日本人にエイズをばらまくぜ
↓
その手口をバラすぜ
これ創作したやつは馬鹿なんだろうか
昭和天皇の命令で行った生体実験
昭和17年(1942年)春のことだった。入営以来の住み馴れた
東満国境の部隊から関東軍防疫給水部に転勤になったとき、私に与えられた職務は
教育部付きとして各支部に配属される衛生兵の教育だった。
それが終了した後、第一部吉村班に出向ということになった。
ここは主として凍傷に関する研究を担当していて、私が行ったとき、たまたま
喝病〔原文ママ〕の生体実験が行われている最中だった。
それまでこの部隊は防疫給水、特に濾水機の製造補給が主な任務と聞いていた私には、
初めて接する部隊の隠された側面にただ驚くばかりであった。
堅牢なガラス張りの箱に全裸の人間を入れ、下から蒸気を注入して人工的に
喝病にかかりやすい気象条件を作り出して罹患させ、臨床的、病理的に観察し、
その病因を究明するためのものだった。
時間が経過するにつれ全身が紅潮し汗が滝のように流れ出る。
いかに苦しくとも束縛されていて身動きもできない。
やがて発汗が止まる。苦渋に顔が歪み、必死に身悶えする。
耐えかねて哀訴となり、怒号となり、罵声となり、狂声と変わっていく
あの凄まじい断末魔ともいえる形相は、今もって脳裏にこびりついて離れない。
私は初めて見るこの凄惨な光景をとても直視するに忍びず、一刻も早く逃げ出したかった。
それにしても平然としてこのような実験に取り組んでいる人たちは、果たしてどんな神経の持ち主なのであろうか。……
昭和天皇の命令で行った生体実験
実験その1。
厳冬の厳しい真冬の寒さの中に「マルタ」を長時間置き、
凍傷を作りその治療をするという人体実験。
この場合限界まで外に置き完全に凍傷をさせる死の直前まで外に置く。
死んでは治療が出来なくなためです。
そして体に出来た各部の凍傷を治療するという人体実験。
零下40度cの中に、長時間置かれるだけでも苦痛なのに。凍傷しているかを試すのに、
角材で、手、足を殴り、痛いうちはまだ凍傷になって
いないため更に、長時間、外に凍傷するまで置かれたという。
昭和天皇の命令で行った生体実験
実験その2。
腹部に銃弾を撃ち込み、その銃弾の摘出手術をするという人体実験。
治癒するまでの時間がどの位掛かるのか。
実験その3。
無理やり全身麻酔の注射をして、人体を解剖し、足、腕、を切断し、接続する人体実験。
頭部を切り落とし脳の中の仕組みを調べる。
実験その4。
「マルタ」の男女にセックスをさせる実験。目的は梅毒に感染させるため。
日本兵が梅毒に感染した時の治療方法の研究。
実験その5。
細菌に感染させる人体実験。チフス、ぺスト、コレラ、赤痢、結核、梅毒等に感染させて、
その病状の変化の様子を克明に記録した。
昭和天皇の命令で行った生体実験
実験その6。人間はどの位食べ物を摂らずに生きていられるかの実験。
兵士の背負う重装備の「背嚢」→はいのう。約30キロはある重い物を
背負わせ。5時間〜6時間歩かせ、水、食べ物をも与えず何日位位耐えられるのか。
あるいは飲料水と乾パンだけで、何日耐えられるか。
この実験には2人の中国人が使われた。何も与えない人。水と乾パンだけの人。
それぞれのデーターが記録された。
実験その7。
臓器摘出の人体実験。「マルタ」に全身麻酔をして、切り開かれた体内の臓器に、
刺激を与えどのような反応をするのかの人体実験。
そして摘出をして、ホルマリン漬けにする。まだぴくぴくと動いていたという。
実験その8。
「マルタ」を逆さつりにして、何時間何分で死に至るのかの人体実験。
身体の各部はどのように変化するるのかのテスト。
昭和天皇の命令で行った生体実験
実験その9。
猿や馬の血液と人間の血液の交換実験。「マルタ」の体内血液を全て抜き取り、
どの位の分量の血液が搾り取る事が出来るかの人体実験。
凍傷の人体実験では、極寒の零下40度に長時間放置し、冷凍人間に近いものを作って
人体実験をした部分は記載中涙が止まらなかった。何故そのような事が行われたのか?
答えは、かってシベリア出兵の時日本軍は凍傷に悩まされた経験を持っていました。
この凍傷の克服のために731部隊では、凍傷実験が行われたのです。
この実験で手足を無くした「マルタ」の身体は、かろうじて残された頭部だけです。
そして最終的には毒ガス実験などに「再利用」されたという
その他「マルタ」を柱に縛り付け、空中から細菌爆弾を投下し
効果がどの位あるのかを実験した。
「細菌の効力を確かめるため」
毒ガス実験では、ガラス張りの中に「マルタ」を入れ、
毒ガスで死亡していく経過を映像に記録したり。
絵画を描いたという。
//homepage2.nifty.com/yocyan1854/ikari4.htm
昭和天皇の命令で行った生体実験
そやね。私たちが片付けにいったとき、中国の女の人がありましたね。
梅毒の実験の。スペロヘータの実験の。それは思い出ありますね。
えーと、やられた先生は、園田中佐。教育隊の中佐のね。
それで私たちが入ったのは梅毒のそれをやったあとですから、
恥部をずうっと切り開いとったですね。
その実験がどういうようにしたとかはお聞きになりましたか?
いやー、それは聞いてない。それは恥部と、それとあばらを開いとったですね。
その中をどうあたっていたかは覚えてないですね。顔とかはあたってないです。
まあ、そのような繰り返しです。
//tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm
昭和天皇の命令で行った生体実験
その真空試験いうのは?
結局カプセルの中に入れて空気を抜くわけです。
そうすると穴という穴から腸とか全部飛び出してくるいうて、
凄かったらしいです。
それを言われた方、覚えていますか?
はい、1班におったのですね。茨木の方です。4年次になってちょっとして聞いたですね。
何班ですか?
それは研究班になるんですね。岡本班ですね。
どういう意味でやったのかそこまで聞かなんだけどね。
//tenjin.coara.or.jp/~makoty/library/memory731.htm
証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす
撤収作業で緊急を要したのは、マルタの処置であった。
ロ号7,8棟に、青酸ガスを噴出させて、かなりのマルタを殺した、
また、私たちが直接手を出さないで確実に殺す方法を編み出した。
つまり、マルタ2人を互いに向かい合わせ、
首にロープをまき、その中央に棒を差し込んで、2人がねじるのである。
もちろん、私たちはかたわらで銃を構えている。
2,3分で2人とも自らの首を自らの手で締め上げていった。
この方法で私たちは多数のマルタを殺した。
また、その他いろいろな方法で、マルタを整理したのである。
私たちは、マルタを殺す前、マルタ自身に溝を掘らせてから
処置することも忘れなかった。
そんな時、彼らは足かせを引きずりながら、生気の無いドロンとした眼で、
シャベルや鍬(すき)をにぎっていた。
きっと、その溝が何のためのものかわかっていたのだろう。
//xa0007.blogspot.com/2009/10/731_27.html
このように想像を絶する極悪非道の限りを尽くした
糞ジャップだが、敗戦後、
中国にも北朝鮮にも韓国にも、その他東南アジア諸国にも
全く、謝罪してないし、賠償金も払っていないのだ。
屑にもほどがある。
あげくのはてに、何回謝れば気が済むんだとかほざきやがる。
死ね、百万回死ね、糞ジャップ
ジャップのこういう残虐な悪事は
天皇の命令で行われたのよ。
それがバレると、
天皇制廃止!の声が大きくなる
それがまずいから、
糞ジャップは日帝の戦争犯罪を
いまだに必死になって否定、隠蔽してんのよ
死ね
コンビニよりも低い時給で風俗してる女
その程度の嫌さしかないわけだよ
搾取などと言うのはキチガイだけ
日本の状況というのはですね、
実際には、米軍が仕切ってるんですね。
毎月2回、日米合同委員会というのが
開かれています。
それは、外務省北米局長を中心とした
官僚の最も上の人たちが、
米軍の指示を仰ぐという、そういうものです。
それによってこの国は動いています。
で、そういった日米合同委員会が
裁判所も動かしとると、
日銀も動かしとる
全ての省庁を操っとるわけです。
いつも悪い方に付いて手先になってる、
ということは知ってると思いますよ。
私、自衛隊におりましたけれども、
敵味方識別装置っていうのありますよね、
あれはアメリカが作って、
そして、そのコードを変える、
そのコードまでアメリカの指図です。
つまり自衛隊というのは
日本軍じゃなくて米軍のポチといいますか、
そういう状態なんですよ。
日本政府もそうなんですよ。
日本というような国は実際は「ない」んです。
ないんですよ。
スタートからそうだし、今も存在しないんですよ、本当は。
だから、日本人が自分の国なんて言ってるのは、
何のことなんか本当は分かってないんですね。
竹原信一