ええ,ネガティブなフィードバックもいっぱい来ました。
ああ,これがチェンソーマンっていう作品の歴史なんだって,そのとき改めて思いましたね。
ただそれと同時に,「原作病」にかかったままの人が,ファンの中にもいっぱいいるんだってことに気が付いた。
主にインターネットの掲示板などにいる,自分の原作観でしか物事を考えられなくなってしまった人達のことです。
その根っこにあるのは強烈な自己肯定で,アニメの独自性、挑戦してる面よりも,自分の作品観を優先してしまう。
その観点を満たせてないと,アニメとしてダメだと思い込んでいる。
「チェンソーマンは特別な作品で,それを作っている自分達も特別なんだ。チェンソのアニメが出たら皆が食い付くはずだ」って,どこかで思っている。
でもそんな現実,あるわけないじゃないですか。
それで,「俺たちは特別な存在じゃない。早く目を覚ませ」って,チーム内で諭していた時期があったんですけど。
でも,インタビューの情報を世に出し始めたことで,それが社内だけじゃなかったことに気が付きました。
みんなが原作病だったんですよ。
因果が逆だな
原作なんか見たこともないけどアニメとしてつまらん面白くないと思ったら作ってるやつがチョー調子こいてた
「これは挑戦している」と思える部分が
なければ、少なくともチェンソーマンのアニメとしては成り
立たないと思います。 アニメチェンソーマンシリーズには、
何か規格外の部分が必要で、誰でもつくれるようなものでは、アニメとして出す意味がありません。 受け手としてもワクワクしないでしょう。
「大切な何かを受け継いだ。という点で 主人公もぼくたちも同じかもしれない。」
「守るべき伝統と壊すべき伝統があるはずです。」
「組織のヒエラルキーをリセットしました。 というのも、セクションのリーダーを務める人が、 十数年もずっと同じ地位にいたりして。 そうすると当然ながらスタッフどうしの力関係が決まっていて、ものの真贋やチームとしての勝利条件ではなく、 その人の感覚や主観といった個人的な尺度に従う形でみんなが仕事をしてしまう。そういう不要な関係性をリセットする意味で、「今からここは上も下もない、 修羅の国だ!」という話をしました(笑)。」
「これがAAA(トリプルエー)の映像化だ と堂々と言える作品にすることです。」
「ディティールに神が宿る…それって本当の事なのかもしれない」
「必要な事は、やり尽くした。」
「光の反射、感触、温度、 動き、
膨大な現実世界のデータで
アニメチェンソーマン はできている。」
「名作映画に出てくる料理は
必ず美味そうだと言う。
アニメも同じだ。」
「本物の太陽を再現するために、 ただひたすら光を追った。」
もっとリアルさを追求したい。 例えば、
コウモリの悪魔のような大きくて強い敵
と戦うとき、 実際なら真っ向から
向かってはいかないでしょう。 攻撃
を避けながら、頭を使って相手を
誘い込み、 横を取るなりして、 攻撃
をしかけていくしかない。
「想像力ではなく 本当の体験から世界をつくっていく。」
「チェンソーマン」をアニメ化すると出発したときに、
絶対にやらなければならないと思ったのは、
作品を現実化するということ。つまり、 現実の延長線上の作品にするということです。
そのためには 『アニメ』を挑戦
者に戻すことが必要だと考えて、
そのためにやれることはすべてやろうと決め
ました。
作品を"リアルな現実”として扱いました。
例えばオーバーなリアクションや大げさな声優の演技を排除し
かなり写実的、現実的にまるでカメラで撮っているかのようなリアルな映像を意識したといった具合です。
視聴者自身にも、チェンソーマンとしての人生を意識させる
つまり、単に「アニメ化」「映像化」といった単純なコンセプトではなくて
一つのリアルな世界を追体験させるのが目的なんです。
「我々も常に挑戦者でいる」 ってこと
ですかね。 そもそもチェンソーマンって週刊少年ジャンプへの挑戦として生まれてきた作品じゃないですか。
原作とアニメの内容全く同じなんでしょ
完璧に仕上げたとしても大成功する気がしない
絶対別物になる事を想像出来なくて狼狽える原作信者さん
比較画像まで作って不満を共感して貰おうとする行為がとても痛々しかったです
むしろ不徳は忠実にアニメ化されていた
某鋸男は参考にすべきだ
不徳のギルドみたいなダークファンタジーに
少年ジャンプ作品が負けるとかありえないだろ...
不徳のギルドはエロ釣りに見えるが内容作画とも良かったからな
チェンソーマン2期より
不徳のギルド2期のほうが
遥かに楽しみ
不徳のギルドに2期があるのかは知らんけど
打ち上げ会場はまさに葬式の雰囲気
局と代理店の人間は乾杯の後まもなく姿を消し
まばらな参加関係者の間ではひそひそと密談が展開される
憮然とした表情で痛飲した監督がついに机をひっくり返し
制作進行の女子がヒステリックに号泣し
シリーズ構成の脚本家はトイレ個室で煙草を吸いつつこの悪夢が早く終わることを天に祈る
制作Pが半べそをかきながら壇上で土下座をするという最高のエンディング
これがチェンソーマンの顛末である
2スレ行ってんじゃんて見たらスクリプト湧いてんのって火消し?
ヒタム・キャン
ひっくり返すとキャン・ヒタム
キャンタムつまりキンタマ
ヒタム・キャンは実質コベニちゃんみたいなもんだから売上合算できないかな?
チェンソーマンの演出や演技はアークナイツにも当てはまると思う
どちらも原作からしてアニメアニメした演出や演技出来る余地があるのに
それを徹底的に抑えてアニメ化した点で
噂によると制作費はかなりあるとか
これが殆どエンディング関係に消費されたであろうことは想像に難くない
無駄に動いてたしね
アニメの楽しさ面白さに何も繋がらないから無駄だけど 全くの無駄
マンガの大ゴマドン!見開きバーン!を引きでやったりしてんだろ そら迫力ねーはずだわ
枚数多いだけのぬるぬる作画はスピード感を殺すんだよね 鈍く感じるの
アニメーターがそれわかんねーってどういうことなんだろな
アニメ見たことねーのかよ