初詣は熱田さんを皮切りに、針名神社と原の中山神社行ったが、近頃はどこも混んでるな
いつもは全く誰もいない中山神社まで、他の人に出くわしたほどだからな
>>5
1/2は晴天に恵まれ、初詣日和でしたね。
初詣のハシゴとは、商売のご関係でですか?
原の中山神社には、どんなご利益があるのですか? 行ったのは昨日で、ハシゴはいつものこと
中山神社はご利益関係なく、近所なので挨拶に
大須観音、昼頃行ったら仁王門通りのだるまや(人形やぬいぐるみ売ってるとこ)まで並んでた
平成最後の初詣は好天にも恵まれ三河地域の豊川稲荷には、
1/1だけで50万人もの人出があったんだね。
正月3が日の三河一宮砥鹿神社、二宮知立神社、三宮猿投神社
各社の人出は、いかほどだったのかな?
”日本三大稲荷の一つ、豊川市の豊川稲荷(妙厳寺)に元日から大勢の初詣客が詰めかけた=写真。
豊川稲荷によると、晴天にも恵まれ、元日の人出は例年並みの五十万人だった。
本殿前には多くの人が長い列をつくり、商売繁盛や家内安全などを願って・・・
安城市美園町から家族八人で訪れた渕上安文さん(67)は「今年も家族みんなが健康で過ごせる
ことが一番」と願い、孫の唯人君(12)は「春から中学生になるので頑張りたい」と・・・・・・”
豊川稲荷で元日の初詣50万人 中日新聞 2019年01月03日
http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20190103/CK2019010302000044.html いつも地元の神社にしか行かないけど
気まぐれで1日に大須観音行ったらものすごい人すぎて素通りしてきた
何分待ちだったんだろう
私は地元の神社は無視して小牧犬山方面を参拝しております
真清田神社は偶に参拝する事も有りますが
木曽川町と奥町の神社は氏子連がチンピラ過ぎて排除しざるを得ない
神主も居なくなり20年前に自動車安全祈願も人材不足で休止
大手神社(真清田神社以外かもしれないので断定出来ない)から大祭行事に神主を徴用して
数少ない近所のまともな氏子たちでほそぼそ運営と修繕している模様です
一宮競輪場の体たらくぶりといい戦後威張り散らした繊維紡績成金どもが
地元の伝承神社を道具扱いして駄目にした罪は
誰が責任負うのでしょうか?
熱田さん行ったら一の鳥居と二の鳥居の間で屋台やりまくってて煙もくもく
参道で立ち喰いポイ捨て何でもありみたいな感じだった
何あれ名古屋では聖なる領域に俗を持ち込むのスタンダードなの?
ポイ捨てなんか無かったし、お祭りとか行ったことない奴か
境内に屋台を出すような神社は町内会の夏祭りとかじゃないのか?初詣ってそんな俗っぽい感じだった?
そうは言っても鳥居の内側だもんな
明治神宮なら考えられないような
明治神宮は新しい神社だからな
本来神社とは生活に根差したもの
>>18
本来神社とは生活に根差したもの?
神を祀るというのは、日常生活でなく非日常行為なのでは? 祀るのは神職な
住民にとっては生活の一部であり、身近なものだ
お前の様な奴を一知半解という
>>24
弘法大師も伊豆などの東国巡錫の帰途、知多半島に上陸して熱田神宮を目指しているから、その伝説を無理矢理パクッたのでは? 3/6夕のNHK総合『まるっと!』で、以下を伝えていた。
奥三河北設楽郡東栄町の花祭りのうち布川地区では、
過疎化でこの3/2-3に行われたのを最後に打ち止めと。
中山間地の過疎化は、こういう面にも表われるんだね。
”愛知県奥三河の15カ所で演じられる民俗芸能「花祭り」(国重要無形民俗
文化財)のうち、同県東栄町中設楽の布川(ふかわ)地区が、今年3月を最後に
祭りの休止を決めた。過疎高齢化が進み、存続が困難になった。
かつて50を超えた布川地区の世帯数は、現在14。うち7世帯が一人暮らしだ。
祭りに携わる10人のうち、6人が80歳以上・・・・”
東栄・布川地区の「花祭り」今年限りで休止 中日新聞 2019/01/18
http://opi-rina.chunichi.co.jp/topic/20190118-4.html 県内で日本武尊伝承のある神社には以下の諸社がある。
熱田神宮・氷上姉子神社・船津神社 −−−尾張地方
知立神社・矢作神社 −−−三河地方
上記尾張地方各社は、近畿からの古代伊勢湾海上交通の寄港地として
理解されるが、三河地方2社の伝承は、日本武尊東国遠征の際に
西三河地方を陸路で進んだことを意味しているのか?
東三河地方に伝承地が見られないのは、何故なのだろうか?
事の善悪はさっぱり理解できませんが
尾張地方の某山岳神社の本殿改修費を小額ですが寄付して来ました
嫌いな地元縄張りは無視して自動車で1時間かかる神社に寄付
私は縄張り破りのクズ人間でしょうか?
皆様方に幸運が訪れますように
>>30
遅レスにも程があるが、その番組でその剣は形代だと解説してたはず 学生の諸君、↓の神社には就職するなよ、オジサンとの約束だぞ!
就職してはいけない神社 愛知県編
I八幡宮 大量退職(クビ)有
S八幡宮 首切り神社
W八幡宮 今の宮司になってからダメ
I天満宮 同族糞神社
I神社 同族糞神社
T神社 強烈ブラック労基介入神社
K神社 同族糞神社
上記、全て旧諸社
番外編
OS神社 本庁包括外、創建三十数年なんちゃって神社
どうせ書くなら実名にしてよ
そんなんじゃ該当する神社いっぱい出てきそう
>>28
>日本武尊東国遠征の際に
>西三河地方を陸路で進んだ・・・・・・・・・・
否、南関東地方への当時の交通路は、ヤマト王権拠点の熱田神宮から尾張
熱田台地南端の船津から海路を駿河国焼津へ東上したものと思われる。
なお『記』が焼津を相武国(相模国)と誤認した原因を海上からの観点と
みる考察もあるようだ。
”大脇由紀子「『古事記』倭建命の東海道;物語を多元的に考える」『多元を生きる』(中京
大学文化科学研究所、2011年)に・・・『古事記』は「相武国に到りましし時」とあり、文脈に
従えば尾張国(恐らく熱田)から相模に向かった延長上の港津が「焼津」であった。本来焼津は
駿河の国に属す。『古事記』の表現者に「焼津」が駿河国であるという認識がなかったのは、
陸上の感覚ではなく、海上の感覚だったからではないか・・・・・・・”
ヤマトタケル野火の難(「焼遺」=焼津か?) 其の一 2015年08月01日
https://blog.goo.ne.jp/katodesuryoheidesu/e/37ff252cd90b08305554f32653ec98c8 >>34
大学に求人出すような神社なら、そうそう該当ないと思うぞ >>37
そんなの裁縫関係を生業としてる人たちの村だったんかもしれんじゃん >>21
元は祖先とか不慮の死にかたした人を慰めたり崇めたりするためのもんだったんだよ、御神体の山とか岩とかはあの世に近い場所とされてたから拝まれた
あの世から村を見守ってもらってる考え方だったんだよ
最初から神という概念があったわけじゃない >>38
裁縫関係を生業としてる人たちの村?
延喜式が制定された延喜年代の古代尾張國山田郡に裁縫関係を生業と
した聚落があったとは考え難いのだが。
なぜならば裁断縫製された衣服の需要は、その専従者を生むほどは
なかったであろう。恐らく京洛の地でも。
律令制の「租庸調」に定められ当時は貨幣の役割も担った調絹・調布と
いった織物・反物の需要はあっただろうがね。 例えを言っただけなんだから自分で考えればいいのに…
織物や裁縫が無関係なら単に年一の男女の闇祭りみたいなもんに力入れてたとか
元は別のもの祀っていたのを何らかの理由で七夕で隠してるとか
自分で考えて自分で調べてはどうでしょうか
>裁断縫製された衣服の需要
>裁断縫製された衣服の需要
なんかアスペなのかな
そもそも七夕様が何なのか分かってないのか
愛知がどうだったかは知らないけど
昔の村には若衆組とか若者組とかいう男子宿があったように、娘組とか女組とか処女会とかいう女子宿の集まりがあって、そこで糸巻きとか針仕事とか女の仕事を学んだ
仮に女子の多い村だったなら針供養と技能上達のために村で七夕さん祀ったって不思議はないと思うけど
昔は女なら誰もが裁縫したんだし
>>37
そこ式内社で権力が関わってるし社殿も移転してるし創建不明だから、村人に本来まつられてた神様は摂社にいる可能性が高いと思うけど >>37
祭人から考察
天之多奈波太姫命(織姫) ←これ瀬織津姫では?
天照皇大神 ←瀬織津姫の旦那では?
応神天皇 ←恐らく摂社の八幡社
大山津見命 ←恐らく摂社の山神社⇒実際は山王信仰?
素戔嗚神 ←恐らく摂社の津島社⇒牛頭天王
大己貴命 ←なぜ?諏訪信仰?摂社の金刀比羅社?
この神社は信長に焼き討ちされてるらしいから、当時は諏訪信仰とか山王(日枝日吉)信仰が全面に出ていたのでは?
式内社になったのは、その後で藩領になってるんじゃない?太閤検地とかで。その時に応神天皇祀らされた的な ほとんどの七夕関係の神社で、七夕伝説は後付けな気がする
田端の織女と小田井の牽牛という伝説を謳ってる星神社が上小田井にあるけど、そこは妙見信仰だったんじゃないかな
>>47
>七夕伝説は後付け・・・・・・・・
どの時代に誰が、何の為にですか? 本来の祭神を隠すためでは
後付けの社殿なんて幾らでもあるし
>>34
>>36
ブラック神社からの求人、大学にいっぱいあるぞ。
ポイントは、神職10人未満で毎年のように求人出してる神社。特に民社
最近は大学に求人かけても評判悪すぎて応募無いから、上にあるようにハロワやホームページ上で無資格者O.K.で募集してたりするけどな 熱田さん
豊橋からわさわさわ
天理教の
こんどうふうふ
出入りしてるから
気をつけろ
>>54
デブの国府の話なんかどーでもえー
一宮すげーな 荻野目洋子が来るのかよ! >>55
ダンシングヒーローのおかげだな
あれが盆踊りの定番なのは愛知だけだったんだね
たまたま踊りの偉い先生がダンシングヒーローが好きだったからとかその程度の理由らしいけど
我々は奥三河の花祭や三河湾沿岸部の海中山車みたいな祭礼の産まれた瞬間に立ち会ってるのかも
100年後くらいには民俗学とかの研究対象とかになってるかもね >>28
『紀』が日本武尊の東征同行者と記す尾張に地縁のない
吉備武彦や大伴武日が祭神として祀られた龍神社が
熱田神宮境内に摂社として坐すのは、
日本武尊の東征軍進発拠点が熱田神宮だった
からではないだろうか? >>28
県内神社社伝の日本武尊伝承に従えば、三河地方を岡崎から三河山間部に
入り、浜名湖岸まで陸路進軍したことになる。
尤も船津神社伝承では熱田台地端の船津から海路東進とあるから、東国平定
東進部隊は海陸両路を進んだことになる。 今年も「花まつり」の時節になった。下示ニュースのように
本来は深夜の祭儀を日中に観覧できるんだね。
ところで「花まつり」は、各々聚落の寺社の祭りなのか?
”愛知県奥三河の東栄町に伝わり、国の重要無形民俗文化財に指定されている「花祭」の
魅力を伝える催しが開かれました。この催しは、11月から町内各地区で開かれる東栄町の
花祭について広く知ってもらおうと、毎年開かれ・・・・
最大の呼び物は、「榊鬼」という舞で、真っ赤な鬼がまさかりを振り回し、五穀豊穣や
無病息災を祈るというもので、訪れた多くの人たちが喜んで見ていました。
岐阜市から訪れた夫婦は「花祭の本番は、夜遅くに行われるものが多いので、こうした
イベントで見ることができてよかった」と・・・・・・・”
愛知 東栄町 花祭の魅力伝える 2019/11/04
https://www3.nhk.or.jp/tokai-news/20191104/3000007533.html >>60
>本番は、夜遅くに行われるものが多いので、
そう。本番は、夜遅くに行われることが多いよな。 日本武尊がこの地方に来た頃は熱田神宮はまだなかったんじゃないの?
火上山に天叢雲剣を預けて伊吹山で遭難した
東征へは陸路で向かったのはあってると思うよ
船津神社から海路をとったのは途中で命を落とした建稲田命でしょ
>>62
熱田神宮はまだなかったんじゃないと言われるのは、
後世に日本武尊という代名詞然とした名で呼ばれる
ヤマト王権の東国征服軍将軍がこの地方を東西往来
当時は、「元熱田」と称される緑区大高の氷上姉子神社が
東国征服軍の宿営基地だったとの見地なのですか? >>64
単純に熱田神宮の創建が尊の死語だからだろ 書き込めてるのに書き込めなかったと出るのはマジやめて欲しい
あけおめことよろ
大晦日から腰痛で寝正月
初詣は元日は行けず
>>64
ヤマトタケル異聞。
・・・・・尊は熱田の宮簀媛(みやずひめ)との「婚約」という支援を手中に納め、東国の服(まつろ)わぬ
人々を従わせに東北のどの辺りまで行ったのか、旅の真相は何なのか、その途路にどんなことがあったのか、
各地の伝承はどういったことを語っているのかを所々で探ってみたい。
今の房総半島で船を下りた尊は千葉県、茨城県へと歩を進め始めた。
『常陸国風土記』には「倭武天皇の后が大和から下って来て、二人が出会った地を安布賀(あふか)の村と言う」とある。今の潮来市大賀辺りを言うが、北浦の対岸鹿嶋市には古くからの製鉄関連遺跡が沢山・・・
125 日本武尊伝承 おはなしの解説1 2008年4月12日号
http://www.weekly-ueda.co.jp/tethu/back/main22.html 2/6恒例の「国府宮はだか祭」が催行されたが、色々と
不思議な行事だ。大國霊神社公式HPによれば8世紀
からの伝統行事とあるが、
なぜ褌だけの裸身で参加するのか?
なぜ儺追人に接触すると良いのか?
【まつり】「ワッショイ、ワッショイ」はだか祭で厄落とし 裸男8000人が神男
(しんおとこ)目がけてもみ合う 愛知・稲沢
http://2chb.net/r/newsplus/1580987097/ >>70
横だけど全部読んじゃった
語源系おもしろかったわ >服(まつろ)わぬ人々
こっちの漢字だと露出狂の画が浮かんでしまう
>>73
韓国語を持ち出すのは100パーとんでもだぞ
そもそも古代韓国語自体が不明 これ以上スレ民が間違わないように両方のスレに書くが、「古代韓国(朝鮮)語」なるものは、日本書紀に断片的に記されるのみである
つまり、少ない材料を自在に駆使して、いくらでも恣意的な解釈が可能ということだ
おもしろいと言ってるだけのレスに
上から水を差して何がしたいんだ?
とにかく過疎らせたいのか?
反論があるなら自身の見解を述べればいい
ただの否定老害は一人ブログでやれ
とんでもはとんでも
それを拡散させるのもとんでも
面白くもなんともない
>>75
韓国語由来100パーとんでもは、言い過ぎ.
海(ワタ・パタ),村(ムレ・スグリ)など同源大和語がある。
古代韓国語と書くから怪しげに聞こえるが、
新羅語・高句麗語・百済語のことで、製鉄・織物等当時の先進文化の多くは、
これら三国経由で舶来したのだから、現代人の使う欧米語由来外来語同様に
三国語のまま受入れたであろう。
大和語の「ひーふーみーよー」系統数詞は、高句麗語由来と何かで読んだ。
「一人・二人・三人・四人(ひたり・ふたり・みたり・よったり)」の
助詞「たり」が、何由来なのか推測するのも楽しいですよ? 熱田に関するさまざまな文献を読んだ
関連しそうな近隣の寺社や国についても調べた
時代背景や権力変遷も確認した
ここの信仰のベースになってるものが分かった
でも、このスレに書くと荒らされそう
>>79
パダ→わたなどは、所謂借用語で、
日本語の文献が外国語で解けると言うのとは根本的に違う物
怪しげに聞こえるのではなく、全く関係ないと、20年も前に結論が出ている >>81
とっくの昔に、完膚無きまでに否定し尽くされている妄説を蒸し返して、垂れ流すことこそ荒らし この叩き要員っつかスレストッパーまじで何なん?サークルクラッシャー気質?
日本語の中に最も入り込んでいる外国語は漢語、つまり古代中国語で、正史である日本書紀は漢文で書かれている
従って、日本の古典は中国語で説明できる
と言ってるのと一緒
そういう屁理屈で糾弾するスレじゃないし
ただの2ちゃんねらーが語り合うだけのスレ
気に入らないなら住民に頷いてもらえるだけのレスを自分がすることだ
それができない負け犬だから無駄に吠え続けてんだと思う
負け犬はお前らだろう
何かを説明できる程、古代の半島語のサンプルは存在しないという事実だけで、
>>70のサイトがとんでもだと断定できることもわからんボンクラが 漢字や仏教は中国由来だけど、日本に逃げ込んできた集団は中国からに限らないんだが…
百済と新羅の落武者的な氏族ばかりだよね?
半島にある日本領にいた人たちだってそっちの言葉を覚えて帰ってきてるよね?
熱田だけに視界を狭めてないで、世界史日本史を学び直したほうが良いんじゃないのか…
突っかかった立場で引っ込みつかなくなってるんだろうけど、さすがに言ってることが「気に入らないから個人的感情で蔑んでやる」というイジメ的な悪意にしか感じられない
>>70は、他のページの話も面白かったよ
>>71
そういや行かなかった
どんどん、どんど、と呼ぶ地域が多い中で、中京圏は左義長?三鞠杖?鷺鳥?という呼び方することに興味をそそられる あと韓国南部には日本にあるのと同じタイプの古墳
>>89
その新聞社にクレーム出せば?
もちろん古い言葉が100%分かってるわけじゃないが、それは日本語も同じ事
だから研究者や個人があらゆる地名人名などから推測したり比較したりしてるんでしょうに
ある程度は地名人名から推定されている言葉もあるのに、お前は100%じゃないものは全て否定するのか?
頭おかしいんじゃねえの NGword
ボンクラ
トンデモ
荒らしは相手にしないように
ただの朝鮮アレルギー
相手するだけ無駄
>「アカギ」を古代韓国語に代入すると「最高磨ぎの城」と読める
実際判明しているのは城(キ)のみである
それもただのこじつけ
>「べ」とは古代韓国語で、「布」の意があると学んでいる。
>着物は布と布を縫い合せた物であるから、「べ」と「べ」を重ねて「べべ」と言ったのであろう。
>幼児語の中にもしっかりと古代韓国語が残っている
全く根拠を示していない
>昨年10月に「李寧熙後援会会報」が届いた。
>それによれば、「あずま」は「片田舎」の意で「はや」は「伐る」の意だと知った。
決定的な記述である
なんと30年前(20年と言ったのは勘違い)に完膚なきまでに論破し尽くされた、李寧熙(イ・ヨンヒ)氏の残党であった
言語学者の小松格氏は、以下のように述べている
「李寧熙氏は『もう一つの万葉集』とその続編『枕詞の秘密』のなかで、『古代韓国語では・・・』を頻繁に使っているが、
それらはほとんど現代韓国語である」
とんだ「幽霊の正体見たり枯れ尾花」である
言うまでもなく、「片田舎」や「伐る」に当たる「古代」半島語など誰も知らない
>『紀』の景行天皇の項に、一日に同じ胞にして双児が生れた。
>天皇、「碓」と叫んだ。二王、名づけて大碓、小碓と言う、とある。
>景行天皇は「うす」と叫んだのではなく、「ガル」つまり双児だと言ったのだと、李寧熙先生は解読しておられる。
遂に文献に書かれてもいないことを言いだした
もう何でもありであって、呆れてものが言えない
因みにうすとは、妻のお産の苦しみを味わうため、その間夫が臼などの重い物を抱えて過ごす風習が当時あって、
双子なので倍の時間持たねばならず、思わず「コンチクショウ」と、抱えた臼に向かって叫んだということである
・盛り上がってる場に水をさす
・いちいち好戦的
・あまりにも粘着しすぎ
・いちいち長文
・攻撃ワードが汚い
・分かりにくい
・どこかのコピペ臭い
・誰かへの否定レスオンリー
・自発的な自分の考察は皆無
・人間性の問題
・結果的に荒らしている
↓
まったく読む気がしない
>>97の「抱えて」は「背負って」の間違い(岩波書店『日本古典文学大系日本書紀上』頭注)
なお、原文は勿論漢文なので、「『碓』と叫んだ」と読めなくもないが、通常ここは「碓に(向かって)叫んだ」と訳されている
つまり何も勉強していない
>>99
似非学問の拡散を阻止するためにやっているのであって、お前のような低能は相手にしていない >>82
>パダ→わたなどは、所謂借用語・・・・・・・
借用語というのは、窯(かま)や鍛冶(かぬち)といった
主に導入外来技術を表わす用語をいう。
海(わた)や畑(はた)は、借用語でなく同源語ですよ。
>怪しげに聞こえるのではなく、全く関係ないと、20年も前に結論が出て・・・・・
朝鮮語と大和語が全く関係ないと20年前に示したというのは、誰のことなの? >>101
違います
先祖や子孫など、外国語をそのまま使っている言葉を言います
海は「うみ」というれっきとした大和言葉があり、「わた」は言わばスカした言い方と言えます
また、計量比較言語学の手法により、上古日本語と中期朝鮮語は、上古日本語とインドネシア語より隔たっていることがわかっています
勿論、○○学と名付けられている以上、複数の学者による物です(安本美典『新・朝鮮語で万葉集は解読できない』参照)
なお、20年は間違いで、30年前です >>92
>地名人名などから推測したり比較したり・・・・・・・
下記参河國・尾張國式内社の社名は、どのような語義なのだろ?
日本語には聞こえない。何語由来?
一宮砥鹿(とが)神社、
二宮知立(ちりふ)神社、
三宮猿投(さなげ)神社
日置(ひき)神社 <愛智郡> >>91
どんど焼き、左義長と同種行事に異称があるのは、伝統民俗行事に特有の
謂わば方言の如きもの。
国府宮はだか祭>>72の淵源行事名に、以下名称があるように。
追儺(ついな)、儺負(なおい)、大儺(たいだ)、鬼遣(おにやらい)
なお左義長は後世の当て字で元は、三鞠杖(さぎちょう)だろう。
他方「どんど」の転訛前の語は、何だったのか? >>103
全て日本語
砥鹿→栂(とが)の木(同じ字のツガの別名。マツ科の常緑高木)から
知立→古い表記は池鯉鮒で、池で鯉や鮒を飼っていたからとも言われるが、本当は、蔓が生える土地という意味のツルフの転化
猿投→鑽(さな、穴をあける道具、またはその行為)来(き)で、鍛冶技術者の渡来地
日置→垂仁紀にも登場する日置部由来だが、語義としては、日祀(ひき)説が有力 鑽(さな)は日本語じゃないか、漢語の鑽(さん)の音韻変化だな
サ始まりはヤマト言葉にも多いけど
渡来した漢字由来と言うなら中国語由来になるじゃん
それに鉄関連のサ始まりは朝鮮由来かと言われてる
どれなのかは言語学者じゃないと分からないんじゃない
>>107
だから日本語じゃなくて漢語だったと言ってるだろ 「日本語じゃないか」
これが誤解を生んでる
日本語ではないなという否定にも
日本語だろうという意味にもとれる
後者なら「か?」「かな?」で終わるべき
前者だから疑問符をつけなかったわけだが、
「にほんごじゃないな」と書くべきだったか
お前ら春分の大須観音は水子供養やるぞ
www.osu-kannon.jp/gyouji/index.html
荒らしの最後っ屁キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
クラウドファンディングやってる書道の集まり、あれってどうなの?
>>115
最後の方見てたけど、24時間切る時点で達成率60%からの追い上げ…
あとは分かるな? ボク雇われ神職
コロナの影響で祈祷件数減少外祭取り止め続いて宮司がボーナス無しだリストラだって騒いでる
まずはお前のニート息子をこの世からリストラしろよ!
大須観音の骨董市も中止
www.osu-kannon.jp/
>>117
特定されるぞ・・・と思ったが、思いつくだけでも5社はあるな・・・ 先月4/19のNHK大河第14回に信長と道三会見場面があったが、
会場の聖徳寺という寺は現存するのかな?
54日曜8時の名無しさん2020/04/20(月) 06:43:48.34ID:xM1KZYWV
信長の時代には木曽川は岐阜県羽島市の西を流れていてそこが美濃尾張の国境だったのに
信長と道三が会見した国境の聖徳寺が現木曽川沿いの一宮市冨田大堀にあったのはおかしい
信長公記には信長は木曽川を渡ってきたとあるので・・・・・・・・・・・・・・・・
【2020年 大河ドラマ】麒麟がくるpart84
http://2chb.net/r/nhkdrama/1587310062/54- >>105 >>107
>猿投→鑽(さな、穴をあける道具、またはその行為)来(き)で、鍛冶技術者の渡来・・・・
下示新羅語由来の鉄関連のサ始まり>>107語の一つなのですね?
鉄鐸(さなぎ)・錆(さひ)・真田(さなだ)・・・・・・
「鑽」の訓読みは「さな」でなく「きり」or「たがね」なのでは?
関西本線の伊賀佐那具(さなぐ)駅名も猿投同様由来か? サナキ(鐸)…大鈴の形をした祭祀道具
古語拾遺「天目一箇神をしてくさぐさの刀、斧及び佐那伎(サナキ)を作らしむ」
猿投(サナゲ)神社や大分市の佐柳(サナギ)では鎌などの鉄製品に関する神事があるという(私は未検証)
三重県上野市佐那具(サナグ)町は古代百済から渡来した佐奈宜氏を祖とする人々の定住に由来すると言われるらしい
地名来歴集によると
1鉄を示すサナ
2その用具のササナキ(細鳴)
3幼虫時のサナギの状態と鈴の同形状から魂の籠る状態によるもの
と記載されている
神話にある「草薙の剣」こっから来てるんじゃないの
ク・サナギ(クは未考察)
>>128は>>126へ
ちなみにサ言葉は田んぼにも関係ある言葉が多いよね
製鉄と稲作に何か関係があったんだろうか
スサノオの製鉄でアマテラスの田んぼ壊して兄弟ゲンカに発展してる神話あるし、製鉄民と稲作民は水と油のような気がするけど
例の一部
・桜(田植え時期)
・五月女(田植え女)
・讃岐(米どころ) >>128
>鎌などの鉄製品に関する神事がある・・・・・・・・・・・
左鎌奉納神事のある猿投(サナゲ)神社は元来は猿投(サナキorサナギ)神社だった
ろうということですね。
豊後国大分郡旧中戸次村佐柳(サナギ)の方の神事ですが、神社名は何でしょうか?
>ク・サナギ(クは未考察)・・・・・・
スサノヲがヲロチから得た「草薙の剣」は「ク・サナギ」の合成語とすると
「ク」はどういう語義なのかしらん?うーん >>128
鉄関係のサ言葉というと『紀』天武天皇段に登場する尾張国司守小子部連
鉗鉤(サヒチ)という壬申乱時に大海人皇子側に帰順した人物がいる。
名の「鉗」(サヒ)は刃物、「鉤」(チ)は釣り針の意で、偶然なのか
「チヒサ」・コベノムラジ・「サヒチ」と氏名が回文である。
大海人皇子側の勝利後に自殺をとげる謎の人物である。 戦国時代の尾張弁は中央に通じないから通訳が必要と聞いたことがあるんだけど、
サナゲ、サナギ、サナグ、が同一のものを指しているなら訛りの範囲なのかもしれんね
サという接頭辞はあるが、クは聞いたことが無い
クサナギはクサ・ナギで、臭い蛇、つまり八岐大蛇のことだって説が、岩波の書紀の補注に書いてある
クシナダ姫ちゅーのがいるけど
クサナギ剣と語感が似てるねそういや
奇稲田姫は、読んで字の如く奇しき稲田、つまり田んぼだろ
>>133
>クサ・ナギで、臭い蛇、つまり八岐大蛇・・・・
おいおい古語「臭し」の語義は現代語と違って<怪しい・似ている>で
においの形容語義はないぞ。 >>137
すまん、ちゃんと読んでなかった
糞と同根で、猛烈で手の付けられない性質をいうと書いてあった >>136
えーと
古い言葉は音の方に意味があって、そこに漢字が「当てられて」るんだよ
漢字からのみ意味を探っても本質にたどり着けない >>135
古い時代はハクションしちゃった時に、勢いで魂が出ちゃいそうなのを悪い鬼が持っていっちゃうヤベーみたいな観念があったらしい
それでハクション後にエンガチョ的な意味でクサメクサメって唱えたというのは有名な話だけど
これは糞食らえのニュアンスで「糞食め(くそはめ)」その転訛がクサメっていう説がある
前置きが長くなったけど、
糞サナギでクサナギ、糞イナダでクシナダ、ありえるかもなーと思ったと言いたかった
クシナダの地元は製鉄関連の遺構が見つかってるよね
鉄くずのことを金糞(かなくそ)と言うけど、スサノオがアマテラスんとこの田んぼを壊したり糞で汚したってのも農地vs製鉄(かんな流し)の話だったよね
kusで始まる名前は鉄くず関係なのでは やたら愛知に多いけど
・ヤツルギ系(八剱神社や八剣宮)
・シャグジ系(社宮司や御作神など多数)
これらは諏訪ルーツなのかな
>猿投(サナゲ)神社や大分市の佐柳(サナギ)では鎌などの鉄製品に関する神事があるという(私は未検証)
鎌を使った神事と言えば、稲が夏の台風にやられないように鎌で風を切る(おまじない)という意味があったはずで、どっちかっていうと稲作地域じゃないのかしらん?
この時期における風の神事は普通かざまつり(風祭)と言って、お堂に台風がやむまで籠って精進するんだって、そして古来は生贄の皮を剥いで奉納したという(これスサノオの罪の1つだね)
鹿の背中に斑点が出るのもちょうどこの時期だよね
ふいご製作には鹿皮が使われたというし色々と繋がって見えてくる感じがする
どう考えても、アマテラスの織屋に投げ込まれた「逆剥ぎの天斑駒」は鹿だよなあ、当時の日本には馬いなかったし
その後で岩戸にお籠りになったアマテラスも含めて、なんか風祭みたいだねえ…
あとイザナギも、イ・サナキだったりして
猿投神社からここまで話が広がるとは
一番有名な説だからって鵜呑みにしてる人なんなん
説であって決定じゃないんだが
>>139
語源辞典いろいろ見ると、は?っての多いね >>145
だからって、根拠の無い妄想はそれ以前の問題 >>143
>イザナギも、イ・サナキ
そうするとイザナミもイ・サナミでなければならず、サナミってなんだよってことになる
だったら、勇魚ギ、勇魚ミの方がよっぽど気がきいてる >>144
そうでもない。能登七尾市には奇稲田姫命を御祭神とするんだが、
社号は「久志伊奈太伎比盗_社」と表記する古社がある。
読みは「くしいなだきひめじんじゃ 」。当て字表記の方が古伝なのだろう。
「ひめ」の前の「き」は不詳。奇稲田姫は元来はクシイナダ「キ」ヒメだったのか? >>149
万葉仮名自体は訓読みより古い表記だが、だからと言って古伝とは限らない
古めかした挙句に神名を間違えてる可能性も否定できない
訓読み表記の場合、大抵は天照大御神のように、神名を相応しい漢字で表記している >>147
様々な学者が論じている説の数々は総じて妄想なのか…? >>148
うまいこと凪と波で対に出来たつもりなんじゃないか
男女ペアの神の名って、どれもそんなもんだし
ミとかヒメとか付けておけばそれっぽくなる >>151
学者が唱えてる説の大半は根拠が無いと?
>>152
イザ・ナギ、イザ・ナミなら良かったんだけどね >>139
地名なんかも語源を辿ると全然意味が違うもんな
サクラは、裂ける処→桜に
ヨシは、葦(アシ)から悪し→良しに
ツルは、水間(ツル)から鶴に
みたいなのがごまんとある
記紀の中でも縁起を担いだ字にしたり敢えて悪い字にしたりっていうのは感じる
今ちょうど古代豪族の勉強してるけど各々いろんな思惑があったんだろうなと >>153
記紀は複数の意味を持たせてる場合も多いから、1つとは限らんと思うぞ >>148
勇魚ギ、勇魚ミ?鯨+ギ,鯨+ミ?
クジラ+ギ,ミに如何なる意味があるの? >>156
敢えて意味も根拠もない解釈を示して、純粋に説得力の問題にしてるわけだが? 正直>>147>>153の人の否定根拠が分からない
気に入らないから上からジャッジしてやろうみたいな
>>156
同意だわ こういう説も考えられるよ、なら建設的なスレになるのに
他人の説を否定するだけの荒らしみたいな奴が書き込んでも不毛でしかないっていうか
>>158
だから意味のないことをあえて書いたと言ってるだろ
ニホンゴワカリマスカ?
更に、ナギ、ナミなら説明が付くが、サナギと対になるサナミなる語の説明をどうするのっていう簡単なことがホントにわからない?
ニホンゴワカリマスカ? なお、伊邪那岐の岐は、岐阜の「ギ」ではあるが、上代では「キ」という清音を表す時にしか使われない
従って、実はイザ凪も成り立たない
また、邪はザであって、サとは読まない
これは学界の常識であり、決定事項である
後世「イザナギ」に転化したことまで否定するものではないが、考察はあくまで「イザナキ」でしなければならない
イで切るなら、イ・ザナキで、ザナキを説明しなければならない
つまり最終的に、誘う男、女という定説に落ち着くということだ
こいつ何ムキになってるんだ
ダブルミーニングを理解できないのか
ボクちゃん自分の信じる説しか受け入れられないんだモン!w
マジレスすると男女ペアにする考え方は陰陽的な輸入物
そんな後付けの物に現代の感覚で決めつけるのは危険
>>161 >>148
男女対語イザナキ/イザナミの類例に
翁/媼=オキナ/オミナがありますね。
男性/女性名詞の区分けのない日本語だが
古語キ/ミには男/女の語義があったのか?
なお媼の現代読みはオウナ。古語オキナが
音便変化し現代語オウナ・オンナに変化した?
また男女対語でいえば日子(ヒコ)/日女(ヒメ)で
男だけが両性具用語「子」がつくのか? >>165
誤記訂正
>なお媼の現代読みはオウナ。古語オキナが
↓
なお媼の現代読みはオウナ。古語オミナが スレチに乗ると、古くは男子をオグナと言ったな
それだけ「オ◯ナ」という語感には人を表す類語としての拡がりがあったのかも
本を読んでいれば分かることだがヒコやヒメは歴史的にも途中から使われ始めた名前だな
ところで両性具用語って何の話してるんだ?子は元々男に付いたもんだろ中国由来で(これも途中から使われ始めた名前
>>79
高句麗や扶余(後の馬韓や百済など)は同じ系統の言語で基本的に濊からの流れだよね
アムール川沿いの粛慎の流れを汲む靺鞨人の渤海についても高句麗に帰化してたもんでバイリンガルだったと思われる
ただ新羅は別の言語を使っていたとされるよね?
古代韓国語ってどちらのことを言ってるの? 日本語は古代朝鮮語だとか言い出す奴ってトンデモブログを鵜呑みにしちゃってるんだろうか
日本語は文法がテュルク系で単語がマレー系のイメージあって、どちらも漂泊系って感じ
現在の朝鮮はアイヌと同じで日本語からの借用が多いイメージあるし、古代は現在と別の人種がいたよな…
何なの古代朝鮮って
>>170
30年も前に完膚なきまでに否定し尽くされてるって基本も知らずに、ちゃんちゃらおかしいよな それよりも、さも新羅と百済の当時の言葉を知っているかのように語る人たちが結構いるのが不思議
どちらもハッキリしてないはずだから
そんなことよりスレタイに戻りませんか
>>168
[両性具用語]とは親子の「子」が男女の別なく用いられるので
この場合の「子」を[両性具用語]と書きました。
男女対語例に日子(ヒコ)/日女(ヒメ)の他に息子(ムスコ)/娘(ムスメ)も
ありますね。この2例からすると古くは「子」は男子限定だったのか?
歴史的にも途中から使われ・・・とは何時代から使われたのですか?
オグナといえば御祭神ヤマトタケルの別名がヤマトオグナだったか。 >>164
>男女ペアにする考え方は陰陽的な輸入物・・・・・
伊邪那岐・伊邪那美神話は大陸から道教or陰陽思想が
伝来した後の8世紀初頭の『記』『紀』上梓までに
創作された物語とおっしゃるのですか?
元になった中国・朝鮮に似た男女ペア神登場神話でも
あるのですか?
近江多賀大社や淡路伊弉諾神宮の祭神も後で伊邪那美が
加えられたと?
>後付けの物に現代の感覚で決めつけるのは危険・・・・・
後付けの物だけでなく当初の事物も含め過去の事象に対し
現代の視点・価値観の適用は確かに不適当ですね。 >>173
コは男性、メは女性の筈ですよね
乙女と対になるオトコは本来DTの意味で、オグナもその意味です
>>174
創世神が夫婦乃至兄妹なのは世界中の神話に普通に見られることで、陰陽思想は関係ないと思われます
日本神話では、ペアの神はペアの名で登場しますね >>172
>新羅と百済の当時の言葉を・・・・語る人たちが結構いるのが不思議
>どちらもハッキリしてないはず・・・・・・
貴方はハッキリしてない邪馬台国とか鬼・妖怪・神とかを語る人々が不思議で
無益な議論だと拒絶反応される方なのですね?理系出身の方ですか?
新羅語・百済語は絶滅語だしサンスクリット語と違いその言語で書かれた文書も
残っていません。同様の絶滅語に「縄文語」もあります。
なのに何故絶滅語を推測し論議するのか?
一つには各地域言語の系統解析、一つには枕詞など古代日本語の解読、一つには西日本
各地に残る「土佐」・「十六島」などの日本語らしからぬ地名由来解明とかがあります。
語る動機は好奇心、格好よくいえば探究心でこの点では素粒子物理と同様と考えます。
不思議感が解消しましたでしょうか? >>176
その通り
誰も知らない筈の新羅語や百済語で他の言語を説明しようとするのは、
まさしく神や妖怪を用いて歴史を説明するのと同じ >>155
>記紀は複数の意味を持たせてる場合も多い・・・・・
後世の学徒が記事に対し諸説複数の解釈をしているのなら
理解できますが、
記紀原典の著者が複数の意味と持たせているとおっしゃるのは
例えばどんな記事を指しているのですか? >>173
あんま日本史は興味ない?
どこの氏族だか忘れたけど子を使い始めた氏族がいて、そこから流行ったというかスタンダードになったと読んだことあるけど
確かにそれ以前は使われてなくて
自分でググってみて
言っとくけど記紀は中世の人間が書いてるからね >>176
あのー172であり169です
あなたが何を勘違いして意味不明なレスしてるのか理解できませんが
百済系と新羅系は言葉が違ったという記録は確か中国側の書物に残っていたはずなので「古代朝鮮語では」などという知ったかぶった説明をしたがる電波な人たちが何を根拠に得意になっているのか知りたいわー
というのが私の立場です
繰り返しますがスレチなのでスレタイ通り神社の話がしたいだけですが何か間違ってます? 変な流れだなと思ったら
おかしいレスすべて三点リーダ使えず中黒連打する特徴あるね
>>179
奈良時代が中世?
普通上古に分類されてるだろ >>2
更新
ドラレコに左右から幅寄せ,前方で“急ブレーキ” 窓を開けて威嚇も…「あおり運転」した疑いで45歳会社社長逮捕
https://news.yahoo.co.jp/articles/716f9a557f444f04ed9078f6fb252617c099a2c5
ドライブレコーダーが逮捕の決め手となりました。愛知県一宮市の名神高速から名古屋高速にかけて「あおり運転」をしたとして45歳の会社社長の男が暴行容疑で逮捕されました。
5月13日に名神高速道路で撮影されたドライブレコーダーの映像です。隣の車線から前に割り込んできた1台のワゴン車はその後、名古屋高速・一宮インターに差し掛かると…あわや接触事故に。
走行車線から追い抜き、窓から顔を出して威嚇。さらに料金所では、ゲートで車を急停車させました。料金所を抜けると、進行方向をジグザグに走り妨げてきます。
あおり運転を受ける最中、被害者は警察に通報。それが分かったのか、ワゴン車はその後、猛スピードで走り去りました。
逮捕されたのは、名古屋市緑区に住む建築会社社長の
星崎昭吾容疑者(45)です。
>>144
この4連休GO TO TRAVELLとか国の行楽遊山奨励に浮かれて
新型コロナにめげず熱田神宮や真清田神社あたりにも人出が
多かったのかな?秋分日だと彼岸の先祖参りで寺の方か? >>178
横だけど少しググれば説は色々と出てくる
興味あるなら特に比較神話学かじるといいよ >>175
横からスマンけど、DTかどうかで分けてるの?
単純に年齢的なもので区分されてない?
wotoko⇔wotome これは若い盛りの適齢期的な対
woguna⇔womina これは幼児とかの子どもの対
okina⇔omina これは年寄りの対
奈良くらいになると対称性が崩れる
それぞれ違う時代に男女の意味で入ってきた外来語だという >>187
助言サンクス。「記紀 複数の意味」でWeb検索しても探索対象が
ヒットしません。複数の意味を持たせてる>>155記事例が
ヒットするには検索語には何を?
比較神話学?日本神話と他国神話の類似比較考察が、何故
記紀記事の複数の意味解読に有効なのですか? >>188
「をとこ」と「をとめ」の対は、ミトノマグハヒの「あなにやし、えをとこを」「あなにやし、えをとめを」に見られます
神代紀上の一書に、「やり方がわからなかったのでセキレイの交尾にならった」とあるので、
つまり童貞と処女だったことになります >>190
そのたった一例だけ出して全てを決めつけようって凄いなアンタ… >>189
知恵袋って知ってる?
細かくクレクレするならそっち行きな >>191
対の用例の話だ
「をとめ」が処女なら、対になってる「をとこ」もDTだって論理的帰結だが? >>188
年齢というより年代別大和語じゃないのかな?若年代順に並べ替えると
幼年代 woguna⇔womina
------------------------------------
青年代 wotoko⇔wotome
壮年代 〇〇〇⇔△△△
老年代 okina⇔ominaもしくはouna
幼/青間の境界線は童貞・処女でなく古代社会の成人通過儀礼前後区分
古代社会で重視されたのは童貞・処女でなく妊娠可否であろう
成人通過儀礼後の壮年代用語はないかも(壮年・老年=大人)
奈良時代以後に男女の意味で入ってきた外来語>>188とおっしゃる具体例は何ですか? >古代社会で重視されたのは童貞・処女でなく妊娠可否であろう
これは同意だ
童貞処女とか決めつけにも程がある…
>>195
>幼/青間の境界線は童貞・処女でなく古代社会の成人通過儀礼前後区分
それ、常識的に考えて実質ほぼイコールだと思うが? >>193
記紀の一例だけで「乙女は処女限定!」とするのは乱暴すぎない?って話だと思うの
>>197
古くはレビラト婚のような形態(夫の死後に夫の兄弟が自動的に次の夫になり子を産むこと)もあっただろうとされているのに、そんなに童貞処女ということに限定したい理由は何なの >>194
青年期も壮年期も同じ括りとして考えている研究者は多いよ、子どもが持てる間という意味で >>198
逆だ
処女の意として使われる「をとめ」に対する「をとこ」に、童貞の意味がないことにしたい理由はなんなの? 読解力…
乙女は絶対処女と思い込んでるのも怖い…
話かみあってないじゃん…
>>170
韓国語は一応新羅語の流れだろうとされてるから、古代朝鮮語と言ったら扶余系の高句麗語や百済語や、その他の馬韓弁韓とかは含まれないはずなのにね
ちな日本語の語彙的な部分で言うと、越というかベトナム語というか長江流域系の言葉も多いっていうよね いや、その前提で話進めようと必死じゃん
全く話になってないよ
お前アスペなのか荒らしなのかどっち
両性具だの処女だのキモいことばかり書いてるの同じオッサンか?
・出雲神話の「八俣大蛇の尾を割るスサノオ」
・古事記の「天尾羽張※十拳剣」←鹿島の建御雷神の親
・尾張国・尾張氏
これら何か関係あんの?
名古屋ってスサノオめっちゃ祀られてるよね
元は牛頭なんだろうけど
>>124
DAT落ちで見られないけど他に何が書かれてたんだろう
ヤマトタケルに関しては、研究者の間では複数のモデルが集約されたんじゃないかとか完全な創作だとか見解が分かれてるようだけど >>204
>>197
> >>195
> >幼/青間の境界線は童貞・処女でなく古代社会の成人通過儀礼前後区分
> それ、常識的に考えて実質ほぼイコールだと思うが?
>>194を踏まえた上で、「実質」「ほぼ」と、むしろ限定じゃないことを明記してるが?
アスペはお前だろ スレチな弁解が酷いけど
そろそろ>>206みたいな話したいね
尾張氏の家系図は偽物と言われたりしてるのが気になる >>206
名古屋ってか尾張
勿論津島神社があるから
割るは「わる」、尾張は「を・はり」と別の言葉なので無関係 古事記には割るとは書かれてないよ
>切り散(ハフ)りたまひしかば
>尾を切りたまふ時に
>刺し割(サ)きて
>>211
>名古屋ってか尾張
>勿論津島神社があるから
当然それは分かってるので牛頭と書いてるんだよ
そうじゃなくて語源的に関連はあるのかって話
割るというワードを選択したのが悪かったが元の話は切り裂く意味で書かれてるんだよ
はばり、はふる、これもズタズタにするとか切り裂くとかそういう意味で解説されてることが多い 語源的には、尾張は「を」は接頭語で、「はり」は開墾地と説明される
大和の高尾張村が起源とされることも
説の1つだね
でも殆んどの地名の語源って自治体の願望が強いよね
言語学的な研究結果が発表されてる訳じゃないんだよね
いろんな語源辞典が出てるけど、現役の学者や研究者から否定されてるものも多いよ
>>217
尾張の「はり」が「墾り」即ち開墾地を意味するというのは
説の1つでなく定説じゃないのか?
名古屋市内の「高針」・「平針」、海部郡「大治」町、
旧西春日井郡「春日」村/「西春」村 etc
開墾農地化に適した濃尾平野という平野部だから「はり」地名が多いのかな?
美濃地方にも散見されるのだろうか? オハリ地名なら小針や小張が多く見受けられるけど、わざわざ尾張が「尾」の字を採用した理由は気になる
ニイハリ(新治)だったら常陸国風土記に開拓地の名前として出てくるから信憑性あるんだけどね
イマハリ(今ハリ・新ハリ)についても、イマキと同じでNEWハリの意味であることがハッキリしてる
でもヲハリのヲは良く分からんよね、これだけ接頭語だと言われても根拠が無くてピンと来ない
>>217-218
今のところ地名学とされてるものは民俗学からの枝分かれって感じだからね
地名の本を出している古代史専攻だとか民俗学専攻だとかの研究者で、言語学を学んでる人っているの?
民俗学も地形学も歴史学も言語学もバランス良く理解できた上での論理的な考察なら信憑性あるんだけど、地形すら無視して何でもかんでもアイヌ語やら古代朝鮮語()やらにしたがる偏った説も目立つんだよな この地域の地名学習の良書には何がありますか?
以下は有意ですか?
「愛知の地名 海進・災害地名から金属地名まで」 中根洋治 風媒社
災害地名に関しては殆んど全国に共通するけど愛知も多いよ
金属地名に関しては地域によって違いがあるように見える
とりあえず図書館の郷土史コーナーに行けば?
○○区の地名の由来〜みたいな本や資料があったと思う
一冊だけを信じ込むのは危ない
>>222
>わざわざ尾張が「尾」の字を採用した理由・・・・・・・・
有名なヲハリ地名に推古天皇(豊御食炊屋姫尊)の宮処「小墾田
(ヲハリダ)」宮があり「小治田」宮とも表記された。
推古天皇の愛息竹田皇子の実弟「尾張」皇子は「尾治」王とも。
「尾張」國も「尾治」國とも表記。
つまり和語を漢字表記し始めた時代(万葉仮名時代というのか?)は
和語の典型たる地名の漢字表記には何種類かの候補漢字から選択採用した。
ヲハリ表記も「小墾」、「小治」、「小針」、「尾張」、「尾治」・・・・・
わざわざ「尾」を採用でなく発音に合致する漢字ならどれでもよかったのでは? >>229
どれでも良かったなら、尚更一般的な「小」に落ち着くのでは?w つーか尾張氏の尾張はツチグモの高尾張から来てると言われたり、尾張氏の家系図は偽書と囁かれるし、どうやら高尾張との関係も怪しいようだし、元は熱田神宮の神職だったり、何かと謎の多い氏族だな
>>232
ツチグモの高尾張??
東遷ホホデミ一団が葛城高尾張邑先住の土蜘蛛を征伐し其処に替わって
居住したホホデミ協力部族がカゴヤマ率いる高尾張連氏だろ?
尾張氏の家系図は偽書??
後世の偽作だと?それとも内容に虚偽有と?クサカ以前の古代部分の
虚実を指すなら神代人物系統は眉唾でみるのが妥当なのでは?
ただ神代も同族丹後籠神社海部氏所蔵系図と酷似するから捏造では
ないのでは?
元は熱田神宮の神職だった??
平安中期まで尾張氏が熱田神宮祭祀職を踏襲したのは何の不思議もない。
古代は祭政一致だったから。氷上姉子社->熱田社と連綿と国造家=社家。 滋賀県にある愛知神社とか愛知川って何なの?
愛知県はアユチ潟から来てるなんて言ってるけど信憑性あるの?
滋賀県のは「えち」だろ
あとアユチ潟の方は、確かに原因と結果が逆の可能性もなきにしもあらずだが、
無関係ではないだろ
いやなきにしもあらずどころか、あゆちという土地にあったから、あゆち潟になったと考える方が自然か
古記録の初出も、神代紀上の「尾張國吾湯市村」のが古いし
>>236
両地名の由来は夫々以下とされるが
滋賀県愛知(えち)郡は来住朴市秦or依知秦(えちはた)氏
愛知県愛知(あいち)郡は吾湯市(あゆち)村
滋賀県の方は正しくないだろうな。通常は地名-->氏族名だから。
「えち」ってどういう意味なのだろうか? 尾張氏の家系図が作り物って話は有名じゃなかったっけ?海部氏の側がそう言ってるって何かで見たけど
>>170
>日本語は文法がテュルク系で単語がマレー系のイメージあって、どちらも漂泊系・・・・・
文法がS+O+Vのテュルク系膠着語は異論はないが
語彙がマレー系のイメージは理解難。例えばどんな語彙がマレー系語彙だと?
テュルク系が遊牧民=漂泊民でマレー系も漂泊系は理解難。マレー系漂泊民って何人なの? アイチとエチの話
例えば同じ海老でもエビ/イビと地方によって訛りが違うけど、エチ/イチも誤差の範囲な気がする
それで、(中国語テロップで猛のことを阿猛とするようなのを良く見るし)接頭語のアが付いただけのような?
アユチを元々はエチと言っていたとかで同じ意味だったりしてっていう
紛らわしいのに同じ漢字を使いたかったのは何か意味があるような気がしてならない
当時たまたま愛と知の漢字が人気高かっただけで偶然てこともあるような
地名って不思議
ところでアユの古語
東風の意味なら北陸の古い方言らしい
淡水魚の意味なら愛知の太平洋側で使うには無理がある言葉、やはり琵琶湖で採れる淡水魚のことなのでは
谷川氏の「饗」説に関しては不自然に思う(他にサチやアワなど別地で良く使われるワードあるのに何故ここだけっていう)
いろいろ考えてみて北陸から来てる地名のような気がしてしまう
>>240
横だけど交流の中で文法は変わることがあると言語学者の本で読んだことあるよ
文法も大事なんだけど、それよりも生活に関わる単語の方が重要なんだって
水とか太陽とか風とか原始的なものの単語
マレー系は割りと昔から単語の類似性を指摘する研究はある
テュルク系と同じで、まあそこまでだよねって程度だけど ちがう
こんなことを書きに来たんじゃなかった
うっかり話題を失念した…
>>241
>アユの古語
>東風の意味なら北陸の古い方言らしい
越中守赴任時の大伴家持卿作歌のこの「東風」ですね?
東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟(をぶね) 漕ぎ隠る見ゆ
万葉集 巻17−4017 −−−−−越の俗語で東風を安由乃可是(あゆのかぜ)と謂へり >>240
掘り下げたいならPDFでググれば論文とか出てこないかね、古いのは無理かもしれんけど
ここ神社スレだから >>241
エチなら依智秦氏が関わってるのかな
滋賀の歴史と依智秦氏について学べばヒントが得られるかもね
スレチになっちゃうけど >>1
都府県別寺院数は以下なのかな?
愛知 4716
大阪 3398
兵庫 3260
滋賀 3098
京都 3069
千葉 3060
東京 2919
新潟 2810 具体的な数字を出しといて「以下なのかな」って何?
合ってるかどうか誰かに検証させたいってこと?
来年の初詣では、皆見合わせるだろうし雪も降るし、むしろ元日が狙い目と見た!
>>250
言葉足らずでした。歴史のある畿内諸府県と比べ何故
愛知県が寺院数全国一>>1且つ1500前後も多いのか
怪訝でその理由は何なのかが”?”の意図でした。 明けましておめでとうございます
針名神社、秋葉山慈眼寺、中山神社に初詣で行ってきたけど、
>>251で予想した通り激空き
それでも着いた時には余裕があった駐車場が、終わる頃には満車に
針名神社は手水がセンサー式になってたw >>252
何度目の話題だろうか
愛知は尾張からの権力が強いというか色々と声が大きいからじゃないのかという説は成る程と思った
他では規制されてることが通りがちっていうか
うろ覚えだけど100m道路だってそうじゃなかったっけ
直前のスレだけ貼っとく
65 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/01/08(土) 12:10:43
先程の「ぷれサタ!」霊場特集で、愛知県には5858社の神社があり、京都府より多く全国一の数だと伝えていたが、何故多いんだろ?
愛知県民は、敬虔ということなの?
66 名無しさん@京都板じゃないよ sage 2011/01/08(土) 20:51:03 BE:645955643-2BP(1358)
愛知が日本一なのは寺院の数で、神社数の日本一は新潟らしい。
70 名無しさん@京都板じゃないよ 2011/01/09(日) 00:32:06
本郷一つに対して出郷が3つぐらいあるのがざらだから。出郷の出郷とかそんなのも全く珍しくない。 >>255
名古屋市天白区平針大根ケ越の針名神社は『延喜式』には
山田郡でなく在愛智郡と記されてある。平安時代には
山田郡以外に愛智郡にも針名神社があったのか?
主祭神の尾治針名根は丹羽郡犬山の針綱神社にも祀られて
おり尾治氏の中でも近親の一族の開拓地ということか? 面白そう
両側の住所地で古地図を遡れないかね?
図書館に行かんと無理?
>>260
現在地は南隣に名古屋市の農業試験場があるのと
現平針街道から奥まっているのが変だし
地域随一の有力社なんだから利便な天白川近くに坐していたのでは?
昔の平針街道は現在とは違う経路だったのかな? >>264
移転前地の天白川左岸の元郷って地番だとどの辺りなんだろう?
恐らく昭和時代以前の平針街道は現2車線平針街道と違うのでは?
呼続・本笠寺辺りの旧東海道なぞ驚くほど道幅が狭隘。
まあ人馬が往来する分には十分な道幅だったんだろうが。 >>256
針名神社の坐す天白区は中世には鳴海庄天白村だったらしい。
村名は天白川由来でなく東海地方から信州一帯に広がる天白羽神を
祀った天白信仰の社があったかららしい。
この地を流れる天白川支流社川もその社に由来するのかな?
なお天白川は江戸期以前は米野木川と呼ばれていたらしい。 3/3の読売夕刊
市原えつこ特集に、犬山市の桃太郎神社が男根崇拝云々と、書いてありました。
桃太郎神社は、男根神社なんpでしょうか?
>>270
小牧の田縣神社の男根担ぎ豊年祭は第2次大戦後に
造作された新興催事で伝統習俗ではないという記事を
目にした覚えがあるんだが実態はどちらなのか? >>272
その通り
「巨大な男根を担いで町を練り歩くのはさほど古いことではなく、ここ半世紀、戦後の風習である。
それまでも、御神体は男根であったし、祭事も行われたけれど、これほど大げさにはしなかったらしい」
(呉智英『真実の「名古屋論」 トンデモ名古屋論を撃つ』人間社p89、l4〜8) 熱田社が出てきたな海老蔵の信長に
映ったのは別の神社だったけど
説明もなく何のスレよ
直リンクされても踏まんし
ヲチならヲチ板でやれよ
そこは何度か既出じゃね
本来なら御神体あらわにして担ぎ上げる訳ないわな
仏像とかツルギとかガガミとか謎の御神体とか絶対さらし者にしないだろ罰当たりだから
珍子は、御神体ではないよ。
地元の大昔の豪族の姫を祀っているので、姫が喜ぶモノを捧げているのだ。
>>280
>ツルギとかガガミとか謎の御神体とか・・・
田縣神社の御神体が謎の御神体?鏡じゃないのか?
ガガミってカガミ(鏡)のことか? 例えの話であって田縣神社の御神体がとは言ってないような
>>28
>東三河地方に伝承地が見られない・・・・・
知立神社(知立市西町)・矢矧神社(岡崎市矢作町)・菅生神社(岡崎市康生町)・
白鳥神社(岡崎市大西)・白鳥神社(岡崎市大和町)・三村神社奥宮(額田郡
幸田町坂崎京ヶ峯)等々西三河地方には日本武尊足跡伝承が方々にあるのに
東三河地方では宮道天神社(豊川市赤坂町)・白鋳ケ神社(新城市市川宮ノ上)
くらいか?
当時の交通利便を考えるとヤマトタケル東征は陸路でなく熱田大地南から
海路だったのか? 尾張の某神社、氏子地域の人が定年退職後に再就職で神主として入ったけど、即辞めたそうな
入る前に相談くれてたら、止めたんだけどなぁ…
そういやそこ、以前は「なりすまし神主にご注意を」とかHPで啓発してたけど、パチモン
がパチモン責めても、目糞鼻糞だよね。
にしても、昔から地域にある祠を「当社の奥宮」と言い張って町中に神社建立って、
よく考えたもんだわ。「神社」は名称独占でも登録商標でもないから、分からない人には分からない
楠木正信のミコトの神道しとるおいさん、深緑の目のおいさん兄弟で一番目なんやけど、大阪におったんやけど、大阪で男の子二人、深緑の目の子二人、切ってきた、一番目のおいさんにいらんこと言うで、東京の立川の魔導士と津の東条家の悪魔、深緑の目の子、おいさんの甥っ子、切って、川に投げ捨てといた。警察、かわらで死んどるけど、悪党やでいいって言うとんでな。
>>267
三河地方の岡崎市天白町や旧東加茂郡足助町栃ノ沢(現豊田市
栃ノ沢町)や旧八名郡細川村(現新城市細川)に坐す天白神社は
天白神=天狗を祀っているの? どんな職場も試用期間というものがあるし、ブラックとは採用形態ではなく、
待遇に使い言葉だ
目、わるうさしたん誰や、日本の企業が、話し方がええ加減なんプロに、ブラジル、日本の、イタリアと喋らんのなんでや、3B同盟むすんどったとこ、ブラジルの宝石商のおいさん、日本は、フジ、日枝会長、日本の王やけど、どうとんのや、口約束か。サッカースクールのな、シェラスコのパンのおいさん、インドはブラジルにきとるけど、日本は、ホペイロやけど、俺をどうとんのや、日本、しっかりしとんのか、皇居、ブラジルの王にきかん。日本はな、はっきりいわんの、キリストにせな、プロかが遅れとんでな、日本の王にな、サッカーいわんでええんか
ポルトゲーザの監督から、日本は、サッカーしたらあかんのか。ジーコの兄がいいたいんが、サッカーをみとると、日本にな、話ししにくいのブラジルも。
>>266
天白区の由来の天白神社は、現在、天白区にはない。 霊能力な、霊堂、んー、これできつくひと、江戸時代な、江戸の町でいうとんのな、ろくろく首みたなやつ、自然発生するけどもな、黒魔術ほっとく、こわがりかたがな、すごいみんながな、あしらう子らにいいたいの、ふぅふっふっ。いじょうです。
>>299
物を知らない奴だな
これ見て縁が無いと言えるか
源頼朝
源頼義→義家→為義→義朝→頼朝
藤原実範(三河守)→季兼(三河四郎大夫)→季範(額田冠者(三河国額田郡)、初代藤姓熱田大宮司)→娘(由良御前)→源頼朝
そして頼義の姉妹の旦那の父親、源満国は三河に島流しにあった
西尾にある常福寺および熊野神社ほ満国創建 尾張国一之宮 真清田神社
令和四年 御鎮座二千六百五十年。
>>301
巴山というと奥三河新城市作手の西隣り岡崎市千万町町のか?
日本武尊が東征の際に立寄り三つ巴に水が流れていく様を見られ「巴山」と
名付けたという伝説があり巴山山頂の白髭神社には常の猿田彦でなく日本武尊・
大山祇命・大水神御祖命が祀られているらしいが訝しい。
立寄り伝説の残る浜名湖方面に向かうのに岡崎の平野部から奥三河山中に分け入る
行路が当時あったのだろうか? たいていの神社に能とか踊りができそうな
舞台のような建物が入り口にあるんだけどあれってなに?
つかってんの?
>>308
あけおめ。県内平野部では1/6(木)が今季初雪でした。
神社境内の舞台のような建物は礼拝や奉納の為の社殿だよ。
賽銭箱前での起立礼拝はあくまでも略式だよ。 >>274
長久手景行天皇社近くの日進市本郷白山宮足王社が1/9(日)夕のテレビに
映されていたが神社に見えないモダンな?真新しい木造オブジェ?
ウド鈴木が加藤知史宮司に訊ねていたがこういう神社建築は何式造りというんやろ? >>221
旧西春日井郡の隣り旧東春日井郡鷹来村に坐す伊多波刀(イタハトノ)神社は
八幡三神の他に合祀しているらしい伊豆能賣とは何者だろう?
伊多波刀は板鳩とも表記するらしいがイタハトとはいかなる意味か?
本来の御祭神は五十猛命だった? >>293
東三河の豊橋市天伯町や畑ヶ田町に天伯神社というのが現存するが
これらも天白信仰の拠点すなわち天白神社なのかな? きつい石段は社を支えるための石垣なのかな
あんまし登りたくない