星野さんは「トラクションが逃げる感触がある」と不快に認識したのだけど。
>>202
パッシブだと最初に合わせたら基本的には調整出来ない
(無論コクピットの調整ダイヤルとかで適宜動かせれば別だし、簡易なライドハイト制御程度でも付いてりゃ別)けど
車高の適切制御のために開発されたのがアクティブで、残燃料による重量変化の検出は
最適制御には不可欠じゃないの。
当時よくある火花の上がるパターンはバンプに乗り上げる→固めてるからストロークしない
→結果として跳ねる→着地→お釣りで底を打つ、だったというのが
そのMF誌はじめ幾つかのメディアにおける解釈で、
ちょうど車高ぴったりのコブを跨いで床打ってるわけじゃないのよというお話。
アクティブの場合はこの「実際には小さなバンプなのにそれを処理出来ずに跳ねちゃう」
という状況にはならずに済むから火花の発生や車載カメラ映像の乱れが少ないのだ、というのが
その記事の主旨であり、中嶋氏のそのコメントの主旨。
ただ、セナがエンジニアに説明しているのを見るに姿勢制御の処理遅れ等は起きているようで
それが現状での課題なのだろうとも書かれていた。 ID:ro54Fz7H0
こうなるともうほとんど嫌がらせの荒らし行為でしかない・・・
>>205
君らがいるんじゃんw
別方面から「意味と内容のある」情報が出て来なければスレって進歩も発展も無くて
少人数が古いネタ回すだけで終わっちゃうんだから、それこそ未来は君らに委ねられてるんだよ。 さあ若者達よ老いぼれの板バネを超えていきなさい!
>>200
まー90年代にパッシブで空力マシン作って、かつ高度なセッティング領域
(全日本F3000はマジその水準だけど国際F3000もトップチームなら結構バカにならない)
でやった場合にはそうなるって話の例ではあるから。 流れぶった切るけど、
しかもすっげえ今更だけど、
なんで93のポルトガルは今宮も古舘もプロスト勝利の実況して訂正すらしなかったんだろうか?
91年のブラジルも最終完走者がコマスだかガショーだか
字幕と実況が一致してなかった。
1993年 オーストラリア
やけに日本人いい所に座らされてる。
>>215
一人座ってない日本人がいるな(´・ω・`)
しかも横向いてるし 今と比べると人数が多いな
最低でも13チームはほしいね(´・ω・`)
ハーバート ラミー ハッキネン ブランドル マルティニ チェザリス ベルガー
アーバイン 利男 バリチェロ セナ パトレーゼ シューマッハ コマス グーノン ヒル
ブランデル ベンドリンガー ワーウィック 右京 レート 亜久里 プロスト アレジ
で会ってる?
ザウバーの二人のスーツが全然違う
チェザリスがキャビン
鈴木としおの記憶がゼロ。こんなの居たか?
ミハエルがイタズラでアグリが座る寸前に椅子を引いてたな
懐かしい
>>219
利男は鈴鹿からスポット参戦してた >>987
多分あってる。
そう言えばこの年ってアルボレート居なかったけ?
ローラの派手なカラーのマシンで走ってた記憶が。 >>221
センキュー
調べるとセナはあのマシンで総合2位だったんだな。スゲー。 >>222
チェスターフィールドローラフェラーリだな
11位一回だって >>224
ありがとう。やっぱいたよね。シーズン途中で撤退したんだったっけな? 翌年のミナルディとスクーデリアイタリアの混合チームとなんかごっちゃになってた。 >>225
失礼
ローラBMSスクデリアイタリアフェラーリらしい 利男のレーシングスーツにはちっちゃくインパルのロゴが入ってた記憶がある
シングルターボで超ドッカンだと嫌でも多段化せざるを得ず
長文さんこれは違うと思うよ
ドッカンなら寧ろギアは多段化せず高めにしておいた方がいい
高めの方が踏みやすくなるしホイールスピンも抑えられる
加速はブーストでやるかギア比とドリブン・ファイナルでバランスをとる
87年のロータスアクティブってCPU何使ってたんだろうな。
Z80あたりかな?
93年の集合写真
ミナルディはバルバッツァじゃないじゃないか誰だよ?
>>231
J.M.グーノン
バルさんはフランスまで >>228
そうだね。
でも実際には7段もあったのは何だろう。
4気筒シングルターボだと、アクセルを
抜いたときにエンジンの回転落ちが
遅いとかあるのかな。
シフトアップ時にアクセルを抜く時間を
縮めるための妥協だったりするのかね。 >>215
ちっちゃくインパルどころかでかくニスモがついてるし、隣はコスモ石油だしF-1と思えない >>230
モトローラじゃなかったっけ?
当時だと6809か、リッチに68kか… >>228>>233
成る程。単純に「ターボの効いてる領域しか使い物にならないから
そこから落とさないために多段化」っていう
例えば昔の小排気量レースバイクみたいな理論かと思ったらそうでもないと。 BT55についてwikiだけど
クランクシャフトが車体中央線からずれるため、ヴァイズマンが専用7速ミッションを開発した
コクピット後方の燃料タンクも横長になったので、ホイールベースが延長された。
V6時代に4気筒だから元々1気筒当たりの仕事量が多い(6気筒よりビックボアエンジンにならざるを得ない)
するとターボ(コンプレッサー)も大きくなり大き過ぎるが故にラグも出やすいから多段化したと思われる
英語版だとA special 7-speed 3-shaft gearbox(英語版)とあって3軸ギアボックスになっているようだ
エンジンも傾けてるしウエイトバランスが悪そう。
BT54についてのwiki
BMW・M12/13直4ターボエンジンを搭載する。
ターボチャージャーはKKK製からギャレット・エアリサーチ製に変更され、
予選では5.4バールものハイブーストをかけた。これにより、ピークパワーでは1300馬力以上とも言われる未曾有の超ハイパワーを発揮するようになった。
フランスグランプリの予選では338km/hという驚異的なトップスピードを記録した。
しかし、究極のどっかんターボといえるこのエンジンによって、ドライバビリティはさらに悪化した。
ターボラグはもはやドライビングでカバーできないほど大きくなり、コーナーの立ち上がりでスロットルを踏み込むタイミングを少しでも外すとスピンしてしまう有様だった。
6気筒系に対しビッグボアの4気筒+シングルタービン(当然コンプレッサーもデカい)
この場合2ステージ等の発想を使わないと激ドッカンになる、並のドッカンじゃないだろう
故に多段化する他なかったんだろうな、ギア比もそうだけどこのターボパワーに対して
駆動系へのインパクトも並じゃなくて軸間的に強度不足で3軸にしたのかもしれない。
V6ツインターボ勢と単純に比べてはいけないレベルのドッカンターボだから
97Tの5速とは次元が違う>>228の理屈では片付かないほどラグが酷かったんだろう
BT55に対してMP4/4もワイズマン3軸ギア(6速)を使っているようだけどブーストも下がったし
こっちはあまりひどく壊れなかったみたい 分割すればいいってもんじゃない
せっかくのBT55を
スレタイの時代(フジ放送開始)に間に合わなかった三大○○
1 JPS
2 ケケ
3 BT55
>>93
ツガワーニが爆弾乗っけて走ってたって奴か
ブローしたエンジンの部品が弾丸のように飛んでいって観客の足を直撃・・・・・ >>239
誰でも見れるwiki貼り付けて、どういうつもりなの?? >>247
ベルガーだってハッキネンと同じこと言いそうだけどな。
ベルガーなら許されるのは、セナがベルガーの実力をナメてたからだろうな。 >>247
アーバインやシューマッハの件もそうだけど
セナって有望な若手を精神的に潰そうとするよね
やり方が姑息って言うか自己中過ぎて俺は嫌いだわ >>245
86年から放送開始だったら、貴重な黄色いマクラーレンが見られたのにw セナが故人である以上、ハッキネンも
だいぶ控えめに言ってるだろうことを
思うと、実際はかなり酷い関係だった
んだろうな。
セナ対ハッキネンはポルトガルの印象が強いけど、その後の日本、オーストラリアは予選決勝ともセナの勝ちなのよね
まあセナはテレメトリのデータを共有しなかったみたいだから、ハッキネンは実力があると思ったんだろうな(´・ω・`)
>>250
どこが潰そうとしてんだよ
「おまえどうやって速く走ったの?」て真面目に聞いたら茶化されてキレたて話だろ
どこかの誰かみたいにフリー走行で一度早かったからと言って全員でシカトしたわけじゃねーぞ 静岡市立水見色小学校
水見色という響きが素敵であると
>黄色いマクラーレン
ほんとはライトはゴールドだけど黄色にしました‥だったか?
’86は既にTBSやる気なしで、何戦かおまとめハイライトだけでしたかね。
セナも壁に相手も押し付けて説教とか、シャレが通じない結構ヤな奴だな。
ピケなら「いや、俺の方がデカい」って言って、チンポ丸出しにしただろうw
ピケはヘルメット越しにどつく様な気配りの人‥不愛想に見えるが、意外なことにね。
セナの駆ったマクラーレンMP4/8 フォードHB V8を売却するらしいから
誰か競り落として買えば?
>>254
アレは現場のメカニック達は内心ではジョニーを気の毒に思っていて、
だから優勝した時はチーム首脳陣を尻目にメカニック達が大喜びしてたとのこと。 ホンダエンジンを使ってたという理由でMP4/6が好きな人が多そうやな
俺は92のモナコの影響でMP4/7が好きやわ(´・ω・`)
俺は当意即妙なMP4/8が好きだな。
早くGPカーストーリーで取り上げてほしい。
自分もセナのマシンならMP4/8が好きだな。さらに言えば翌年のMP4/9も結構好きだ。
これを現時点で誰が持ってて売りに出すのか
(マクラーレン自身か、もしくはセナ家に贈呈されてるのを慈善目的でとか)
というのも気になるけど、予想価格として噂されてるような金額からいうと
日本人や日本企業が買える可能性はまあ低いわな。
ブラジルのフォードディーラー経営者とかが買うかね。
MP4/6、7と違って揺れないオンボード映像が印象的だった
>>276
何の印象もないな
表彰台に乗ったかも忘れた 印象には残ったけどな
開幕でタイヤ吹っ飛ばすし2戦目でベルガー殺しそうになるし
続き
3戦目で「セナすげえ!1周目でどこまで行くんだ!」とテレビにかぶりついてたらグラベル突っ込んでるし
アンドレッティはハッキネンに乗り替わりになる前の最後のレースで
表彰台立ってるでしょ。確かモンツァのはず。
奥さんがド派手だったり顔面ビッグマックだの色々言われてたけど
去年のストロールみたいに1度は表彰台乗ってるし
最低限の実力は有りそうだったけど如何せんローリングスタートに
慣れ過ぎてたのかF1みたいな通常のスタートが苦手過ぎた
ハッキネンがシーズン始めから乗ってたら、セナとどう戦ったのか見てみたかったな
93年のセナには勝てなかったと思うけど(´・ω・`)
>>283
そんなに太ってもいないのに、古舘のバカがテキトーな印象付けて、酷かったよね。
ルネ・アルヌーに対しても。
あと、セナをモナコマイスターと呼んだのも古舘だっけ? アンドレッティは太ってるからではなく、顔がパンパンだったからじゃないの
>>284
俺は、手続きミスで乗り損ねたウィリアムズハッキネンが見たかったよ
プロストから学ぶことは多かったはず >>283
なるほどスタートね
インディで滅茶苦茶速くて期待して
F-1でガッカリして
またアメリカに帰るとやっぱり速かったことだけは覚えてる 93年ウィリアムズのハッキネンが実現してたら、プロストの走りもまた変わるだろうから、セナがあんなに付け入る隙は無かったかもね。
>>291
ハーバートが家族一家で新幹線に乗ってて
子供がジュースこぼしたり走り回ったりして大変そうだったから
「何か手伝おうか?」と言ったが最後
「スポンサーへの挨拶で僕は静岡で降りるから嫁と子供を東京のホテルまで送ってくれないか」と言われ
ベビーカーを抱えて東京駅の階段を何度もダッシュさせられた
By川井一仁 でもハーバートがせっかくチームについてくれたスポンサーを
どれだけ大事に思っていたかという証拠で、さらに川井ちゃんをそこそこ信用してたという意味でも
これは結構好感のもてるエピソードと言えるっちゃ言えるんだよなぁ。
ハッキネンサイドの話でいえば、当時AS誌、後にアズエフの町田氏も
チームロータスの日本事務局手伝ってたとかいう話が、
ハッキネンの休養(実質引退)のニュースの時に語られてたけど。
白と緑で走ってた91年のロータスは「年間予算がセナの2レース分のギャラに過ぎない」
とか言われてた、逆にいえばチーム首脳陣から末端のスタッフまでみんながギリギリ受け入れられる我慢をすれば
何とか1年回すことが出来るばかりか、ほぼコンスタントに決勝走れるうえに
2台が1回きりとはいえポイント獲ることすら可能だった最後の時代だったともいえる。
>>292
その頃のオースポに、ハーバートとハッキネンと誰か忘れたがもう
一人、特に何もない俺の地元の品川区旗の台という所で撮った
写真が載ってたのが不思議だった、駅の近くの某大学病院にでも
用があったんだろうか? 93年に自分の地元のカーディーラーにアレジとベルガーが来たことを後から聞いて悔しかったな(´・ω・`)
>>289
それは93年のティレル021のことか?ありゃあ最低のマシンだったな ドイツの2017年年間新車販売台数車種別TOP10の4位と5位がメルセデスのCクラスとEクラス
ソースは自動車情報MARKLINES。
TOP10の1位が全長4255mm全幅1799mmのVW・ゴルフ。2位が全長4767mm全幅1832mmのVW・パサート。
3位が全長4712mm全幅1839mmのVW・ティグアン。6位が全長4659mm全幅1814mmのシュコダ・オクタビア。
7位が全長4527mm全幅1829mmのVW・トゥーラン。8位が全長4726mm全幅1842mmのアウディ・A4。
ドイツではEクラスでも400万円台から選べるから十分庶民でも買える。Sクラスでも下は680万から選べる。
ドイツだとタクシーもメルセデスのEクラスが使われている。
車格的にはドイツは中東を省けばアメリカの次に大型車が売れる国がドイツ。
新車販売年間TOP10のうち、軽が7車種の日本とはえらく違う。
ちなみに1980年はVW・ゴルフが年間20万0892台売れていたところ、メルセデスのW123(現在のEクラス)は20万2252台売れてドイツの新車販売台数で年間1位だった。
1987年のアデレードで、2位でゴールしたセナがブレーキダクト寸法違反で失格食らってたけど
それじゃ途中でアクティブサスの着底でリタイヤしてた中嶋も
もし完走してたら車検落ち失格だったのか、もしくは中嶋車にはその
猛暑スペシャルなブレーキダクトは付いてなかったのかと未だに素朴な疑問…。
当時のマクラーレン・ウィリアムズ・フェラーリなら確実に3台分ギリギリくらいは揃うものだけど
ロータスだと「セナの分しかない」(レースカー用1セットだけ/Tカー用まで2個、もしくはセナ専用スペアで+1)
てのもありうるから…。
>>297
019の時代から「ドルフィンノーズ」という名称自体は存在してたので
020Cかもしれない。
しかし2年半使ってとりあえず予選通るくらいの性能はまだ残ってたと思うと
020系って驚異的なコスパのクルマだ。 デ・チェザリス / ウキョウ・カタヤマ
魅惑のコンビ
右京とチェザリスは互角だったんだよな。酷いマシンなりに右京は頑張ってた
91年ホンダ
92年イルモア
93年ヤマハ
と、毎年エンジン違ってるのに中嶋車のお古を右京が使ってたってのもすごい。
チェザリスには一発の速さがあると思ってたんだが、ブラバム時代はパトレーゼにボコられててそこ迄のものでも無かったのがね
>>305
この時代に毎年のようにエンジンメーカー変えてもマルチシリンダーなのが凄い
マクラーレンですらV8積んだのに >>306
パトレーゼはベルガーレベルの速さはあるだろ
序盤はマンセルより速かった1991年のこともあるし 俺は正直その印象は無いな
91年序盤は単にマンセルが出戻り1年目でウィリに合ってなかっただけじゃね?
92年はハイテク適応とかもあるから、あの差を2人の実力差とも思わないけど
>>305>>307
ジャッドとイルモアは実は当時の標準的なV8とさほど大きさが変わらなかったとかで
(ジャガーXJR-14→マツダMX-R01は確かバルクヘッドを小改修するだけで載った)
だからホンダ→イルモアが出来ちゃった時点で後は意外と簡単だったんでは。
そのジャガーとマツダの改修もミッションを丸々流用する前提で数cm程度の話だったとのこと。
しかもホンダの時に問題になった重量面が、イルモアは25kgがた軽かったことであっさり改善出来て、
ジャッドGVも初期型の時点でそれよりほんのちょっと重い程度だったというので
結果からいえば、シャーシ側を何も改良しなくても020Bや020Cの方がバランス的にはマシだった可能性が…。
>>306
ブラバム時代じゃなくてせめてジョーダン時代で比較してあげた方がw
とりあえず前半ガショーで安定していた以降は乗り替わりが多かったけど
一応は同等以上で安定してたし。
で、92年の極貧ティレル・イルモアでは終始グルイヤールを圧倒してたでしょ。 >>277
フォードHBはパーツが手に入りやすくてOHが楽だから
セナのヒストリー加わればさらに高騰するのは当然 外国人株主率がサムスン(49%)以上の東証1部上場企業を一部上げると...
中外製薬 77%
ソニー 58%
大東建託 57%
オリックス 57%
新生銀行 54%
>>306
チェザリスがパトレーゼに凹られてたのは
F1よりもスキー大会の方がイメージ強いな
それでもチェザリス2位でプロストよりも速いので相当上手いのは確か
>>308 >>309
チェザリスはF3時代にクラッシュ多重事故で
マンセルを頸椎骨折に追い込んでいるから
チェザリスはマンセルよりもクラッシュキングなのは確か チェザがパトより遅かったなんて知らなんだ
ようつべで過去レース見る楽しみが増えた
しかし過去のことまでよく知ってるなー
90年から見始めた自分にはパトレーゼは最速ドライバーの1人に見えた。チェザリスはクラッシャーと呼ばれてる割には堅実ないぶし銀の走りをする良いベテランドライバーに見えた。
ついでにアルボレートがフェラーリでタイトルを争ったスタードライバーだったと聞いても信じられなかった。
チェザリスは確かに若い頃は荒っぽかったらしいとはいえ、新興弱小チームなうえに
見た目にもF3000通り越してF3みたいなrialでコンスタントな予選突破はもちろん
入賞すらしてみせてるんだから、
少なくともAスズキ氏にコケにされるようなものではないと思うのです。
そして考えてみるとベルント・シュナイダーも結構奮闘してるんだよなぁ…。
ゴミ呼ばわりされたクルマで2回も決勝出てる。しかもブラジルでは36周も走ってる!
あのゴミとやら言われたやつは全部で4台作られたそうで、全損になるような事案は経験してないと思われるし
構造も単純そう&75度系V8は付くと思われるので、
稼働するOX88が入手出来なくてもジャッドEVとかフォードHBで走らせても面白そうな車である。
OX88は…うん。少なくともいい音はしそうだな。
アグリさんはチェザリスに88年の鈴鹿のヘアピンで思いっきり邪魔されたのを根にもってるのかしら?でも、一緒にゴルフに行ったりチェザリス、スゲー良い人とか言ってたような。
>>317
俺は亜久里に難癖つけたアリオーが嫌いだったわ
相手結局キャリアでも亜久里以下だしな。表彰台もないし。
ザクスピード相手にイキがってピットに来るとかカッコ悪いわ ザクスピードはなまじ2台ともまともに走れちゃった(しかもどうも極序盤を除いてTカーもあった)から
そういうことになったんだよ。
タイムアタックに失敗した腹いせでもペリー・マッカーシーには絡みようがないし
モレノさん相手だと予備予選組の大半がキャリアで一目置かざるを得ないからな。
>>319
アリオーは鈴木亜久里に邪魔されたと思って
いたのだから、抗議するのは当然だよ。
アタックを邪魔されても泣き寝入りするヤツ、
という評価が定着したら、以後は他のライバル
から容赦なく邪魔されるようになるんだよ。
カメラの回っているところでやってるのだから
むしろアリオーには悪気などもなくストレート
なヤツだなと俺は思うよ。
セナが対ハッキネンでやったみたいに、
人目につかないところで長時間ネチネチ
追い詰めようとしたわけじゃないじゃん。 アリオーはグリッドを離れ
体重を軽くする(´・ω・`)
そんなアリオーの肩書きも「元マクラーレン所属」だからな
活用的には正しくないかも知れないが、学歴ロンダリングに近いものを感じる
そのうちマクラーレン=弱小チームという認識になって新しい世代には何の箔にもならないかもしれないな
グリッドを離れ、体重を軽くする。
「ペーパー!ペーパー!」
思わぬハプニング。ピットスタートの憂き目にあう。
現場にいる訳でもなく当時の状況そこまで知りもしないのに
誰が性格良いのだの悪いのだの、現代のF1見てる若い人が言うならまだ理解も出来るが
この年代のF1好きそうないい年したおっさんがそれ言うかね
恥ずかしい人達
有賀さつきさん急死 52歳“女子アナブーム”火付け役 闘病隠して…
悲しい
>>327
こういうニュースを見るたび、あの頃から随分と年月が経ったんだなあと改めて実感する。 佐藤里佳なんか社内で権力を持った感じ悪いおばさんになってるしなw
>>321
予備予選落ちはあのレースだけだったからね
それくらい89年アリオーは速かった 89年も含めラルースは予備予選組の仲では91年のジョーダン級のトップランナーで
よほど何か起きなければ落っこちることは無いチームだったからね。
実際んとこ問題のやらかしの時(89年のハンガリーらしい)でのアリオーは
ホントにザクスピードに塞がれたのか、もしくは何があったんだろ。
>>331
社内には残ってた…と思ったらWikipediaによると現FIFA勤務の元フジテレビ社員と結婚して
2005年にフジを退社し海外在住、フリーアナウンサーとして時折日本の仕事もしている模様。 >>333
わざわざありがとう
天野っちと付き合ってるくらいで止まってたわ 有賀とかおバカアナの代表みたいな人だったから、あんまり良い印象ないけどなあ。
とは言え、まだ亡くなるには若すぎるのでやはり気の毒だ。
92年のベルギーでジョーダンのモーターホームで肉じゃが作ってた思い出
エディやモデナが愉快だった
>>332
コンスト1点が信じられないよな。
まあ信頼性不足に加えアリオーのポカも少なくなかった >>336
川井が連れてきた有賀をベルガーが綺麗に御馳走になったのかは気になる
ベルガーが吉田栄作元嫁襲いに忍者の如く窓綱渡りしたのも懐かしい >>321
セナはマニクール元年にグルイヤールにも抗議してたな
グルイヤールの方はエンジントラブルでどうしようもなかっただけなのに >>337
「なんでテンプラじゃないんだ」「次はテンプラを食わせてくれ」とゴネるモデナ
あの年のジョーダンは散々だったな
カラーリングは綺麗だったけどね 「これ何の肉??」
「今日予選落ちしたモデナの肉だ」
アナ時代のマチャアキ元嫁もセナにチュッチュッされて濡れてたな
>>341
「テンプーラ?」と大きい声で尋ねるモデナが懐かしい
普段はボソボソと話すのに、テンションが高くて笑った覚えがw ホントはそんなに暗くないんだと思った
あれも古舘の罪だね
>>337
後追いだけど俺も友達からテープを借りて見たな
前夜祭で流したやつだっけか
有賀って英語は話せるし、料理も上手そうなのに結婚的なものは上手くいかなかったなぁ >>338
スペインでは予選五位から、タイヤ交換までウィリアムズにぬかれなかったんじゃないかな >>345
イタリア人たってそんなそこらじゅうジローラモみたいな奴ばっかじゃねぇよとw
むしろテンプレ的なイタリア人に一番近いのは、「フランス人だけど両親がシチリア系」の
アレジなんじゃないかってなりそう。
一方この時代に活躍したドライバーでいえばテオ・ファビもイタリア人だし、
イタリア系アメリカ人のチーヴァーも、日本で走ってた弟さんの方はそんな社交的なイメージ無いな。
ただ、暗いのかといえば違ってジョークも飛ばすしファンやメディアとも普通に接するんだけど。
エリオ・デ・アンジェリスもテンプレ的イタリア人からは異質だというから
育ちや地域性とかで違いがあるのかもしれないな。デ・アンジェリスは貴族の末裔で
ファビやチーヴァーは実業家の子。モデナはどうなんだろ。 いっぽう庶民の子なのはフィジケラなので、これはイタリア版ハーバートというところだろうかね。
何故この年代のイタリア人の話をしながら
アルボレートの名が挙がらないのはなぜなのか
アルボレートはフェラーリ後期こそ進境著しいベルガーの陰に隠れ、
フットワークポルシェやローラはクルマがあまりに悲惨でどうしようもなかった印象はあるが
ドライバーとしては流石に上手かった、という
例えばモレノやワーウィック以上的な印象はあるんだけどね。
この時代に不遇だっただけで実はフェラーリが好調だった頃に5勝もしてるんだから
そりゃー歳いっても「リザルトにこそ繋がらないだけで速い」ってのは当たり前か。
しかもリザルト上地味なせいで「Aスズキさんのチームメイト」て以外で
日本メディアに取り上げられることがあんまりなかったけど、
例えばイタリアの街のレストランとか飲み屋の気の好い店主っぽい雰囲気はあるな。
クリステンセンとヨハンソンと組んでルマンに初優勝した時
(そーいやアルヌーがアレされて以降2シーズン弱にわたってヨハンソンとはチームメイトだった)
「俺らは長年やってようやくルマンに勝てたっていうのに、この若いのは全くツイてるぜ!なぁ!」
と表彰台で陽気にムードメーカー役をしてたという話は思い出した。
某女子アナ : さすが森脇さん!F1の通!
森脇 : 専門家です!!
>>305
実戦には出ていないけど
無限 もあるでよ >>351
>この時代に不遇だっただけで実はフェラーリが好調だった頃に5勝もしてるんだから
ティレルで2勝だぞ 82、83年はフェラーリが好調だったシーズン(頃)という助け船を出せなくもない
単純に長文が間違っただけだとは思うが
サンマリノGPでアルボレートがセナとバトルしてねじ伏せるとことか面白いわ
「今年はチャンピオンイケるかも」って言ってたそばから、フェラーリおなじみの
マシントラブル続出で、あっという間にプロストに逆転されてかわいそう
だったな、アルボレートは。
フェラーリのヨハンソンはどこぞで「これから先いくらでも優勝できるから」とアルボレートに優勝譲ったのに永久に優勝できなかったらしい。どこぞがどこかは知らん。(誰か教えて)
ブースト全開とは言わんか
ヨハンソンの話題が出たのでスレチ質問させてくれ
ヨハンソンの「TG185はレースでは一度も乗ってないが散々テストで乗った」というインタビューを読んだんだが
タイヤは何履いてたの?
セナの1991年の鈴鹿決勝レースのコンロッド持ってるんだが。
>>362
おお、ありがとう
リオテストまではこぎつけてたんだね >>354>>355
ホントだ、この2勝はまだフェラーリ行く前でティレルで勝ってるんだ…。
そして後年ティレルに戻って、裏で移籍交渉してたのがバレちゃって関係がこじれて
シーズン途中でクビになっちゃう訳だが
傑作018では5戦走ったうち完走できた2レースは5位と3位だから、
ちゃんとした車乗れればやっぱ速いんだな。
それにしても「ハーバートの後釜」という条件ならアルボレートほどのドライバーに
持ち込みを要求する必要があろうかというのはベネトンの方も謎といえば謎だな…。
ハーバートも持ち込みなんてありそうじゃないし。
ピロは日本で稼いだ分だかマルボロマネーだか持ってきたには違いないが。 今のPUを強制的にドッカンターボにできないものかね。
スレタイの87年開幕戦で、灼熱のブラジルGPではドッカン1000馬力にタイヤが耐えきれずに
スライドしまくり数周で交換しているマシンもあって「さすがはF1」と思わせたもんだ。
PUよりもまずサイバーフォーミュラみたいなシャーシを変えて欲しい
市街地がクソつまらん
>>357
あれはKKKがフェラーリにタービンを
出し渋った(またはフェラーリがその
ように感じ取った)んだよな。
KKKはタイトルを争うドイツ製エンジン
にもタービンを供給してたしね… >>367
ホンダもスピリットの頃はKKKだったな。 >>368
タービンをKKKからギャレットに変えたんだよ。
それからトラブル続きになった。
もちろんギャレットに換装したことに合わせて制御も変えただろうけどね。 USA製ギャレット・エアリサーチが悪いわけじゃなくて
西ドイツ製KKKがTAGポルシェを支援して禄なのよこさなくなったから
エンツォの判断で変更した。
同時にボッシュもフェラーリを見放した。
これ見てホンダもIHIにタービン変更して、独自のPGM-FI制御に。
>>360
1985トールマンはスピリットの使用権をベネトン仲介で買い取ったのだ ちなみにヨハンソンはフェラーリに引き抜かれなかったら、全日本F2に戻る予定だったので
一歩間違えるとそのまま日本に居つく羽目になってたかも知れんw
ヨハンソンかぁ
オニクスの非力シャーシとエンジンで3位表彰台取ったレースの走りはまさにいぶし銀だったなぁ
マクラーレンからリジェという選択がドツボとは当時は思わなかったろうな。
そこからチーム運に見放されるあたり、ブレイクしそうでしなかったカフィとも被って見えた
未勝利同士のヨハンソンとブランドルどっちが上なのかな?
>>377
成績だったらヨハンソン
知名度だったらブランドル マクラーレン時代の数字だけみると
セナにボコボコにやられてるな
>>378
速さならブランドル、知名度はヨハンソンと自分は思ってる このスレの時代より早い時期に既にアメリカ行き(=インディ)を決意したエマーソンやマリオを
別とすると、ヨハンソンは実は絶妙なタイミングでアメリカ行きを決断したうえに
結構持続的に成功した先駆者的な存在じゃないかね。
マンセルを別として、あの頃辺りからF1の中堅とか欧州F3000のトップクラスが
結構な勢いであっちに押し寄せる流れにもなってる。
92年限りでF1シートを失ったグージェルミンもその1人として、
実はモンテルミニとかガショーとか、挙げ句はフォイテクに至るまで
地味にバイトに行っていたのである…て92年のインディの予選結果見たらバルバッツァも居た。
予選に先立つプラクティス中にクラッシュして予選出走を回避、とのことですた。
F1のシートを喪失したらとりあえず耐久スポーツカーかインディへというのが定番化してたけど、
耐久スポーツカー(当時はSWC)がエントリー数の現象で6月のルマン以外無くなってしまい、
ツーリングカー(DTMやBTCCなど)に転向というのもいたな。
ツーリングカー行きの成功例といえばタルキーニとシュナイダーですね。
一方アリオーとかダルマス、さらに時代がちょいズレるけどジャヴイーユなんかは
ルノーのSWC/ルマン要員として重用されてたので、
905がルマン出れなくなるまではそれで仕事してた。
ブランドルって速いっていうより強いって感じ
俺が速い頃見てないのもあるけど
>>358
それ
アルボレートとヨハンソンが1-2フィニッシュだった
1985年カナダGPしか該当せんだろうな >>385
ありがとうございます。
上のスレの方もありがとうございます。
確かにヨハンソンがチームオーダーに従い追走を緩めたと読みました。 ブランドルってベネトンだと予選では顎に手も足も出なかったのに
決勝ではそこそこいい勝負に持ち込めてたのはなぜだ?
ヨハンソンは、実力があったら87年に勝つチャンスがあったんじゃねーの?
ブランドルは一番良い時期をザクスピードとブラバムで浪費した印象。
ジャガー(TWR)とは懇意だったようだから仕事はあったんだろうけど。
>>387
それがベテランの妙味ってやつでしょ。
プロトタイプの最高峰でも経験を積んでたし。 アルボレートとヨハンソンというと、
F186を初めて見たときに、互いに目を合わせて
これはあかんやつが来た
と目で会話したという話が忘れられん。
>>388
87年はありゃー流石にエンジン差でプロストじゃなければ勝てない代物だったと思う。
エンジンとシャーシの立ち位置が逆だけどロータス99Tが「セナじゃなければ(というのは中嶋以外でも)
勝てない代物」っていうようなもので。
変な話、ヨハンソンの方がロータスに乗ってたとしても同じような感じで
入賞時々表彰台じゃないのかな。アクティブが壊れなくて上位陣がコケれば棚ボタ勝ちはある?
ナカサンの方がMP4/3TAGポルシェ、はまずありえない話なのだけど
案外アクティブの訳分からなさが無い分だけロータスよりマシだった可能性も…。 >>389
あのシューマッハといえど実質1年目の新人だしな。
レース運びはブランドルに一日の長があったってことだと思う。 91年のアレで終わったと思われたアルボレートが亜久里をフルボッコにしてたね
そんな亜久里が翌年のスパではセナと同じ3列目スタートだからな
F1って難しい
>>383
>ルノーのSWC/ルマン要員として重用されてたので
それ…プジョーじゃね?(´・ω・`) あの絶望感しかなかったフットワークポルシェでアルボレートとヨハンソンが再会するとはね。
DFRにエンジン替えても大して変わらなかった
>>395
スレチになるけどその後97年にル・マンで組んで優勝するんだよね 灼熱のブラジルGPではドッカン1000馬力にタイヤが耐えきれずに
開幕から1000ps出してるワケないだろ
>>394
すいませんプジョーです。905ね。プジョー・タルボ・スポール。
しかもダルマスさんはプジョーが一時撤退した翌年にはダウアー・ポルシェで
優勝してしまうしたたかさ。 >>395
今でも俺的ポルシェの印象といえば
フットワークの体たらく >>373
そうなる前にどこのタイヤをつかってヨハンソンがTG185をテストしまくってたのかが分からなかった
本番のリオに間に合ってればヨハンソンがフェラーリに行くこともなかった訳だからね
>>362が教えてくれたけど 1984年って最終戦の後もエストリルでミシュランのタイヤテスト有ったな
トールマンも参加してたけどそん時はまだ問題じゃなかったのな
>>384
1983年のイギリスF3では最終戦までセナと争っていたからね。運転技量はNo.1で間違い無い。
しかしF1では勝てるチームに在籍できなかったことから運が無い男。 遅レスだけが有賀さつきさんのご冥福をお祈りします。
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
これは1989年9月24日、ポルトガルGP直後の放送。有賀は1988年フジ入社なので当時は入社2年目か。
当時はバブル真っ盛りの時代か・・・ ザクスピードじゃどうにもならんもんねぇ。
自分がプラモで作ったザックスのフォードカプリは速かったけど、F1じゃ
てんで駄目だったね。
>>408
後ろにGEOのロゴがいっぱい入ったマシンが置いてあるが
これどこのマシンだ? >>408
ポニキャンから出ていたF1サウンドCDのテーマ曲
TVでも使ってたのか 古舘の「ついかんばんわ」とかいうくだらないダジャレに大笑いしてあげてた有賀さつき
オフィシャルブルゾン30000円
当選者の個人情報
隔世の感があるねえ
>>410
F3000用のローラT88/50にエンジンカウルだけ付けて体裁整えたハリボテ感が…。 87ブラジルGPは、ウィリアムズ・ホンダ圧倒的優位と言われてたのに、タイヤに優しいスタイルのプロストがかっさらたな
只でさえパワフルなホンダターボ+ダーニーのハイダウンフォースセッティングが完全に裏目になり、マンセルもピケもタイヤズルズル
しかし改良あれどBとほぼ同様なFW11でパワフルな前年でも、ピケ勝ってんだよな
ピレリ撤退予選タイヤ廃止で、グッドイヤーの性能下がったのが最大の理由かね
87ブラジルGPのウィリアムズはサイドポンツーンのラジエータに
ゴミが詰まったのが敗因だよ。
>>417キミは当時を見ていないね >>418
ベルギーGPから参戦したんでそうです汗
でも当時GPX87総集編とCXイヤーブックも購入したけど、そのような記述だったけど
プロストにはそのトラブルなかったんすか? CXイヤーブックには確かに「ブラジル人観客が捨てた紙が地元の英雄の勝利を奪った」
みたいなこと書いてあったね。
当時のNumberでも、ピットインしてその紙ゴミを取り去ったけど
一度上昇した水温はなかなか下がるものではない、と。
そりゃ確かに時期的に暑い季節のブラジルで各チームとも冷却キャパがギリギリという状況なら
そうした不測の事態にまで対処しきれるものではないし、逆にそこまで考慮してバカ容量の冷却系にしたら
重量増でトータルの戦闘力の方に響く。
ゴミとか捨てバイザーとか入るとか、挙げ句は「跳ね石でラジエーターごと破損する」
とかいうのはロシアンルーレットみたいなもんで、誰に起きるかは運次第だからね。
そういえばウィリアムズはレースによってはインテークに特徴的な形状の金網付けてたことがあったけど、
それはそのトラブルで懲りたのか、もしくは跳ね石や異物が出やすいコース用の限定装備だったのか。
全日本F3000でもインテーク内に互い違い2枚とか段折り(要は正面が詰まると横方向が通路になる)
の金網付けてるケースがあったけど、アレは主にタイヤカス対策だったという。
ただし、池のある鈴鹿ではしばしば亀やカエルが出て、とりわけ前者はラジエーターを
ステーごと吹っ飛ばすだけの威力があるので、それらの対策も兼ねてた可能性も。
>>421
Autocourseではしっかり指摘されてるね。
ここやデトロイトのような、コース上に
デブリが出ることが予想されるコースでは
金網をサイドポッド内に取り付けることは
常識なのに、このレースでウィリアムズは
やってなかった、と。
ピケとマンセルはスタート直後コース上に
吹き込んできた紙がラジエターを塞いで
早めのピットインを強いられた。
ただ、その後のウィリアムズの二人の
タイヤライフを考えるに、プロストが
勝つことを妨げるまでには至らなかったと
思うけどね。 ビルを飛び交う電波のせいでホンダのECUが狂ってセナリタイア(´・ω・`)
話はずれるけど、近年デトロイトの荒廃甚だしいが
当時はまだ繁栄してたんだっけ?
いつから荒廃したんだろう
>>426
デトロイトの繁栄のピークは1950~60年代
1970年代からは日本の自動車との競争の波に揉まれ
徐々に衰退
2009年のGMの経営破綻がトドメ >>425
89フェニックスか
あれはミスファイアの原因判らなくて無理矢理にその理由にして
無線アンテナや取付位置を変えた、電気は回りまわって分からないということがよくある
ボーイング787のバッテリー(F1用も作っていたユアサ製)もよく分からなかったしな
今でも完全に対策できてるわけではない(つまり人を乗せたテスト飛行状態) 不用心にキルスイッチ触ってリタイヤなんていうのもあったな。
FW11のタイヤ摩耗については
ピケ・マンセルがオーバーステア気味のセットにするせいもあるかも
元々ケケもすごいオーバーステアだったしさ桜井がマンセルをアンダーとか訳の分かんないこと言ってたし
ケケの85キャラミ(FW10)
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
>>421
無いです
だから当時最強エンジンを奪われまして
TAGもうばわられた直後で瀕死
頭領が半身不随だったからね >>390
空気抵抗を減らすためにあえてカウルを大きくしたと聞いたけれど
ウィリアムズやマクラーレンなどがスリム化したマシンを投入しているのに
ありゃ無いわな。後世みたいに横置きギアボックスを生かした思想の
ディフューザーにもなっていなかったみたいだし。 昔は良かったと言うのは爺になった証拠だろうが、今のF1やLMP1より、
この時代のF1やCカーの方がカコ良くありません?
>>428
そうか。
じゃあこの年代にしても既に下り坂だったんだね。
そういや映画のロボコップは荒れたデトロイトを舞台にしてたもんなあ。 >>434
わからん。
当時見ていて、そこからさらに遡った時代のF1マシンをかっこいいとは思わなかったから
その時代に熱中しているマシンこそかっこよく見えるもんなんじゃないかと思ったり。 デトロイトで89年のホンダエンジンのECUがおかしくなるくらいだったら
87年のロータスアクティブの方がよっぽどどうにかなってて不思議でない件…。
当時はまだダイレクトイグニッションじゃなくてプラグコード付いてたり
もしくはデスビすら生えてたりした時代だっけか?
ま、逆に超アナログな方が(87年位だとまだザイテックとかクーゲルフィッシャーの
機械式燃料噴射使ってたチームも居たような)その手の謎問題発生要素は少ないか。
ただ、その手の貧乏チームはデスビに煤溜まったとかコイルやプラグキャップがリークしたとか
しょーもない理由で止まっちゃいそうでもあるが。
周りが知らないであろう知識で圧倒して悦に入ろうとする癖良くないよ
毎回毎回そうだけど
最近、小倉茂徳が米国でF1の人気出てきていると語っていたけど、
米国でのF1の人気というのはどうなんだろ?
参加している要望で米国でのレースが組まれるのかね。
アメリカはF1よりサッカーの方が近年盛り上がってきた印象
WC最終予選落ちたからこれからどうなるかは分からんけど
>>428
当時ガキだったから知らんかったがロボコップって
荒廃したデトロイトで犯罪が増加し警官が死にまくったから
誕生したって設定なのよね >>438
っつか確かにフェニックスだって>>429氏が書いておられましたねorz
>>441
ホントにそうだっつんならフォードが復帰したりシボレーが参入したりってあるわけですかね。
クライスラーは今はフィアットグループの一員なので、
グループ内のブランド戦略の関係からいうと復帰(ランボルギーニを傘下にしてた時以来)
という可能性は低いとは思いますが。
久々のアメリカ人ドライバーが出るかというとそれもまた無さそうだし…。 >>433
西ドイツだったか凄まじい最高速、ヨハンソン出してたな スレタイの途中までは、西ドイツGPだったんだよな〜
ハンガリーGPも共産圏でよくやれたもんだよな。
>>447
その昔ホンダがバイクで世界に討って出る頃、ホンダより上に東ドイツのメーカーが有ったと思う。 ハンガリーは共産圏の中じゃ割と統制が緩い方だったからな。
ベルリンの壁崩壊の一因になった、東独国民が大量に亡命した
ピクニック事件も舞台はハンガリーだったし。
>>447
1987年の中嶋悟選手の西ドイツGPでの表記が(JAP)だった
ハンガリーはバーニーの手柄だな 音楽界でもマイルス・デイヴィスやクイーンみたいな大物が民主化前のハンガリーでライブやってたもんな。
>>448
エルンスト・デグナーが亡命前に所属してたメーカー…MZかなんかだっけか。
4輪でもトラバントはまぁともかく(といっても確か良質な素材でボディ作れてたうちはまだマシだったらしいと)
上級のヴァルトブルクは初期型は結構デザイン・構造共に洗練されたものだったというから
1960年頃までは東側の技術水準って西側に遜色無く、まだ発展途上であった日本と比べれば
むしろ高水準ですらあったといえる。
問題は民生用技術においてはその頃からまるっきり進歩しないまま90年代までいっちゃった、
ってところだけどなw
ハンガリー同様に比較的ガチガチじゃなかったチェコスロバキアも
タトラとかシュコダとか割とまともなクルマ作ってたでしょ。
ガチ東側諸国が50〜60年代レベルで止まってるのに対して70年代の技術を改良した的なやつ。 ハンガリーではF1やってて、チェコスロバキアでは2輪のレース(WGP)やってたような?
あと旧ユーゴでも
ウチのバイクはチェコ製のチェーンが
純正装着ですよ。
東欧製部品は駆動系を中心にいくつか
使われてるけど、安価だし、
レースで使うにも充分な精度でできてます。
他にもイタリア製、日本製などなど、
あらゆる地域の製品が新車で付いてますw
車体組立は公用語が3つある国。
>>431
こんな荒れ果てたサーキットでレースを開催していたくせに
鈴鹿にケチを付けまくって何十億円もかけて改修させたって
めちゃくちゃな話だなw 92〜93のキャラミや95〜98のブエノスアイレスとかは何で復活開催されたのか不思議だな
鈴鹿はランオフも少ないし危ない所が結構ある
他の国と比較してもあまり意味がないと思う
舗装と路面のμが高いから救われてる部分もあったけどね
南アフリカはその当時にアパルトヘイトを撤廃したから
開かれた国になりましたよってアピールしたかったんじゃないか
昭和40年男増刊 1986−1988
ホンダF1チャンピオン
F1日本GP開催
買いです。
「ホンダエンジンのチャンピオン」は「ホンダのチャンピオン」ではないのだがw
>>458>>460
というより「85年時点だからそっちはそれでも良かった」てのもあるんじゃないかと。
まだデ・アンジェリスやラフィーの事故とか、WECのモスポートとスパの事故の前でもあるし。
あと鈴鹿の一番問題なところはピットガレージの構造じゃなかったかと。
まだ筑波がそうなってたと思うけど、ピットレーンとガレージの間に塀がついてて
ピット側からそのまま車両をガレージに仕舞えない古いタイプになってた。
F1の開催に加えて2輪の世界GPも開催するという両方を見据えて
高いレベルで両方の国際基準をクリアするためにコース側まで手直ししたという流れだったように記憶。 >>464
そんなとこだろうかね。
長くやってると、多少古さを感じても許される、既得権みたいな部分もあるしな。
鈴鹿も、富士に持って行かれる前あたりからコースの安全レベルや設備の古さを指摘されつつあったけど、既得権的に許されてたもんね。
富士に持って行かれてから、急に改修入ったよね。 >>173
ジョニーダンフリーズのあの動画なんで有名なん?別にそれ以前からも車載とかあったろうにそれこそ70年代からも
あれ見て思ったのはダンフリーズみたいなカスドライバーでもそれなりに奮闘して一生懸命操作してんだなって事 F1の公式走行セッション中に最初にTV用の車載カメラを付けたのは
1985年ドイツGPでのフランソワ・エスノーが最初だそうで
(といっても実質カメラマシンとしてのスポット参戦でマシンも旧型)、
現物もなんかこんなビデオカメラくっつけただけみたいな代物なので
リアルタイムで映像飛ばして生放送に挟み込めたものなのかは謎…。
ダンフリーズの場合はこの年に入賞まで経験してるクラスのドライバーなのに加えて、
多分翌年の中嶋仕様に近い仕様になっててリアルタイムで映像飛ばせる仕様だったのでは? >>467
これは酷いw
確かにダンフリーズのは翌年の中嶋車と同じでカメラレンズのウォッシャー液まで噴霧するタイプだった 昔はクルマの上のカメラ、付いてたり付いてないクルマがあって
空力的に不公平じゃないの?さては八百長か?とまで思ってた。
八百長?わざと負けるためにカメラをつけてたってこと?
その見返りに金銭授受とか?
んなわけないわ
手が込みすぎてる
F1の雑誌に当時質問してた人が居たね。
「空力にもの凄くうるさいのになんでカメラあったりなかったりするの?」
答え「細かい事にこだわらないようにしましょう」
八百長というのは競争者同士でやるものと、主催者ぐるみのものが
あるからね。
俺は別にF1を八百長だとは思わないよ、むしろプロレスと同じショー·
エンターテインメントでしょ。
>>466
大貴族の伯爵様(当時)をカス呼ばわりとは無礼者めw >>469
当時はカメラつけると最低重量下げてくれるんじゃなかったっけ?
だからカメラの取り付け方によっては他車より有利 >>475
違う。
カメラ分の5kgを追加して、全車の車重が505kgになった。
(それまでのレギュレーションでは最低重量が500kgだったから) カメラユニットが5kgで収まるようになりました→それじゃ全車5kg増しでやりましょう
(500kg+5kgだったか仕上がり重量+5kgだったか正確なところは忘れた)
という話になったのは覚えてる。
そのうえで空力ハンデも厳密に均一化するために、機能するカメラを装備しない場合にも
同一形状のダミーユニットを取り付けましょう、ということになったのもこの時期だったはず。
…ただダミーカメラ付けるのはコンストラクターズ上位何チームとかだったかな、記憶があやしいw
もっともダンフリーズや中嶋みたいな「防犯カメラ」から比べれば後年のは形状的には数段洗練されて
かなり小振りな翼断面状のものになってたので、もちろん厳密にいえば影響はあるけど
リアウィング辺りの位置ではほぼ影響のない程度に収まってたんではないかな。
逆にエスノーのあのホームムービーみたいなやつとか、ダンフリーズや中嶋の防犯カメラタイプは
高速コースでのドラッグとかリアウィングの効きにはかなり影響したんじゃないかw
全車カメラが義務付けされたのって98年のタケコプターみたいなカメラになってからじゃない?
重さ云々と言えば、リヤウィングサイドに付いていたカメラなんか、重さでウィング歪まないのかと心配になったけど
95年のモンツァでアレジが落としたカメラがベルガーに当たってリタイアってのもあった
プライスの事故現場をYouTubeで見て、何だ言う程グロくないじゃんと思ったんだが周りはどう思っているのか
トップシークレットになってるセナの事故の方が自分は10倍やばい気がする
アレジのカメラがベルガーのヘルメットバイザーの中に食い込んだらと思うと、ぞっとする。
即死か。
>>483
ヘルメット脱いだ担架上のプライスの写真があったがそれは酷いものだったぞ >>483
セナの姿を収めた画像映像が出ないのは放送倫理や報道倫理の変化によるものだろ。
興味本位な書きぶりや煽りぶりは好かんな。 セナ自身の画像はないけど
血の海って感じの画像は流れた
今思えばドネリーの応急処置してる現場の映像も
あんまり懇切丁寧には放映されなかった記憶…。
フランソワセベールとかヘルムートコイニクとか
昔のF1は事故の凄惨さがえげつないよな。
86年(デ・アンジェリス)〜94年(セナ&ラッツェンバーガー)のこのスレの期間だけは
現役中に亡くなったレーサーは居ないんだな。
ドネリーやストレイフといった大クラッシュで何とか一命は取り止めたけどレーサーとしては・・・と
いうのもいたけど。
87年のピケ、89年のベルガー、92年はパトがイモラのタンブレロで大クラッシュしてるからな。
当たり所が悪ければ死亡していた。
当時はタンブレロってイモラの見どころだと思っていて
高速で曲がっていくあのアングルがかっこよかった。
死が身近じゃなかったから、牧歌的な気持ちで観られたな。
もうF1で死人なんて出ないっていう空気が確かにあったと思う。
>>496
それはマスコミ的な主張。
89開幕直前にストレイフの事故があったとき、死んでも不思議でないと思ったよ。
というか、モータースポーツは死人が出るもんだ(たまたま死ななかったけど)、との意識の再確認みたいだった。 >>497
ストレイフの事故は下位チームで末端ドライバーのせいで映像が出回らなかったしそもそもあれは事故後に首を固定せず無茶苦茶に扱ったからだろ
死人など出ない空気は完全にあったよ、支配してた タンブレロのあそこなんでずっとパッチワークみたいな舗装のままだったんだろうな
>>500
94年の路面は特に酷くて開幕前のテストでセナが
直さないと今年誰かここで死ぬ言ってたらしいな
流石に自分が死ぬとは思ってなかっただろうけど >>499
1982年来1994年までgpdaが長らく形骸化していたのが何よりの証拠だよね。 カナダでアレジがベネトンに突っ込んだところとかドネリーの事故とか見ていて
死なないなんて思えるのは余程おめでたい脳味噌だな
今宮純辺りにに毒されすぎ
お前はレギュレーションが今宮策定だと思ってるのかな?
お前こそお花畑だぞ
死人が出そう/出なさそうという感覚はレギュレーションで決まることなの?
意味不明やな。
>>506
各々見た感じやなww
適当なもんだねえ 俺が今宮の名前を挙げたのは、
セナの事故があったときに、
「もうF1で死亡事故が起きることはないと思われていました」
とか言ってたからだよ。
一部のニワカマスコミも追随して同じようなこと書いてたけどさ。
死が頭をよぎるような大事故は87年以降にもセナが死ぬまでに何度か起きてただろ、という話だよ。
>>504
でも結果死んでないからね。
どれだけ酷い事故でも頑丈なモノコックが守ってくれるっていう
安全神話はあったと思うけどなあ。
まあ、これ以上は水掛け論だから取り下げるよ。 でもエストリルかどっかでパトレーゼがベルガーに突っ込んで空飛んだ時とか
クリスチャン・フィッティパルディがチームメイト(確かマルティニ先生かな)と接触して
空中一回転の時とかは、あれは上で何にもぶつからずに路面に床から着地したから
せいぜいモノコックの下回りを壊したかどうか程度で済んだけど、
逆さに落ちたとかサインガードやピット側に突っ込んじゃったとか
挙げ句後年の全日本F3での横山崇みたいにブリッジ逝ったとかいうと大惨事必至だったからな。
「オンボードカメラが空映しちゃいけません」なんてあそこで言ってたくらいだから
かつては自分自身も何度も惨劇の現場に直面したはずの解説者がだいぶ平和ボケしちゃってたんだよ。
>>510
死んでないから安全ってのは、完全にジンクス主義だよね…。
今宮純の解説手法そのものだべ。
まあ、俺もこれ以上はいいけど、これだけは言いたい。
>どれだけ酷い事故でも頑丈なモノコックが守ってくれる
ドネリーの事故現場を見てそれが言える神経が理解できんよ。 あんな事故だったのに…
モノコックが有ったから死なずに…
本当にただの水掛け論だな
そうそう。
今宮のせいでタンブレロの改修も後手に回ったんだよな。
死人がでるまでFIAの動きが鈍かったのも今宮がそそのかしたせい。
今宮が悪いしフジが悪いよな。
今宮にそんな力ないだろw
英語も喋れないのにまともなモータースポーツジャーナリストからは相手にされてないレベル
>>517
は皮肉だろどう見ても
ほんと、まじめか! >>513
>逆さに落ちたとか
逆さはウィングカー時代を踏まえてロールバーの想定内かと GPDAが安全を真剣に議論しなかったのも今宮が暗躍したからなんだってな
これでいい?
>>521
そのロールバーが壊れて重症を負ったのがストレイフの事故ですな。 ラフィットの事故後のリジェ
モノコックがジョニーハーバートと同じようにパックリ口を開いてます
ハーバートのレイナードは第一バルクヘッドの前に頑丈な鋳物のブロックが付いてて
そこにショックユニットを取り付けるという多少特殊な構造
(だからプッシュロッドがノーズコーンの中に入る独特の外観になる。↓の903と同じ)
ので、そのブロックが足元ブチ抜いちゃって被害が大きくなったのではと思ったけど
リジェの場合はそういうわけでもないのに普通にこの状態ですか…。
ナカサンがアクティブサスの着底でコースアウトした時に両足なくなる覚悟すらしたというのが分かるわ…。 ジャック・ラフィーは晩年は事故るし可哀想だったなー
しかも、プロストに奥さん寝取られるしで
87年はイモラでピケが後遺症に悩まされるし、鈴鹿でマンセルが棄権するしで、
FW11Bはドライバーに重症を負わせたマシンとしてイメージが良くないな。
鈴鹿の場合は、コース自体の危険対策が疎かだったことが大きいかもしれんけどね。
イモラもタイヤだしFW11Bにそこまでネガティブなイメージは無いけどな
ピケとパトレーゼとベルガーは運が良かっただけや
逆にセナは運が悪かったんや
地味だけど90年のサンマリノでは中嶋も肩付近までモノコックがえぐられるクラッシュしてる、彼の場合はタンブレロの出口なので速度もレジェンド達とそう変わらないか寧ろ速い
インタビューで中嶋は危なかった、車がバラバラで、、笑とか言ってたけど単に運が良かっただけ
あの頃はF1での死者はもう出ないという空気が蔓延してた
FW11Bに関しては、当代随一レベルのパワーユニットを背負った最速マシンであったうえに
シーズン最大級に激しい2つのアクシデントからドライバーを、欠場こそ余儀なくされたものの
キャリアを奪うことなく救うほどには頑丈だったという点では評価しても良いんでは。
当時としては先進的な方に属する外皮一体型で断面積をフルに確保出来るタイプのモノコックタブと
パイプ細工ではなくて鋼板曲げ物タイプのロールバーという
進歩的な要素を存分に盛り込んでいたことの意味も大きかったんでは。
マクラーレンMP4/3やロータス99Tのカウル外した姿を見ると
やっぱりドライバーを覆う構造としてのモノコックは肩周りが浅かったり
アクセスリッドだか軽め穴だか分からないものがボコボコ開いてたりと
アルミで作ってた頃を思わせる頼りなさのようなものがね。
>>534
数センチずれてたら片腕持ってかれてた、とかそういう話だったよね
ヘレステストじゃウイングも落ちるし
五体満足で引退できた中嶋は運を持っていたんだな今思うと 中嶋悟さんって冬のテストでクラッシュしてベルガーに助けられてた記憶があるけど
あれどこだったっけなー
>>535
ピケはドライバーとして致命的な後遺症を負ったけどね。
にしてもあんたの文章は読みにくいなあ。
その回りくどい言い回しは何とかならんかね。 >>541
脳に関わる問題ってのは傍目に分からないだけに本人の自覚症状としては
87年だけに終わらずいつまで引きずる結果となったかは分からないけど、
ロータスでの低迷期をさておきベネトンでは90年に復活、91年にも勝ち星を挙げて
F1を去った後もインディ500やFIA-GTに至るまでキャリアを続けることが出来たのだから
「レーシングドライバーとしての選手生命を繋ぐことも、日常生活を送ることも出来るネルソン・ピケ」を
充分に守ることが出来たとは言えるのでは。
ラフィーやハーバートは今でも足を引きずってるけど、彼らだってまだレーシングカーをドライブは出来る。
大きな事故をまるで経験したことがないケースを別とすれば、この時代のドライバー達は
多かれ少なかれ古傷の類を持ってるんではないかな。
マンセルが足引きずってる独特の歩き方は、確か鈴鹿での事故よりはるか前の出来事が原因。 >>538
ベルガーも救助に来たのか。カペリが真っ先に駆け付けた記憶があるけども。 >>545
カペリが真っ先に駆けつけて中嶋を手当て。
その後グージェルミンとベルガーが心配そうにやってきたね。 >>538
90ヘレステストだね。マシンは青白の018 後遺症も無く?無傷でF1ドライバーを引退できれば幸せでしょ。
F1以外の事故でも死亡したり、生きてても植物人間になった人もいる。
ピローニ、ベロフ、アンジェリス、ドネリー、セナ、ハンバーガー、アルボレート、顎、ビアンキ、チェザリス・・・
ビィンケルホックのも酷かったな
高速コーナーのすぐ目の前にエスケープ無しにコンクリートにTボーンだもん
>>316
チェザリスはポール1回、ファステストラップ1回、表彰台5回を獲得してる。
俺的にはチャザリスを上回る、歴代の日本人F1ドライバーは1人もいない。 デ・チェザリスはマルボロの役員の息子のボンボンだがそうそうたるレジェンドを引き連れてデトロイトかでトップ快走したりピンチヒッターでいきなり乗ったジョーダンで4位入賞とか化け物だわな
少なくともクラッシャーとしての異名なら佐藤タコマにこそ相応しい称号であるし
モナコやフェニックスみたいな壁多い所で速くて確実。
エスケープゾーンが広い高速コースでクラッシュする不思議なドライバー
唯一のポールもロンクビーチ市街地、
>553のジョーダン快走もモナコ…
不思議。
サーキットのテロリスト、ハラキリ、アマチュアと酷評された人が居ましてな
チェザリスとパトレーゼって同郷でザントフールドとかの件もあってかなりのライバル関係だったけど少なくともチームメイトになった87年に限って云えばパトレーゼに軍配があがった様に見えた
共にそこから円熟期に入って行くんだけどな
チェザリスは当時の史上最年少ポールだったのは意外に知られてないw
チェザリスもパトレーゼも共に速いよ
速いには速いがそれが持続しない、これがグレーテッドドライバーであるかそうで無いかの違い
マンセルだって頭に血が昇れば世界一速い
デチェさんは生前のインタビュー読むと意外とインテリというか
しっかり考えてるんだなと感じる
Graded Driverと言いたいのなら、それは中嶋悟も鈴木亜久里もジョナサンパーマーもそうですよ。年に2回入賞したドライバーのことですから。
意外に思えるGraded Driver(〜2002年)
なんてスレがあっても面白いかもね
その2回入賞した者を一流と呼ぶF1の世界ってのはかなり下駄履かせすぎ
グレーデッド→グレードを付けるに値するドライバー、て意味なのかねアレは。
まあ16戦全部一応は走行可能な車でコースインすることが出来たにも関わらず
全部予備予選落ちするなんて離れ業を演じることが出来る人も居るのを考えれば
入賞は6位までだった時代にはシーズン2回入賞すれば上出来だったのも分からなくはない。
「シーズンで2回にわたりマーシャルカーによって負傷した」と
ジャビー・クロンバック先生にネタにされた人も(この時期よりちょっと後に)存在はしてるが
16戦続けて予備予選に落ちるまでチームオーナーが我慢してくれるのは容易な事ではない。
普通はそれまでチームがもたないか別のドライバーに替えられるからな。
元は年間8戦とか10戦とかの時代の話だしねえ。
入賞も5位までとか6位までとかで。
>>569
まあ、「(高く)評価されたドライバー」程度の意味ですよ。
スーパーライセンスの(再)発行基準にされることもあったりしましたね。 当時はポイントを与えられるのは6位までのドライバー(車)だから、決勝は26台出走して
入賞するのは中堅チーム以下では至難だった。
>>431
マンセルみたいな乗り方は アンダー(弱アンダーかも知れないが)のマシンを
振り回してオーバーステアにしている
桜井だけでなく 森脇さんあたりもそう言ってる
ウイリアムズの時代だと ピケがマンセルのセッティングのスペアカーに乗ると
アンダーステアで走れないと言ってたし チェザリスよりもグルイヤールやフォイテクの方が危険な印象が
ピケよりマンセルの方がオーバー好みなのは確かだし
アンダーのマシンを振り回してオーバーにってのはわりとよくある話だけど
本当にそうならピケがこのマシンじゃ走れないなんて言う訳なくね?
アンダーに設定されたマシンなんだから
マンセルは、
ターボ時代はアンダー気味のマシンを
アクセル開けて滑らせていたけど、
NAになってからはニュートラルなマシンを
丁寧に扱ってたように見える。
ピケは精神戦得意だから素直に受け取る
のが正しいとは限らない希ガス。
そのセッティングはダメだと言うことで、
マンセルの自信を失わせようとしたりしそう。
ターボ時代はパワフル過ぎてそーいった乗り方の方が
振り回しやすかったんだろうな
アンダーのマシンを振り回してオーバーにってのは俺の中じゃ
86年マクラーレン時代のKKが典型的な印象
>>575 >>573
横だが失礼。
1989のAutocourseだったと思うが、
川本氏がマンセルを評して
「マンセルはターボエンジンの特性に合わせて
ドライビングスタイルを変えてきた。
インテリジェントだと感心した」
みたいなことを言ってる。
具体的にどう変えたとは言ってないけど、
ターボの特性を考えたら、ターボラグを
嫌って、アクセルを戻さないようにアクセルで
マシンを振り回すように走ったと言いたいの
だろうし、そうだとしたらアンダー気味の
セットアップを施すところまでセットの
内容だと俺は想像する。
その時代は映像見てないから、はっきりとした
ことは言えないけどね。 その時代=マンセルがドライビングスタイルを
変えようとした時期
フジテレビの放送が始まった87年には、
マンセルの走りを見て、アンダー気味の
マシンを振り回してるという説明に
納得してたよ。
>>580
当時のマンセルのアイドリング回転数は3000rpmだとか、FW11Bの空力セッティング(ウイング仕様)、スロットル全開頻度なんかのデータは持ってるので、>>573の出典が欲しいだけ。 そこまでして知りたいなら所詮運転の素人(ジャーナリスト、エンジニア云々)の戯言を探すより
自分が運転上手くなって眼を肥やせばいいんじゃないかな?
映像は残ってる訳だし
誰もが運転ができる環境にある訳ではないから暴言でした
失礼
自分で見て判断できる位に眼を肥やせばいいんじゃないかな?
に訂正します
>>586
何ワケわからないこと言ってんの?
バカ? >>587
言ってる事が解らないなら解らないでいいと思いますよ
そう人生に影響ある事でもないでしょうから >>588
相手にしないほうがいい。キチガイを相手にしてると同じレベルになるよ >>196
そらもちろん皮肉でござんすよ
本音は3行目の線に同意だよ
またはプロスト派セナ派の衝突を扇動する節もあったかもしれない
テレビ屋はそれぐらいやるでしょ >>202
3週間前はドネリーの事故で涙も流してるのにね
>>188みたいに速度の落ちる場所で閉めるプロストはなんだかんだで優しいよ >>202
あと1コーナーの特攻はシケインの報復じゃないよ
優勝を取り消された事への報復ね >>206
エストリルもスタートのダート側への幅寄せがストレート200キロオーバーでコンクリート側への幅寄せになって返ってくるしな 下町ボブスレー見て、ロータス107思い出した奴いる?
そしてタウンワークのCM見て、鈴鹿のピット思い出した奴いる?
どうでも良い話しなんだけど、89年のアロウズのインダクションポッド横にフォードのロゴがちっちやく貼ってあるんだけど何でだろう。
マシン自体は市販DFRを搭載してたはずだけど、何かフォードから支援があったのかな。
ID:4tiB42z8d は日記を書きたかったのかな?
>>594
ロータス107は低予算の割に秀作で、ベネトンと互角のバトルすら繰り広げたので
下町ボブスレーとは比較する方が間違ってると思う。
下町ボブスレーはぶっちゃけ「モノコックがグライダー屋に外注だった」っていうrialとか
技術系の学校との共同プロジェクトだったっていうコローニC4とかあの辺りの方が
比較するにふさわしいようなもの。
ロータスカーズ/チームロータスのタイプナンバー一覧表を確認すると
オリンピック用の競技用自転車とかそういうものまで開発してることが確認されて、
それをイギリス代表が使ってるんだから「当の日本代表すら採用しなかったもの」と比べたら
先方さんに対する冒瀆でしょ。 >>599
カラーリングだったら102Dでも一緒なので…。
まあ、まるんとした形込みでいえば107って話になるのか確かに。
そーいえば有力F1チームがジュニアチーム運営してF3000やF3やるのが流行り出した頃、
ロータスも英国F3に92年だけ参入してて、その時のレイナードがこれまた102D/107そっくりの色だった。 60年代だったか70年代初めに
ロータスのワークスF3チームがあったような気がするが、、、
とても簡単な自宅で稼げる方法
念のためにのせておきます
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Q3ZQ7
ウィリアムズ
マクラーレン
ロータス
ブラバム
ベネトン
フェラーリ
レイトンハウス
ラルース
この時代のF1はカッコ良かった…。
有害燃料とか皮むきQタイヤとかバットマンディフューザーとかボーテクスジェネレーターとか・・・
あの頃のエフワンが好き
このスレの範疇外のもっと昔も好きだけど
F1地上波の歴代オープニングでは、89〜90年が好きだったな。格好良かった。
セナプロバトルの最盛期、日本ではバブルとF1ブーム絶頂期。
俺はこのときは多感な大学生だったから、当時の事は今でもよく覚えている。
91年のロータスの色が好きだった
黄色から緑&白になるだけで、こんなにフォルムが違って見えるのかと
>>614
タミヤがスポンサーだったおかげで
91〜93のロータスは全部プラモになったね
91年のマシンのプラモ買ったら
ちゃんとハッキネン/ハーバート/ベイリー/バーテルスと4人対応のドライバーステッカーが用意されてて感心したよ タミヤの昔のデカールはすぐ黄ばむから長期保存に向かなかったなぁ・・・
>>615
バーテルスは確かに驚いたね
たしか1戦のみで、しかも予選落ちだったよね >>615
ラジコンだと102は当時物でもハッキネンとベイリーにしかならなかった件…。
最近出た再販バージョンは何故かアメリカグランプリ仕様
(LOTUS CARS U.S.A.)にしかならない。
ま、ベイリーのヘルメットデカールは日産R89C(京商から出てる)とかプリメーラとか作る時には
重宝するのだが。107Bについてくるザナルディのヘルメットデカールが大変に貴重みたいなもの
(ジョーダン191とかインディカーとか作るのに大変に捗る)。 >>620
怒ってないよ〜
この期間だとどっちが好きなのかなって
自分は92-94の水色も、95以降のロイヤルブルーも好き >>622
冗談Jordan、ごめんよ〜!
僕はリジェだとJS27やJS29シリーズ(A〜C)が好きです。 1991
M.ハッキネン J.ベイリー J.ハーバート M.バーテルス
R1 アメリカ 13位/リタイア(59周) 30位(DNQ)
R2 ブラジル 22位/9位 30位(DNQ)
R3 サンマリノ 25位/5位(2点) 26位/6位(1点)
R4 モナコ 26位/リタイア(64周) 29位(DNQ)
R5 カナダ 24位/リタイア(21周) 30位(DNQ)
R6 メキシコ 24位/9位 25位/10位
R7 フランス 27位(DNQ) 20位/10位
R8 イギリス 25位/12位 24位/14位
R9 ドイツ 23位/リタイア(19周) 29位(DNQ)
R10 ハンガリー 26位/14位 30位(DNQ)
R11 ベルギー 24位/リタイア(25周) 21位/7位
R12 イタリア 25位/14位 28位(DNQ)
R13 ポルトガル 26位/14位 22位/リタイア(1周)
R14 スペイン 21位/リタイア(5周) 29位(DNQ)
R15 日本 21位/リタイア(4周) 23位/リタイア(31周)
R16 オーストラリア 25位/19位 21位/11位
当時 3p(ハッキネン2 ベイリー1)
現在 30p(ハッキネン14 ベイリー8 ハーバート8 バーテルス0)
>>619
調べてみたら4レース乗ってて全部予選落ちだった
「1回も決勝走ってないのにプラモデルの題材にされるドライバー」ってのもそうそういないかもしれないねw
パシフィックがF1進出するときに最初のドライバー候補にも名前上がってたけど
そんなに強いスポンサーでも持ってたんだろうか<バーテルス >>625
テニスのシュテフィ・グラフの元彼がバーテルズだったかな?
メルセデス3羽烏になり損なった男でもあったような アンドレアモーダのガレージキットはあるのを知ってるけど
確か基本仕様はモレノ@モナコGP仕様であって、
マッカーシー仕様になるデカールが同梱されているかどうかは承知していない。
シムテックの野田仕様とかは日本向け別注とかでありそうだな…。
タミヤにFW16出して欲しいな。もうロスマンズ無いんだからデカール関係ないでしょう
91年のロータスや93年のジョーダンみたいに4人ぐらいドライバーいると
そのマシンの特色が分かりやすいし面白い
>>629
ロスマンズ無くても権利は残ってるんじゃね? FW11Bの強靭なモノコックは、87シーズンにマンセルとピケを重症か死のリスクから救った、素晴らしいシャシーなんだが
前年型11から、ホンダターボの馬鹿力を受け止めるために、ヘッドがさぞ強固な構造にしたんだろう
マンセル好きだけど、またもやタイトル失った鈴鹿の予選クラッシュは、ピケのトップタイム上回ろうとして例の如く頭に血が昇り、一目瞭然の無茶なオーバースピードでコーナーに突っ込んだ馬鹿の極みだったからなw
そもそも鈴鹿は予選2位のほうがスタート有利なのに
同年シルバーストーンのウッドコートシケインでも、同様にグラベルに突っ込んで、お得意の見事なスピンターン決めてた
もし87鈴鹿でマンセル決勝出てたらピケリタイアしたし、勝ってアデレードまで盛り上がったかもな
ベルガーの退屈な連勝レース観なくてすんだし、残念至極
>>624
ベイリー6位奇跡だな
結構ハッキネンの前走ってた気がする >>630
マシンの特色と共にドライバーの力量も分かる
ジョーダンならカペリが急激に劣化したとか 1991
No.32 ガショー→シューマッハ→モレノ→ザナルディ
No.33 チェザリス
1992
No.32 モデナ
No.33 グージェルミン
1993
No.14 バリチェロ
No.15 カペリ→ブーツェン→アピチェラ→ナスペッティ→アーバイン
スレタイ年代中に参戦したのは3年なのに
起用したドライバーは実に13人
DFVの野太い音、アクセルオフでのまるで大爆発したような音が懐かしいわ。
特に89年からはマルチ勢との音質の差が顕著で、それを楽しみに鈴鹿に行ってたようなもんだよ。
>>634
一番悲惨だった92が交替なしなのは皮肉だな >>635
DFRのエンジン音、一回生で聴いたことがあるが、ガリガリガリガリ凄い音だったな。
ちなみにティレルの019 >>632
仮にも過去にF1出走&完走歴があるうえに
シングルシーターから離れてる間は日産のスポーツプロトタイプ要員として
バケモノみたいなクルマで耐久レース走ってたから
体力的な面では余裕があったり、サバイバル展開になると強いとかはあったんじゃないかね。
>>636
エンジン代の心配しなくて良かったから替える必要が無かった、という一方で
金払ってまでシート乗っ取りたいとか思う奴が誰も居なかったという可能性…。
モデナもグージェルミンもキャリアを通じて持参金を売りに出来る系統のドライバーではなかったから
ほぼ無償(=パーソナルスポンサー分がプラス)か、もしくはギャラ付きかもしれないという
これまたジョーダン史上において稀有な2人であろうと。
払わなくて済んだとして、あとは後年のアレジくらいではないかとw モデナといえば91年ティレルより89年ブラバムでの活躍が印象的だったな。
その89年ブラバムって序盤はスポンサーが無くて途中から日本信販がついてた記憶があるけど
活動資金とかどうしてたんだろ?
ハービー・ブラッシュがネタにしてた
「パドックではもうひとつのレースが繰り広げられていたよ。オニックス(ヴァン・ロッセム)と
ウチのチームオーナー(ヨアヒム・ルーティ)とどっちが先に監獄にゴールするかってね。
勝ったのは我々だったってわけさ」ってやつで
その「もうひとつのレース」のライバルチームのマネートロンシステムに匹敵する
ヨアヒム・ルーティの謎システムで回してたんじゃないの?
エンジンは元々ブラバムとジャッドの間に繋がりがある(サー・ジャックが共同創立者)
ってことで、エンジンテストチームも兼ねて割引供給でもしてたんじゃないかね。
モデナファンで91年からF1を見始めたんだが、
90年以前のモデナについては89年のモナコ以外は詳しく知らない。
ブラバム時代あるいはユーロブルン時代のモデナに詳しい人はいないかな?
出来れば88年に何故モデナがユーロブルンにしか行けなかったか知ってる方がいれば有難いんだが…。
モデナってそれ以前どのカテゴリーで走ってたんだっけ?
とりあえずWikipediaでも見てみたら?
全部とはいわずもある程度の情報は出てるよ。
モデナといえばフジテレビでやってた日本グランプリ前夜祭番組での「テンプーラ?」をやたら覚えてる。
>>644
いや、さすがにwiki程度はチェックしてるw
自分が知りたいのは「なぜブランドルと較べて入賞回数が少なかったのか?」とか、
「90年にブラバム以外に行けるチームが無かったのか?」とかそんな感じ。
あ、あと90年のフェニックスの5位入賞のレースはあとで全編見た。
>>643
87年に国際F3000のチャンピオンになってる。
それが認められて、87年最終戦でブラバムでデビュー。 流石にチームメイトがその時点で既にベテランの域に達しつつあるブランドルでは
手堅く入賞する能力という面ではそっちに分があるかと…。
デビュー戦のアデレードで問題になった体力的なところは
ブラバムの頃にはもう解消してたのかな。88年がユーロブルンでは
走行距離的にはあまりこなせてたようには思えないんで、
まともに走れるクルマでレースディスタンスを体験したのは89年が初めてかね。
国際F3000でチャンピョン獲得してF1にステップアップしても、移籍先のチームが3流で
F1では活躍できずに引退したり、他のカテゴリーへ移ったドライバーも少なくない。
どのタイミングでどのチームに入るかの嗅覚も大事だよね。
時期を見誤ってちょっと活躍できないとすぐに評価が下がる厳しい世界だし。
下記の3つのうち、1つを選択できるとしても悩むよね。
3流チームのNo.1ドライバーのシート
2流チームのNo.2ドライバーのシート
1流チームの控えドライバー
三流チームでNO.1を選んで突出した才能をアピールしトップチームに引き抜かれる
それをやったのがセナ
やはり奴はそのドライビングは言わずもがなで政治力から洞察力からあらゆる面で世界最高峰プロドライバーとしての資質に長けてた
仮にブランドルが84年水タンク事件が無かったとして85年よりトップチームに行けたのか?としたら些か疑問符がつく
ウィリアムズ入りの線はどうかな?
二人を天秤にかけてもホンダのプッシュでマンセルだろうか
ブランドルは見た目のインパクトが弱いし紳士的だからあれでは勝ち抜けないだろそら
本当に勿体ないけどな
川井の本でブランドルのことを
「どんだけ良い人なんだ」みたいなこと書いてたな
少し前のリタイヤ時にインタビュー拒否したことをやたら謝罪されたとか
ブランドルやワーウィック程のドライバーがシートにあぶれそうになってた時代、日本の中嶋悟がロータスのシートに収まるのは、英国を始め、欧米人から見ればさぞかし違和感があっんだろうな…
>>654
中嶋はダンフリースと似たり寄ったりだろ
欧米コンプ拗らせ過ぎ ワーウィックといえば、93年のフットワークのFA14は
「実力がありながらドライバーに恵まれなかったマシン」
という意味では歴代最強じゃないか?
3年ぶりのF1で年齢的にも下り坂だったワーウィックと、
予選一桁常連でノーポイントに終わった亜久里…。
仮にブランドルが乗ってたらどれだけポイント稼げていたかと思うわ。
>>656
色々想像してしまうよね。ティレル019にセナやプロストが乗ったらひょっとしたら勝てたかもしれないとか。 >>656
マクラーレンからアクティブサスの供給受けることになって
テストでフットワークに乗ったハッキネンが
「何でこのマシンで表彰台上がれないの?」って呆れてたんだっけw
ハッキネン乗せてたら3位にはなれてただろうなw つーてもその時ってハッキネンはそのシーズンまだ走ってないし、表彰台も未登壇なんだよねw
>>657
フラビオは後年にも、もうベネトンが凄く衰退傾向になってた頃に
「まあハーバートを手放したことは後悔していないでもない」とか言ってるくらいだし
賢く立ち回ってるように見えて実は抜けてるんじゃないかという気がする。 >>659
アルボレートがテストで突然トップチームと同等のタイムを出したことがあったそうだけど、
それはアンダーステアを見越してかなり早くからステアして出したタイムだったとか。
テストだと周りの車も少ないし、そんな無茶なタイムの出し方も出来たんだろうけど。
実際の予選やレースではとてもじゃないけど出来ないとコメントしてた。
そういった特性がアクティブサスで解消できた結果が亜久里の予選パフォーマンスの向上になったのではないかと。 「マクラーレンは本多との決別を早まった」元F1エンジニア ジョアン・ビラデルプラート
懐かしい名前だ
>>663
ベネトンやティレルでマネージャーやってた人だね。 >>653
マクラーレン時代にレース続行すら危ういような状況の鈴鹿で、
既に1台アクアプレーン起こしてコースアウトしてたクルマを処理中のところに突っ込んで
マーシャルさん跳ねて重傷を負わせてしまった(結果この事故で赤旗になる)という一件のあと
翌年は自分の手配したゲストパスでそのマーシャルさん夫妻を鈴鹿に招待したっていうからね。
ナイジェル・ルーバックによると「あれこれと2人に気を配っていた」とのことだけど
この年の日本2連戦は乗ったのは亜久里だったから、ブランドルはパドックではずっと
元マーシャルさん夫妻に付きっきりだったのか。 あの時現地に居たわ本当寒くてな…
何度も何度もレース止まって本当に帰りたくなるくらいだったが今になれば屈指の名レースだった
現地だとリアルタイムでの状況が本当に掴めなくてヒルとミハエルの位置関係が分からなかったりアレジとマンセルが永遠バトルしてたり
スプーンで見てたんだが金曜のフリーで一番最初に現れたのがブランドルだった、それが俺の誇り
セナとシューマッハは天国で永遠バトルしてるぜ…(-人-)ナムナム
チェザリス、F1での多くのクラッシュでは死亡することはなかったが、引退後のオートバイ事故が原因で死亡か。
F1サイボーグと言われ91勝のF1最多勝の顎は、引退後のスキー事故で植物人間か。
なんか皮肉だね。
マイク・ザ・バイク、レガおじさん、アートルやパーチェとか他沢山
車や飛行機の事故多いわね。
その点、ハルムさんは幸せな最期だったかもね。
今更だがあえて聞きたい
フェラーリ643はどう評価すべき車なんだ?
フランス補正とかホンダV12伸び悩み時期とか色々あって相対的な見方だと車の資質がよくわからん
642よりは総じてマシだけど燃料の量によってバランスが変わり過ぎて
レースディスタンスを通じて良い状態を維持出来ないのが問題、みたいなこと言われてた記憶が。
満タンだと良いけど軽くなった時がイマイチだったんだっけかな。
プロスト曰わく世界一速いカミオンだっけ。戦闘力はともかくバルサンしまくってた印象
実はエンジンがダメだったとか。
鈴鹿で聞いた感じだと、89年や90年とは違って
きれいだけど細〜い音で、なんか弱そうな感じだった。
もし91もマンセルプロスト体制で643に乗ったらどうだったんだろうね
そうそう
デザインはスタイリッシュなんだよ
一部で人気のF92Aより断然いい
オレは好きじゃないな643
コンサバなノーズと後ろのボリュームが
ダウンフォース不足って事はグラウンドエフェクトが少ないって事でいいのかな?
他力本願だけどバルサンしなけりゃスパは2台のうちどっちかが獲ってたかもね
>>675
燃料が減ると振動がひどくなるという話は聞いたことがある
その欠点は643でもあまり改善されなかったとか しかし何故翌年は643を熟成する流れではなく
あんなトンデモを出してきたし。
…どう考えたってあんなもんがマトモに走ると夢にでも思ったかと。
643は改良と乗りこなしによっては十分選手権戦えるマシンだとは思った
単にプロストが体力衰えたというのも割り引かんといけないとは思う
特に今だからプロストも言うが93年は明らかに自分の力が衰えてきた
ってのもF1引退の理由らしいけどな
643のノーズってコンサバかなあ?
91年当時としてはFW14風の最先端ハイノーズで、結構いい線いってたと思うんだけど。
ベネトン式の吊り下げは、最先端というよりまだ異端だったと思う。
93年の不調は前年の休養も大きかったと思うな。
年齢的に、以前の体力や勝負の勘を戻すのは並大抵ではなかったと思う。
それでもタイトルを獲るのが流石だけど。
体力面も確かにあっただろうけど休んでる間に一気ハイテク化したも痛かった
プロストが真っ赤なカミオンとディスったのは因縁のセナにやられっぱなしだったイライラが
遂に爆発したとしか。マクラーレンMP4/6にもちょっと似てたな。
まあスティーブ・ニコルズのデザインだったし
フェラーリ移籍直後のカぺりが冬季テストで643を絶賛してたな「これがカミオンだなんてとんでもない、ファンタスティック!」
数か月後に例のアレが来るとはさすがに想定外だったろうw
>>688
ノーズ自体は悪くないけどウィングが普通過ぎるとは思ったな。
ティレルやジョーダンみたくはっきり角度つけた形状にすることもないとしても
FW14みたくセンター部だけ僅かに曲面のついた処理とかじゃないと
ノーズ位置が上がった分だけウィングも上がっちゃって地面効果が効かなくなる。
暫定仕様というか急造対策レベルなら間に短い支柱か橋桁みたいなものを入れて
吊り下げ型に改造するというのは、ノーズに対してウィングがネジ止めされてる市販フォーミュラでは
当時よく行われてた方法なのでそれでも良いんだけど。
ウィングそのものの再設計はその後じっくり腰を据えてやっても良いし、
簡易吊り下げ改造だけで効果があれば別にそのままでも良い。
サイドポンツーン先端部が下がったのは、姿勢変化の影響を受けにくくなるので
当時のトレンド的には正解だろうね。床面積が減るからダウンフォースに影響するともいわれるけど
ハイノーズ化で床周りの流速は速くなってるからその点はトントンかプラスになってるはずで。
後ろのダウンフォースも足りないとすればディフューザーの設計辺りの問題じゃないかね。 バカは思いついたことを全部話さないと気が済まない。
老人会にもこんな奴が増えてきて、大変らしいぞ
確かロッソとかいうメーカーが出したダイキャスト製の特大643欲しかった。
>>696
ワロタ
とりあえずワッチョイあるし目に付かなくする事は出来るしな >>697
それなりのお値段するが時々ヤフオクに出てんぞ。1/12だったかハチイチだったか
いずれにせよ結構でかい。
このところロッソの積みの出物が結構放出されるのは、当時アレを買える財力だった人が
いざ取り掛かろうと思ったら老眼で組めなくなっちゃったのか、もしくは…。
そーいや1/12のNSXセーフティカー仕様なんてのもあるんで、
これはタミヤビッグスケールと並べると当時の鈴鹿の光景が再現できる寸法。 >>677
特殊燃料禁止になって一番ダメになったのがアジップの燃料だったらしいね
鉛やら何やら入れまくってたからその反動がモロに出たとか 特殊燃料禁止は92年のハンガリーからだから643はバリバリ特殊燃料使えてたんじゃない?
特殊燃料の極みと言えば91ハンガリーのマクラーレンだな
>>693
モルビデリもまずまずの結果出してカペリも絶賛したんだったら
ますます何であんなもん作ったんだよw 出力はドップラー測定でかなりの精度で推定できるし、
トルクは音圧で推測出来るんだよね。
>>704
ホンダ用のシェルは、苦い?感じで凄かった。 >>704
プロスト「臭くて鼻が曲がる…」
マンセル「元からだろ!」
あの挿絵は実に秀逸だった >>707
古舘「shellの一番搾りとelfの吟仕込み」 ゲルハルトベルガーってF1参戦する前は何やってたの?
フェラーリは90年鈴鹿の土曜午後の予選がスペシャル尽くしだったわ。
エンジンはTipo-037を予選専用に改造した037Bで金曜とは明らかに音質も音量も違ったし、
燃料も単なる専用燃料ではなく「あの排気は毒ガス!」と言われだした特殊なもの。
後続車のヘルメット真っ黒になったドライバーが死んだわけじゃないし大したことなさそう。
軍艦撃沈されて溺れながら重油飲みまくった話する爺さん達も人生全うしてるし。
>>709
elf、1992にも試供でテスト検証したけど、シェルよりも出力出てましたね。 >>705
あのMP4/4の生みの親、ニコルズが何であんな駄作をやらかしてしまったのか
ダブルフロアコンセプトは奇抜過ぎたな
一緒に仕事したマーレイの悪い病気感染したんかw >>718
643のフロントノーズ周りは確かティレルから移籍してきたジャンクロード・ミジョーなので
どっちかつーと彼が暴走してしまったのでは…。
ニコルズ自身はパトリック・ヘッドほどじゃないけど基本コンサバの人…だと思うんだが
何故どの辺かでブレーキ掛けなかったんだろ…。 ミジョーはポスルスウェイト博士とコンビ組ませないと暴走して変態レベルの駄作を造っちゃう印象
レイトン時代のニューウェイみたいな感じかな
>>719
F92Aのこと言ってたんだけど、これにはミジョーもけっこう関わってたんかな? ノーズ周りを担当した643に続いてコードネーム644でミジョーがやらかしたって意味でしょう
この時期の相方ハーベイ先生の勤め先はコロコロ変わっていつからいつまでがどこのチームかよくわからん
92年大百科より
「このニューマシーンには様々なアイデアが盛り込まれた。そのひとつが空力効果を狙った二重底だ。この二重底はもうひとつ理由が明確に見えてこない
ことから、当初はかなりけなされたが、テクニカル・デザイナーのジャン-クロード・ミジョーが風洞で練りに練って採用したものだけに、まもなくその効果の
ほどがはっきりと見えてくることだろう。
(中略)
デザイン的な新しさとして、ボディから離れた位置に設置したラジエター・インテークが目を引く。これは例のコルセア・ウイングやアップノーズなど、今では
F1のスタンダードとなった斬新なデザインを生んだジャン-クロード・ミジョーの新しいアイデアだ。こうした新しい発想を許すところが、いかにもフェラーリらしい。
保守的なマクラーレンやウイリアムズには、とてもできない芸当だ」
「このチームの問題点は、テクニカル部門の人材が一定していないことだ。毎年出てくるクルマのチーフ・デザイナーがその都度違うというのは、
このチームぐらいしかないだろう。マシーンの生みの親と育ての親が違うのだ。挑戦的なデザインと評価の高い(?)ニューカーF92Aは
スティーブ・ニコルスと空力エンジニアのジャン-クロード・ミジョーの合作だ。ところがマネージメント側が昨年12月、かつてチームに在籍していた
ハーベイ・ポスルスウェイトと再び契約を結んでしまったため、チーム内に波紋を投げかけてしまった。
確かにハーベイはテクニカル・デザイナーと言う立場にある。だがF92Aに関しては生みの親はニコルスとミジョーなのだ。だから彼は
「今のマシーンはオレのクルマじゃないから…」なんてことをはっきり口に出す。初戦キャラミからの帰りにこんな出来事があった。
ジョーダンのチームと飛行機が一緒になったハーベイが「ああ、よかった、君たちが来てくれて。自分だけで落ち込みながら帰りたくないもんな」
なんて言っていた。初戦さんざんだった者同士、一緒に帰ろうぜというわけ。それほど開幕戦後のチーム状況はよくなかったのだが、ジョークにしても
技術面のリーダーがスタッフと一緒に帰りたくないと公言していいものだろうか」
だいたいはミジョーが作ってスティーブが最終的なまとめをしたのかね
結果的には糞マシンの烙印を押されたF92Aも開幕戦の時点では
それなりの戦闘力を持ってるんじゃないかと思ったけどな
レース中盤までアレジもカペリもベルガーやブランドルと集団を形成してた記憶がある
>>712
F3からすぐF1に行ってるらしい
途中で一回ポルシェ956にも乗ってる 開幕戦じゃマシンの素性はよくわからん
というかボロが出ない場合があるというか
642もフロントローから2位だし
100Tも3位表彰台+6位入賞だし
MP4-24も3位走行中からの嘘つきだし
開幕戦は意外に前年のハッタリとまでは言わないけど
影響ありそうな気がする。
88年開幕戦のマンセルもあのエンジンでフロントローだしね。
上の人も書いてるけど91年だって開幕戦後だけ見れば「また今年もセナプロ対決か!!」て意見多かったしな。
88年開幕戦で思ったが
エンジンが毎年変更されるからそうするしかないんだがベネトンはこの年までは毎年頑張って開幕戦でニューマシン出してたな
翌年から93年までは旧車でフライアウェイを凌ぐのはエンジンが固定されたのが大きいんだろうね(89年除く)
ベネトンの旧車でまた思ったんだが
なんで93年の旧車は192Bじゃなくて193Aにしたんだろうか
あれは192にアクティブやセミATを積んだだけでまさに192Bと呼ぶにふさわしいと思うんだが
193Bから新型モノコックのまさしく新車なのにね
ベルガーは結構歳食ってからレース初めて
家は運送屋で当時隆盛だったスッドのワンメークレースやってた位しか知らんね。
↑F-3からF-1なら当時の出世コースですな。
BMWお気に入りならツーリングカーやF-2やってても不思議じゃないが。
ベルガー知ったのはAS誌でATSからベネトンに移る頃だな
>>735
手元のCBSソニー出版の『ゲルハルト・ベルガー』によると
BMWのツーリングカーにも乗ってるよ
はじめヘルムート・マルコに見いだされラルト・アルファロメオRT3に乗ってる
1983年のF3マカオでセナ、ゲレーロに続いて3位に入っている
F3での順位はたまに優勝するくらい毎レース3〜4位くらいで際立ったものではない
その後1984年にATSからF1参戦、シーズン後にマルボロカラーのBMWに乗ってる
85年アロウズ、86年ベネトンに乗りながらもワークスBMWのツーリングカー選手権にも出てる
F3で大した成績でもないのにF1に乗れたのはBMWの後押しによるものが大きいと思う >>723>>724
そうそう。91年の開幕前後にミジョーがフェラーリに移籍してきてて、
まずは642の改善作業から任された(この時点でもうバーナードはベネトン行っちゃってるし)
と聞いてる。
ただ、「フロントノーズ周りをティレルみたいにしろって言うんだけど、あれはそのままじゃ
642には付かないよ。モノコックまで直さないと」みたいなことを当時の何かの雑誌
(F1・モタスポ系雑誌だったか総合スポーツ誌のNumberだったか)で言ってる。
逆にいうと、それを盛り込んで「フェラーリ版ティレル018」くらいの感じに出来上がってきたのが
643だったのでは。本来1年掛かっておかしくないところを半年で実戦投入させたと思えば
適度にミジョー&ニコルズミックスで良く出来てたんじゃないかね。床下周りは多分ミジョー設計だろうし。
なのに続くF92Aで何故あそこまでやり過ぎてしまったというか、突然あんなに飛躍してしまったのかが
どうもよくわからない…。
今思うとF189系は最初は実戦投入しないで、88年は前年の発展型(F187/88C)を走らせたまんま
先行開発用の639を延々とモレノさんにテストさせてたんだから
同じようにF92Aもいきなりは実戦投入しないで「まずは643の改良型で92年をスタートして、
確実にそれを性能的に上回るまでは実戦投入は先延ばし」みたいにしとけばよかったのに…。 ところで同じように新車の出来で悩まされたマクラーレンが
旧型改3台+新型3台の6台!とかいう無茶をやってきたのはさすがに極端としても、
フェラーリだったらF92Aを1台(アレジ用)と643を3台(アレジ用Tカー・カペリ用・Tカー2)
とかやって、アレジは気に入った方選んで使って良い体制というくらいは出来そうな。
ただ、そうやると結局最後までF92Aはフリー走行の第1セッションだけしか出てこないとかいう
アンドレアモーダ並みに走ってる写真撮るのが難しいマシンになりそうだが。
もしくは87年オーストリアGP級の連続多重事故とかが起きると、何故かカペリの方がF92A乗ってるとか
ワケ分からない展開に…。
過大評価はアレジだろ
あいつは91年にそのままウィリアムズに行っても勝ちまくることはできなかったと断言できるわ
ベルガーさん
>ヘルムート・マルコに見いだされ
オーストリア繋がりやろね、当時はラウダ後の若手有望ドライバーが何人か事故死。
>>745
ブランドルなら数勝は出来たな
アレジは精々一勝 ベルガーはBMWの育成ドライバーで峠や高速コーナーはセナでも舌を巻く速さだぞ
ベルガーってグループAのBMW635にも乗ってたよね?
今思えばFW14は地味にだましだまし乗ってたんじゃないかと思う
マンセルが前半精彩を欠いていたのもどこかマージンをもって乗ってたんじゃないか?
こいつは脆い、と
ロータスのヘンテコアクティブとか640のガラスのセミATとか結構実験体扱いされてるからさ
大事なこと書き忘れた
前記のベルガー本にも載ってなかったけど
たまたま見つけた1985年のスパ24時間の優勝クルーに
ベルガーの名前があったよマシンはBMW635CSI
ベルガーは印象的な勝利が多かったし、期待度という意味ではかなり大きなものがあった。
高速コーナーが速いという評判は定着して伸び盛りで勢いもあったし、
90年の開幕前は「ついにチャンピオン争いができるマシンを手に入れた」とされ、
フェラーリの戦闘力が疑問視されていたので、セナとのチャンピオン争いが注目されていた。
それなのに未勝利でランキング4位と大いに期待外れの結果。
91年も全く安定感がなく、それまでの「次代のチャンピオン候補」という評価は
完全に過大評価だったことが証明された。
途中まではランキング2位だったんだけどね90年は。
まあ、カナダあたりからおかしくなったね。
まあでも97年のドイツはかっこよかった。
フラビオが終始ガン無視されてたのは笑えたけど。
前年ドイツがもったいなかったし、お父さんの死もあってすごかったわ
ベルガーとペヤングってなんか似てる
所々ハマるとやたら速いんだけどそれが一年間続かないトコとか
これは完全に主観だけど、ベルガーはハマると格好良かった
ペヤングはハマっても格好いいとは思わなかったw
>>756
フルタンクの強気の走りにはベルガーには
いささか無理があった。 レース前のインタビューでセナとベルガーが同じ様にマシンとエンジンの問題点を挙げても
ベルガーが言うとお前が言うな!的な風潮になっていたのはいささか気の毒だった
今から25年前、初めて開幕戦からフルでF1を観るようになったのが1993年シーズンなんだが、
開幕直前に買った日刊スポーツ掲載のF1名鑑を見て、こんなに入れ替わるのかなと思うくらい前年度からの移籍が多かったと思う。以下、当時の感想です。
・ウィリアムズ…プロストが浪人から復帰。ヒルって誰なんだろう?
・マクラーレン…契約したはずのハッキネンの名前がどこにもない…(泣)
・フェラーリ…ベルガーが戻ってきた。しかし僕的にはやはりマクラーレンのイメージが。
・ベネトン…パトレーゼが移籍。ベネトンカラーが似合わねーw
・ザウバー…JJレートは聞いたことがあるが初めて聞くチームだ(当然だが)
・リジェ…実力派のブランドルが加入することを知ってびっくり。チームメートとの区別がつきにくくややこしいw
・ジョーダン…カペリって結構有名だったような…(速攻でクビになったが)
・マーチ…名鑑には名前が載ってあり、ドライバー2人(ラマースとグーノン)はキャラミに走る気満々でやってきたのだが、肝心の車とスタッフは誰も来なかった…
個人的には開幕と同時にマーチが潰れたのが一番ショック(涙)
93年はマクラーレンが意外に良かったのが印象的だな。
同じフォードHBでもベネトンはスロースタートだったイメージ
中堅以下だとスクーデリア=ローラがどうしようもなくポンコツ化したのも残念
93年マクが良かったのは最初と最後だけ
序盤は雨に救われ終盤はハイテクが進化した
カナダからイタリアまでは散々叩かれた前年より更に酷かった
93年ドライバーリスト(92年12月末時点)
93年ドライバーリスト(開幕時)
ブラバムとフォンドメタルが92年末時点で撤退
パシフィックとブラボが参戦断念
マーチは開幕戦に来れずに撤退 >>766
スクーデリアはジャッドエンジンの方がフェラーリエンジンより良かった思い出 当時を覚えてないんだが、93マクラーレンについては無限ホンダ採択を考慮しなかったんだっけ?
93マクラーレンは開幕前にランボV12をテストしてたけど、この頃V12に見切りを付けてたのかも。
無限ホンダはホンダのカスタマーという認識もあったのでは
ランボルギーニをテストしたのはシーズン後半の話
真っ白いMP4/8
セナとハッキネンがパワーを絶賛したんだっけ。そうなるとHBシリーズ8を大きく凌駕していたことになるがどうなんだろうね?
ランボの相対的なパワーの位置付けは良く分からんな
>>770
ホンダ撤退発表(9月11日)
↓
ロン・デニスがギ・リジェと会談(9月24日)
リジェを買収してルノーエンジンを横取りしようとする 失敗
↓
BMWを引っ張り出そうとする 失敗
ハートと手を組んで新エンジンを作ろうとする 失敗
(この辺時系列不明 ジョーダンがハートと契約したのが11月5日)
↓
フォードHB(ただしカスタマー契約)を獲得(11月16日)
↓
アンドレッティ初テスト(ただしエンジンはホンダ製) (12月4日)
↓
ハッキネンと契約(1月27日)
↓
93年新体制発表(2月14日)
MP4/8シェイクダウン(2月15日)
↓
セナがMP4/8をテスト(3月3〜4日)
↓
セナが「キャラミのみの1戦契約」を結ぶ(3月8日)
当時の大百科の巻末に92年オフシーズンの出来事表みたいなのが載ってたから
そこから引っ張り出してみた ホンダの撤退はもっと前から伝わってたのに初手が遅いね。
それとも正式発表をしたあとに動かなきゃいけない紳士協定でもあるんだろうか。
>>764
でもマーチは走れたところで車自体は91年から使ってたもののキャリーオーバー
(タイプナンバーが前年の911Bのままか、規定変更対応に伴って名前だけ911Cかは不明)
であって、しかも92年時点でモノコックの新造すらままならずヨレヨレになる一方だったというから
93年の開幕戦に持ってこれたところでドライバーの奮闘に任せるしかないかと思われry
逆にいえば、92年だってそんなありさまだったからこそモントリオールでのヴェンドリンガーの
4位入賞は称賛に値するのだ。 >>775
逆に水面下でホンダ慰留の交渉にも動いてたかもしらんし…。
あとはスポーツカーの方のマクラーレンF1のエンジン供給を
最初ホンダに持ちかけて断られたからBMWに声掛けた、っていう流れもあるんで
BMWとの話が最初は意外と悪くなく進んでたという可能性も。
確か92年にアンドレアモーダが使うことになったシムテック製のS921が
元々はBMW自身のF1計画に使うために作ったものだと言われてるんで、
その幻のBMWの第二期F1プロジェクトがどこまで進捗してたかによっては
実際に回るエンジンまで出来上がってた可能性もあるし。
少なくともエンジンの寸法・重量とか大体の形状出てないと
ワースの方も車体の設計に掛かれないという意味では、エンジンの図面とか木型くらいは
上がってただろうし…で出来た車がアレってことは多分V12ではないね。 >>774
マクラーレンがハートに接触してたなんて初めて知った
TAGポルシェ時代みたいに、TAGのバッヂネームにするつもりだったんだろうか
資金の不安なしに潤沢な開発ができるハートエンジンも見てみたかったな 妙に名前だけかっこいいのはメカクロームとメガトロンターボ。
>>745
アレジは90年フェニックスでのセナとの接近戦で評価を上げたが、本人にはちと荷が重すぎたようだ。
しかしフェラーリのシートやゴクミはしっかりゲットするところが抜け目ない。 「MUGEN」
「HONDA」
「MUGEN-Hm(Honda Motor)」
「MUGEN HONDA」
年によって国際映像のテロップ表記がバラバラだった無限ホンダ
>>783
98年の時点で国際映像でJordan HONDAと表記していたな >>776
92開幕戦での7番グリッド獲得は衝撃的だった
そしてカナダでのカペリを突き放す快走
そんなベンドリンガーもベルモンドに予選で負けた時は狂ったように暴れたらしい
まあ、遅いわブサイクだわで何も取り柄のないレーサーに負けたらそうもなるか イルモアも格好いいネームだった。
後のメルセデスだが。
無限の漢字マークは外人に受けそう
トロロッソ無限ホンダ復活期待( ・`ω・´)
>>786
あの年のカナダはいろいろあったね。
セナが初ポール、ロンデニスに落ち着けといわれるマンセル、久々マクラーレンワンツーフォーメーション、
平謝りしまくる右京、4位でゴールしたヴェンドリンガー。
で、マクラーレンに来て初めて自力で勝ったベルガー その後フェラーリのアドバイザーとして復帰してたラウダがベルガーとヴェンドリンガーを誘って
祝勝会をやって2人ともラウダにゴチになったとか
>>753
ベルガーってぶっちゃけパトレーゼとどっこいレベルだろ >>792
ベルガーもすごいけど、パトレーゼに関しては、チームや契約に従順じゃなければ、チャンピオンの可能性は高かったのでは? >>793
それはないw
速さはあったが安定感にとにかく欠けてたのがリカルドのキャリア
そしてマシンにも優しくないのかよく壊れた パトレーゼってヤル気の落ちたマンセル相手に善戦した1991年だけだろ
パトレーゼはブーツェンと同じぐらい
期待の星ブーツェンと互角に走ったら俺の評価が上がらずにブーツェンの評価が下がってしまった、
と愚痴ってた
ブーツェンは90年位までベネトンでメカとふざけ合ってた方が幸せだったかもしれんな
互角ではないんだよなあブーツェン3勝、パトレーゼ1勝
92〜93年で著しく評価を下げちゃったから、その印象が強い。
>>790
アーヴァイン→「日本に来たらマウロとロランドとジェフと飲み明かす!」
…orz
実際に出来たのは93年の鈴鹿と94年の英田(本人は出場停止扱いだが)
の時くらいかね。93年はもう祝勝会ノリだろうし、両方ともサロ辺りも居たかもしれない。 '92のパトレーゼは不運なレースもあったと思う。
・疑惑のフランス
・エンジンブローしたハンガリー
・ハイドロ故障のイタリア
マンセルが火を噴いた日本GPで優勝したときの2位がベルガー3位がブランドルで、
脇役3人衆だったのが印象的。
'93は衰えが誰の目にも明らかだったけどな。
マニクールはマンセルの方が速かったが、パトレーゼが上手く蓋を閉めてただけに見えた
実際抜かれてからは突き放されていったし
インテルラゴスに似た印象
モンツァはマンセルの露骨なペースダウンのせいでなぁ
しかもそれがリタイアの原因となったんだよな
>>753
同感ですわ。マクラーレン時代の優勝は
1990 優勝なし
1991 日本(セナに譲られた)
1992 カナダ(上位が潰れての棚ぼた)
豪州(上位が潰れての棚ぼた)
結局、自力での優勝なし。 ブランドルがあの頃のマクラーレンに乗ってれば相当勝てた
90サンマリノはノートラブルでパトレーゼにまくられたんだっけ?
イモラはパトレーゼいつも速いからな
過大評価さんはギアボックスが不調だったかもしれん
90サンマリノといえばプロスト空気な珍しいレースだったね
たしか641/1だったのは覚えてる
プロストはもうルノー時代に選手としてのピークでマクラーレンとFerrari時代はキャリア末期
当時の130Rを6速で左足ブレーキで抜けて行けたのはベルガーだけだろうそこだけは認める
ベルガーは予選など、単独走行は速いがバトルにはめっきり弱いドライバー。
トゥルーリ、マッサも同じタイプ。
バトルはそんなに弱いとは思わないな
ただレースペースをハイアベレージで揃えられないだけで
主にタイヤとかタイヤとか
90年へレスの謎の予選も強烈だったよ。
スロー走行2周 → ありえない愚行
アタック中断 → グリップしないし、しょうがないよね
再びアタック → 狂ったのか?
次戦鈴鹿でプロストに蓋されなければどんなタイムが出せたのかは永遠の謎
プロストやり過ごしてもS字でセナと当たるタイミングなんだよな
セナもエグイな
ベルガーの鈴鹿のポールタイムはQタイヤの廃止もあって、なかなか破られなかったな(´・ω・`)
フェラーリといえばAgipなイメージが強いけどShellのほうが歴史が長いんだな
黄色いTシャツに黒の短パン姿のピットクルーがかっこよかった
>>821
1:34:700
今も忘れられない時計(´・ω・`) そのあと(コース改修もあり)予選記録が塗り替えられて、現在の記録は昨年2017年ハミルトンの1分27秒319か。
速くなったものだな。驚き。
ベルガーは93年に鬼の形相で暫定ポール取ってたのも印象深いな。
>>823
ロンジンオリベッティの時計では最初1'34'699だったろ 91ベルガーの130Rは、6速ではトラクションが不足気味な感じで、見ててちょっと怖かったけど、見事だったね。
最終区間でセナを逆転したような記憶だけど、あの区間はシケインもタイムに大きく影響するから、その処理も失敗しなかったのが地味に凄かったと思う。
セナは130Rで5速に叩き込んでオーバーレブさせてたよね。アクセルを開けたまま抜けられるから安定するだろうけど、セナにしては珍しく、安全策取り過ぎに思えた。それでもPP取れると思ってたんだろうけど。
ベルガーは、130Rを6速で走るのは、予選の最後まで秘密だったんかな。
自分が言い出してポールの位置が入れかわったのにそのあと結局ポール取れなかったな
>>827
社内講演で安岡さんが語っていたのが、ダンロップからのシフトアップタイミングがリミットに満たないのに早い、
でもタイムも早い、理由も分からない、という内容だった。
因みに、6速全開頻度が高い(全開時間が長い)ドライバーが速い傾向があったのが、1991年。 つべで見る91鈴鹿予選のベルガースーパーラップ車載カメラ映像は、本当に鬼気迫ってるよな
130R6速突っ込みは何度見ても震える
軽量化でアウターカウルを削りまくってた、MP4/6の車載カメラも震えまくってたけどw
しかしベルガーは87鈴鹿優勝からいずれチャンピオンを期待してたから、本当に残念
もし89イモラの炎上が無ければ、運命変わってたかね
本人もあのアクシデントの精神的影響が、その後のキャリアにあったと言ってたが
84年にマイカー事故で首の骨折もしてんだよな
直前がセナのアタックで実況、解説が凄く褒めててさ
実際トップタイムなんだからいいんだけど
その直後ベルガーがまくったのが最高に気持ちよかったね!
実際コースウォークで130R歩いたけど凄い急角度で折れてるコーナーなのな
あんな所でエスケープもほぼ無いに等しいとこでよく踏んでけるわと感心した
今の130Rはゴミ
91鈴鹿はベルガー一世一代のスーパーラップだったんだが
セナとマンセルも34秒台なんだよな
逆にいうと、仮にもタイヤ競争があった(一応はピレリが居て予選だけならベネトンやティレルが脅威になり得た)
ということで、当時のF3000の方法論と同じく「S字で足回りが決まってて130Rで空力が決まってる」という形を
きっちり仕上げられたグッドイヤーユーザーのトップドライバー達が34秒台に踏み込めた、ということで?
どうだろうか?セナはベルガーを先に行かせてマンセルをブロックしてたからな。
マンセルはセナの後ろでジッと耐えていたら、もしかしたら途中で展開が変わっていたかもしれない。
あの年のマンセルはなぁ...
ポルトガルが気の毒すぎて
90位のレギュレーションで別興行でレースやってくれんかなぁ。
使用エンジンはDFR、ジャッド、スバル、ヤマハ、ライフ、イルモア、いすゞ、ポルシェ限定で
FISA(バレストル) vs FOCA(エクレストン)
分裂騒動懐かしいね、FISA(ターボ)陣営 vs FOCA(コスワースDFV)陣営
>>841
ジャッドもヤマハもV8だったら、
みんなこぞってイルモア使うだろw DFRもノーマル・ハートDFR・マーダーDFR・ラングフォード&ペックDFRと分ければ
>>836
もう一杯一杯やったやんあれ
1コーナーでコースアウトしたのも自明 91年鈴鹿のマンセルはマシンが決まり過ぎてたんだろ。
どのセッションをどのセッティングでどう走ってもタイムが出ていたので、
決勝は余裕で勝てるはずだったのに、そういう時に自重できずに行ってしまって
自滅するのがマンセル。
91年序盤パトレーゼがマンセルより速かったのはまあ意地だわ
チームに3年居てNO.1待遇のブーツェンを撃破したのに出戻りのマンセルが絶対的NO.1でありスペアカーの優先権も譲るという一方的な契約
パトレーゼとてGPウィナーであってそんな露骨な待遇差付けられる理由にはどこにもない
タラレバは駄目な世界だけど、マンセルはカナダとポルトガルがなければチャンピオンの可能性十分にあったよね(´・ω・`)
ポルトガル終了時点でセナと24ポイント差が付いてしまったからなあ。
カナダとポルトガルを獲っていれば、と思うよね。
カナダはセナもリタイヤなんでセナのポイントを6から10に増やしてしまったベルギーの方が地味に痛い
鈴鹿はベルガーエキパイ割れで失速する歴史だからセナの後ろで耐え続ければワンチャンはあったかもしれない
まあ、勝てなかったレースを挙げだしたらキリがないからさ。
序盤の3戦連続リタイアだって痛い。
カナダはファイナルラップだし、ポルトガルはチームの人為ミスだから
惜しさの程度が他と違うなあと思うんだ。
87〜91までは鈴鹿で決まってるけど
〜90までは自力チャンプ残しての鈴鹿だけど91はセナの自滅も重ならないといけなかったから厳しかったよね
あそこでフロントローに2台押し込んだマクラーレンとホンダは凄いなと思う
まさかマクラーレンホンダ最後の横綱相撲になるとは思わなんだ
>>856
底力すごかったよね。
ハンガリーでも感じた。 それでも最終兵器FW14Bの前倒し投入を敢えてしなかったパトリック・ヘッド。
ハナから本命は翌年だったと、今になってわかる。
アクティブそこまで煮詰まってなかったんじゃないの?
アデレードでもフリーでアクティブ試してたけどアナザープラネットという評価は無かったし
最終戦投入も、終戦したからこそのデータ取りな感じだしね
マクラーレンは野球で例えると西武、Jリーグなら鹿島の様なポジションで
ちょっと低迷する事はあっても、直ぐに持ち直すイメージだったんだけどなぁ
>>863
今のマクラーレンを指してるんじゃないか?
94〜96の暗黒期も長く感じたが今になって考えればホンダPU時代と同じ3年だしな 個人的にはMP4を捨ててくれてよかったと思ってる
>>862のイメージするマクラーレン
さらにはこの時代の象徴の一つでしょ?
MP4 マクラーレン と ロンデニスのチーム
” プロジェクト4” のジョイントで MP4
マルボロ撤退後のMP4のMの意味合いはマクラーレンでは?
ダグナイの書籍にマルボロプロジェクト4との記述あり
で、これを尊重したい、と言ってたのは誰だったかな…
林氏か西山氏辺りかと思ったけど
97年からはマクラーレンプロジェクト4一択で〜96年までは大人の事情で使い分けって事でいいんじゃない?
マクラーレンに ロン デニス が加わる前から
マルボロ は マクラーレンをスポンサードしていたし
プロジェクト4 には マルボロ は
スポンサーしていなかったような気がしたんだけど
マールボロがデニスと手を組んでテディメイヤーを追い出したんだよ。
TAGとザクブラウンが手を組んでロンデニスを追い出したのと同じ構図。
で、マールボロとデニス(プロジェクト4)が手を組んで作り出した最初のクルマが、MP4(=MP4/1)な。
一度何かの雑誌でロンデル〜P4辺りのF-2?をスポンサーしてた写真を見た事有るような無いような
‥正面M23風もろマルボロカラーの。
>>849
とはいえ1988年にチームメイトだった時点で
マンセルとパトレーゼに既に待遇差あったからな
チームも水疱瘡で2戦欠場してほぼリタイアだったのに
2戦完走全て表彰台2位のマンセルと
マンセルよりも完走多く5回入賞だけど
表彰台無し最高位4位のパトレーゼだと
ウィリアムズがランキング上位だったマンセルの方を上と見るのは妥当
ただしキャリア内でF1デビューもF1初優勝もパトレーゼの方が先だったんだよねw >>875
それよりも、予選の速さでマンセルが凄かった。 あの頃の俺に今のマクラーレンの惨状を言っても信じてもらえないに違いない
パトレーゼはアルファロメオに移籍してしまったのが全ての元凶
彼曰く一度はナショナルチームで走りたかったからと言っていたがあそこでルノーなりに行けてればなあ
これパトレーゼって信じられなかったわ
>>879
後ろの車はなんだ?
カウルラインからしてマルボロプロジェクト4/8かな
赤い所赤くないけど >>878
へえ。
1980年代の前半中盤に、イタリア人がナショナルチームに行くとアルボレートの活躍と比較される訳で、なかなか茨の道ではあるな。 マクラーレン所有の個体なんかは角を丸くして紅白に塗られてるがこいつは真っ白なのか
ランボ搭載型を思い出すな
90年のアレジのモンツァのレース見てたが序盤すげぇな
V8、DFRでありながらスタート後のバリアンテシケインでFerrariを抜いてマクラーレンの2台に食らい付いていってる
が、かなり無理しててターンインでフラフラしてて修正当てまくりなのが画面越しにも伝わってくる
でもそこまで、僅か数周でスピンアウト
まるで僕には彼の姿がフルマラソンでペースを無視して先頭に立つ愚か者にみえたよ滑稽だね
90年にめちゃくちゃ大活躍したイメージのアレジだけど、獲得ポイントは13なのな
91年から見始めた自分はこの数字にかなり拍子抜けしたわ
アレジほどのピエロも居ないよ
Ferrariもアレジとベルガーという開発能力皆無の2人を揃えたばかりに長い長い低迷期を過ごす事になった
でもFerrariはアレジという道化師ファイターを獲得した事によって売上が上がったのだからある意味獲得は成功といえる
>>877
同じく、この当時のホンダのメカニック達に、ここ数年のホンダエンジンの惨状を語っても
信じてもらえないだろうな。 当時のアレジと言えば、89のデビューのフランスで4位、90アメリカ、モナコ、イタリアで目立っていただけで、
それ以外はリタイヤが多くて結果を残せなかったドライバーだったよね。
ベルガーはテストや開発する暇があれば女の尻追っ掛けてる方がマシだからな
いやベルガーはオフテストも精力的にこなしてくれる開発に協力的なドライバーなんだけど
>>893
あるだろ
第2期フェラーリ時代だって毎年改善されていったしな アレジはウイリと仮契約中にフェラからの誘いを断り、ウイリに乗っていれば、
その後のF1人生が変わっていただろうな。
テレビ朝日で不定期に放送してる「しくじり先生」ですが、元日本人F1ドライバーで
しくじり先生に最もふさわしいのは誰だ?
鈴木亜久里かな?彼はF1チームも発足させたからな。
亜久里はパトロン惹きつける能力が突出してるからしくじってはないだろ
ただ金とか契約に関する話は闇が深くてテレビじゃ語りにくそうではある
どこかに遺恨が残る話題は笑えないのでナシだな。
自分が自爆して一人で痛い目を見た、という筋の話が基本線だろうけど、F1でそういうネタってそんなにあるのかねえ…。
>>895
変わってたと思う。
少なくとも優勝はもっと早まって、もしかしたら勝ち癖も付いたかもしれない。
ただまあ、90年の時点でウィリアムズがフェラーリか選べるなら、そりゃフェラーリを選ぶと思う。 90年モンツァのアレジは、軽タンで決勝セットではなかった疑惑があるな。
亜久里はなんかの番組でF1にかかる金の話はしてたな
>>897
F1チーム発足させたのがしくじりとは思わないけどな。 亜久里の失敗は1991年にベネトンに移籍しなかったことだな。
亜久里も右京もその辺は義理人情の日本人なんだよなあ…
とにかく良いチーム、速いマシンを手にして結果を出すという目的に徹することが出来なかった。
>>896
パドルシフトに変わった時期だからエンジンブローはないから何回か優勝は出来たかもね
94年まで契約続いてセナが死んだ後ヒルと組んでヒルに勝てるかね?無理な気がするな >>907
92年までピケがいたし93年からシューマッハだしこの二人が勝てるとは思えないな一勝も出来なかったと思う >>904
F1チームを立ち上げても、その後は資金難でチームは消滅したから、しくじりには美味しいネタ。 >>909
シューマッハは、ピケの相棒がモレノだったから、シートを取れた
スポンサー力のある亜久里だと、シートは得られなかったと思う
亜久里は、エリクソンみたいな立場のドライバーで、シュナイダーより遅くてもシート得られた
シュナイダーが、可夢偉に相当する >>895
アレジが乗ったらウィリアムズの方向性が悪い方に行って落ちぶれてそう。 >>909
勝てたかどうかより、その時点でベストな選択をし損ねた
不完全燃焼な印象があるんだよ。 亜久里は苦境に陥ったラルースを見捨てることができず、なおかつラルースをハメた
リジェ(ギ・リジェ時代)に対する義憤(それがお前らのやり方か!的な)と
チームぐるみでの意地(何が何でもリジェより上に行こう)というのもあったと思う。
まあリジェも末期はパドック中から総すかん状態だったkラ多少はね
ウィリアムズFW14の設計図強奪はよくなかったと思う
>>914
ラルース残留が決まってからはそういうモチベーションもあったかもしれないけど
90年日本GPの段階ではラルースとベネトンの二重契約をしてて
ラルース優先ではあったけど、資金的に91年にエントリーできないだろうという腹づもりがあったんだよ。 90年の開幕時点でGEOの伊藤に金がないのは分かっていた訳で、フラビオからのオファーを蹴ったのはミス
ただ、91年にモレノと同じ運命を辿ったとは思う。
そもそもガショーが催涙スプレー使わなかったらシューマッハがジョーダンで走れるチャンスはなかった訳で、ザウバーでベンドリンガーとフレンツェンとシートを争ってたでしょ。
仮に行ったとして、アグリとバーナードの関係がうまくいくイメージが湧かんのよねー
ピケとは?・・・やっぱり無理っぽいなあ
その後ウォーキンショーまでお越しになるわけで、どう考えてもこの時点で詰みでしょう
ブラウン・バーンとはどうだったろね?
でも、伊藤の後、亜久里のパトロンには直ぐにフットワークの大橋が現れる
アロウズ買収せずにベネトンのスポンサーになった可能性もあるのでは?
そうなるとピケのNo1体制でNo2でいけたんじゃないかな?
ウォーキンショーはTWRで敏腕のイメージあるけど。
バーナードも了承したかも。
ハブられた可能性あるけど
ベネトンはキャメルの後はマイセンだし、亜久里には追い風だったはず。
>>917
シューマッハはベネトン入りがなければアロウズ入りしていたはず 表彰台乗った鈴鹿の時点でもうESPO(GEO)からの金が枯渇してて
亜久里のマネージャーが「鈴鹿に着いたらちゃんとランボルギーニのエンジンが来てるか確認してくれ」
とか言われてたんだっけ
亜久里が91ベネトンに乗っていたら、スポンサーの持ち込み料の多さからしてモレノのように外されることはあるめぇ
ネルソン・ピケットさんのインタビューって放送禁止用語てんこ盛りで
修正なしじゃ電波に乗せられなかったんだよね
でもどっちにしろ91年のバーナードのB191は糞車だったから駄目だわ
ピケと中嶋の差を見るにそこそこ迫れたとは思うがインパクトは残せない
結果的にシーズン終了を待たずして結果的にフットワークに落ち着いてただろう
>>909
ハーバートも勝ってるし、1勝くらい出来た気がする。
90年日本GPに星野がベネトンに乗ったら勝った気がする。 ピケは全盛期の川島なお美にインタビューされてご機嫌だった
>>928
勝つ前にアルボレートやワーウィックはボコっておこうや >>913
ドライバーがベストな選択をし損ねた訳ではないがワーウィックとロータスルノーにも不完全燃焼さを感じる >>927
B191はピケ曰く「こんなに乗りやすいレーシングカーは初めてだ」
あとシューマッハが乗ったバーナードの車で唯一ネガティブなコメントが無かったのがB191シリーズ >>932
でも結果残せなかったじゃん
似たような車だとFerrariの95年の奴だが、あれもドライバーがピケとシューマッハなら勝ちまくれただろう >>933
91年にフォードHB+ピレリでどれだけの結果を出せば糞車じゃなくなるんだ?
92年21p→95年73Pでもあんたの中じゃベルガーは開発に貢献してない事らしいが F92Aと412T2では何から何まで違うのでベルガーの開発能力でんでんの考察にまで至らない
B191は酷い車だとは思わないけどB192〜194と年々完成度が上がっていったから
相対的に評価が低くなる感じ。
下り坂のバーナードと天下のロリーバーンという対比もあるし。
B190からB191で突然黄色になったからたまげた
キャメルがロータスを見限って鞍替えしたからな。B189でもキャメルはスポンサーだったけど
面積は控えめだった。
B192に搭載予定だったんだよね
フォードは良い判断したね
軽量コンパクトのV8
マキシマムパワーのV12
バランスのV10
失敗スバル/モトーリ・モデルニのF12
狭角V6を2機くっつけた変態のライフW12
スバルはコンストラクターもコローニだったからね
あの結果は仕方ない
ライフといえば変態エンジンよりも逃げ出したゲイリー・ブラバムだった
今は何してるんだろうってウィキで検索したらゲイリーが本物の変態で驚いた
いつもブラバム息子たちがごっちゃになる
・ライフに乗っててすぐ逃げ出した人
・フォイテクの後釜か何かでブラバムに乗ってた人
・日産のCカーに乗ってた人
区別がつかん(´・ω・`)
明日からはオーストラリアグランプリだけど、アルバートパークよりアデレードの方が好きだったな(´・ω・`)
確かに
ゲーム持ってても、アルバートパークは開幕前に走り込む気に全然ならない
アデレードといえば89年の雨の中嶋
糞みたいに中嶋を冷遇してたピーター・ウォーがレース後に中嶋に微笑んだのが忘れられない
>>952
あそこで中嶋はずっとやりたかったセナの耳栓放り投げるのやったけど全然サマになってなくてワロタよ >>951
公道コースには夢があるな。
あと、シーズン締めくくりのイメージがどうしても強い。 >>952
ピーター・ウォーはあの時期はもうロータスを去っていたんしだゃなかったかな? 豪州GPはチェッカーくるくる回すおじさんまだ居るの?
アデレードをストリートビューで見ると、すごく懐かしい気分になる(´・ω・`)
俺は居なかったと記憶してるなぁ
ウィキ確認したら
「1989年にチーム社長のフレッド・ブッシェルがデロリアン疑惑で逮捕されると、シーズン途中に辞任してチームを離れる。」
だから少なくともロータスにはいなかったんだな。
中嶋がクソ扱いだったのは87年だけだろ。
あれはセナが望んだ体制で、チームもセナを手元に置くために受け入れていた。
88年以降は普通のナンバー2だな。調子よければナンバー1(ピケ)を上回ることもある程度の扱いはされてた。
レース後に雨に濡れながらも中嶋のとこまで寄っていって歓迎してたのはピーターウォーだった気がするが…違ったっけ?
>>949
北米日産のGTPは主には長兄のジェフが乗ってたけど
デイトナ24時間とか大人数が必要な時は他の弟たちが乗る事もあった。
デヴィッド→ブラバムやシムテックの人、ゲイリー→ライフの人ってのは覚えてるけど
2番目と3番目の順番が分からないのが問題だw
91年のインディ500で「終盤にエンジントラブルでリタイヤしたマイケル以外のアンドレッティ家が
全員病院送り」てのもあったが。
>>963
ロータス辞めた後FIAの偉い人してたみたいだから「ロータスには居ないけど現場には居た」
て可能性はあるんでは。
似たような展開の人にハービー・ブラッシュが居る
(ブラバム瓦解→ブラバム社屋の隣にあったヤマハの下請け会社の社長→FIAの偉い人) ブラバム兄弟はまだ何とか分かっても、アンドレッティ一族になると・・・
F1だけならマリオ・マイケル親子だけだがインディだと多過ぎて訳が分からなくなる
F1では糞遅かったよなあ兄ブラバムは。何で94年に戻ってこれたのか不思議だったわ
モデナと比べちゃったら遅いのは仕方ないって面もあったかと。
94年のシムテックでの復帰は、ニック・ワースがマーチ時代からモズレーとコネがあったとか
ブラバム家がシムテック自体を支援してたとかそんな事情があったとか。
とはいえ、このシーズンはエースらしい仕事をしてたと思う。
>>962
それはない
マシンはセナの時より良くなったが、扱いは同じ
スペアカーは使わせてもらえず、テストもままならず、挙句の果てにはレース中に自分でヘルメットを拭いてた
今でも思い出すのは、大川アナウンサーの実況「手ぬぐいを投げちゃダメです。」
だから、89年はアロウズ移籍を画策してたし、90年もあっさりティレルに移籍した ヘルメット拭いてくれって合図したらタオルがバイザーに飛んできたのは流石に悲しかったわ
>>969
スペアカーを使うことは少なかったけど、それはマシントラブルが少なかったからだな。
88ポルトガルだかでは再スタートで乗り換えなかったとはいえ、それは再スタートまでの短時間ではスペアカーを中嶋に合わせることが出来ず、直す方が乗り換えるより早かったから。
その年のオーストラリアでは予選でスペアカーを使っているよ。
89年も、フランスGP予選ではピケのクルマに乗り換えたりといった具合で、ナンバー2としてそれなりに扱われてたと思うが。 >>963
自己レス
あれはルパートマンワリングだったかも。 89フランスのロータスはジャッドCVにテックフォード製の5バルブ仕様を実戦投入してたような?
やっぱり使えんとピケがサジを投げたんじゃなかったかな?
>>971
90年からのホンダエンジン獲得を狙ってのことで、中嶋を評価しての扱いじゃなかった
これは息子のトヨタエンジンとウイリアムズとの関係と全く同じ
ドライバーだけで評価されたのは、可夢偉1人だけだ テックフォード5バルブの不発もウォー更迭に関係なかったけ?
違ったかな
>>973
そうそう。
ピケと中嶋に1台ずつ持ち込んだけど、どっちもトラブルが出て決勝までには2鯛とも通常のCVになった。
その後イギリスだかドイツだかで、ピケのみだけどTickfordヘッドのエンジン再び持ち込んだけど、決勝までには通常のCVに戻るとこまでフランスと同じ展開w。 >>974
そういうのこそ、通常のナンバー2ってものだろ。 >>937
バーンもニューイも空力追及型だったのにサイドポンツーン後方はがら空き
だったんだよな。それぞれバーナード後のベネトンB192、
ヘッド監視下のウィリアムズFW14でようやくフルカバー
になったのが今日に至る成功の源になったと思える。 >>974
イギリスF3チャンプでマカオウイナーの佐藤琢磨もドライバーとしての評価でF1に乗れたんじゃないか? >>936
ベルガーのツテでフェラーリに後藤さんが来たり、いろいろあったことを忘れてはいけない。 >>979
ホンダの力があったから、ジョーダンやBARにねじ込めた
フィジケラやバトンより遅かったから、評価としては中堅ドライバー以下の扱い 結局ゴリ押しでインディ500に勝ってしまうしな悪夢だわ
フェラーリでバーナードの失敗作を
グスタフ・ブルナーが奇跡的な改良したのっていつだっけ?
>>970
でも拭きに行ってる間にタイヤ交換が終わって交錯しちゃったら逆に危ないから
最初っからアレは「拭く物くれ」のゼスチャーで、中嶋シニアも別に
拭いてくれるものとは思ってなかったんじゃないかと。布巾なら終わったら投げ返せば済むし。
>>978
ミッションの形状によってはサイドポンツーン後ろを綺麗にコークボトルに塞ぐと
流れが詰まったり排気系に熱が溜まって良くないというケースもありまして。
横置きミッションだと幅が広がるのでこの傾向は顕著で、
むしろ後輪の手前に衝立状のスポイラーを立てる方がうまくいくという場合も。 中嶋悟は87、88年は試作車と言っても良い1号シャシーで走ってたイメージがあるんだけど、89年に関してはどうだったんだろう。
ロータス101に関しては余り紹介がないもので…。
パとレーゼはあのバーニー・エクレストンをして特段に腕の立つドライバーと言われ長いキャリアを支援した
89年のロータスといえば
車検が通らずリアウイングをノコギリで切断して車検通したよね。
>>989
88年の100Tは4台作って、開幕戦には3台。基本的にこの3台で1年過ごした。、
1が中嶋
2がピケ
3がスペア
その後4を中嶋用に作ったけど、3レースで引っ込めて終わり。
89年の101は
開幕で
1が中嶋
2がピケ
スペアカー無し
第2戦で3を投入してピケが使うも、すぐモナコで中嶋用になって以降中嶋用。ピケは2に戻る。
第7戦で4を投入してピケ用。
あとはそのままシーズンエンドまで。
スペアカーは2と1併用。 101の3号車が投入された89第2戦のイモラではピケも中嶋もトラブル続きだったので、
3号車をピケが使ったとの記載はあれど、本来の予定でも3号車がピケ用だったのかは少し疑問があるな。
100Tや101はそれぞれ4台製造されたのね。意外と少ないのな。
車体に深刻なダメージを負って使用不可になるような事故を起こさなかったからかな。
89年シーズンで5バルブ仕様のエンジンはヤマハのOX88だけだったのかな?
ザクスピードの体たらくとか見ても実戦じゃまだまだ使えなさそうと
他のチームは思ってそうだけど、ロータスだけが僅かな可能性に掛けてテックフォードに
製作を依頼した感じ?
ザクスピードはシャーシもエンジンも自製で頑張ってたよね
それが可能だったのもウエストというタイトルスポンサーのお陰なんだろうけど
ザクスピード・ヤマハは酷かったね。
ベルント・シュナイダーはDTMでチャンピオンにならなかった?
あの頃、フランスのAGSはタルキーニとダルマスで渋いドライバーだったね。
>>988
バーンがベネトンを一時離脱する前のB188〜B190は
既に細身のデフ前縦置きミッションだったので、それは当たらないと思う。
ニューイのレイトンハウスCG891〜CG901Bも同様。ウィリアムズもFW11シリーズ
はフルカバー、コークボトルエンドだったが、横置きミッション採用後の
FW12と13は後端解放型だったのでバーナードやヘッドの影響が大きいと感じた。
衝立はインディカーがサイドウィングのアップスウィープに合わせて早くから
採用していたけどF1では横置きミッションが廃れてから流行ったな。 lud20220917131348ca
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