写真が残ってるってことはシーボルトとかいうドイツ人が
我が物顔で江戸を歩いていた江戸末期だろ
もっと家康が居た頃の写真貼れよ
いつも同じのしか見ないけど新たに出てきた時にスレ立ててね
穢多の仕事、指し腹の刑
罪人の家族から「どうか苦しまないように殺したって」って金品貰って生計立ててた
首を切り落とすと首が転がって血だらけになる
介錯人にしても罪人としても恥になるから首の皮一枚でその場に落とすようにしてたらしい
スプラッター劇場じゃなくて処罰の現場だから、できるだけ現場はきれいにして後片付けしやすくという前提で考えると当然の帰結
この時代、民度低いし殺人とかレイプとか日常茶飯事だったかな
ベロ出しチョンマっての思い出した
ストーリーは忘れたけど最後磔にされる童話
斬首と磔だとどっちが重罪だったんだろ?苦しむ分だけ磔の方が重罪なのかな
罪人の頭から下を土で固め埋めてこいつ自由に切っていいよの看板を設置して🤤
道行く通行人に好きにやらせるセルフの首切り刑は怖いと思った🤤
明治に入ってもしばらく斬首刑はあった
佐賀の乱を起こした初代司法卿(司法省トップ、今の法務大臣)の江藤新平は晒し首になってる
簡単に死刑になる時代でも犯罪が起きちゃうんだから、やっぱり教育と貧困問題は大事よね