日本を初めて訪れる中国人旅行者は、まずほとんどの人が日本の街のきれいさや静かさ、秩序などに感銘を受けるものだ。
しかし、日本は旅行するのには良いが住むことはできないと感じる人もいるという。
中国メディアの今日頭条は12日、日本の「文明レベルの高さ」を称賛しつつも「住むのは難しい」と論じる記事を掲載した。
記事はまず、日本のすばらしさについて、どこもかしこもきれいで、
トイレさえ「良い香りがしてくる」ほどで、人が多くても秩序があり、
交通機関は時間に正確で、人々は礼儀正しく、「中国がいかに遅れているか」実感すると称賛。
しかし、記事の中国人筆者自身は、どうしても「抑圧感」を感じるそうで、
短期間の日本旅行では日本のすばらしさに感銘を受けるが、
旅行の終わりには「早く帰りたくなる」としている。
例えば、京都に行けばしんと静まり返っているのがかえって落ち着かず、
東京ではみんなが無表情で「借金でもしているような顔をしている」と感じたそうだ。
中国ではトイレは「永遠に汚い」し、人が多いところはごみでいっぱいで秩序がなく、
路上ではクラクションが鳴り続き、喧嘩しているのかと思うほど大声で話す人がいるものの、
それでも中国はリラックスできるとしている。誰でも自分の慣れ親しんだ場所には愛着があるものだ。
記事は続けて、中国にも中国式マナーという良さがあり、
人をリラックスさせる「自由の国」だと自賛。
日本のように抑圧感を与えず、
感情を素直に表現することで相手に胸の内を見せるというのが中国式の礼儀ではないかと持論を展開している。
これに対して、中国のネットユーザーからは「自分も日本には住めない」と賛同する人がいる一方、
それは「抑圧」ではなく、感情をコントロールする「自律」であると指摘する意見も多く寄せられている。また、
「抑圧されている」と感じるのは筆者が民度の高い日本の環境に慣れていないからだという人もいた。
日本は抑圧的であるというのは人によって感じ方は違うだろうが、
かといって中国で見られるように他人を顧みず騒いだり、公共の場所を汚くするというのも良いこととは言えない。
日本と中国とが互いの良い所を学び合えば、より良い社会にできるのかもしれない。(編集担当:村山健二)
http://news.searchina.net/id/1685215?page=1 その日本のあちこちで、観光公害を引き起こしているのは・・・。
プーさんの悪口いくら言っても当局に逮捕されない自由の国やぞヒノモトは
>>1
土民の住む国じゃ無いからな
南北の2人の馬鹿息子といがみ合いながら暮らせ キレイにするかはモラル教育だろ
学校や地域間で自然教育させろ → 習近平
いいですね。中国人は中国に帰りなさい。朝鮮人も韓国北朝鮮に帰りなさい。させれば摩擦なく静かな日本に戻れる。
日本人も、中共に住みたくないわな
グレートファイァーウォールでウェブ鎖国状態なんて
SFも真っ青な超監視社会が自由とか中国人は自由の意味理解してないだろ
日本では自由にのびのびと感じることが許されないんだよ
日本の芸能人は必要以上にでかい声でしゃべるが
中国人がケンカしているような大声でしゃべるのとは違うと思うし
西洋人がはっきりとした発音でよく聞こえさせているのとも違う
日本人のはっきりとした発音は仕事でやっていることで
西洋人ははっきりとした発音をする人がかなり多い
インタビューでたまたま話しかけた人と、
BBCラジオのパーソナリティーが同じようによく聞こえる発音をする
一般人でもすごくはっきり発音する習慣があるんだと思う
私たち日本人英語学習者にどうしても聞こえにくい発音でも、
日本人が日本語を話すよりは数倍はっきりしている
実は中国人はそれよりもはっきり発音しないと何を言っているかわからないかもしれない
中国語をやってみるとわかるが、発音がとにかくむずかしい
日本語にない発音を3つくらい同時にやる発音もあるから、そういうのが頻繁に出てくる
日本人の私たちには、チンチンチーチーチョンチョンと「チ」の音が
キーキー言っているのと似ていて、ちょっときつい
私も単語とか、短文、ゆっくり聞く分にはなんとか耐えられるが
ざーっと言っていることを一気に聞いてみると、チーチーがキーキー言っているようで
耳の穴をふさぎたくなる
中国の様な水も空気も人間性も汚い所はそもそも人間の住む所ですらないけどなw
余談だが
キツネの霊は嘘つきで、ヒステリーなのでキーキーと喚く。
あと、悪いことではないが日本人女性がイケメンを前にすると「黄色い声」をだして
キャーキャー言っているが、どれも耳や頭にキンキン響く。
中国は歴史上、何か思いつけばいいかのように簡単に判断し、行動してきた。
理由はとにかく言ったもの勝ちで、こう思ったからさっきこうしたんですといえば
そういうことでしたか、それでなぜなのか、よくわかりましたとすぐ言ってしまう。
このパッパッとよくもまあいろいろ、弁舌がすらすらと言えるものだと思うが
これをやり過ぎると、なんか言い訳しているように見える。
別に言い訳にならない文化なのかもしれないが、日本人の私たちから見たら
理由はすべてが見苦しい言い訳という文化がある。
理由を言うこと自体が見苦しい言い訳というのが正しいとは思えないが。
(言い訳には5つの意味が有り、見苦しい言い訳はその一つに過ぎない。
言い訳の意味で「理由」とあるから、見苦しい言い訳と「理由は」別なのである。
これを一緒にするほうがおかしいことになる。
よって、上司が怒っているだけなのだ)
何でもかんでも見苦しい言い訳といえば、理由を炒ってはいけないと示していることになるから
上司が納得する市内にかかわらず、理由は聞いたほうが良い、言い訳はさせないほうが良いだろうが。
中国ではそうはならないのだろうが(本当は日本でもそうならないが)
とにかく何か思いつけば、理由を言って、わかりましたとなるようだ。
だが、いくら中国でも、たとえ事実だとしても、理由の言いすぎというのは、やっぱりいただけないのである
どこの国でも、寡黙な人は、いい意味とらえられる。
無口キャラでいいが、あまり話さない人は、たまに一言があると誠実に見える。
言葉がすくないのはいい意味で、経過をすべて踏まえての一言だ。
どの国でも、あまり話さない人はいいととらえられている。
そんな性格でもいいから、あまり話さなければ、言わなくていいことを言わず、人を怒らせないで済むからだ。
日本では何を言ってもいけないが、これが過剰なのであり、
何を言っても怒るという、解釈法がおかしいのである。
ところが、余り調子が良すぎる人というのは、理由を言えばそうですかと言ってしまう。
その理由は正当であり、裏付けを取ろうと思えばとれる。
別に嘘をついてもいない。
だが、理由を言いすぎるというのは、やっぱり、キツネの性質に引っかかるようなのだ。
別にまちがっていない、事実を言っている。
私が良く語っている、事実のままを言って、論理的でもある。
「でも、こうなんだよ」と言いすぎるのは、キツネの性質に近いのである。
言った通りのことを下という事実が確かにあるけど、
なんでそんなに、誤解を恐れているのかということだ。
本当に誠実で、やましいところが無くて、心配しなくていいなら黙っていていいはずだ。
何も知らずに、周りの人が、その人の行動を知って
なんということでしょう、なんて立派な人だとなるではないか。
中国の歴史を少しだけ知ったら、全部が全部、できるだけ多くの理由を言っている。
「こうだから、私こそがこうしました。私がこう思ったからやったのです」
「そうでしたか、よくわかりました」とすぐに言っている。
日本と違って、人の意見を通すのがスムーズのかもしれない。
だが、キツネの性質がないなら、やたらと「こうですから」と念を押しすぎなくてもいい。
慎重勇者のようでもないからだ。
中国人の文化は、日本人の文化と違うのは誰でも想像がつく。
たまたま、日本人にとってはキンキン頭に響くような行動が多いのかもしれない。
中国人の中でも、その態度が、どうも行き過ぎではないか、と感じている人もいると聞く。
中国人がなぜ、必要以上にでかい声で話すのか。
カラオケが好きな人はいますか。私は好きです。
ときどき歌っているけど、わかったことがある。
カラオケで無理しすぎないように歌うには、大声で歌うのではないんだ。
小さめの声でもいいので、思いっきり喉のあたりを大きく開けることだ。
のどちんこのあたり、舌根といって、舌の先の反対、ずっと奥が喉に向かって下に行く。
あのあたりを舌根と言って「ひ」を言うときに閉めてしまうところだ。
ここを大きく開けて、喉を開いていると、自動で大きな声が出るのだ。
中国人が、必要以上に大きな声を出しているのは
日本人と違って声を出すのをためらわないことと、
喉のあたりを大きく開けて、自動で大きな声が出ていると考えられる。
みなさん、これからは、カラオケで口を大きく開けていても
はっきりと発音できるように練習するといい。
コツは、歯と歯をいつもよりも、少し大きめに開けるといい。
口の骨が「<」のように開くが、口の中が少し広くなっている。
日本人はしゃべる時に「<」の感覚が非常に狭いので、少し広げたまま発音する。
このままで歌詞を言うと、常に「〇」のような隙間が空くことになる。
ここがスース―するし、少し開けたまましゃべりにくいので、最初は慣れないと思う。
これに慣れると、地球全土の外国人のほとんどが話す話し方を、あなたがやっていることになる。
この話し方だと、大抵の発音は、調節しやすくなると思う。
日本人が洋楽を歌うとつまらないというが、発音がうまくいかないのかもしれないと思った。
やっぱり、歌手と同じようになめらかに、カッコよく発音してみたいだろう。
上記の発音法を知ったら、あとは、洋楽から聞こえてくる音と同じ音を出すように練習するといい。
これは、英語学習で声に出すときにも直結する。
発音法の話になったが
中国人は、口を大きく開ける傾向にあると思うので
声が勝手に大きくなるんだと思う。
カラオケで試してみよう、喉、口を大きく開けて歌詞を発音しようとしてみる。
普段は口を小さく開けているから、なかなか慣れないが、出来ると
発音を自分で矯正するのが、とてもやりやすくなる。
あと、少し開いた状態で発音する癖をつけておくと、口の中がスース―するので
呼吸が楽になるのである。
鼻呼吸で雑菌が入ってくるのが難しいので、鼻呼吸ができるようになって
口で呼吸する時は、わずかに大きめに開いている状態になると呼吸は感じてわかるほど楽になる。
大きく開けてはっきり発音するのに慣れてくると、普段でもすこし口があくから
呼吸が楽になるだろう。
日本人と違って、声を出すこと自体が悪ではない。
声を出すのにためらいはない。
日本人の子供はきゃっきゃうふふと大声で笑っているが
数年でそれをしなくなるだろう。
日本では大声を出すことは許されない。
それが正しいわけではないが、考えもしないで大声を出すなと強制しているのでしかたない。
私たちは、はっきりと聞き取れるように話すなら、今言った発音のコツだ。
アニメキャラや芸人とは違う質の、はっきりした発音ができるようになる。
それは、日本以外で、人が生活で普通にはっきりと発音している。
BBCパーソナリティーのようにはっきりと発音する、無名の人が大勢いる。
日本にはいない。
これ見よがしに「滑舌」がいいことを誇るくらいだ。
日常ではない。
そんなことで自慢するのは、知識の正確さを自慢することになる。
昨日も言ったが、正確に言おうとしながら使っていれば、いつかは正確に言えるようになるのだ。
だから正確に言えることだけを重視するのは、下を見て周りが見えていないのと同じだ。日本はそういう社会だ。
今回は、中国人と日本人の文化の違いを、あまり詳しくないが触れてみた。
中国人が気にしないことの半分以上は、日本人は気になると思う。
普通にしゃべっていれば大声になることを、日本人は知らない。
日本人が大声でしゃべらないのは、高貴な国民だからではなく、
大声を出すなと命令されたからだ。
日本人にも良いところがあるが、残念なのは、ほとんどの日本人が
(不特定多数の)誰かから命令、禁止されていることだ。
自分が自由に感じるすべてを、高貴さのない人間から否定されて生きている。
私が思うのは、日本人は細かいことを気にしすぎる。
子供を思うあまり、母親が全部やってあげるのと同じだ。
子供は、何もしようとしない人間に育つ。
「親の器に子供が閉じ込められる」と、ルソーが書いている。
親の器が小さくて、子供のほうが器が大きい時に子供は猛烈に苦しむのだ。
小さな器の中に大きな器は入らない。
押し込めば、大きな器が小さな器の中でひびが入り、砕けてしまう
日本政府の器が、過保護な母親くらいだったらどうだろうか。
一般人であるあなたに経営能力がつくとあなたは苦しむ。
現状の日本で苦しまずに生きるには、学ばないことだ。
日本を支配する勢力が教養を敵視し、教養は身に着けないほうが良いと思っている。
そんな世の中で教養を身に着けた全員が苦しむ。
活躍してる日本人は、日本を代表するのではなく、日本から出て行っただけだ。
日本政府よりも、外国で活躍している人のほうが立派だ。
細かいことを気にして、何もしないようにすれば当然、何もしない。
日本国に降りかかる問題のほとんどが解決できないと決定している。
世界に向かって日本が変わるなら
細かいことを気にしていては、変わることは不可能だろう。
気にしないとは、出来ないという意味ではない。
細かいことを気にしない方がスムーズにできる。
気にしすぎてうろたえながら、作業ができるだろうか。
気にしない方がいいのである。
それは、細かいことをやらないという意味ではない。
雑念が無いほうがスムーズに動けるということだ。
現状では日本は雑念が無ければ許さないようになっている。
人の顔をうかがって、何をするのもためらっている。
間接的に伝える場合「人がこう言いました」ということは、問題を起こしかねない発言をしたと心配する。
そのような考え方が、本当に正しいだろうか。
日本人のためらいがちなやり方で、仕事をしたらどうなるかわかるだろうか。
明日職場に行けばみられる。
仕事に必要な動作以上に、感情的なあれこれのほうが多いはずだ。
細かいことを気にしすぎて、気にしていることの大半がこれからも起こらないのを知らないのだ。
「心配事の90%は起きない」という言葉もあるくらいだ。
細かいことを気にしすぎると、9倍余計なことをしているということである。
日本人は、細かいことを気にしない意識の持ち方をもっと工夫したほうが良い。
そうすると、他人をコントロールしようとしなくても、動いてくれることがわかる。
子供に勉強させたかったらどうするか。
興味を持たせることだ。
子供のころ、家族で旅行に行って、チョウチョを捕まえた思い出がある。
その人は、図鑑に載らないチョウチョを見つけるまでに詳しい蒐集家となった。
その人は専門家ではないのにだ。
子供のころに一度だけ家族旅行でチョウチョを捕まえただけで、そこまで興味を持った。
誰も命令していないのだ。
これを学校でやってごらん。
教師は生徒と勉強以外のことを相談するようになるだろう。
生徒は、いくら考えてもどうしてもわからないところだけ教師に聞けばいいのだ。
それなら、日本の現状でもかなり勉強ができるはずだ。
考えないで質問しすぎる傾向にある人は、とにかく自分でやってみるといい。
あなたが現状を把握していようと関係なく、ここがわからないという気持ちはある。
自分でできるだけやってみてから、今わからないところだけ聞いてみよう。
考えないで聞いたときと違って、人の話を聞きやすくなっていると思う。
勉強の話じゃなかった。
命令しなくても人は動く。
細かいことを気にしないために。
たとえば
自分の動作を減らしても同じことが出来るかを試す。
お風呂でお湯を入れて温めるとき、蛇口からお湯を落とす。
速くお湯を循環させたいなら、ちょっとだけお湯が落ちてくる方へ押すだけでいい。
押せば帰ってくる。
日本の余計な動作というのは、お湯が落ちてくる方に手を持っていくのに、筋トレをするようなものだ。
もう一つ
物体を下に動かしたいとき。
余計なのは自分で下に押す。
余計な動作を外せば、最初だけ押して、重力を利用して
自分はほんのちょっとの力でいい。
これを加速度的にやれると物体はものすごい速さで下に行く
なのに、自分で下に叩き落せば余計である。
耐久テストを一回やったことになる。一回分の耐久力が落ちる。
だが、日本の現状はそれをしない奴は悪いやつなのだ。
自分より下だと思っている人間が、意外とできると腹が立ってくるらしい。
自分でやられて賢ければ、上の人間がみっともないから、上の人間の言うとおりにしなければいけない。
上の人間が間違っていても知らない。
上の人間は100%正しいことになっている。それが日本の職場だ。
仕事の効率がいい作業以外の、さまざまな事のほうが多いと思う。
仕事の何倍、余計なことをしているのだろうか。
孔子のエピソードでも「自分でやれば骨が折れるよ」という。
(骨が折れる:大変という意味。慣用表現の一つ)
日本では喚き散らしてギャーギャー言っていれば真剣と思っている。
そうしているから、感情がつられてしまうんだろう。
うろたえるようになって、考えがまとまらない。
演技でもギャーギャー騒ぐから、つられてうろたえている。
それをしなければいけないのだから、仕事は大変に決まっているのだ。
細かいことを気にしすぎて
置きもしないことを心配している。
心配だから、これくらいはやらないとと思っていることは、ほとんどが余計なのだ。
余計になっていることがわからないのを強要するほど、日本人はバカだろうか。
余計なことをしてますよと言った人間を敵とみなすほど、
日本人は頭が悪いだろうか。
効率よい作業を連呼する割には、感情的で余計である。
作業は効率よくしているかもしれないが、すぐ怒る人ばかりだ。
怒るのはとてもエネルギーを消費している。
なぜそこは放っておいて、自分は怒りに任せているのだろう。
このように、あっちこっちが、よくわからない状態になっている。
ようするに、気にしすぎなのだ。
日本人は小心者で、心配している感情に振り回され、それが当然と思っている。
だが、心配事というのはほとんど発生しないのである。
お風呂や、重力で落ちる物体のことで触れたように、
ここまでの動作でもできる、というケースをいっぱい知るといい。
日本人は、あなたが仕事人間で上司だったら、余計なことをしていないか。
上からは余計なことを命令されてしまうが、自分は余計なことをしないようにしよう。
普通に観光客ではない支那人いっぱい住んどるやんけw
余計なことを放置していると疲れやすい。
言葉キャッチボールでボールを投げたら、相手がキャッチしても投げてこないから
あなたが出て行って取りに行くようなものなのだ。
相手がボールを返せる能力が無ければ返してこない。
なぜ返してこないのか、余計なことを考えすぎて、現状が見えていないのだ。
肉眼で見ているが、判断がつかないから、見えていないのと同じだ。
えーと、えーとと言いながら、うろうろしながらあなたに近づく。
それが日本人が心配ばかりしている状態だ。
いったい何が心配でうろうろしているのか。
スッと近づいてこないのは、心配している。
そんな心配をしなくても大丈夫、という潔さが、今の日本にはない。
逆に、潔くなく、ネチネチとしなければいけないと命令してくる。
日本は、心配に振り回されず、余計な動作を減らす工夫をしたほうが良い。
日本に必要なのは、心配しなくても大丈夫な理由を知ること。
知らなければ日本は崩壊すると言っても過言ではない。
トランプのような破壊者が出てきて、いきなり変えるようなことがあれば
日本政府は破壊者を破壊しようと何でもするはずだ。
そういう状況にならないためにも、穏やかに、いい方向へ変わってほしいではないか。
日本は、心配は余計だと知ることだ。
必要な分だけ考えて準備するのと、心配は違う。
心配は怖くなるだけで、準備しようともしないからだ。
そんな状態で何かしたら、周りが見えていないのに、かき回すことになってしまう。
自分は心配から当然のことをやっているが、現実は間違いだらけなのだ。
なぜか。
心配事が起きていないからだ。
ありもしないことを作り出して、対策するのだ。
周りから見たら、いらないことをしているようにしか見えない。
だいたい、日本を美化して中共批判したブロガーが逮捕される国やからなw
そういうことで
日本に住んで、政府の保護がまともに機能していると
思ってもらえるように願っている。
おわり
総理は馬鹿といっても
頭がおかしいと思われるだけで
警察に引っ張られることはないだろう
デモしている人に対してはわからないが
いい国じゃないか
そうとばかり言っておれないかもしれないけど
ばかいってんじゃないよ
日本のトイレがきれいになったのなんてごく最近のことだろ
中国全土はこれからってだけのことだ
でも日本にある程度住んだ中国人は
中国に帰ると耐えられなくなるんだよね
だからって日本に住まなくてもいいけど
>>43
っと こういう風に反射的に私が生み出した言葉を書いたものの・・・
実は沢山の支那人を日本に来させろと書きまくったのも俺
それには策が有った
それは支那人が日本の文化に触れると母国の文化との違いに気付くだろうと
支那で流される超人極悪日本兵が嘘という事も気付き始めるだろうと
見事にハマっていると思うよ それに危険を感じつつジレンマに陥っているのも共産党だろう
今はチキンレースみたいなもん どっちが自滅するか だが制限が必要だ
日本国内で好き勝手され放題なのは日本人への影響が大きい 早急に手を打つべき 日本は危険だろ
パヨクが憲法9条とか言って北朝鮮が核攻撃しやすいようにしてる
中国も韓国も君たちが住んでいなければきれいなままなんだけどね。
日本人が多過ぎるせいで暮らしにくい
移民を大勢受け入れて日本人を日本から追い出そう
日本は終わってるよ
犯罪をしている在日すら追放できないし警察は在日の仲間だから住めない
野蛮で乱高下の歴史が長いから面白い国なんだが、いつまたバラバラになるかわからない国のひとが、そこが落ち着くと言うのは、まだまだこれからが面白そうだ!