バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 英語版のウィキペディアのファティマ第三の秘密には、
秋田について言及されているな。
Three Secrets of Fátima
Also, a news article quoted former Philippine ambassador to the Vatican, Howard Dee, as saying that Cardinal Ratzinger had personally confirmed to him that the messages of Akita and Fátima are "essentially the same."
[31] The Akita prophecy, in part, contains the following: "The work of the devil will infiltrate even into the Church in such a way that one will see cardinals opposing cardinals, bishops against bishops. … churches and altars sacked .
また、ラツィンガー枢機卿が秋田とファチマのメッセージが「本質的に同じ」であることを個人的に確認していたと伝えられたことから、
フィリピン元大使のハワード・ディー前大使を引用した。 [31]秋田予言には、「悪魔の働きは、枢機卿が枢機卿に反対し、司教に反対する枢機卿が見えるように教会にも浸透します...教会と祭壇が解雇されます..
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima 日本ピンチ! 9月14・15日「ファティマの聖母」と「秋田の聖母」が奇跡の対面→第三次世界大戦勃発か!?
「ファティマの奇跡」からちょうど100年経った今年2017年、世紀の対面が日本で果たされる……!
しかし、この最終予言がまもなく日本において成就されるかもしれない。なんと今月14・15日、
ファティマの聖堂にあるマリア像が、秋田市のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやって来て、
かの有名な「涙を流した秋田の聖母像」と対面を果たすというのだ。
■ファティマと因縁の深い秋田の聖母
「秋田の聖母像」に最初の奇跡が起きたのは、1973年7月12日のことだった。シスター笹川が礼拝中、
いきなり聖母像の右手のひらに十字架が刻まれ、血が流れ出したのだ。そして1975年1月4日には、
同じ聖母像から涙が流れるという奇跡も起きたのである。その後も落涙は続き、なんと1981年9月15日(悲しみの聖母の記念日)まで101回も続いたという。
さらに驚くべきことに、最初の奇跡を体験したシスター笹川は、光り輝く聖母マリアにも遭遇していた。そしてシスターは、
降臨した聖母マリアから「ファティマの祈り」を教えられている。この「ファティマの祈り」は、1917年にファティマに降臨した聖母マリアから、
3人の子どもたちが教わったものと同じだ。しかし1970年代当時、まだ「ファティマの祈り」は和訳されておらず、日本では誰も知らない状態だった。
つまり、シスター笹川に「ファティマの祈り」を教えた聖母マリアは、ファティマに降臨した聖母マリアと同一の存在であったと考えられるのだ。
このように、ファティマの聖堂にあるマリア像と、秋田の聖母像には深い因縁がある。ポルトガルでの奇跡から100年の時を経て果たされる“世紀の対面”には、
何か重要な意味があるのではないだろうか?
http://tocana.jp/2017/09/post_14436_entry.html ファティマの奇跡から101年目の2018年は、秋田イヤーだった!!今年の流行語大賞は、「秋田」でしょう。
金足農4強で地元熱狂!“秋田イヤー”だ マサルもナガマツも
すんげな金足!第100回全国高等学校野球選手権記念大会で旋風を起こしている秋田県代表の金足農が18日の準々決勝で近江(滋賀)に逆転サヨナラ勝ち。お盆が過ぎて秋の足音が近づいても、秋田県民の体温は上がり続けている。
秋田市中心部の商業施設「エリアなかいち」では、屋外に設置された230インチの大画面に約620人がくぎ付け。同施設によると、初戦に集まったのは約50人。その数は実に13倍だ。
劇的な勝利に、最前列に陣取った同校野球部OBらから大歓声。同市内の「イオンモール秋田」の大型ビジョンも大勢の買い物客から歓喜の拍手が鳴りやまず。感動して涙を流す人もいた。
ネット上も金足農の話題でもちきりだ。横手市出身のシンガー・ソングライター高橋優(34)は試合後、ツイッターで「取材の合間に試合結果聞いて叫んだ」とコメント。「凄い」を意味する秋田の方言を添えた「♯すんげな金足」との言葉は瞬く間に拡散した。
同じく、「凄い」「とても」を意味する秋田の方言「しったげ」から「しったげ旋風」と称える投稿をした人もいた。地元局の秋田朝日放送は公式ツイッターで「あ」を73個並べ、秋田放送も複数の投稿で「あ」を計42個使って言葉にならない興奮を表現した。
話題性でいえば平成で最も熱い“秋田イヤー”と言っていいかもしれない。かねて世界的に秋田犬ブームに沸く中、平昌五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、
アリーナ・ザギトワ(16)が秋田犬について言及。現在ザギトワの愛犬になったマサルが5月に大館市でお披露目された際には、
在京マスコミが殺到した。今月5日のバドミントン世界選手権では、秋田市に本店を置く北都銀行所属の「ナガマツ」ペアこと永原和可那、松本麻佑が女子ダブルスで41年ぶりの金メダルに輝いた。
そして、全員地元出身の金足農ナインに県内だけでなく全国から熱視線が注がれている。
空前の盛り上がりに秋田駅前のファッションビル「秋田オーパ」は公式ツイッターで「秋田県民みんな息してる?」と問いかけた。20日の準決勝へ今年の夏はまだまだ熱くなる。
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/08/19/kiji/20180819s00042000036000c.html 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日)
2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。
その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。
秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。
信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。この度、ローマ教区より、ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。
信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、
世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。
バ飼い主 みんな一緒
自分の自宅が知られてないと思って 相手が嫌がってると分かっても強気でやりたい放題
遠慮するとか全くなくて、「なんのためにリードがついてるんだよ」 と突っ込みたいバカがほとんど
自宅が特定されるととたんに殊勝になる。
最初から少しは他人の感情に配慮しろよ 低脳が
>>10
カトリックの性犯罪を肯定して放置するんですか? >>10
オウムの麻原の預言やエホバの証人が信じているハルマゲドンと同類の聖母マリアの預言を盲信しているあなたの方が低脳です! バチカン(ローマ教皇庁)は聖書「ヨハネの黙示録」に描かれている「大いなるバビロン」です。彼女「大バビロン」は突然「獣」不法の人に滅ぼされます。「わたしの民よ、彼女から出なさい!」主からの緊急メッセージをお伝えいたしました。
ルシアの姉の孫が日本人とは、ますます興味深い。
ファティマと日本は、縁が深い。
ファティマの聖母が日本に降臨したのも頷ける。
JACINTA1972、(大警告の日付)について解説。
JACINTA1972は、アメリカの教会内において、
マリア像の前で写真を撮ったところ、
その写った写真にJACINTA1972という文字が写っていたという怪現象である。
その怪現象は、ポラロイドカメラでしか写らず、偽装は不可能である。
これは、ファティマの奇跡の目撃者であるヤシンタ・マルトの警告であると言われている。
海外では、このJACINTA1972の暗号について色々と言われているようである。
JACINTA1972 の年号(大警告の日付)を
解き明かしてみる。
http://www.tldm.org/misc/1972.htm
JACINTAをバラバラにしてくっつけると、
JN 【略】=Japanese national日本人、日本国民
acita ciは、英語の古典式でキとも読む、
JACINTAは、秋田の日本人。
JACINTA1972の1972は、
安田貞治神父著の「聖母マリア像の涙」によると、
笹川さんは、昭和44年に聖体奉仕会の外部会員となったと書いてある。
1969年(昭和44年)には、秋田の聖体奉仕会の会員であったということである。
そして1973年1月末頃から耳が聴こえにくくなり、1973年の3月26日に耳が全く聴こえなくなったと記されている。
JACINTA1972のacita=秋田、JN=日本人と1972年には、
秋田の聖体奉仕会の外部会員であったことから、JACINTA1972の暗示に当てはまると言えるだろう。 JACINTA1972のJACINTAには、元々秋田の日本人という意味が含まれていた。
ポルトガルのファティマの聖母の目撃者、ジャシンタ・マルトには、
秋田の日本人を意味する暗示が元々名前に含まれており、
JACINTA1972の翌年、1973年にマリアからの大警告のお告げ
があり、最終的には、通算101回の涙を流し、
ジャシンタ・マルトの生誕日1910年3月11日に
101年を足すと2011年3月11日の東日本大震災の日と一致する。
JACINTA1972、このことからも秋田とファティマの関連性が窺え、
JACINTA1972の大警告とは、秋田の聖母マリアのメッセージのことで
あったのかもしれない。
安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、
秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と
は思われない。
ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に
伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。
歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、
人々の好奇心を刺激している現状である。
しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、
聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、
と私は思う”
〜中略〜
”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、
やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、
姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、
この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、
を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。
聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、
人々は無視してしまったのである。
このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を
通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された
のである。”
【緊急警告】10月13日に「ファティマの第3予言」で人類滅亡か!? UFOに乗った宇宙人が降臨し… 聖マリア像の落涙現象も続出!
世界中の聖母マリア像が泣き出した――つまりこれば、いよいよ終末が近づいている証左ではないのか?
つまり今、世界中のマリア像が涙を流しているという事実、これはまさしく「ファティマの第3予言」がいよいよ成就することを暗示した出来事ではなかろうか? 10月13日は、
ズバリ今から約100年前にファティマの聖母が現れた最後の日なのである。そのタイミングで聖母が再び降臨し、我々人類に大事なメッセージを伝えるのではないかと思うのだ。
■太陽観測所閉鎖の本当の理由
ここで、アメリカ国立太陽観測所が突然閉鎖された理由に再び戻って考えてみよう。各国で飛び交う憶測の中に、「太陽の観測中に見てはいけないものが観測されてしまったのではないか」と指摘する声がある。
では、“見てはいけないも”のとは何か? 前述のファティマの聖母について加味すると、それはまさしくUFOではなかったのか? 今さら指摘するまでもなく、
UFOはアメリカ政府にとって核兵器よりもさらに上位のシークレットとされている。だからこそ、観測所の職員まで閉め出されてしまったのかもしれない。
太陽観測所でのUFO観測、各国のマリア像が「ファティマの予言」が物語る聖母マリアが“宇宙人だった”という事実、隠蔽された第3予言、そして世界中で相次ぐ聖母マリアの落涙事件――これですべてが一つにつながった。
やはり10月13日、UFOに乗った聖母マリア(宇宙人)が地球に降り立ち、いつまで経っても争いを止めず環境を破壊し続ける愚かな人類に対して“終局”を宣言するのかもしれない。
いずれにしても来週13日、人類史上最大のイベントが起きる可能性は否定できない。覚悟せねばなるまい。
http://tocana.jp/2018/10/post_18349_entry.html New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】
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&feature=youtu.be ファティマの奇跡から101年目の2018年は、秋田イヤーだった!!今年の流行語大賞は、「秋田」でしょう。
金足農4強で地元熱狂!“秋田イヤー”だ マサルもナガマツも
すんげな金足!第100回全国高等学校野球選手権記念大会で旋風を起こしている秋田県代表の金足農が18日の準々決勝で近江(滋賀)に逆転サヨナラ勝ち。お盆が過ぎて秋の足音が近づいても、秋田県民の体温は上がり続けている。
秋田市中心部の商業施設「エリアなかいち」では、屋外に設置された230インチの大画面に約620人がくぎ付け。同施設によると、初戦に集まったのは約50人。その数は実に13倍だ。
劇的な勝利に、最前列に陣取った同校野球部OBらから大歓声。同市内の「イオンモール秋田」の大型ビジョンも大勢の買い物客から歓喜の拍手が鳴りやまず。感動して涙を流す人もいた。
ネット上も金足農の話題でもちきりだ。横手市出身のシンガー・ソングライター高橋優(34)は試合後、ツイッターで「取材の合間に試合結果聞いて叫んだ」とコメント。「凄い」を意味する秋田の方言を添えた「♯すんげな金足」との言葉は瞬く間に拡散した。
同じく、「凄い」「とても」を意味する秋田の方言「しったげ」から「しったげ旋風」と称える投稿をした人もいた。地元局の秋田朝日放送は公式ツイッターで「あ」を73個並べ、秋田放送も複数の投稿で「あ」を計42個使って言葉にならない興奮を表現した。
話題性でいえば平成で最も熱い“秋田イヤー”と言っていいかもしれない。かねて世界的に秋田犬ブームに沸く中、平昌五輪フィギュアスケート女子の金メダリスト、
アリーナ・ザギトワ(16)が秋田犬について言及。現在ザギトワの愛犬になったマサルが5月に大館市でお披露目された際には、
在京マスコミが殺到した。今月5日のバドミントン世界選手権では、秋田市に本店を置く北都銀行所属の「ナガマツ」ペアこと永原和可那、松本麻佑が女子ダブルスで41年ぶりの金メダルに輝いた。
そして、全員地元出身の金足農ナインに県内だけでなく全国から熱視線が注がれている。
空前の盛り上がりに秋田駅前のファッションビル「秋田オーパ」は公式ツイッターで「秋田県民みんな息してる?」と問いかけた。20日の準決勝へ今年の夏はまだまだ熱くなる。
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/08/19/kiji/20180819s00042000036000c.html インバウンドの聖地 /秋田
毎日新聞2018年6月29日 地方版
「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。
入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。
像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。
十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。
「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。
国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。
同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、
心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】
https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? マリア崇拝=バアル教の女神イシュタル崇拝
マリア像は偶像
マリアは普通に亡くなった(原罪があるので死は免れ得ない)
マリア無原罪はマリアの神格化
すなわちこの現象はサタン悪霊の仕業か内部の人間による仕業であり、神によるものではない
安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、
秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と
は思われない。
ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に
伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。
歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、
人々の好奇心を刺激している現状である。
しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、
聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、
と私は思う”
〜中略〜
”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、
やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、
姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、
この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、
を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。
聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、
人々は無視してしまったのである。
このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を
通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された
のである。”
英語版のウィキペディアのファティマ第三の秘密には、
秋田について言及されているな。
Three Secrets of Fátima
Also, a news article quoted former Philippine ambassador to the Vatican, Howard Dee, as saying that Cardinal Ratzinger had personally confirmed to him that the messages of Akita and Fátima are "essentially the same."
[31] The Akita prophecy, in part, contains the following: "The work of the devil will infiltrate even into the Church in such a way that one will see cardinals opposing cardinals, bishops against bishops. … churches and altars sacked .
また、ラツィンガー枢機卿が秋田とファチマのメッセージが「本質的に同じ」であることを個人的に確認していたと伝えられたことから、
フィリピン元大使のハワード・ディー前大使を引用した。 [31]秋田予言には、「悪魔の働きは、枢機卿が枢機卿に反対し、司教に反対する枢機卿が見えるように教会にも浸透します...教会と祭壇が解雇されます..
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima 「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ
http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html
第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。
「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。
■海外で有名
一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。
以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。
■ “集客”に期待
ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。
秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。
既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。
聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。
秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 中山美穂離婚騒動、辻仁成のキリスト化が原因だった!?
■辻仁成の名前にヒントが隠されている!?
また、『辻仁成』という名前にも驚くべき秘密が隠されています。漢字の『十』は十字架ですよ、これ。つまりイエス・キリストですよ。『辻』という字には『十』が含まれていますよね。『辻』を『キリスト』としてみます。
そして、『仁成』の『仁』という字のにんべんをカタカナ読みすると『イ』、そして『成』は「ナリ』。続けて読むと『イナリ(稲荷)』。つまり、『辻仁成=キリスト・イナリ」なんですよ!』
実は、キリストとイナリは関係が深いんです。宗教画でキリストが磔にされている画がありますがキリストの頭にINRIという文字が書いてあるんです。これは実は、イナ…あっ! これ以上話すとちょっとアレなんでここでやめておきます。
■イナり過ぎた辻仁成!? 始まりは「ZOO」だった
「稲荷とは白いキツネをシンボルとする日本古来の神で、農業や食物の神とされています。稲荷の語源は諸説ありますが、もともとは『稲成(いねなり)』で、
雷が落ちると稲がよく育つとされたことから来ています。『稲妻』『稲光』といった単語に『稲』という字が使われているのもそういうわけです。
僕は個人的に、キツネにとりつかれることを『イナる』と呼んでいます。イナる状態に入ると、雷に打たれたようにエキセントリックになり、
人並み外れた能力を発揮するようになります。辻さんはここ数年で急激にイナり始めた、そしてキリスト化していったせいで、中山さんがついていけなくなり、
二人の溝が深まっていったのではないでしょうか。辻さんが『ZOO』という動物にまつわる曲を作っているのも、動物的な霊性と縁がある証だと思います。
最近の辻さんが長髪にして、見た目を中性化させているというのも、神に近付いている…、つまり、キリスト化しているからでしょう。
誤解や批判はたくさん受けるかもしれませんが、これからの辻さんはすばらしい作品をどんどん生んでいく時期に入ると思いますよ」
なんと、辻仁成は「キリスト・イナリ」だったのである! 本格的にイナり始めた辻の今後の活動から目が離せない。
http://tocana.jp/2014/04/post_3908_entry.html 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? ルシアの姉の孫が日本人とは、ますます興味深い。
ファティマと日本は、縁が深い。
ファティマの聖母が日本に降臨したのも頷ける。
英語版の秋田の聖母のwikipediaでは、
ファティマ第三の秘密=秋田のメッセージが掲載されている。
もはやファティマと秋田の関係は、既成事実となってしまったな。
Our Lady of Akita - Wikipedia
The third message communicated on October 13, 1973 was described by Cardinal Ratzinger as essentially the same as the third Our Lady of Fatima message or Third Secret.[a]
After this final warning, it was claimed that the statue became animated for an extended period and was witnessed by a number of nuns.[
1973年10月13日に伝えられた第3のメッセージは、ラッツィンガー枢機卿によってファチマの第3の聖母メッセージまたは第3の秘密と本質的に同じであると記述されました。
この最終的な警告の後、この像は長期間アニメーション化され、多くの修道女が目撃されたと主張された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita 英語版のウィキペディアのファティマ第三の秘密には、
秋田について言及されているな。
Three Secrets of Fátima
Also, a news article quoted former Philippine ambassador to the Vatican, Howard Dee, as saying that Cardinal Ratzinger had personally confirmed to him that the messages of Akita and Fátima are "essentially the same."
[31] The Akita prophecy, in part, contains the following: "The work of the devil will infiltrate even into the Church in such a way that one will see cardinals opposing cardinals, bishops against bishops. … churches and altars sacked .
また、ラツィンガー枢機卿が秋田とファチマのメッセージが「本質的に同じ」であることを個人的に確認していたと伝えられたことから、
フィリピン元大使のハワード・ディー前大使を引用した。 [31]秋田予言には、「悪魔の働きは、枢機卿が枢機卿に反対し、司教に反対する枢機卿が見えるように教会にも浸透します...教会と祭壇が解雇されます..
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima なまはげがユネスコの無形文化財に指定されて、
1917年のファティマの奇跡から101年目に当たる2018年は、
秋田イヤーでしたね。
女神イシュタル崇拝=マリア崇敬
像自体がまさに偶像
悪魔の仕業もしくは悪質ないたずら
土佐犬3匹逃げ出す…1匹確保 九十九里町(日本テレビ系(NNN)) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181202-00000039-nnn-soci
2日午後、千葉県九十九里町で軽トラックと乗用車の事故があり、軽トラックの荷台から土佐犬3匹が逃げ出した。うち1匹は確保されたが、2匹は現在も見つかっていない。
警察によると、2日午後2時過ぎ、九十九里町で軽トラックと乗用車の事故があった。軽トラックの荷台には土佐犬3匹がオリに入れられていたが、事故の影響でオリが壊れ、逃げ出したという。そのうち1匹は約2時間後に現場近くで確保されたが、2匹は現在も逃走中。
逃げた土佐犬はいずれも体長約60センチ、体重30キロ前後の2〜3歳で、黒色と茶色が1匹ずつだという。警察は、土佐犬を発見した場合は近寄ったり触ったりせず、110番通報するよう呼びかけている。 >>50
一般の宗教学者によるとユダヤ・キリスト教の最後の審判や天使などの思想は
イランのゾロアスター教から影響を受けた、つまりパクリだそうだ。
プロテスタントのあなたもそれを認めるのか? ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】
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&feature=youtu.be バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 天におられるわたしたちたちの父よ。
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
私たちも人をゆるします。
私たちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
アーメン。
「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ
http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html
第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。
「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。
■海外で有名
一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。
以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。
■ “集客”に期待
ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。
秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。
既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。
聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。
秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 なまはげ最高!!秋田は、UFOも出る。
〆 〆
ミミミヾノノーノノ |ヽ
ミミ彡ミ 《○)《○)、 | ☆ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ彡ミミ < (∞) ノ | 丿 < 泣ぐ子は いねえがぁあ!
ミ彡 彡ミミ /∨w∨ | |・: \__________
彡勿ミミ (∧ィMM∧) ηξ:・
彡勿勿勿 〜w〜′/ /
勿勿勿勿勿勿勿/ /彡
韓国に聖母出現もないし奇跡もおこっていない。何故なのか?
ローマ法王が韓国民に「倫理的に生まれ変わるよう望む」と言ったは正当だろう。
バチカンは日本に神が現れ韓国は神からも否定されているのを知っているのだ。
なまはげ最高!!
〆 〆
ミミミヾノノーノノ |ヽ
ミミ彡ミ 《○)《○)、 | ☆ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ彡ミミ < (∞) ノ | 丿 < 泣ぐ子は いねえがぁあ!
ミ彡 彡ミミ /∨w∨ | |・: \__________
彡勿ミミ (∧ィMM∧) ηξ:・
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勿勿勿勿勿勿勿/ /彡
このことは大事なのですが、今の時代、終わりの時代のクリスチャンにとって、さらに
大事なことを見ていきたいと思います。
それは、教会の中にこの偶像崇拝が侵入するということです。
たとえば、カソリックがマリヤの像を造り、皆で拝する、これは明らかに偶像崇拝なのです。
そして、偶像である以上、悪霊が働くのです。
その証拠によく、マリヤ像は、血の涙を流したりします。
また、マリヤの予言なるものをよく聞きますが、たいていの場合外れます。
何故外れるのか?それは、神からではなく、悪霊から来たものだからです。
カソリックの人々は、マリヤの像を拝む時、自分達はキリストに喜ばれることをして
いると錯覚しているのでしょうが、実際は悪霊を拝んでいるのであり、
神に忌み嫌われることをしているのです。
結果、おかしな幻を見たり、信仰や、精神に変調を来たします。
「21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。」
主の杯と悪霊の杯とは両立しません。ですから、イエスの霊と
マリヤからの霊との間には大きな相違があり、それは両立しないのです。
イエスの霊に触れる人は、聖霊の喜びにふれるでしょうが、悪霊マリ
ヤからの
霊には、ろくなことがありません。
だから、二つの杯を飲むということは両立しないのです。
悪霊マリヤの杯を飲む人々は、善も悪も区別がなくなり、
「聖書にも間違いがある」なんていう愚かなことを平気で口に出すようになります
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主 御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも
祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。
アーメン。
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主 御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも
祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。
アーメン。
めでたし聖寵充ち満てるマリア、
主 御身とともにまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
ご胎内の御子イエズスも
祝せられたもう。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終のときも祈り給え。
アーメン。
安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、
秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と
は思われない。
ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に
伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。
歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、
人々の好奇心を刺激している現状である。
しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、
聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、
と私は思う”
〜中略〜
”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、
やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、
姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、
この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、
を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。
聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、
人々は無視してしまったのである。
このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を
通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された
のである。”
大本教の出口王任三郎の予言とファティマ第三の予言の共通点について。
「ファティマの聖母」9月に秋田へ 「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”がコラボ
http://www.sankei.com/life/news/170713/trv1707130004-n1.html
第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる「ファティマの奇跡」から100年を迎えたのを機に、ファティマの聖母像が9月、
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」にやってくる。
「東西の奇跡」が対面する場で祈りをささげようと、国内外から多くの巡礼者が訪れそうだ。
■海外で有名
一方、秋田の聖体奉仕会の聖母像は台座を含めた高さ120センチの木彫りの像。昭和50(1975)年1月4日の朝、両目に涙が浮かんでいるのに修道女が気付いた。
以来、56年9月15日まで101回、涙を流し、当時の高田景次秋田市長も含め約500人が目撃したという。その液体は秋田大と岐阜大の法医学教室によって「ヒトの体液」と鑑定された。
■ “集客”に期待
ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「奇跡の共通性」を指摘する声もある。
秋田に来る聖母像はファティマの「聖母出現」100年を記念して新たに作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。
既に日本国内を巡回していて、100周年の5月13日にはカトリック関口教会(東京都文京区)でミサが行われた。最終的にはカトリック幟町(のぼりちょう)教会(広島市)に納められる。
聖体奉仕会では9月14、15の両日に像が安置され、法王庁のジョセフ・チェノットゥ駐日大使も参列してミサなどが行われる。国内外から数百人の巡礼者が見込まれるという。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「世界中がファティマの聖母ご出現100年を大事にする中、秋田に聖母像が来るのは意義深い。私たちの信仰生活に生かしたい」と話している。カトリック教徒以外も注目している。
秋田県や秋田市は以前から聖母像の“集客力”に期待。地元ホテルの中には、聖体奉仕会までの送迎無料の「巡礼者特別プラン」を設けているところもある。 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは?
■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」
「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。
そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。
この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。
■マリアの催促!?
第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。
また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。
だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、
「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。
これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。
聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。
http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 感染養豚場の周辺に施設密集 愛知・田原、優先して検査へ(共同通信) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190214-00000012-kyodonews-soci
新たに豚コレラ発生を確認した愛知県田原市の養豚場周辺には、10を超える飼育施設が半径約300メートルの範囲に密集していることが14日、県への取材で分かった。
県は3キロ圏にある全33施設で抽出検査を行う方針だが、感染拡大を防ぐため密集地域の施設を優先するとしている。
養豚場での感染は13日に判明したが、県が先月に立ち入り検査した際は、国の飼養衛生管理基準を全て満たしていたという。
県によると、密集地域にあるのは計14施設。昨年2月1日の時点で計1万頭余りの豚が飼育されていた。県はこのうち、発生養豚場に加え、経営者が同じ別の養豚場で殺処分を進めている。 バチカンが第三予言の全内容を公表したわけではないので、
現段階で言えることは、秋田のメッセージが第三予言とほぼ同じであるということ。
メッセージは、自分でググってくれ。
インバウンドの聖地 /秋田
毎日新聞2018年6月29日 地方版
「日本人より外国人が続々と訪れている場所がある」と教えられた。それは秋田市北東部の静かな丘の上にある教会。
入り母屋造りの和風建築で、寺か神社に見える。このカトリック修道院「聖体奉仕会」聖堂に、「涙を流す聖母像」が安置されている。
像は1963年、秋田市の彫刻家、若狭三郎氏がカツラの木で制作。台座を含め高さは約1・2メートルで、丸い地球の上に立つ。
十字架を背に、誰でも受け入れるかのように両手を左右に開いている。75年1月4日朝、像の目から液体が流れているのが見つかり、81年9月15日まで101回にわたって「落涙」が記録された。
「涙を流すマリア像」として次第に知られるようになり、今では年間約7000人が訪れる。その3分の2がインドネシアやフィリピン、米国、ポーランドなど世界各国からのインバウンド(訪日外国人)だ。
国内よりも海外での知名度が高く「聖地」となっている。
同会は「訪れた人の心のやすらぎの場になれば」(小川恵子会長)と歓迎しており、今年に入って英訳付きの案内小冊子を作った。私の前で「奇跡」は起こらなかったが、マリア像が放つ厳粛な雰囲気の中で、
心静かなひとときを過ごすことができた。【大槻英二】
https://mainichi.jp/articles/20180629/ddl/k05/070/168000c 涙のまわりに集う信仰の輪
しかし仮に「偽物」だったとしても、涙するマリア像に集まる信仰の輪は本物だとシュマルツ教授は指摘している。涙の真偽を問うよりもはるかに大切なのは、その像に集う人々の心の葛藤や、希望や、得られた安堵感なのではないだろうか。
聖母が落とす涙によって、確実に癒されている人々が世界中にいる。涙するマリア像のまわりに信仰の輪を築き上げる人々こそが奇跡であって、その真偽は誰にも問えるものではない。
聖母の涙は迷信以上の素晴らしい作用をもたらしているとシュマルツ教授は結論づけている。
https://www.discoverychannel.jp/0000029196/ 日本にもカトリック公認の「聖母出現地」がある?!
カトリック教会は世界各地から寄せられるマリア出現譚を調査…
各地の司教やバチカンの奇跡認定委員会(1588年創設)などの認定作業を経て、教会としての立場からその真偽を表明するようになりました。
カトリックにおいて「無原罪の御宿り」であるマリアは、罪の結果である死を免れるとともに、死の前兆である老いからも免れたとされています。
そして、生涯の終わりに死んだのではなく、生きたまま身体ごと天に召された(=聖母被昇天)としており、教義的にはマリアは未だに生き続けているのです。
だからこそ、マリアがどこへ現われようとも、教会は即座にこれを否定せず、「聖母出現」の認定作業を行いました。
教会は認定作業を「人々が聖母の形をとった悪霊に支配されないため」に必要な手順としており、
現われたとされるマリアから託されたメッセージが教義に相反する場合は、これを公認していません。
カトリックが公認した聖母出現の代表的なものには、「ルルドの聖母」や「ファティマの聖母」などがあります。
そしてなんと日本にもカトリック教会が正式に認めた聖母出現が存在するのです!
1973年、秋田県の修道会「聖体奉仕会」で、修道者の手に聖痕が現われました。
また、木製のマリア像から101回にも渡る落涙、芳香現象、参拝者の難病治癒なども報告されたのです。
教区司教による調査の結果「奇跡としての超自然性を否定できない」とされ、1988年にバチカン
(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に受理されました。
これ以外にも、仙台や津和野に聖母出現譚は残っていますが、公認には至っていません。
現在公認されている聖母出現は20例にも満たないのですが、世界各地での報告例は、調査中も含めて数千件にのぼるとされています。
その全てが公認される可能性もありますが、調査は慎重に進められるため、急激に増加することはあり得ないでしょう。
http://eyespi.jp/l00970/ 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
英語版のウィキペディアのファティマ第三の秘密には、
秋田について言及されているな。
Three Secrets of Fátima
Also, a news article quoted former Philippine ambassador to the Vatican, Howard Dee, as saying that Cardinal Ratzinger had personally confirmed to him that the messages of Akita and Fátima are "essentially the same."
[31] The Akita prophecy, in part, contains the following: "The work of the devil will infiltrate even into the Church in such a way that one will see cardinals opposing cardinals, bishops against bishops. … churches and altars sacked .
また、ラツィンガー枢機卿が秋田とファチマのメッセージが「本質的に同じ」であることを個人的に確認していたと伝えられたことから、
フィリピン元大使のハワード・ディー前大使を引用した。 [31]秋田予言には、「悪魔の働きは、枢機卿が枢機卿に反対し、司教に反対する枢機卿が見えるように教会にも浸透します...教会と祭壇が解雇されます..
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】
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&feature=youtu.be 聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜
聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、
個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。
これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。
聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、
数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、
また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。
聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。
また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。
このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ
https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html
血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。
英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。
ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。
「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏)
キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。
これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。
秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、
1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。
今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか?
ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。
北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。
キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 英語版のウィキペディアのファティマ第三の秘密には、
秋田について言及されているな。
Three Secrets of Fátima
Also, a news article quoted former Philippine ambassador to the Vatican, Howard Dee, as saying that Cardinal Ratzinger had personally confirmed to him that the messages of Akita and Fátima are "essentially the same."
[31] The Akita prophecy, in part, contains the following: "The work of the devil will infiltrate even into the Church in such a way that one will see cardinals opposing cardinals, bishops against bishops. … churches and altars sacked .
また、ラツィンガー枢機卿が秋田とファチマのメッセージが「本質的に同じ」であることを個人的に確認していたと伝えられたことから、
フィリピン元大使のハワード・ディー前大使を引用した。 [31]秋田予言には、「悪魔の働きは、枢機卿が枢機卿に反対し、司教に反対する枢機卿が見えるように教会にも浸透します...教会と祭壇が解雇されます..
https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Secrets_of_F%C3%A1tima 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ
https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html
血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。
英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。
ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。
「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏)
キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。
これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。
秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、
1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。
今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか?
ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。
北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。
キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 ファティマの奇跡の遭遇者フランシスコの命日1919年 4月 4日から
ちょうど100年目の2019年4月4日、何かが起きるかも?
wikipediaのノートとは、どういう意味かよくわからないが、
英語版の秋田の聖母では、ハワード・ディー氏の発言が議論されているようだ。
Our Lady of Akita
https://en.wikipedia.org/wiki/Our_Lady_of_Akita
ノート
1998年、 ヴァチカン誌の中には、旧フィリピン大使のハワード・ディー大統領が「伊藤はファチマとラッツィンガー枢機卿の延長であったと確信していた」(個人信者の教義を導いたとき)
ファチマと秋田の二つのメッセージは本質的に同じであることを私に確認した」 [ 要出典 ] 聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜
聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、
個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。
これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。
聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、
数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、
また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。
聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。
また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。
このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 NATIONAL CATHORIC RESISTER
秋田の聖母、日本、そして今日の危機
「ロザリオの祈りを大いに祈りなさい」
Joseph Pronechen
1973年10月13日、ファチマでの聖母の最後の幻影と太陽の奇跡の記念日である、彼女は日本の秋田の修道院でシスターアグネス笹川に現れました。 1973年に、45年後にその一部が今日展開されるのを誰が見ているのでしょうか。 彼女の警告は最も悲惨だった。
アグネス卿がロザリオを祈るためにチャペルにひざまずいたので、聖母は言った:
ファチマで聖母が言ったことは秋田にも当てはまります。
あなたが私が言うことをするなら、多くの魂が救われ、そして平和があるでしょう。
簡単な解決、簡単な要求
覚えておいて、秋田はファチマの更新です。
それは少し異なった方法で起こりました、しかし秋田の解決策はファティマの解決策です。 ファチマの指示は秋田の指示です。 彼らは本当にとても単純です。
「ファチマのメッセージをそれほど大きく異なったものにし、実用的に、そして希望に満ちたものにしているのは、特別な単純さです」とHaffertは書きました。
彼は、ファチマの前司教であったジョン・ヴェナンシオ司教が、
私たちの祝福された母によって与えられた単純な救済を旧約聖書の預言者エリシャからの治癒を求めているシリアのナアマンと比較したことを思い出しました。
当初、Naamanは指示に従うことを望んでいませんでした。 (王2:6-16) しかし、ついに彼のしもべは彼にエリシャの話を聞くよう説得しました。
秋田氏とファティマ氏が従うべき私達が従うべき簡単な指示は私達に言う:
聖母が秋田で指示されたロザリオの祈りを大いに祈りなさい 。
そしてまたしても、 毎日ロザリオの祈りを暗唱しています。 ロザリオと共に、教皇、司教たち、そして祭司たちのために祈ってください
http://www.ncregister.com/blog/joseph-pronechen/at-akita-our-lady-gave-dire-war ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。
1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子
塀に小便かけた後に何か飼い主がかけていたように見えた
宇宙を愛する。
地球を愛する。
生きものを愛する。
今日は、ポーランドから巡礼団30人が路線バスで来たって。
間違いなく秋田は、世界の巡礼地やな。
バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 【お知らせ】 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日)
「聖母と共に過ごす祈りの夜」
既にご存知の方も多いかと思いますが、
是非ご紹介したい祈りの行事が行われます。
2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、
全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。
これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。
その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。
秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、
このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。
参加を希望される方は、聖体奉仕会まで、
お葉書にて参加をお申込み下さい。(必要事項等、申込方法は下記をご参照下さい)
聖体奉仕会より、ブログ掲載の許可をいただきましたので、
以下に詳細を記載致します。
[E:club] カトリック新潟教区長 菊地功司教様のお知らせより抜粋
( 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から >>
「聖母とともに過ごす祈りの夜」おしらせ[2013/08/14] )
信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。
この度、ローマ教区より、
ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。
信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は
「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、
世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。
ファティマの緯度は「39度37分」に対して、秋田市の緯度は「39度43分」となります。
よく「北緯38度ライン」と呼ばれるように、地球上で同じ緯度の地域が聖地であったり、似たような出来事や事件が起こることがありますが、これと同じようにファティマと秋田市は「北緯39度ライン」上に並んであり、それも、その差は僅か6分しかありません。
日本の中でも6分の差は誤差ですが、これが世界の広さにおいてはほぼ同じ位置に横並びになっていることを意味します。
ちなみに「北緯39度ライン」をファティマからさらに西の果てにいくと、ユーラシア大陸の西端ポルトガルの“ナザレ”の町にたどり着きます。
ここには以前にもお伝えしたように、幼子に授乳している母子像があり、これはイエスと妻であるマグダラのマリアと娘サラの姿であります。
そして秋田市の東の先の「北緯39度ライン」には龍人となった「たつこ像」で有名な田沢湖があり、ここでも聖母マリアならぬ女神の存在が関わってきます。
https://space8000k.com/2018/11/11/fatimaakita/ 【衝撃映像】キリストの赤子像が血の涙で大号泣! 「人類は今すぐ悔い改めよ」神の怒り…人類滅亡の予兆か!?=メキシコ
https://tocana.jp/2019/03/post_89483_entry.html
血の涙を流すイエス・キリストの赤子像に世界中が驚愕している。
英紙「The Sun」(3月18日付)によると、メキシコ南西部下ゲレーロ州アカプルコの小さな村に保管されているセラミック製のキリストの赤子像から血の涙が滴る現象が今年の元日から今まで4回も起こったという。
ある地元住民はこの像が血の涙を流している理由を同地域の犯罪率の上昇に関連付けているというが、地元に住むソレダッド・ナチヴィダッド・フロレス氏は現地紙「El Nuevo Diario」に次のように話している。
「神からのメッセージだと言う人がいる一方で、多くの人が悪魔の仕業だとも考えています。いずれにしろ、この像が泣いたということは事実です。像を抱えていても涙は流れたんですから」(フロレス氏)
キリスト像やマリア像が血の涙を流す現象は世界中で報告されているが、そのほとんどが売名のためのやらせだと言われている。
これまでカトリック教会が本物と認定したものはたった1つだけ。日本の秋田県秋田市にあるカトリックの在俗修道会「聖体奉仕会」に保管されている「秋田の聖母マリア」だけだ。
秋田の聖母マリアは1975年〜1981年にかけて101回も涙を流し、
1988年にバチカン(教皇庁)の教理聖省長官のラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式に“奇跡”と認定されている。
今回のキリストの赤子像の涙が本物かどうかは調査してみない限り分からないが、もし本当に“奇跡”だとしたら、一体何を訴えかけているのだろうか?
ちなみに先述した秋田の聖母マリアは、「もし人類が悔い改めないなら、御父は全人類の上に大いなる罰を下そうとしておられます。
その時御父は大洪水よりも重い、今までにない罰を下されるに違いありません。火が天から下り、その災いによって人類の多くの人々が死ぬでしょう」という恐ろしい預言を残している。
北朝鮮の核実験再開やロシアのポセイドン、米中関係など、冷戦時代を思い出すような物騒な話題が続く今を憂いてのことなのか……。
キリストの赤子像の涙が神の怒りの表れで、人類滅亡の暗示ないことを願いたい。 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
”ファチマの聖母出現の出来事は六回あり、十月十三日が最後のものとなったように、
秋田での聖母のお告げも十月十三日をもって終わっている。これは単なる偶然の一致と
は思われない。
ファチマでの聖母の予言、いわゆる第三の秘密は、ルチア修道女によって教皇庁に
伝達されたが、その内容は、いまだに公表されていない。
歴代の教皇もコメントを避けておられる。いきおい、恐慌を煽るような憶測が世に流れて、
人々の好奇心を刺激している現状である。
しかし、この秘密は、全く伏せておくにはあまりに人々にとって重大な事柄であるゆえに、
聖母は秋田の御像を通して、それをいくらか緩和された形で発表されたのではないか、
と私は思う”
〜中略〜
”これが最後と告げられた今回のお言葉のかなめは、人々が会心せぬならば、
やがて怖るべき天罰がくだされる、との警告である。お声がいったんとだえたとき、
姉妹笹川が聖母像を見上げてみると、お顔が悲しげにみえた、という。これは、
この要請に応えて、どれほどの者が祈りと償いの業にはげんでくれることか、
を考えて、その心もとなさを暗に訴えられたのではなかろうか。
聖母は、ファチマでの御出現においても、同様のことを再三強調されたにもかかわらず、
人々は無視してしまったのである。
このたびは日本の秋田の地を選び、ささやかな木彫の像と素朴な一姉妹を
通して、瞠目すべき超自然的現象の認印をもって、この重大な警告をくり返された
のである。”
ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。
1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子
吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは?
■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」
「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。
そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。
この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。
■マリアの催促!?
第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。
また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。
だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、
「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。
これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。
聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。
http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 「涙を流すマリア像」英語の冊子用意 近隣温泉は巡礼プラン
2018年1月15日 掲載
「涙を流すマリア像」で知られる秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」は、増加するインバウンド(訪日外国人客)への対応として、
マリア像などを英語と日本語で紹介する小冊子の製作を進めている。また、近隣の温泉宿は巡礼者向けに宿泊プランを用意するなど、受け入れ態勢が進んでいる。
マリア像は高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、
海外でも知られるようになった。
近年は口コミや旅行会社のツアーを通じ、東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。現在製作を進めている小冊子では、
マリア像や修道院について写真も掲載して紹介する予定で、今月中に完成する見込みだ。
http://www.sakigake.jp/news/article/20180115AK0009/ 【お知らせ】 秋田・聖体奉仕会での「聖母と共に過ごす祈りの夜」(2013年10月12日〜13日)
「聖母と共に過ごす祈りの夜」
既にご存知の方も多いかと思いますが、
是非ご紹介したい祈りの行事が行われます。
2013年10月12日〜13日に、「信仰年」特別行事として、
全世界から選ばれた聖母巡礼地10ヶ所をつなぐロザリオの祈りが行われます。
これは、後援・教皇庁新福音化推進評議会、主催・ローマ教区によるものです。
その聖母巡礼地の一つとして、秋田・聖体奉仕会が選ばれたのです。
秋田でメッセージが告げられて40周年の今年、
このようなお恵みが与えられたことに、心から感謝を捧げたいと思います。
参加を希望される方は、聖体奉仕会まで、
お葉書にて参加をお申込み下さい。(必要事項等、申込方法は下記をご参照下さい)
聖体奉仕会より、ブログ掲載の許可をいただきましたので、
以下に詳細を記載致します。
[E:club] カトリック新潟教区長 菊地功司教様のお知らせより抜粋
( 司教の日記 新潟司教の毎日の活動から >>
「聖母とともに過ごす祈りの夜」おしらせ[2013/08/14] )
信仰年にあたって、ローマでは様々な霊的催しが開催されております。
この度、ローマ教区より、
ローマで開催される行事の一つに新潟教区も参加するようにとの申し出がありましたので、皆様にお知らせいたします。
信仰年の一連の霊的催しの一つとして、来る2013年10月12日と13日は
「聖母マリアの日」とされております。このうち、10月12日(土)の夜7時から9時半(ローマ時間)は「聖母マリアとともに過ごす祈りの夜」として、
世界中10ヶ所の聖母マリア巡礼所を衛星中継で結んで、ロザリオの祈りが行われることになりました。主催するローマ教区から、聖体奉仕会の修道院( 秋田の聖母 Our Lady of Akita )も参加するようにとの呼びかけがありましたので、これを承諾致しました。
ファティマの緯度は「39度37分」に対して、秋田市の緯度は「39度43分」となります。
よく「北緯38度ライン」と呼ばれるように、地球上で同じ緯度の地域が聖地であったり、似たような出来事や事件が起こることがありますが、これと同じようにファティマと秋田市は「北緯39度ライン」上に並んであり、それも、その差は僅か6分しかありません。
日本の中でも6分の差は誤差ですが、これが世界の広さにおいてはほぼ同じ位置に横並びになっていることを意味します。
ちなみに「北緯39度ライン」をファティマからさらに西の果てにいくと、ユーラシア大陸の西端ポルトガルの“ナザレ”の町にたどり着きます。
ここには以前にもお伝えしたように、幼子に授乳している母子像があり、これはイエスと妻であるマグダラのマリアと娘サラの姿であります。
そして秋田市の東の先の「北緯39度ライン」には龍人となった「たつこ像」で有名な田沢湖があり、ここでも聖母マリアならぬ女神の存在が関わってきます。
https://space8000k.com/2018/11/11/fatimaakita/ ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは?
■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」
「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。
そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。
この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。
■マリアの催促!?
第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。
また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。
だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、
「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。
これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。
聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。
http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚
ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。
1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。
3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。
後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。
それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。
実を言うと同じような事件が日本でも発生している。
1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。
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https://mnsatlas.com/?p=48381 ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜
聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、
個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。
これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。
聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、
数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、
また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。
聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。
また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。
このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD >>148
>、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」
これは知らない ファティマ第三の予言の真実 内なる神への自覚
ファティマの予言といえばオカルト好きならばだれでも知っている言葉であろう。
1916年ポルトガルの村ファティマに聖母マリアが出現し、3人の少年少女に数多くの警告を授けたと言われている。
3つの予言と特別な礼拝方法が知られているが、予言に関しては戦争に関する2つの予言しか公開されなかった。秘密の予言はローマ法王が聞くと同時に失神したため、公開されなかったという曰くつきのものである。
後にローマ法王暗殺の予言であったとディスクロージャーされたが、これは聖母マリアから警告を受け取ったルチアが「教会が嘘をついている」と批判した。
それでは、その秘匿された三番目の警告とは何だったのであろうか。
実を言うと同じような事件が日本でも発生している。
1970年代から80年代にかけて、秋田の教会において聖母マリアが出現し、修道女に警告を与え、教会のマリア像から涙があふれたという事件があったのだ。
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https://mnsatlas.com/?p=48381 2019年 7月16日 秋田の聖母巡礼の旅 3日間 大 阪、広島、岡 山、名古屋、東京発 〆 切*国内キリシタン巡礼セ ンター企画
95,000円 巡礼 団募集開始(パンフレット)
2019年 8月20日 ポー ランド巡礼の旅 コルベ神 父様を訪ねて 9日間 関空・成田出発 コルベ神父
438,000 円 巡礼 団募集開始(パンフレット)
2019 年 9月 5日
イ スラエル巡礼の旅 8日間 関空発 イスラエル
395,000 円 巡礼 団募集開始(パンフレット)
2019 年 9月18日 秋田の聖母巡礼の旅 3日間 大 阪、広島、岡 山、名古屋、東京発 *国内キリシタン巡礼セ ンター企画
97,000円
http://www.cybersuds.co.jp/ge/pilg/ ヴァスーラ、秋田のメッセージがファチマの第三の秘密であることを証言する
http://tlig.jp/blog/2017/02/19/vassulaandakita/
「1992年11月26日1私は秋田での国際マリア会議に、他の人々と一緒に招かれました。ルネ・ローランタン神父とマイケル・オーキャロル神父がおられ、
他の司祭方、それからヴィダル枢機卿もいらっしゃいました。伊藤司教は秋田のメッセージとシスター・アグネス(笹川)について私たちに伝えたいことがあり、
本当にびっくりするようなことを言われました。
伊藤司教が調査のために秋田のメッセージをローマに持って行かれた時、ラッツィンガー枢機卿とお会いされました。シスター・アグネスとそのメッセージについて話すと、
ラッツィンガー枢機卿は『それを読み、何ができるか考えるので、置いていくように』と言われました。
伊藤司教は、ラッツィンガー枢機卿は通常通り調査団を送ってよこすだろうと考えていました。枢機卿はご出現があった場所にいつも調査団を送っていたからです。
翌日、司教がラッツィンガー枢機卿のところに行くと、『私たちは調査団を送りません。専門家も必要ありません』と言って、司教を驚かせました。伊藤司教が『どうしてですか?』と聞くと、
枢機卿は『なぜなら、秋田のメッセージはファチマの第三の秘密だからです。ですから調査する必要はありません』と答えられたのです。これが枢機卿の言われたことです。
分かりますね、この話を聞いた時、私たちはもちろん『ワオ!』と言いました。それはファチマの秘密なのです。お分かりの通り、私たちはこれを他の情報源から聞いたわけではありません。
『伊藤司教がこう言っていたらしい』というような話であれば、私は信じなかったでしょう。ですが、私は伊藤司教自身の口からこれを聞いたのです。他の人々と一緒に。『調査は行われません。必要ない。これはファチマの第三の秘密とほぼ同じ言葉だからです』と」 吹き出る血と汗…日本に降臨した聖母マリアの奇跡と予言! そして人類の恐るべき終末とは?
■日本での奇跡の始まり「秋田の聖母マリア」
「秋田の聖母マリア」とは、秋田県にある在俗修道会「聖体奉仕会」において、聖母マリア像が涙を流すなど、さまざまな奇跡が起こった現象のことを指す。
そんな彼女に、1973年6月12日、奇跡の兆候が現れる。シスター笹川は、聖体礼拝のために聖櫃を開けようとしたところす、まぶしい光に打たれ、思わずひれ伏してしまったという。
この様子はファティマで、羊飼いの3人の子どもたちの前に稲光と共に現れた聖母の出現に似ている。その後、シスター笹川の手のひらに十字架の聖痕が現れた。その傷からは血が吹き出し、えぐられるような痛みも感じたそうだ。
■マリアの催促!?
第3の予言をいつまで経っても公表しないバチカンに対して聖母マリアがしびれを切らして今度は秋田にメッセージを託したのかもしれない。
また、シスター笹川は聖母マリアと思われる美しい女性から、「ファティマの祈り」を教えられている。この祈りは、1917年ファティマにおいて、聖母マリアから3人の子どもたちが教わったものである。
だが、シスター笹川が伝授された1970年代当時は、日本ではまだファティマの祈りが和訳されていなかった。シスター笹川は、ファティマの祈りを知るすべもなかったのである。それにもかかわらず、
「秋田の聖母マリアの祈り」と「ファティマの聖母マリアの祈り」はまったく同じであったのである。
これは、ファティマの聖母が秋田の聖母と同一人物であるという証明のひとつとなるのではないか。
聖母マリアは人類に警告を発し続けている。だが、人類の多くは聖母マリアの奇跡に目を向けず、そのメッセージにも耳を傾けようとはしない。全人類に大いなる罰が下る日は近いだろう。
http://tocana.jp/2016/01/post_8470_entry.html 秋田の聖母の日2019
今年も例年の通り、9月14日、15日に「秋田の聖母の日」を行います。
今年は、土日だから大盛況だろうな。ww
「ファティマの聖母」秋田入り、「涙流したマリア像」と対面 東西の“奇跡”に多くの巡礼者
「涙を流したマリア像」で知られる秋田市添川湯沢台のカトリック女子修道院「聖体奉仕会」に14日、第一次大戦中にポルトガル中部ファティマに聖母マリアが現れたと伝えられる
「ファティマの奇跡」から100年を記念して作られた聖母像がやってきた。ファティマと秋田はともに北緯39度線近くにあり、「東西の奇跡」の対面に、
日本だけではなく世界各国から訪れた約500人が祈りをささげた。
涙を流した聖母像は、台座を含めて高さ120センチの木彫りの像。昭和50年1月に、両目に涙が浮かんでいるのを修道女が気づき、56年9月まで101回、涙を流したとされ、
多くの目撃者もいる。涙は秋田大と岐阜大の法医学教室により「ヒトの体液」と鑑定された。「アワ・レディー・オブ・アキタ」(秋田の聖母像)と呼ばれており、海外でも広く知られている。
一方、ファティマの聖母像は1917年5月13日、ファティマで3人の羊飼いの子供の前に聖母マリアが現れ、毎月13日に同じ場所に来るよう告げたという伝承から100年を記念して作られた。
ファティマの聖堂にあるものと同じ大きさで、冠を除いた高さは105センチ。日本各地を巡回中で、15日まで聖体奉仕会に安置され、最終的には広島市のカトリック幟町(のぼりちょう)教会に納められる。
奇跡の聖母像の対面には、2日間で1千人以上が訪れる見込みだ。海外からはオーストラリア、韓国、フィリピン、台湾などからの信者が来日する。
聖体奉仕会の小川恵子会長は「100年の節目で、多くの方がいらした」と話す。メキシコから来た大学院生のオリビア・ナイジェリさん(36)は「日本人は奇跡を信じる人が多い。今回の対面を題材に論文を書きます」と話していた。
http://www.sankei.com/smp/life/news/170914/lif1709140026-s1.html バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? コーヒー飲む?
(⌒`)
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γ´⌒`ヽ __( )
{i:i:i:i:i:i:i:i:} |;;lヽ::/ コポコポ
( ´・ω・) .|;;| □o
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(~) コーヒー飲む?
γ´⌒`ヽ __
{i:i:i:i:i:i:i:i:} |;;lヽ::/
( ´・ω・`)∫ |;;| □o
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彡⌒ ミ
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バチカン大使の証言。
「1人の信者の証言」ファティマ−アムステルダム−秋田
http://subetami.divinemercy.jp/worldwide/w-wprayerday/2016/08/w1998-testimony/
今はすでに天国においでの秋田のヨハネ伊藤前司教は、生前、書簡によって、教皇様に秋田での出来事を報告し、伊藤司教が司祭職上取るべき措置をヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿の判断に委ねた旨、私に知らせて下さいました。
伊藤司教ご自身にとって、秋田がファティマの続きであることは明白でした。また、ラッツィンガー枢機卿は、この2つのメッセージは本質的に同じものであると、私に個人的に確証なさいました。
伊藤司教は、秋田の出来事はアムステルダムのメッセージが真実であることを証明するものだと考えておいででした。そして彼は「共贖者、仲介者、執りなし手」という称号を確固として擁護なさいました。
仮に、アムステルダムのメッセージが本物でないならば、天は秋田で奇跡を起こさなかったでしょう。なぜなら、秋田の聖母のご像は「すべての民の御母」を模したものだからです。
アムステルダムのメッセージが真実ならば、「すべての民の御母」が「共贖者、仲介者、執りなし手」のドグマを告知するようにとの要求もまた真実であります。なぜ、この真実の告知を抑圧するのでしょうか? 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
そもそも私がキリスト教、マリア像に興味を持ったのが、
Bloody Mary(血のマリア)というエレキギターのエフェクターからラジオが聴こえたのが
始めでした。
そのBloody Mary(血のマリア)というエフェクターは、買ってからずっと使いこなせずにいて、
いくら工夫してもイイ音が鳴らなかったのでした。
そこで私は、SNSに「目覚めよ!!今そのときだ!!」とこのエフェクターに
関して書き込んだら、その何ヵ月後かした後、ふと何気なくギターを弾こうとしたら、
アンプからラジオが聴こえて来るのでした。
これは、アンプの小型真空管が原因かと初め思いましたが、
エフェクターのスイッチを切るとラジオが止むことが分かりました。
そしてギターの弦を弾いてみると、今迄とは違う、とてもイイ音が鳴ったのでした。
Bloody Mary(血のマリア)、wikipediaで調べてみるとアメリカの都市伝説の幽霊とか、
イングランド王女メアリー一世の別称だとか、書いてありましたが、
私は、これをキリスト教やマリアの奇跡と受け止め、
それ以来キリスト教やマリア崇敬をしている所存であります。
私は、BLOODY MARY(血のマリア)、すなわち秋田の聖母に天命を受けたのだ!!
涙を流すマリア像(秋田市)
秋田市添川のカトリック修道院「聖体奉仕会」にあるマリア像。
高さ約1・2メートル(台座含む)の木像で、同市の彫刻家故若狭三郎さんが1963年に制作。75年から81年までに計101回「涙」を流したことで話題となり、海外でも知られるようになった。落涙は秋田大、岐阜大の両法医学教室で「ヒトの体液」と鑑定された。
カトリック教会ローマ教区が2013年10月、世界10カ所の聖母巡礼所を衛星中継で結んで行った「聖母とともに過ごす祈りの夜」では、東アジアで唯一、同修道院が選ばれた。
近年は東南アジアを中心に米国や欧州など海外から毎年4千〜5千人ほどが訪れる。
https://www.navitabi.jp/article/389 ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。
1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子
聖母マリアへの信心業〜ウィキペディア〜
聖母マリアへの信心業(せいぼマリアへのしんじんぎょう、英: Marian devotions、聖母への信心)とは、キリスト教におけるイエスの母・マリアに対して行われるもので、「信心業」とは一般概念として、
個人の信仰などを祈りによって表す行いを言う[1]。
これらの聖母マリアに対する祈り・行いは、聖母マリアに神への執り成しを求めて行われるとされる[2][3]。
聖母マリアへの信心業は数多くあり、ロザリオの祈りは最もポピュラーなものの一つで、その他にも、聖体訪問、十字架の道行き[4]、
数日間に及ぶ祈祷をするノベナや、ローマ教皇によるマリア像への戴冠の儀式、東方教会によるイコンへの崇敬、
また、祈りの業を伴わないが、スカプラリオを身に着けたり、「聖母の園」(en:Mary garden)を整備維持することなどが挙げられる[5]。
聖母出現を基にしたもの : これらには、「グアダルーペの聖母(スペイン)、(メキシコ)」や「ルルドの聖母」、「ファティマの聖母」、「秋田の聖母」のような著名で公式に認められた聖母出現が挙げられる。
また、インドの「善き健康の聖母」(en:Our Lady of Good Health)から、ポーランドの「リケンの聖母」まで、大陸を横断する範囲で様々な地域のものがある[33][34]。
このような信心業は、たいていの場合において聖母マリアを記念するカトリック教会の建設へと結果的に繋がっていく[35]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E6%AF%8D%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%BF%A1%E5%BF%83%E6%A5%AD New!!あのバチカンも認めた!?涙の出る秋田の聖母マリア像の秘密 【The Dave Fromm Show 陰謀コーナー ベスト・セレクション】
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&feature=youtu.be 安田貞治神父著「聖母像の涙」より抜粋
この鑑定書は、聖母像の涙の最も重要な真正な科学的物証として、聖体奉仕会に保管されている。
これがお涙の”事件”の解明に決定的な役割を果たしたのである。
すでにたびたび述べてきたように、聖母像に見られる現象は、公式の検討者たちによって、
すべて姉妹笹川の超能力のはたらきによるものとされていた。本人が見に覚えがないと否定しても、
無意識のうちに行っている、ときめつけられれば、弁明のしようがなかった。
とくに決め手とされたのは、血液型であった。姉妹笹川の血液型はB型である。ところで、
聖母像の右手の傷口の血は、最初の鑑定ではB型であった。両目から流れた涙の鑑定では、AB型となっていた。
しかし、検体にはそれぞれA型B型の付着物があることも、指摘されていた。反対者の筆頭たるエバンジェリスタ師は、
このB型のみを取り上げ、涙もB型と決めつけ、姉妹笹川がみずからの血と涙を”転写”したもの、と断定をくだしたのであった。
それが、こんど不純物の付着のない完全な検体をもっての再検査により、血液型はO型と鑑定された。
B型による超能力説は、成り立たなくなり、根本から打破されたのである。
いま、最初の鑑定書と再度の決定版をつき合せてみると、聖母像の血と涙に三つの異なった血液型のあることがわかる。
どんな超能力的人間が、自分の血液型の他に、他の二つの異なった血液型を創り出すことができようか。
創造とは神のみが行われる業ではないか。
ここにも神の尊いはからいがみとめられる。神はまずB型の血液を創り、AB型の涙の体液をつくり、
最後にO型の体液までつくって、人間の考え出した浅薄な”超能力説”に挑戦されたのである。
再度の正確を期した鑑定という歴然たる科学的物証がなければ、今でも”超能力説”がまかり通り、
すべてを誤解に導き、神の超自然のおんはたらきに素直に頭をたれようとする人々さえも
まどわせつづけたことであろう、と考えれば、そら恐ろしくなるのである。
★☆★カトリック教会・聖人等の生誕・帰天年から読み解く未来★☆★
●聖チリロ(アレクサンドリア)司教教会博士の生誕年−−「378年」から1650年後は「2028年」
●マイスター・エックハルト・神秘主義者の帰天年−−−−「1328年」から700年後は「2028年」
●聖シャベール・マクルーフ司祭の生誕年−−−−−−−−「1828年」から200年後は「2028年」
●聖レオナルド・ムリアルド司祭の生誕年−−−−−−−−「1828年」から200年後は「2028年」
●属人区聖十字架とオプス・デイの創立年−−−−−−−−「1928年」から100年後は「2028年」
●聖パウロ六世教皇の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1978年」から 50年後は「2028年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2029年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●聖フィリポの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「79年」から1950年後は「2029年」
●聖グレゴリオ(ナジアンズ)司教教会博士の生誕年−−−−−「329年」から1700年後は「2029年」
●聖バシレイオス(カイサリア)司教教会博士の帰天年−−−−「379年」から1650年後は「2029年」
●聖テオドシオ修道者の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「529年」から1500年後は「2029年」
●カトリック教会最古の修道会ベネディクト会の創建年−−−−「529年」から1500年後は「2029年」
●聖ヨアンネス・クリマコスの生誕年−−−−−−−−−−−−「579年」から1450年後は「2029年」
●聖エテルドレダの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「679年」から1350年後は「2029年」
●聖ワルブルガの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−−「779年」から1250年後は「2029年」
●聖スタニスラオ司教殉教者の帰天年−−−−−−−−−−−−「1079年」から950年後は「2029年」
●聖ヒルデガルト修道女の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1179年」から850年後は「2029年」
●マクデブルクのメヒティルトの帰天年−−−−−−−−−−−「1279年」から750年後は「2029年」
●ジャン・ジェルソン・神学者の帰天年−−−−−−−−−−−「1429年」から600年後は「2029年」
●聖ヨハネ(サハグン)司祭の帰天年−−−−−−−−−−−−「1479年」から550年後は「2029年」
●聖マルチノ・デ・ポレス修道者の生誕年−−−−−−−−−−「1579年」から450年後は「2029年」
●聖マグダレナ・ソフィア・バラ修道女の生誕年−−−−−−−「1779年」から250年後は「2029年」
●クロンシュタットの聖イオアンの生誕年−−−−−−−−−−「1829年」から200年後は「2029年」
●聖ベルナデッタの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「1879年」から150年後は「2029年」
●聖ホセ・マリア・ルビオ司祭−−−−−−−−−−−−−−−「1929年」から100年後は「2029年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●聖イレネオ司教殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−−「130年」から1900年後は「2030年」
●聖パウロ山修士の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「230年」から1800年後は「2030年」
●聖セシリアの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−−「230年」から1800年後は「2030年」
●聖ジェルジオ殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−−−「280年」から1750年後は「2030年」
●聖セバスチアノ殉教者の帰天年−−−−−−−−−−−−「280年」から1750年後は「2030年」
●聖バシレイオス(カイサリア)司教教会博士の生誕年−−「330年」から1700年後は「2030年」
●聖ヘレナ皇太后の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「330年」から1700年後は「2030年」
●聖フルメンチオ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」
●聖ペトロ・クリソロゴ司教教会博士の生誕年−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」
●聖オイフラシア修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−「380年」から1650年後は「2030年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト(その2)★☆★
●聖アレクシオの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−「430年」から1600年後は「2030年」
●聖アウグスチヌス司教教会博士の帰天年−−−−−−−−「430年」から1600年後は「2030年」
●聖ベネディクトの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」
●聖スコラスチカおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」
●聖セヴィリノ・ボエチオ殉教者の生誕年−−−−−−−−「480年」から1550年後は「2030年」
●聖マクシモスの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−「580年」から1450年後は「2030年」
●聖エテルドレダの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「630年」から1400年後は「2030年」
●「第3コンスタンティノポリス公会議」の開催年−−−−「680年」から1350年後は「2030年」
●聖バルドヒルドの帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「680年」から1350年後は「2030年」
●聖女ワルトルーディスの生誕年−−−−−−−−−−−−「680年」から1350年後は「2030年」
●ハンガリーの聖ステファノ王の生誕年ーーー−−−−−−「980年」から1050年後は「2030年」
●聖ブルーノ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「1030年」から1000年後は「2030年」
●聖スタニスラオ司教教会博士・殉教者の生誕年−−−−−「1030年」から1000年後は「2030年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト(その3)★☆★
●聖ノルベルト司教の生誕年−−−−−−−−−−−−−−「1080年」から950年後は「2030年」
●聖イシドロ農夫の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「1130年」から900年後は「2030年」
●聖アルベルト司教教会博士の帰天年−−−−−−−−−−「1280年」から750年後は「2030年」
●ネポムクの聖ヨハネ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1330年」から700年後は「2030年」
●トマス・ア・ケンピスの生誕年−−−−−−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」
●聖リドヴィナおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」
●聖ベルナルディノ(シエナ)司祭の生誕年−−−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」
●聖カタリナ(シエナ)おとめ教会博士の帰天年−−−−−「1380年」から650年後は「2030年」
●聖カエタノ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−「1480年」から550年後は「2030年」
●聖ヨサファト司教殉教者の生誕年−−−−−−−−−−−「1580年」から450年後は「2030年」
●聖ペトロ・クラベル司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1580年」から450年後は「2030年」
●聖ヨハネ・ユード司祭の帰天年−−−−−−−−−−−−「1680年」から350年後は「2030年」
●福者ジャン・マリー・ド・ラメネ司祭の生誕年−−−−−「1780年」から250年後は「2030年」
●聖アロイジオ・ヴェルシリア司教殉教者の帰天年−−−−「1930年」から100年後は「2030年」
●聖カリスト・カラヴァリオ司祭殉教者の帰天年−−−−−「1930年」から100年後は「2030年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その1)★☆★
●シチリアのアガタの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「231年」から1800年後は「2031年」
●聖大アナスタシアの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「281年」から1750年後は「2031年」
●聖モニカの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「331年」から1700年後は「2031年」
●「第1コンスタンティノポリス公会議」の開催年−−−−−−−「381年」から1650年後は「2031年」
●「エフェソス公会議」の開催年−−−−−−−−−−−−−−−「431年」から1600年後は「2031年」
●聖パウリノ(ノラ)司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「431年」から1600年後は「2031年」
●聖アーデルハイトの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−「931年」から1100年後は「2031年」
●マグデブルグの聖アダルベルト大司教 の帰天年−−−−−−−−「981年」から1050年後は「2031年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その2)★☆★
●聖フランシスコ(アシジ)修道者の生誕年−−−−−−−−−−「1181年」から850年後は「2031年」
●聖アントニオ(パドバ)司祭教会博士の帰天年−−−−−−−−「1231年」から800年後は「2031年」
●聖エリザベト(ハンガリー)修道女の帰天年−−−−−−−−−「1231年」から800年後は「2031年」
●聖ゲルトルードおとめが深い内的な回心を遂げ、
以降20年間、幻を見るなど神秘的な体験を始めた年−−−−−−「1281年」から750年後は「2031年」
●聖カタリナおとめ(スウェーデン)の生誕年−−−−−−−−−「1331年」から700年後は「2031年」
●聖コレタおとめの生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」
●聖カタリナおとめ(スウェーデン)の帰天年−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」
●聖リタ(カシァ)修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」
●聖ラウレンチオ・ユスチニアノ大司教の生誕年−−−−−−−−「1381年」から650年後は「2031年」
●聖ジャンヌ・ダルクおとめの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1431年」から600年後は「2031年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト(その3)★☆★
●聖アルフォンソ・ロドリゲスの生誕年−−−−−−−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」
●エコランパディウス・宗教改革者の帰天年−−−−−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」
●フルドリッヒ・ツヴィングリ・宗教改革者の帰天年−−−−−「1531年」から500年後は「2031年」
●聖ペテロ・クラベル司祭の生誕年−−−−−−−−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」
●聖ビンセンチオ・ア・パウロ司祭の生誕年−−−−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」
●聖ヨハネ(十字架の)司祭教会博士が創設した
改革派の「男子跣足カルメル会」が認可された年−−−−−−「1581年」から450年後は「2031年」
●聖フランシスコ・アントニオ・ファザニ司祭の生誕年−−−−「1681年」から350年後は「2031年」
●聖ヨハネ23世教皇の生誕年−−−−−−−−−−−−−−−−「1881年」から150年後は「2031年」
●聖マリア・ドメニカ・マザレロ修道女の帰天年−−−−−−−「1881年」から150年後は「2031年」
●「神の母聖マリア」の祝日が制定された年−−−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」
●聖グイド・マリア・コンフォルティ司教の帰天年−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」
●聖ファウスティナに主イエス・キリストが出現した年−−−−「1931年」から100年後は「2031年」
●福者御聖体のマリア・イネス・テレサの帰天年−−−−−−−「1981年」から 50年後は「2031年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2032年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●聖エウフラシア修道女の生誕年−−−−−−−−−−−−「382年」から1650年後は「2032年」
●聖ニニアノ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−「432年」から1600年後は「2032年」
●聖セヴェリノ(ノリクム)の帰天年−−−−−−−−−−「482年」から1550年後は「2032年」
●聖サバス修道院長の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「532年」から1500年後は「2032年」
●聖フーゴ司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−−−−「1132年」から900年後は「2032年」
●聖ルトガルディス修道女の生誕年−−−−−−−−−−−「1182年」から850年後は「2032年」
●聖ペテロ・ノラスコ司祭の生誕年−−−−−−−−−−−「1182年」から850年後は「2032年」
●ボヘミア(プラハ)の聖アグネスの帰天年−−−−−−−「1282年」から750年後は「2032年」
●ラドネツの聖セルジオの帰天年ーーー−−−−−−−−−「1382年」から650年後は「2032年」
●聖テレジア(イエスの)おとめ教会博士の帰天年−−−−「1582年」から450年後は「2032年」
●聖クロード・ラ・コロンビユール司祭の帰天年−−−−−「1682年」から350年後は「2032年」
●聖アルフォンソ(リゴリ)司教教会博士が
聖母の出現を受けた年−−−−−−−−−−−−−−−−「1732年」から300年後は「2032年」
★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2033年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●シラクサのルチアの生誕年−−−−−−−−−−−−−−「283年」から1750年後は「2033年」
●聖ウルスラおとめ等殉教者の帰天年ーーー−−−−−−−「383年」から1650年後は「2033年」
●聖カグノールド司教の帰天年−−−−−−−−−−−−−「633年」から1400年後は「2033年」
●聖クネグンダ皇后の帰天年−−−−−−−−−−−−−−「1033年」から1000年後は「2033年」
●聖アンセルモ司教教会博士の生誕年−−−−−−−−−−「1033年」から1000年後は「2033年」
●”聖母マリアのしもべ会”七聖人である創立者たちに
聖母マリアが御出現して出家修道を勧められた年−−−−「1233年」から800年後は「2033年」
●聖リドヴィナおとめの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1433年」から600年後は「2033年」
●マルティン・ルター・宗教改革者の生誕年−−−−−−−「1483年」から550年後は「2033年」
●ジャン・カルヴァン・宗教改革者が回心を経験した年−−「1533年」から500年後は「2033年」
●聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の創立年−−−「1633年」から400年後は「2033年」
●ニコラオ福永ケイアンが
聖母マリアの出現を受け殉教した年−−−−−−−−−−「1633年」から400年後は「2033年」
●聖ホアキナ・デ・ペドウルナの生誕年−−−−−−−−−「1783年」から250年後は「2033年」
●聖ベネディクト・ヨゼフ・ラブルの帰天年−−−−−−−「1783年」から250年後は「2033年」
●聖バルトロメア・カピタニオの帰天年−−−−−−−−−「1833年」から200年後は「2033年」
●聖セラフィム(サーロフ)の帰天年−−−−−−−−−−「1833年」から200年後は「2033年」
●聖テレジア(幼いイエスの)おとめ教会博士が
聖母像の微笑む奇跡を受けた年−−−−−−−−−−−−「1883年」から150年後は「2033年」
★☆★カトリック教会・聖人等の生誕・帰天年から読み解く未来★☆★
●●●>>174(6件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2028年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●●●>>175 (18件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2029年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●●●>>176-178(38件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2030年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●●●>>180-182(31件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2031年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●●●>>183(12件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2032年」になる聖人等の方々リスト★☆★
●●●>>184(16件)
→→★☆★生誕・帰天年から50の倍数加算で「2033年」になる聖人等の方々リスト★☆★ ★☆★☆★聖十字架発見の奇跡と聖ピエトロ大聖堂の創建、バチカン市国の建国年より読み解く未来★☆★☆★
●主イエス・キリストが公生涯を始められた年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦26年」から2000年後は「西暦2026年」
●聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦326年」から1700年後は「西暦2026年」
●第二代目の聖ペテロ大聖堂(現在のサンピエトロ大聖堂)が完成された年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦1626年」から400年後は「西暦2026年」
●神の御名によって、近代初の「自由と平等」の理想を掲げ
建国された神聖なる国家「アメリカ合衆国」が設立された年
−−−−−−−−−−−「西暦1776年(7月4日)」の250年後は「西暦2026年」
★「アメリカ合衆国」は
主の公生涯の始められた年から「1750年後」
聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年から「1450年後」
第二代目の聖ペテロ大聖堂が完成された年から「150年後」
−−−−−−−−−−−−−− にイギリスより独立、建国された国家である。
★Statue of Liberty & Ellis Island - 2 minute HD tour
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
★Statue of Liberty in New York City, American Freedom, Aerial Night Video of Liberty Island
ダウンロード&関連動画>>
@YouTube
●主イエス・キリストが公生涯を始められた年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦26年」から2000年後は「西暦2026年」
●聖へレナがエルサレムにて聖十字架を発見した年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦326年」から1700年後は「西暦2026年」
●キリストの再来と謳われたイタリアの守護聖人である
アッシジの聖フランシスコが帰天した年
−−−−−−−−−−−−−−−「西暦1226年」から800年後は「西暦2026年」
●第二代目の聖ペテロ大聖堂(現在のサンピエトロ大聖堂)が完成された年
−−−−−−−−−−−−−− 「西暦1626年」から400年後は「西暦2026年」
●神の御名によって、近代初の「自由と平等」の理想を掲げ
建国された神聖なる国家「アメリカ合衆国」が設立された年
−−−−−−−−−−−「西暦1776年(7月4日)」の250年後は「西暦2026年」
>>174-200よりつづく
●主イエス・キリストの受難と復活・昇天の年
−−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦30年」の2000年後は「西暦2030年」
●聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦2030年」
●フランス7月革命(市民革命) が起こった年
−−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦1830年」の200年後は「西暦2030年」
●(参考)「民衆を導く自由の女神」がウジェーヌ・ドラクロワによって描かれた年
−−−−−−−−−−−−−−−−−「西暦1830年」の200年後は「西暦2030年」 ★★★聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年−「2030年」と主な奇跡の出現年の関連★★★
●聖ヒルデガルトの帰天年−−−−−−−−−−−−「1179年」から850年後は「2029年」
●ベルナデッタの帰天年−−−−−−−−−−−−−「1879年」から150年後は「2029年」
●クノックに聖母マリアが最初に出現した年−−−−「1879年」から150年後は「2029年」
●「浦上四番崩れ」の弾圧から開放された信徒たちが
故地・浦上に小聖堂を建てた年−−−−−−−−− 「1879年」から150年後は「2029年」
●ルシアが修道院で聖母マリアを伴った
聖三位一体の神さまの御出現を受けた年−−−−−「1929年」から100年後は「2029年」
●主イエズス・キリストの受難と復活の年−−−−− 「30年」から2000年後は「2030年」
●聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年 −−−−−−−−−−−−−−−「2030年」
●ベルナデッタが入会した
ヌヴェール愛徳修道会の設立年−−−−−−−−−「1680年」から350年後は「2030年」
●カトリーヌ・ラブレに聖母マリアが出現した年−−「1830年」から200年後は「2030年」
●クノックに聖母マリアが最後に出現した年−−−−「1880年」から150年後は「2030年」
●故地・浦上の小聖堂を現在地旧浦上村庄屋に
移転し浦上天主堂(仮会堂)を建設した年−−−−「1880年」から150年後は「2030年」
●ルシアが修道院で主イエズスの出現を受けた年−−「1930年」から100年後は「2030年」
※「ファティマ」「ルルド」「グアダルーペ」をカトリックの世界三大奇跡という
※「ファティマ」「ルルド」「クノック」をカトリックの欧州三大奇跡という
>>174-203 (>>203)よりつづく
※「ファティマ」「ルルド」「グアダルーペ」をカトリックの世界三大奇跡という
※「ファティマ」「ルルド」「クノック」をカトリックの欧州三大奇跡という
●聖ゲルトルードおとめが深い内的な回心を遂げ、
主イエス・キリスト、聖母マリアを見るなど
神秘的な体験を始めた年−−−−−−−−−−−「1281年」から800年後は「2031年」
●グアダルーペに聖母マリアが出現した年−−−−「1531年」から500年後は「2031年」
●聖ファウスティナに
主イエス・キリストが出現した年−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年
●シスター笹川の生誕年−−−−−−−−−−−−「1931年」から100年後は「2031年」
●秋田の聖母マリア像に起きた最後の奇跡の年−−「1981年」から 50年後は「2031年」
■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ■■□■■□ ヤシンタのご遺体は死後 15年後と 31年後の2回、掘り返されていますが、どちらの場合も「顔だけはまったく腐敗していなかった」ことが記録されています。
1951年(死後31年後)に掘り返された際のヤシンタの様子
★☆★ペトロ岐部と187殉教者より読み解く未来★☆★
1603年 ジョアン南他 6人 −−−−−−−400年後は「西暦2003年」
1605年 ダミアン伝道士他 2人 −−−−−−−400年後は「西暦2005年」
1608年 レオ税所七右衛門 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2008年」
1609年 慈悲役、その子供他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2009年」
1613年 有馬の殉教者他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」
1614年 アダム荒川 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」
★1619年 京都の殉教者他 55人 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」
1623年 江戸の殉教者 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2023年」
1624年 フランシスコ遠山甚太郎他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2024年」
1627年 パウロ内堀他 29人 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」
★1629年 米沢の殉教者 53人 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」
★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」
1633年 ニコライ・ケイアン神父他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2033年」
1636年 ディオゴ結城了雪神父他 16人 −−−−−−−400年後は「西暦2036年」
(1637年 トマス金鍔次兵衛神父 1人)
(1639年 ペトロ岐部神父 1人)
※1637年、1639年の各年の殉教者は、
司祭(聖職者)のみの為、除外しています。
★☆★ペトロ岐部と187殉教者より読み解く未来★☆★
↑ 1603年 ジョアン南他 6人 −−−−−−−400年後は「西暦2003年」
↑ 1605年 ダミアン伝道士他 2人 −−−−−−−400年後は「西暦2005年」
↑ 1608年 レオ税所七右衛門 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2008年」
↑ 1609年 慈悲役、その子供他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2009年」
↑ 1613年 有馬の殉教者他 8人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」
↑ 1614年 アダム荒川 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」
↑
↑★1619年 京都の殉教者他 55人 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」
↑
↑ 1623年 江戸の殉教者 1人 −−−−−−−400年後は「西暦2023年」
↑ 1624年 フランシスコ遠山甚太郎他 3人 −−−−−−−400年後は「西暦2024年」
↑ 1627年 パウロ内堀他 29人 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」
↑
↑★1629年 米沢の殉教者 53人 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」
↑
↑★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」
↑★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」
↑
(殉 教 者 に 神 父 を 含 ま ず)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(殉 教 者 に 神 父 を 含 む)
↓(1633年 ニコライ・ケイアン神父他 3人)
↓(1636年 ディオゴ結城了雪神父他 16人)
↓(1637年 トマス金鍔次兵衛神父 1人)
↓(1639年 ペトロ岐部神父 1人)
※1633年、1636年、1637年、1639年の各年の殉教者は、
司祭(聖職者)を含むため、別扱いとしています。
秋田の聖母の日2019
今年も例年の通り、9月14日、15日に「秋田の聖母の日」を行います。
今年は、土日だから大盛況だろうな。ww
★☆★九州島原・有馬地方の殉教者より読み解く未来★☆★
↑ 1612年 ミゲル奥村磯吉等 10余名 −−−−−−−400年後は「西暦2012年」
↑ 1613年 有馬直純の弟2人他 16人 −−−−−−−400年後は「西暦2013年」
↑ 1614年 パウロ西七郎飢右衛門等 101名 −−−−−−−400年後は「西暦2014年」
↑ 1615年 ミゲル石田等 2名 −−−−−−−400年後は「西暦2015年」
↑ (1622年 パウロ・ナワロ神父 1名) −−−−−−−400年後は「西暦2022年」
↑ 1625年 ペテロ志岐等 3名 −−−−−−−400年後は「西暦2025年」
↑ 1626年 ジョアン長井内膳等 9名 −−−−−−−400年後は「西暦2026年」
↑ 1627年 トマス宗信等 80余名 −−−−−−−400年後は「西暦2027年」
↑ 1628年 ミゲル中島等 5名 −−−−−−−400年後は「西暦2028年」
↑ 1629年 シメオン末竹 1名 −−−−−−−400年後は「西暦2029年」
↑ ★1630年 トマス吉兵衛等 250名鋸引50名死他10名−−− 400年後は「西暦2030年」
↑ ★ 30年 主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年 −−−2000年後は「西暦2030年」
↑ ★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」
(殉教者に神父(司祭)を含まない)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
(殉教者に神父(司祭)を含む)
↓ 1631年 バルトロメオ・グチェレス神父等 7名
↓ 1633年 イグナチオ・喜右衛門等 14名
●日本三大殉教
1619年10月6日 京都の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」
1622年9月10日 長崎の殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2022年」
1623年12月4日 江戸の殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2023年]
★キリシタンへの迫害が最も過酷であったとされる「西暦1630年」頃−−− 400年後は「西暦2030年」
★主イエス・キリストの受難・復活・昇天の年「西暦30年」−−−−−−− 2000年後は「西暦2030年」
★聖ヒルデガルトの預言による世の終わりの年 −−−−−−−−−−−−−−−−− 「西暦2030年」
●日本三大殉教
★1619年10月6日 京都の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2019年」
★1622年9月10日 長崎の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2022年」
★1623年12月4日 江戸の大殉教 −−−−−−−400年後は「西暦2023年]
★★★聖ヒルデガルトの預言による「世の終わり」の年−「2030年」と主な奇跡の出現年の関連★★★
→ >>203 >>204
★☆★ ファティマの聖母マリアさま出現の奇跡より読み解く未来 ★☆★
★☆★ 秋田・聖体奉仕会に安置される聖母マリア像におきた奇跡より読み解く未来 ★☆★
★☆★ ルルドに聖母マリアさまが出現した奇跡より読み解く未来 ★☆★
→ >>185
★☆★聖母マリアさまの出現をうけたコルベ神父さまより読み解く未来★☆★☆★
★☆★クノック・パリ(ラブレ)・グアダルーペに聖母マリアさまが出現した奇跡より読み解く未来★☆★☆★
★☆★長崎・浦上四番崩れ−安太郎に出現した聖母マリア−から読み解く未来★☆★☆★
→ >>186
★☆★聖十字架発見の奇跡と聖ピエトロ大聖堂の創建、バチカン市国の建国年より読み解く未来★☆★
→ >>187 今年もあと4ヶ月ほどを残すばかりとなってきました。
この世もあと10年ほどかもしれませんが、
わたしたちキリスト教徒にとっては、贖いのとき、救いのときなのですから、
なんら悲しむことはありません。
天地万物の創造主であられる唯一の神さまの御一人子、
主イエス・キリストさまがお出でくださるのですから。
ノンクリスチャンの人たちにとっては絶望するほかないのかもしれませんが、
わたしたちキリスト教徒にとっては幸いのとき、喜びのときです。
わたしたちはそのとき、三位一体の神さまの愛につつまれることでしょう。
世界情勢は政治、経済、環境等さまざまな分野で
問題を抱え行き詰まりをみせています。
それらは複雑に互いに絡み合い容易には解決が困難なものばかりです。
科学技術の進歩は、一見するとバラ色の楽観的な未来を約束してくれるように思えますが、
現実にはそのテクノロジーがもつ負の側面によって、人類社会は破滅していくことでしょう。
問題は小さなほころびが、
やがては世界全体の破綻・破壊へと展開していくその過程です。
米中の貿易戦争はどうでしょうか。英国のEU離脱問題はどうでしょうか。
香港のひいては中国の民主化をめぐる問題はどうでしょうか。
イランと北朝鮮をめぐる核開発疑惑の問題はどうでしょうか。
いくつか政治的な問題を挙げただけでも、
うまく解決できそうなものもあれば、
そううまくいきそうにないものもありそうです。
>>174-208 >>210-214よりつづきます
世界経済を牽引している先進諸国の財政、経済自体が、
どこも危険な綱渡り状態ですから、
外交と経済が絡み合って不測の事態を招く危険性も非常に高い。
おおよそ未来予測というものがはずれる原因は、
その予測の前提となる条件そのものが本来流動的なもので、
移り変わってしまうものだからそうですが、
そういう意味で、ほんとうに舵取りの難しい時代であることを思います。
しかし聖書に親しんでいるわたしたちキリスト教徒は、
そのような終末の時代だからこそ、
たとえどのようなことがこの世界でおころうとも、どのようなときでも、
神さまがくださった御言葉を通して、
心の平安・安らぎを信仰をとおしていただける恵みにあずかれるのでした。
天地万物の創造主でおられる唯一の主なる神さまにお祈りして歩みましょう。アーメン ファティマ第三の予言の内容とは?予言の真実や秘密になった理由は?
ファティマ第三の予言をみなさんは知っていますか。ファティマ第三の予言は2005年に公開されたもので、
その内容には疑問が多く残っているものです。今回はファティマ第三の予言の内容や左手に火の剣をもった天使の真相、
日本で起きた出来事について紹介していきます。
ファティマの予言に関して日本でも出来事があったようです。日本で起きたことについて紹介していきます。
ファティマに関する出来事が起こったのは日本の秋田にあるカトリック女子修道院で起こったようです。
内容はこれから詳しく説明しますが、ファティマと秋田は北緯39度近くに位置しておりなんらかの繋がりがあるのではないかと言われています。
またその秋田ではファティマの奇跡から100年を記念してファティマにある聖母像が秋田にやってきたこともあるようです。
https://pouchs.jp/GCfxY?page=4 ファティマの予言の第三の部分の内容
この記事によれば、ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿は西暦2000年、「第3の予言はヨハネ・パウロ2世の暗殺を予言していた」と公表し、
直接マリア様に予言を聞いたルチア女史は、「第3の予言は喜ばしい知らせです。世界の終わりを告げたものでありません」と親戚関係者に漏らしたそうだ。
ネットでファティマの予言の第三の部分について検索しても、詳しい内容が出てこないが、青山圭秀氏が2000年に書いた小説「最後の奇跡」には、
作品内でドイツの新聞が外交筋から入手したものとして掲載した内容が掲載されている。パウロ六世が1963年に予言の内容を主要国の首脳に送ったとも書かれているので、予言の内容が外交筋から漏れることはありうる。
※ドイツの新聞に掲載されていたという内容も、パウロ六世が第三の予言の内容を各国の首脳に送ったという事柄も小説のための作り話であるなら、以下の引用はただの創作という事になってしまうが、
著者あとがきには「ここに用いた仙台の聖母出現は架空であるが、ルルド、ファティマ、秋田等、主要な御出現とそこにおける奇跡、メッセージの内容は、
実際に報告されているものを用いた」とあるので、第三の予言とされる部分も、青山氏がどこかで手に入れたものではないかと考える。
以下、文庫本の266ページ引用。
https://kininarukabu.com/archives/17071