ネプチューンマンのマスクは絶対にはがせないって事
マスク与えた弟子に指摘されて気づく武道ってアホなのか?
>>1 地下駅じゃなくて今のBIBIあたりに改札とホームがあったよ。
本線乗り継ぎする場合や西口から行く場合は地下道から行くんだけどね
旧客と気動車が頻繁に出入りしていた時代が懐かしいな。
仙台地区にキハ30系投入されなかったのは、わりと早い時期に電化が進んだからかな。
福岡や新潟のように都市地域内非電化路線が70年代にも残存することがなかった。
>>3 1925年(大正14年)に宮城県仙台市に設置された宮城電気鉄道の仙台駅は1944年(昭和19年)に鉄道省仙石線の仙台駅となり、1952年(昭和27年)まで存在した。
日本で初めての本格的な地下駅として知られ、ここに至る鉄道線は日本初の地下鉄道といわれる。
仙石線っていつ地上化したの?
昭和40年代後半使ってたが普通の地上路線だったが
あの長い地下道が駅跡だったんだっけ?
ところで過去は、中央改札を入ってすぐの場所に
イスがたくさん並んだ待合所があったよね?
大国鉄を感じたものだったけど、
あれっていつ頃の改装まで存在してたの?
>>9 俺はオタだから、583の名残をあれこれ面白がってたけど、
一般的にはどうにも”いずい”車両だっただろうなあ。
地上ホーム(仙石線ホーム)に行くまでに
仙台駅の東北線・仙山線・常磐線ホームとは違うところに
仙石線ホームがあったわけよ
そんで、東北線1番線とか在来線から乗り継ぐときは地下通路を通って
仙石線ホームに行くわけよね。
その地下道が宮城電鉄時代の地下ホーム時代の
まぁ、言ってみれば ”鉄道遺産”みたいなものなのよ。
それって、帝都高速度交通営団(東京メトロ)の銀座線より早い時期に地下ホーム
っうか部分的に地下鉄になっていたって言う話しな!!。
東京駅の京葉線東京駅はしゃーないが、仙台駅わざわざ不便にして悔やまれるな
阪急梅田駅と言い南海なんば駅と言い、昔の方が便利だったのはなんでだろうか
地上時代の仙石線側の出口から駅前に出たときのことが忘れられない。
あまりにも雑然と下町が広がっていて、ホントに仙台と思ったものだ。
>>15 東北線の地下をくぐってあおば通まで延伸したのだから、仙石線ホームが深い位置になるのは仕方がない。仙台地下鉄の下もくぐっているんだっけ。
乗り換え便利だが敷地狭くて拡張、改良しにくい例として東武浅草、地下化する前の目蒲線目黒。
七十年代、当時仙台在住のクソガキだった。
鉄道に乗る機会は年に数回、母の実家(山形)へ帰省するだけで、
親子共々鉄道には詳しくない。
駅の放送で聞く「じょうばんせん」が謎だった。
7番線(山形行き)と並んで、じょう番線(平行き)が有るのかと思い、
「じょう番線って何番線?」と聞いて母を困らせた。
正解は常磐線
仙石線東口は1980年代初めごろまで硬券の入場券を売ってくれた
仙石線1980年代初めごろまで吊り掛けモーター快速電車が爆走してくれていた
上野駅の19時発の最終特急ひばりに乗るのに、
田町駅(会社が終わるのが17時30分)から上野駅へ急いで移動して、電車ホームから更に混雑が酷い
上野駅構内を走って長距離列車ホームへと若かりし時だったがキツカッタ。
で、仙台駅に着くと薄暗い仙石線のホームへ(あの時代は半地下の通路)移動して
最終の電車で下馬駅へ
そこからは、もう路線バスもない時間なので金のあまり入ってない財布から
千円札を出してタクシーで実家まで帰ったわ。
あの頃のタクシー料金は覚えていない。
で、逆に夜行急行で帰省して仙石線始発で乗っても始発路線バスまで少々時間が
あったのでバス停で待ってるしかなかったわ!!。
1970年代後半期の話しね
国鉄の順法闘争(首都圏)が盛んに行われていた時代。
1987年に受験で仙台まで行った。
どうせ受からないと思い、模型屋巡りをしたw
ガメラ2で仙台が舞台となり仙台駅も映ったが、変わらない駅舎で懐かしかった。