政府の説明によれば、新元号『令和』の出典は万葉集とのことですが、ネットでは中国の文人・張衡が作った漢詩『帰田賦』こそが真の出典なのではないかと言われています。確かに見比べると、ほぼ同じという印象。万葉集の時代では、漢文は知識人にとっては教養で、オマージュした歌を作るのは普通のことだったのだそうな。
■Wikipedia➖張衡 (科学者)経歴
没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。青年時代洛陽と長安に遊学し、太学で学んだ。永元14年(102年)、南陽郡守の幕僚(南陽郡主簿)となった。永初元年(107年)には、洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」を著した(これらを総称して「二京賦」という)。当初は南陽で下級官吏となった。永初5年(111年)、京官の郎中として出仕した。元初3年(116年)、暦法機構の最高官職の太史令についた。建光2年(122年)、公車馬令に出任した。永建3年から永和元年(128年 - 136年)の間、再び太史令を勤めた。最後は尚書となった。
30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算罔論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。安帝末期から始まり順帝時代まで続いていた宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」「四愁詩」「同声歌」がある。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3926998
■「文選正文. 3」(国立国会図書館デジタルコレクションより)
https://matomame.jp/user/FrenchToast/4e69447a2e42ea73801e
関連リンク
【万葉集】「令和」万葉集から由来をさらにさかのぼると?中国の詩文集「文選」中国ネットユーザーらが指摘[04/01]
http://2chb.net/r/scienceplus/1554105583/130 「本歌取り」というのが流行っていたみたいですね。^^
中西さんは、創価学会の雑誌にもよく出てた人だよね。^^
人は記憶型と思考型に大別できる
これか・・・
於是仲春令月,時和氣清
>>5
本歌取りって名前になるのはもうちょっと後の時代じゃないの? だからその時代の支那人と今のチョンの双子の兄のゴキブリシナチクとは関係ないから
万葉集だし
昭和の和だし
どうよ これ
パクリ
ねぇ
いいだろ
ドヤ
安帝の罠でした...
orz
込めた想いでいいだろ。自分の名前でも難癖付けるんか?
共産主義には元号どころか文化すらないはずだからね。日本が古代中国を踏襲してたら悔しいよね。
>>1
だから「令和」の元ネタは「万葉集」な!?w
作った本人たちが「元ネタ」言うとる訳やからwww 張衡『帰田賦』はさらに元ネタがある
https://togetter.com/li/1333750
令和の典拠は本当に万葉集だけなのか? 中国古典まで遡れる新元号の由来
すんすけ @tyuusyo 21時間前
一言だけ。まとめ主の「中国古典クラスタの方が一瞬で本当の由来を解き明かしました。」というのは、ウソですね。
張平子(文選はこの表記だぞ、みんなチョーコーチョーコー言ってるけどよ)の「帰田賦」は万葉集の梅花の歌の典故ではないかとされているだけで、
決定的証拠はないのよ
まず張衡「帰田賦」(文選巻15)を令和年号の根拠だと言うのはちょっとどうかと思います。
そもそも張衡「帰田賦」にはもとの典拠があり、例えば六臣注文選だと「儀禮に曰く、令月吉日と。鄭玄曰く、令は善也。」とあります。
だから張衡の独創ではないんですね。 で、帰田賦には実は「百草、滋榮す(たくさんの草が茂っている)」とだけあり梅の花が出てこない。 >>14
万葉集前文の漢詩の部分。
この元になってる漢詩は、
後漢の張衡が安帝や宦官達の腐敗した政治にうんざりして故郷へ帰るにあたり読んだ詩。
いまの安倍と霞ヶ関役人まんまじゃん。
何も知らずにドヤ顔してるアホ安倍とアホ有識者たちは
学者からしっぺ返し食らったんだよwww これでパヨクもにっこりと新元号を受け入れられるねww
単に詩の中から抜粋するだけでは、「平成」のような学術的背景性は薄い。
かといって、万葉集自体は大和言葉の発音に漢字を当てたものなので借用しずらい。
日本書紀は漢文の猿真似で非常に間違いが多くこちらも文学的に美しくない。
やはり学者は国文学の面からも漢文学の面からも遜色ないよう、
一ひねり二ひねり熟考したものを選出しているわけだ。
「国書から」とダダこねたアベに応じると同時に学問的重厚性も担保しなければならなかったが
これを上手くやって、かつ鬱陶しいアベを煙に巻いた。
日本でもこの程度すぐ分かる漢籍の研究者はいるんだからちょっと聞けば済んだものを
そういう学者のいる時代はそろそろ最後かもしれないのにもったいねえな…
序文と漢詩本体
中国の漢詩本体でも日本の詩集の序文の価値しかないww
>>21
安倍帝
結果として「安」の字が暗に込められている。 ホントにバカだな
ちうごくの物でも日本に来てから別物になったんだよこれに限らず
今でも自称知識人たちが使う、ポピュリズム、イデオロギー、リベラル、
などの外来語を使いたがる人種と同じだろ、令月を使って見たかった。
おれは漢詩得意だもんってね!
これ考えた人がパクリと揶揄されその意味は別物だから採用された
本音は中国の古文であってもそれを理由にしたと言うのであれば
学者としてクズというレッテルを自ら作るだけだからどうでもいいや
>>1
万葉集が文選を、
文選が帰田賦を参照引用してるのは、
当時の教養からすればもう当たり前、
しかも現代でも研究者には広く知られている
異様なのは、
なぜかマスコミでこの件に触れる記事が、非常に少ないことだ イチャモンっていうのは、いくらでもつけられるもんだねぇ。
どんだけ深読みしたら気が済むのw
「風が吹けば桶屋が儲かる」式のイチャモンじゃね?
中西進氏がこのことを知っていて
表面上は万葉集出典だということにしておいて
その裏で政権批判の意を込めていたのだとすれば
その教養に敬服するしかないし俄然令和が好きになるな
チョンだらけの腐敗政治に国民が嘆いてる世の中だからピッタリじゃないの?
>>34
おめえ馬鹿じゃね?
安倍なんて、あと数年で総理の座を降りるわけだが、元号はその後10年以上続く。
そして、100年後には、今の皇太子が、令和天皇と呼ばれるわけだ。
令和ってのに負の意味があったとして、困るのは安部じゃなく、今の皇太子だ。
現在の政権批判って軽いノリで考えたなら、ただの深い知恵の足りない、アホ学者でしかない。
しかも、張衡が田舎に引っ込んだのは、安帝ではなく、次の次の順帝の時だ。
そもそも、もっと古い黄帝内経に令和って言葉がでてるけど、いい意味で使われてるし
今までだって四書五経みたいな、論文から採用しても、漢詩からとった元号はない。
仮に、密かに中国古典からとったとしたら、漢詩より、黄帝内経から引用した可能性のほうが高い。
なぜなら、もろに令和という言葉があるから。 せいぜいあと数年の政権批判のために何十年も使う元号を国民に押し付けたクズ人間。
そんなふうに曲解されるとは真剣に取り組んだであろう考案者も気の毒だな・・・
>>18
>日本書紀は漢文の猿真似で非常に間違いが多く
だから何処が漢文的に非の打ち処がない部分と
間違ってる処を
森博達が「業已」に指摘してるだろ。
「国書」って普通天皇や皇帝、大統領など国家元首が遣り取りする書簡尺牘なんだよな。
「国書刊行会」なんてのもあるけど…
発表前に「日本の古典からも候補を出す」とTVで言ってたから
古今集真名序あるいは和漢朗詠集に出てくる漢語、万葉集の中でも
万葉仮名=漢字で書かれてるけど支那には無い和語にするのかと思ったわ。
尚書(書経)の中から選んでおけば支那人も「零和」と同じだと
難癖付けることは無かっただろう。 >>27 >>31
文選も唐詩選(支那では「唐詩三百首」と呼ぶ)は
万葉集と同じanthology詩文集だからな
支那で万葉集に匹敵するのは「全唐詩」か ハナクソ左翼の戦いもむなしく、国民に令和は大人気(笑)
令は「させる」という意味と「立派な」という意味があるらしい。
命令、指令、法令、律令
令色、令名、令嬢、令息
令和は平和にさせる、凛とした日本を創るというイメージがあり、
未来への決意が感じられていいね。
令と和のバランスがいい。
経世会で平成 k/h-eisei
清和会で令和 s/r-eiwa
日本の政治はこの程度
>>46 >>48 そのとおり
漢文での「令」は「〜する」または「〜させる」
だから「令和」は「和やかにする」「和やかにさせる」という意味 >>1
後漢の安帝に仕えた張衡は、後に順帝にも仕えた
その順帝は宦官の養子を認め、財産を継承することを許可した
それまで1代限りの権勢だった宦官が次代の権勢継承を行うようになった
後漢の宦官禍は順帝より始まると評されることになった
順帝に仕えた張衡は宦官の専横を嘆いて官職を辞め、その時の心情を詩に詠んだ
つまり、詩の内容は安帝批判になっていないから、安帝を首相に絡めるのは見当違い
他者を貶めたくてたまらない俗物はろくに調べもしないで妄言に便乗する
滑稽な馬鹿者だねw スレタイの後漢の安帝ってw
少し調べれば順帝の時代に作ったのわかるのに、アベガーはなんでも安倍にくっつけないと気が済まないから
歴史まで改竄したのか
>>51
後漢の安帝は政治は安定してたんだよな。
ただ天候不順に悩まされたようだけど。
政治を安定させるために有能な市民を宦官として採用して成功したけど、これが順帝の時代に既得権益化してしまったようだね。 ネトウヨとパヨク以外はそもそもそれ程日本由来か中国由来かに拘って選考して無いんじゃないかね?
元々は漢文で万葉集において引用されてるって言えばどこにもカドが立たなかったのに意固地に万葉集だっていうからこうなるんだよ。
>>51
いつもの事だけど、パヨチンは見当違いな事でホルホルしてるよな 安倍晋三はアホ(笑)低学歴(笑)。枕草子も徒然草も全て日本の古典は中国の古典の影響をうけている
これを決めた学者って凄いな
暗に安倍政権ディスってんだから
美しい調和という意味なら「美和」じゃいけなかったのかなあ?
張衡って古代中国では珍しい科学者
文人としてじゃなくて世界史じゃ地震計で有名だろ
陶淵明みたいな形でクローズアップされるとは思わなかった
>>15
>そもそも張衡「帰田賦」にはもとの典拠があり、例えば六臣注文選だと「儀禮に曰く、令月吉日と。鄭玄曰く、令は善也。」とあります。
それ、令の字の用例であって、典拠じゃねーよ
>>18
>かといって、万葉集自体は大和言葉の発音に漢字を当てたものなので借用しずらい。
万葉集の歌によっては、漢字万葉仮名混じり表記や、送り仮名なしの漢字を日本語で読む順に
並び変えた表記もあるから、そういう部分からいくらでも採れる
>>37
>仮に、密かに中国古典からとったとしたら、漢詩より、黄帝内経から引用した可能性のほうが高い。
>なぜなら、もろに令和という言葉があるから。
年号は、もろにあるところからは採らないんで、その可能性は零
そんな元ネタなんてどうでもいいわ、
問題なのは、
「令」と聞いたら真っ先に「命令」が連想されるような、
「令」があまりいい印象の無い字ってこと。
良いという意味の形容詞的用法として、「令月」の語が最初に書かれたのは、
成立年代が春秋時代近くまで遡れる古典である、『儀礼(ぎらい)』だよ。
去年、お墓が発見された、南朝梁の昭明太子が作った、六臣注文選には、
「儀礼に曰く、令月吉日と。鄭玄曰く、令は善也。」 とあり、
令というのは、善いという意味ですよと註釈されている。
「令和」そのものとしては、
古典医学書の『黄帝内経』に、「気可令和 和気之方 必通陰陽」 がある。
後漢時代の張衡の『帰田賦』に、「仲春令月 時和気清 原隰鬱茂 百草滋栄」
南北朝時代の王台卿の『陌上桑』には「令月開和景 処処動春心」
唐時代の薛元超の『諫蕃官仗内射生疏』には「時惟令月 景淑風和」
最後のが、万葉集の 「初春令月、氣淑風和」の直接の元ネタっぽい。
シナ人は詩情ってもんがないのか?
万葉集の付けたしの駄文のほうがロマンティックじゃねえかww
漢詩って和歌みたいに「いい気持ち」にはならないんだな
だから付け足しの文(序文)くらいにしか使えねえ!
>>75
以前、YouTubeで詩経に載っている周代の漢詩を当時の古代発音(上古音)を再現して
朗誦しているのを聞いたことがあるが、けっこういい気持になったぞ。 仲春令月 時和気清
3月くらいのちょっと暖かくなってきても、まだ空気は澄んでる午後3時
初春令月 気淑風和
こっちは2月半ばくらいの午前11時
>>15
中西進が考案者など居ないって言ってるんだから
何が元ネタかなんて誰にも分からないね
1000年後の人は令和の典拠は帰田賦と万葉集と思うでしょ
安部政府が勝手に万葉集と言ってるだけで、それ以外に無いとも言ってないし。
仲春令月 時和気清
初春令月 気淑風和
これをパクリというのは現代人の金に薄汚れた価値観であって
昔は著作権なんて概念も無い。考えられた言葉はみんなのものだ。誰が考えたかは残さなきゃいけないけど
パクったら恥とかいう概念も無いし、これの場合読み人知らず。
帰田賦を日本の2月の梅の時期に合わせてパロッて読んだのは誰が見ても明らか
それが面白いと感じないのはリベラル思想や著作権の概念に洗脳されてる奴
パクリだと貶す奴も万葉集はパクリじゃないとパクリが悪いことと捉えるのも同類だ 張衡『歸田賦』、王羲之『蘭亭序』、杜審言『和晋陵陸丞早春遊望』の影響を挙げるなら、
晋の張協の『洛禊賦』「夫何三春之令月、嘉天氣之氤?[气+温]。和風穆以布暢兮、百卉曄而敷芬」
なぜ誰もこれに言及しないのか不思議
『歸田賦』同様、『藝文類聚』にも採録された名賦なのにどうしてなんだろう?
好きなの選べ
・8世紀 奈良時代 『万葉集』梅花謌卅二首并序「初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」
・2世紀 後漢 張衡『歸田賦』「仲春令月、時和氣清、原隰鬱茂、百草滋榮」
・4世紀 西晋 張協『洛禊賦』「夫何三春之令月、嘉天氣之氤?[气+温]、和風穆以布暢兮、百卉曄而敷芬」
・6世紀 南北朝・梁 王臺卿『陌上桑詩』「令月開和景、處處動春心、桂筐須葉滿、息惓重枝陰」
安晋帝は、さすがにやる事が違う。
同日に発生した忖度発言、関門海峡橋建設事件は象徴的はは。
令月は冷月と読む方がしっくり来る。
美しい、良い月は、名月が一般的。
>>80
もっと前の時代から令月という言葉を使ってるし、そもそも中国語では
令月は特定の月を指す言葉じゃなく、良い月(令月吉日)という意味で今でも使われてる
時代すら間違えたパヨクの安帝ガーは脳みそ萎縮したパヨクの電波に過ぎない 嘆いたのは順帝の政治では
と思ったら既につっこまれてた
>>1はパヨクの独自研究がソースか
やれやれ パヨクにとっても、ええ元号ってこっちゃ
よかったなw アベノセイダーズの皆の衆w
中国の学者は否定している。万葉集から引用したことは事実です。
後漢書に、資治通鑑に
民在塗炭
中略
遂成禍乱
朝廷乃下明詔
欲令和解
詔命不行
恩沢日損
献帝の御代に董卓が死んだ後の混乱だそうです。陛下のご意向が次々と発せられるも役人たちにはことごとく無視されて朝廷の権威は地に落ちたと。
うーん、これは考えものだわい。
>>86
その「欲令和解」は使役、司令を表わす助動詞の一種の「能願動詞」の「令」と
複音節語(日本語では「熟語」と呼び習わしてる)「和解」の「和」を
つまみ食いしただけじゃん。
「令月」の「善なる」を意味する「令」とは意味用法が違うじゃん
意味を理解しないで外見だけ見て判断する出来の悪い開発途上の低レベルAI的発想
オマエの思考回路も出来の悪いAIレベルwww 安晋帝は統計をデッチ上げているから、怖いものが無い
>>86
あのさあ、令と和の字が入ってれば何でもいい訳じゃないんだぞ?
こういうアホな断章取義するひとってすごく頭悪いんだろうな
でももっとアホな奴らはこれ見てよろこぶんだろうけど >>82
それ単に令月の初出を言ってるだけでしょ
令月の初出は『儀礼』士冠礼の「令月吉日、始加元服。棄爾幼志、順爾成コ。壽考惟祺、介爾景福」だよ
令月の意味なんて漢籍・古典かじったことがある連中は誰でも知ってるんだし、わざわざ解説しなくてもいいよ 令月は漢語でしょ? 吉月ないしは陰暦二月のことだとか。
令っていうとなんとなく冷を連想して寒そう
少子高齢化で冬の時代に入っていく日本だけど
令和はそれを象徴してるのかも
昔の中国の文人みたいな剛直な生き方は日本ではできんな
たちまち、引きこもりせざるを得なくなる
元号を話題にするのは人生の無駄である
だからすぐに誰も話さなくなった
改元でもう一回話題になるだろうがそれもすぐに収束する