怒りを鎮め達観する為に自らを落ち着かせる
無駄な時間を浪費した→極論人生において時間は全て無駄である
当初は期待していた→期待=理想なら誰がその『期待』に沿うことができる?
不満・怒りは全て理想郷を得たいがために『期待』していた事が不可能だった事による『無駄な』憤りだったんだ…
-自分を少しでも良いので『観る』ことですね、客観的に。
勿論、自分で自分を客観視するということはほぼ不可能に近いので、少しで良いんです。
少しだけ、自分中心の独善的思考から離れてみる。それだけで全然変わってくると思うんです。
一応、sage進行で進めています
理由は特にありません
なんとなく、です
このスレは自己啓発なので、自分(I)はできる(can do it)と思うことが大切です
というより、思わなければなりません
自分を啓発するためには、まず自分を最底辺におくことは禁じ手です
自身を上げるか、相手を下げることによって自身を最底辺から脱却させることこそが自己啓発においての準備です
言い換えるなら、『自分より下はいない』状態を心の中で造り上げるということです
自己啓発における前提条件は、自分(だけ)が最底辺になっていないことです
ですが、これは自分よりも下がいないということではありません
同率最下位でも良いのです
つまり、啓発するのに自分が周りの全ての生物より低い位置にいるって可笑しいだろってことですね
啓発する立場の人間は、極力上の位の立場にいる方が望ましいです
自己啓発本などに用いられる主な啓発方法は、「成功例」と「失敗例」です
自身の体験談、周囲の体験談を元に「成功例」と「失敗例」を挙げ、相手を取り込もうとします
なので、必然的に筆者によっては偏った意見になってしまうのも頷けます
要は、そういった体験談は無数にあるため、啓発方法も無数にあるわけです
スレの主旨とズレが生じてしまったような気がしますが元々そういったスレですね
また少し書き込みます
怒りを制御して力に変える、というのはあくまでも漫画や空想世界での話です
実際は怒りで我を忘れた後に自我を取り戻す事は大概不可能で、我を取り戻した時はもう手遅れな事が多いです
なので現実世界では怒りを抑え自我を取り戻した上で行動を行うのが一般的です
火事場の馬鹿力は基本ないものと捉えます
とある哲学のようなものに目覚めました
『普通』とは何でしょう
一般的良識から外れすぎないように人間を誘発するための基準とも言えますし
また「仲間外れ」を作るための基準とも言えるでしょう
そう考えると『普通』ほど「少し変わった人間を徹底的に虐め抜き輪から外す」言葉はありませんね
『期待』ってアレですね
何やら
障害者に対して(行動A)をやらせようとするのと一緒ですかね
かと言ってそれを「障害者に対してやらせるのは可哀想だよ!」というのもまた逆に可哀想ですし少し知能を持っている障害者がこの話を聞いた場合激しくムカつきますよねこれ
だとしたら『過度な期待』とは真の馬鹿にしか機能しないのではないでしょうか
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