メタラーってB級ホラーとかモンスターパニック好きそうだもんなあ
バーン廃刊になったら本気であああーって思うんだろうな
ヒッピー、マリファナ、インド哲学、シティ・ボーイなど、脱社会的なサブカルチャー族のバイブル的存在だった70年代。
パンク、テクノ、ストリート・ファッション、スケボー、ナイトクラビング、MTV、インディーズ・バンドなど、 まさに百花繚乱
なニューウェーブ&ポップ・カルチャーの情報発信基地だった80年代。 そして、ヘア・ヌード、テレクラ、ブルセラ、
イメクラ、お宝グッズなど、風俗の最先端を開拓しながら男性自身のツボを刺激しつづけた90年代。
こうして見返すと、テリトリーこそ変われど、まるで70年代以降の日本の流行史そのものだ。
それら流行の火種を、まだどこのマスコミも見向きもしない微かな頃から敏感に探り当て、
その都度盛んに風を送り込んで大火事にしてきたのが他ならぬ「宝島」だった。
「これだけその時代と密着した雑誌だと、世の移り変わりとともにその時代と心中してしまうのが普通なんです。
例えば80年代、『宝島』と並んでサブカルチャー誌の代表格だった『ビックリハウス』は、サブカルの終焉とともに
潔く散っていった。 読者をスッパリと切り捨てて次を目指した『宝島』とは対照的ですよね」法政大学の稲増龍夫教授はそう語る。
読者をスッパリと切り捨てて次を目指す。しかしこの、ほぼ10年刻みの「裏切り行為」の先に、新たな読者がついて来る
という保証はどこにもなかったはずである (それがあれば、どこの出版社も苦労はしないというものだ)。
しかしその都度「イチかバチか」一見破れかぶれの勝負に挑み、気まぐれな時代の流れのさらに裏をかこうとする度胸と
読みを持った雑誌、それが「宝島」だったというより他はない。
今から26年前、蓮見清一(現・宝島社社長)が石井慎二(現・洋泉社社長)と共に、
「宝島」の版権買収を焼き鳥屋で即断した時点で、この雑誌の持つそういう特異な遺伝子はもはや決定していたのだろう。
「1980年当時のニューウェーブ路線への転向期と同様、やはり92年以降のエロ化がきっかけで、
愛読者層はほぼ100%変わっているはずです」。 前出の法政大学・稲増龍夫教授がそう語るとおり、
日本雑誌界初のヘアヌード掲載に対して、それまでのポップ・カルチャー路線を支持した読者からは
猛反発を浴びた。
「宝島」内部のスタッフも次々と離脱した。それら非常事態になるのは半ば覚悟の上だったとしても、
編集部が大混乱に陥らないはずはなかった。 しかし逆の見地から言えば、「宝島」が目指す新路線
の性格を、まだ見ぬ新たな読者たちにアピールするためには、 「ヘアヌード」ほど強烈でしかも
わかりやすい信号はなかったであろう。 その証拠に、その後特集された「テレクラ情報」は早くも
大きな反響を巻き起こした。 実はテレクラ自体は、それまでにもごく一部の人々が愛好する
アングラ的な趣味として存在していた。 90年代、性別・年齢を問わず日本中に広がった
テレクラブームは、まさにこの時の掲載がスイッチになったといえる。
「初めてヘアを載せた時には『あの宝島がヌードなんて』と冷笑した大手出版社の週刊誌まで、
気付いてみたら臆面もなくヘアヌード花盛りになっていました」 宝島社社長・蓮見清一はそう語っているが、
「宝島」の路線が意外や莫大なマーケットを触発しつつあることを、他誌も目敏く嗅ぎ取ったのであろう。
ヘア掲載決断の折に、宝島社社長・蓮見清一が掲げた「特定の少数読者から、不特定多数読者の獲得を目指す」
大衆化路線への転向という目論見は、着実に実を結びつつあった。 そこへ来て、かの「ヘアの巨匠」カメラマン・加納典明
の逮捕という、騒然たる事態が勃発したのであるが、これは「宝島」編集陣にとっては、「やはり来るものが来たか」
という感があった。 実際この時、出版業界では「典明の次は宝島だ」という噂さえ流れた。
そもそもヘア掲載を決断した時から、編集陣には逮捕覚悟の心構えが十分にあった。
が、この一件以後、ヘアに関しては毎号、神経をすり減らしながらギリギリの線を模索した。
エロの最前線を開拓しながら、「宝島」が未だかつて一度も逮捕の憂き目を味わっていない裏には、
繊細かつ砕身の配慮と苦労があった。 とはいえ、最大の売り物であったヘアヌードは、もはやその頃、
キオスクで売られる一般の週刊誌でも掲載されるほど日常化し始めていた。
いつまでも「ヘア」が目玉でいられるほど、世の流れは甘くはない。 しかし「宝島」は、そういう時代の
ハイスピードぶりを相手に、心憎いほどしたたかな二矢・三矢を放っていく。
ヘアヌード掲載以降の「宝島」を指して、「あの雑誌は単なるエロ本に成り下がった」という人がいるが、
こういう経緯を見ると、「宝島」がエロという領域に踏み込みながら、実は社会的な影響をしたたかに与え続けてきたことに気付く。
「振り返ってみれば、80年代までは何とか『サブカルチャー』という概念が存続している時代だった。
なぜならそれが対抗し得る『メインカルチャー』が世の中にまだ残っていたからです。永らく『サブカルの雄』として
在り続けた宝島が90年代に入ってヘア掲載に踏み切った時点で、 それは『サブカルチャー』と『メインカルチャー』両方の
終焉を意味したんでしょうね」法政大学の稲増龍夫教授はそう分析する。
90年代、「エロ」の最先端を築いてきた宝島。「読者を裏切る雑誌」その本領がいよいよ発揮される
思えば「サブカルチャー」とは、世の中の権威を象徴する硬直した文化に反発し、風穴を開け、新鮮な空気を送り込む
ダイナマイトのような役目を果たす機能だった。 しかしそういう意味では、「宝島」が90年代に入り、革新的エロ路線に
踏み切った道筋も、まさに理が通ったものだという気がしてくる。 言い換えれば「宝島」にとっては、あくまでもそれまでの
ポップ・カルチャーと同じ役割として「エロ」を捉えていたのだと思えてならない。 或いは70年代の「ヒッピー文化」、
80年代の「パンク&ニューウェーブ文化」の遺伝子を引き継ぐ「過激・先端」の延長として「ヘア掲載」があったと
言えばお分かりであろうか。 いずれにせよこの雑誌を「単なるエロ本」という範疇で括ることは、既に発行部数が
40数万部を記録するという事実の前では到底出来ないであろう。
さて、この雑誌の性格としてもうひとつ、忘れてはならない重要なことがある。 それは人々が「宝島ってこういう雑誌だよね」
という常識を持った途端、アッと驚く裏切りぶりを発揮してきたという歴史である。 この誌面をお読みの方の多くもそうかも
知れない。エロ・風俗ファンはさぞかし残念がるであろう。 もうすぐ「宝島」は、エロ路線から完全に撤退する。
個人的にはみうらじゅんの漫画が雑誌を一段とチープに見せてた気がする
「〜はメタル」
これメタル板の雑談スレという位置づけなので
が、伸びるスレになるかは、なかなか難しい
山崎智之(YAMAZAKI666)もこの雑誌で記事を書いてるんだっけ
「1980年当時のニューウェーブ路線への転向期と同様、やはり92年以降のエロ化がきっかけで、
愛読者層はほぼ100%変わっているはずです」。 前出の法政大学・稲増龍夫教授がそう語るとおり、
日本雑誌界初のヘアヌード掲載に対して、それまでのポップ・カルチャー路線を支持した読者からは
猛反発を浴びた。
「宝島」内部のスタッフも次々と離脱した。それら非常事態になるのは半ば覚悟の上だったとしても、
編集部が大混乱に陥らないはずはなかった。 しかし逆の見地から言えば、「宝島」が目指す新路線
の性格を、まだ見ぬ新たな読者たちにアピールするためには、 「ヘアヌード」ほど強烈でしかも
わかりやすい信号はなかったであろう。 その証拠に、その後特集された「テレクラ情報」は早くも
大きな反響を巻き起こした。 実はテレクラ自体は、それまでにもごく一部の人々が愛好する
アングラ的な趣味として存在していた。 90年代、性別・年齢を問わず日本中に広がった
テレクラブームは、まさにこの時の掲載がスイッチになったといえる。
「初めてヘアを載せた時には『あの宝島がヌードなんて』と冷笑した大手出版社の週刊誌まで、
気付いてみたら臆面もなくヘアヌード花盛りになっていました」 宝島社社長・蓮見清一はそう語っているが、
「宝島」の路線が意外や莫大なマーケットを触発しつつあることを、他誌も目敏く嗅ぎ取ったのであろう。