SWSスレテンプレ
カブキ 灰色の追憶 悲劇のUN王者
1973年3月8日 ダイナミックシリーズ最終戦佐野大会
カブキは強豪J・バレンタインを破りUN王者となる。
猪木・坂口と巻いた由緒正しいベルトをついにカブキが手にしたのだ。
しかしこの翌日、NETは日プロの放映打切りと新日本への移行を発表。
このカブキの試合がNETの日プロ最後の放映となってしまった。
1973年4月19日 アイアンクローシリーズ横浜大会
カブキは強豪K・クラップを相手にUN王座を防衛。
ただ翌日の群馬大会をもって日プロは崩壊した。
弱冠24歳のカブキにとって、これは心に大きな傷を残すことになった。
カブキがよく自分の分をわきまえれというのは、ここからきているのだ。
さらなる悲劇がカブキを襲う。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
馬場「おい高千穂、おまえUNのベルト持ってるよな? それ、ジャンボにやってくれるか?」
カブキ「ああ、いいですよ。どうぞ」
まず鶴田対カブキで鶴田が勝つ。
そして鶴田がブリスコに勝ちUN王者となる。
カブキはUNベルトを分捕られたばかりか、鶴田の踏み台にまでされてしまった。
馬場「キミ程度じゃUN王者は無理、アジアタッグくらいがちょうどいい」
馬場の言いたいことはまさにこれであり、決してそれは間違ってはいない。
この後カブキはアジアタッグ王者となるも、あくまでクツワダの底上げの為であった。
1990年7月、カブキは世界タッグのベルトを放り投げて全日本を退団。
カブキ「かつてUNベルトを取り上げられたからその仕返しをしてやった」
かようにUNベルトを取られた恨みは大きかったのだ。
このようにカブキにとってUN王座戴冠は悪夢そのものであった。
それは40年以上を経た今現在でもカブキを苦しめているのである。
カブキ 灰色の追憶 引き立て役人生
今も昔もカブキは、もっともうまいレスラーはG馬場という。
同じく自分の目指すレスラーは吉村という。
この点でカブキは自分自身をわきまえていた。
カブキは60年代後半の馬場の全盛期を目の当たりにしている。
同時に馬場と猪木の引き立て役に徹していた吉村を目にしている。
カブキには引き立て役としてしか生きる道がなかった。
サンダー杉山、グレート草津、マサ斎藤、ラッシャー木村、坂口征二…
自分が踏み台になり越えていくことを承知で稽古をする。
全日本へ行ってもそれは変わらない。
大仁田、渕、園田、天龍…
全日本入団の彼らのコーチを務める。
外様のカブキはあくまで踏み台であり、彼らはカブキを越えていく。
カブキはあくまでコーチであり、前座のレスラーでしかない。
カブキはこの状況を変えようと馬場に海外遠征を頼み込む。
馬場はダメの一点張りでカブキの言うことを聞こうとしない。
元子「そうよ高千穂さん。あなたがアメリカに行ったら、誰が練習を教えるんですか?」
カブキ自信、全日本ではレスラーとしては見られていないと自覚していた。
そして、このようにハッキリと元子から言われそれを確信したのである。
カブキはこの状況から全日本を出てアメリカへ行く。
「源ちゃんは日本に帰るところがある。俺にはないんだよ」
レスラーとしてはダメ、トレーナーやコーチは拒否。
結局、カブキという見世物として生きていくほかはなかったのである。
それにしてもカブキは哀れである。
自分を踏み台にしてのし上がっていく、彼らはトップで名声やギャラを手にする。
カブキはあくまで踏み台で前座でギャラも低いままであった。
どういう気持ちで引き立て役に甘んじていたのか聞いてみたいくらいだ。
最初の日プロから最後のインディーまで、カブキはしょせん引き立て役の人生であった。
カブキ 灰色の追憶 悲運の海外挑戦者
今も昔もプロレスの本場はアメリカである。
アメリカに武者修行に行き凱旋帰国することはスターへの花道であった。
カブキも当然アメリカ進出を意識する。
70年9月、初めてのアメリカ遠征に出る。2年間順調に過ごすも
72年9月、芳ノ里「すぐに帰ってこい」と帰国命令。
カブキは不本意だったがそれに従い日プロに帰国する。
カブキは日プロの崩壊後にすぐアメリカに戻ろうとする。
だが、芳ノ里「馬場の全日本へ行け」
またしても不本意ながらそれを受け入れる。
全日本では馬場にアメリカ行きを懇願する。
78年2月、フロリダへ行く。
81年1月、「カブキ」へと変身。
カブキは一部テリトリーにて大ブームを巻き起こすも
83年2月、全日本からの帰国命令が下る。
その後は全日本とアメリカの往復となる。
アメリカでは4ヶ月単位でストーリーを組むが
日米を往復するカブキはストーリーが組めなくなりメインから外れていく。
結局、87年1月より全日本に定着となる。
それにしてもつくづく残念でならない。
・もし日プロでそのままアメリカにいたら
・もし日プロ崩壊後すぐにアメリカに行っていたら
・もし「カブキ」として全米で活躍していたら
カブキは「パンが食える」稀有なレスラーである。
余計な邪魔をされずに存分にやっていたら、今以上の名声を得たことは間違いない。
カブキのアメリカ挑戦は完全燃焼して燃え尽きた、の真逆で
ここぞ、というとき邪魔が入り不完全燃焼のまま終わってしまった。
本人もさぞかし無念の想いが強いと思われる。
カブキはアメリカで大きなチャンスも可能性もあったのにつかめなかった。
それは今現在もカブキに深い暗い影を落としているのである。
カブキ 灰色の追憶 付き人制度の蹉跌
力道山が相撲界からプロレス界に持ち込んだ物の1つに付き人制度がある。
上位レスラーに与えられた特権で、付き人となった若手は先輩の身の回りの世話をする。
ただ、これはそのレスラーの人生を大きく変えてしまう恐ろしい制度であった。
日プロに入団したカブキは芳ノ里、豊登、吉村の付き人を務めた。
1960年代後半の日プロ全盛時代。
芳ノ里社長は全国で超VIPと会合し、都内では高級店をハシゴしていた。
カブキは付き人としてついて回り、社会を勉強したのであった。
後の馬場や猪木もそうだが社長の付き人というのは出世の最短コース。
日プロがそのまま順調にいけばカブキにも明るい未来が待っていたに違いない。
だが猪木と馬場が抜けて日プロは崩壊。
猪木と馬場が憎むべきダラ幹の筆頭が社長の芳ノ里。
その付き人で芳ノ里派のカブキには国内にもう居場所がなかった。
カブキは日プロ残党として全日本へ合流するも
マシオ、大熊、クツワダ、佐藤ら馬場の歴代付き人の格下にランク。
大仁田、渕、園田、天龍たちのコーチと踏み台としての役目しか与えられなかった。
日プロから全日本へ行って天から地へ落ちたのである。
UN王座や海外遠征など、カブキは大きなチャンスが逆の結果となることが多い。
この付き人制度もまさにそうで、日プロ社長の付き人というもっともよい位置にいたが
それゆえに馬場と猪木から蛇蝎のように嫌われてしまった。
思うにカブキが最初に馬場についていれば、そのままうまくやっていたであろう。
芳ノ里についたことにより天国から地獄への垂直落下を食ったのだ。
このように付き人制度はレスラーの人生を変えてしまう恐ろしい制度であった。
そしてカブキはその恐ろしさを、自らの身を持って万天下に示したのである。
カブキ 灰色の追憶 マッチメーカー失格
1990年9月、新団体SWSのプレ旗揚げ戦が行われた。
このSWSでマッチメーカー、現場責任者の要職を務めたのがカブキである。
まずカブキがカード案を作成し田中社長へ提出する。
田中が見て次にそれをジョージやワカマツがチェックする。
とにかくSWSはカード編成でもめた。
カブキがいくらカードを作っても、ジョージやワカマツは田中に直接文句をいう。
そして田中がそれをカブキに伝えるということが幾度となく起こった。
選手が誰も言うことを聞かず、第1試合がカブキの定番となった。
ここで有名な大事件が起こる。
北尾 vs テンタと鈴木 vs A菅原の2試合だ。
北尾テンタはもともとテンタの2連勝のブックであった。
ただ神戸の試合当日に北尾がごねて北尾の勝ちブックに変更。
カブキが直接テンタにブック変更を申し込み、それを飲んでもらう有様だった。
「試合当日に選手にごねられてブック変更」
マッチメーカーとして1番やってはいけないことをやってしまう。
結局、この試合は不穏試合となり北尾の「八百長野郎発言」となる。
試合後の北尾は田中夫人に椅子を投げつけるなど大荒れ。
船木が言うように田中もこの日を境にプロレスへの情熱を失っていった。
すべてはこんなカードを組んだカブキの責任である。
続く
続き
もう1つの不穏試合が鈴木アポロ。
SWSと藤原組の業務提携開始の試合であり細心の注意が必要である。
だが不用意にもこんなカードを組んでしまった。
この試合は不穏試合となりSWSと藤原組の提携はご破算となる。
カブキ「このカードは俺が組んだが、まさかあんなことが起きるとは思わなかった」
はっきり言ってバカ丸出しである。
神戸大会後、反天龍派はマッチメーカーカブキの責任を執拗に追及。
自らの責任を認めたカブキは、自慢の長髪をバッサリ切り落として辞表を提出。
辞表の受理はされなかったが、ここにカブキはマッチメーカー失格の烙印を押された。
その後もカブキへの批判は続く一方。
92年1月、片山が試合中に大ケガをする。
これも「こんなカードを組んだカブキが悪い」と公然と批判された。
92年3月、カブキは試合会場や事務所から謎の失踪する。
ストレスで頭に神経性の発疹ができてしまい、好物の刺身も食えない状態となった。
結局92年4月、目に涙を浮かべながらマッチメーカー降板を発表。
それだけでなく「自分がいたら天龍が迷惑」とレボリューションからも離脱。
カブキは王者の器量もないのにベルトを巻いてしまい、分捕られた悲しい過去がある。
今回もマッチメーカーの器量もないのにその職についてしまい、失格の烙印を押された。
カブキ「SWSでは人生で1番嫌な思いをした」
SWS崩壊の最大の原因は、カブキがマッチメーカーについてしまったことにあった。
カブキ名言集!
「猪木はアメリカに行ったが食えずにわずか半年で帰国した」
「おやじ(芳の里)は会社の金ではなく自分の金で飲んでいた」
「クツワダのクーデターがあったから馬場は鶴田に砧の合宿所を与えた」
「馬場がオリガミで散財している金でUWFを呼べた」
「北尾は谷津の伝手でSWSに入ってきた」
「SWSでは全日本とたいしてギャラは変わらなかった」
「相手への嫌がらせのため毒霧にはニンニクを含んでいた」w
以上でテンプレは終わりだ!
オマエラ、さあ語れ!
1太田 カーブ
2谷岡 ストレート134キロ
3山川 ストレート133キロ
4堀岡 ストレート139キロ
5戸根 スライダー128キロ
すっきり
WWFとの提携の各人の言い分
天龍 - WWFとの提携料100万ドルを佐藤を通じてまとめた。※本人は8000万円と言っているが当時の為替レートでおよそ1億2千万から4千万ぐらい
カブキ - 新日が5000万でWWFとの提携を狙っていたので1億円で契約した
谷津 - 15〜18億を払ったと田中社長から聞いた。レボリューション勢の中抜きを疑っている
鶴見 - 佐藤とカブキが億単位の契約をして半分以上中抜きしたとインタビューで答えた
ナガサキ - 提携料は1億くらいと認識
補足 - エリックビショフ談で91年に新日本はWCWと5000万で業務提携
サイバーファイトがいよいよメジャー新日を飲み込みそうな勢いだけど
DDTのルーツがSWSと言うことを考えると
当時の猪木、馬場体制に猛然と歯向かい散っていった
SWSの怨念がそうさせてる気がしてならない
高木は「SWSは企業プロレスではなかった。企業がオーナーだっただけ」と言っているね
カブキはWWEにスケジュール縛られたくないから
殿堂入りを辞退したらしいけど
亡くなった後、レガシー部門として嫁と娘が受け取る事になるかもね
そのときはアンチは約束通り顔にチンポ移植しろよ
>>14
結局、大企業が親会社となって、プロレス団体を盛り立てていくというSWS・
田中社長の理念・理想が、「ファンがスポンサー」「鎖国プロレス」といった
欺瞞に満ちたキャッチフレーズの馬場全日の理念・理想より遥かに優れていた
ということが30年の時を経て証明されたことに関しては感慨深いものがあるな
偏向報道や基地外バッシング等でアホなヲタを一時は騙せても20年30年という
「時」が真偽を見定めた典型例と言えるな
いまだにあの基地外バッシングを正当化している馬場信者はもはや「手遅れ」の領域であることも併せて追記しておく ばーか、プロレスは沈下してんだよ
馬場の時代よりも
アメリカのプオタが評価してくれてるだけで
昭和、平成初期の盛り上がりのもおよばない
>>19
田中社長の理念・理想とは勝てるプロレスラーが賞金を稼ぎ、勝てないレスラーは解雇され淘汰される優勝劣敗による完全実力主義のプロレスだ
現在、何処にそんな田中社長の理念や理想が具現化したプロレスがあるというのだろう?
「大企業が親会社となるプロレスが田中社長の理想としたプロレスだ」と頭の悪いこの馬場アンチは言うのかもしれないが
そもそも全日本プロレスは大企業である日本テレビが親会社のプロレス団体である
「大企業が親会社となるプロレス団体」などSWS設立の遥か以前から存在していたのに、そんなことにすら気がつかないから30年経っても馬鹿呼ばわりされるのだ >>19
ま〜たキミかぁ?w
全日本は日本テレビの子会社。
新日本はテレビ朝日の子会社。
大企業が親会社となる企業プロレスはSWSより18年も前から存在している。
そんなことも知らんの?w
週プロのデジタルアーカイブ化が進む。
ター山のSWS・天龍バッシングが半永久的に閲覧される。
同じくター山の馬場の聖人君子化記事も半永久的に閲覧される。
ゴングはSWS・天龍を必死になって擁護し「週刊天龍」と称された。
だがゴングのアーカイブは前田が所持しておりデジタル化されることはない。
結局、未来永劫SWSと田中社長は物笑いの種となるのだw 30年経ってゴング小佐野が
「SWSは企業プロレスではなかった。タニマチプロレスだった」って総括しているくらいだもんな
swsを週プロ信じてバッシングしてた奴を
短絡的だと笑う事がずっと続くよ。
未来永劫ね。
プロレスを傷付けたんだ。
アンチじゃない俺から見ても、後生に笑われても仕方ないのはSWSの方だと思うけど…
言っちゃ悪いが、面子からしてどう動かしても明るい未来が見えないし
潰れたのだってバッシング関係なく自壊したし…
SWSはくそつまんなかったけど、全日本は単純に当時は面白かった。週プロパッシングなくてもじり貧だったんじゃないの。
>>27
前スレでも書いてた人がいたけど、格上やライバルに噛み付いてる
ときに光る天龍が団体のエースでは魅力がない。
これは長州にも言える。
彼がエースの団体も「ジャパン」「WJ」と失敗してる。
天龍がエースなら、当初に予定していた「天龍部屋」的な団体で
天龍が全日から着いてきた少数の若手や新人を育てる
コンセプトならどうだっただろう? 長州も天龍もそうやってきたもんな。
対抗戦やればいいけど、サッカーボールキックやグーパンチとか
技がなさすぎ。
明らかな王道スタイルの武藤も団体経営は失敗してるけどな
さんざん言われているが集まったレスラーの顔ぶれ自体も酷かった
天龍と佐野位しか良いレスラーがいなかったからな
その佐野もジュニアだし
天龍も集まった顔ぶれが酷かった事は否定できていない
せっかく三部屋(藤原組入れたら四部屋)作ったのに、部屋別全面対抗戦とかやらなかったのはなんでだろう?
全日では鶴田、超世代、ハンセンによる三軍対抗戦が行われたのに
早い段階でレボリューションとそれ以外とで別々に活動するようにしていたら又違った展開もあっただろう
対抗心を興行合戦という形でぶつけ合えば良かったのに
>>33
天龍とジョージのシングル対戦は、旗揚げ2戦目で
もう実現したし、あといまさら天龍(+タッグパートナー)対谷津(+α)とか
谷津対ジョージとか見たい? 結局、天龍とジョージのシングル対戦は旗揚げ戦の一回だけですか?
ジョージはジュニアの佐野にも3カウント取られてたけど、あれはなんだったんだろう
>>37
天龍がホーガンと戦う直前に「ホーガンと戦う資格があるか確認するため」とかの理由で戦っている 龍魂5番勝負
長崎 VSハク
福岡 VS谷津
熊本 VSジョージ
函館 VSケリー・フォン・エリック
札幌 VS阿修羅原
もちろん全勝
会場で団体内の格が分かる
今にして思えば函館の客うらやま
>>38
うはは、なんじゃそりゃ
そういえば各道場のトップの中でジョージだけがホーガンと戦わせて貰えなかったんですね で、>>39 の熊本が、荒川がジョージを焚き付けたという曰く付きの試合w
まージョージがガチで向かってきてもどってことないだろうけど >>40
荒川が何焚き付けるかわからないから危なくてやらせられなかったんだろ 荒川が焚き付けたとして、ホーガンに向かっていくかジョージはw
それこそミサイル作れ
なぜかジュニアヘビー扱いにされて、あげくジョバーをやらされたリックマーテル(元AWA世界ヘビー級王者)
年俸制になったことで年間30試合だろうが150試合だろうが貰うお金はかわらないから
「試合数が多いと良い試合ができません」とオーナーに訴えて興行数を減らしちゃったので
相撲みたいな部屋別総当たりリーグ戦をやろうにもシリーズが短くてリーグ戦なんかとても組めやしない
噺家がタダみたいなギャラでも寄席の高座に上がるのは、数をこなさないと上手くならないからで
プロレスラーも試合数をこなさないと上手くはなれないよな
>>3-10
これを毎回貼り付けているのがキチガイ馬場信者か >>45
誰がそれを言ったのか明確にわかってるのかな?
だとしたらそいつは間違いなくS崩壊の要因だ >>39
龍魂5番勝負に全勝した天龍がいざホーガンと戦ったら15分足らずでフォール負け
ホーガンの勝ちブックはいかんともし難ったにせよ、全日時代、鶴田、ハンセンと熱戦を演じ
この後新日に乗り込んで猪木以下対戦したすべてのレスラーから勝利を挙げる天龍とは思えないあっさりとした敗戦 >>48
生観戦したが、(格安でチケット入手)
天龍対ホーガンは、結構、一方的にホーガンが
攻めて、あっさり勝ったな。あれが東京スポーツの
年間最高試合と言うのは納得がいかない。
新日G1の決勝とかスーパージュニア決勝(○保永対✖ライガーとか
全日、4月の武道館(○鶴田対✖三沢)とか名勝負はいくらでもあった。
特に、鶴田対三沢なんか試合終了後、武道館のテラスで興奮のあまり
全裸で踊りだす奴がいるほど盛り上がった(苦笑)
SWS12月のドームは帰り道、寒かったなぁ。 ホーガン戦十分見応えあったと思うけどね
欲を言えば天龍に勝って貰いたかったがホーガンのマッチョパフォーマンスも見られて概ね満足だったわ
東スポのプロレス大賞は各団体に配慮してバランスをとる必要があり、SWSにもなにかあげなきゃということで年間最高試合があてがわれた
>>50
鶴田がピクピクしてる横でホーガンがマッスルポーズしてるなんて最高じゃないか 馬場も鶴田もプロレスを生業としながら、プロレスに対して一歩退いた醒めた視線で臨んでいる
だからこそ成功したのかもしれない
>>52
ベストバウトとMVPについてはそんなにバランスは配慮していないよ
前年の90年なんかベストバウトもMVPも大仁田だし
その他の賞でバランスを取ってるという感じ >>55
長州と谷津もそんな感じだったね。
どちらも職業プロレスラーといった感じだったし。 スレチだけどプロレス大賞で一番なんだこれ?と思うのはベストタッグだな
中西ストロングマン?大仁田長与?
曙、浜もアジアの王者なのに獲ってたな
そりゃあ
鶴田にしたってかなり長い間善戦マンをさせられてた
谷津嘉章にしてってデビュー戦で猪木の戦略に乗せられ血だるまだろ
長州力にしたってそれまでは燻ってたのが、藤波に反旗を翻したら
大人気になった
真面目に考えたらやってられないよ
実力とかそんな世界じゃないんだもん
りきラリアットなんてお笑い芸人の一発ギャグみたいなもんだよ
>>49
まあSWSドームは招待券の客だらけだから盛り上がらないよなあ >>39
>今にして思えば函館の客うらやま
ラリアットであっさり天龍が勝ったんでつまんなかったよ つか、善戦マンといっても相手みたらとんでもないんだけどな
いきなり馬場と組んで毎回メインで世界のトップどころ相手にやるなんて誰もできない
馬場が美味しいとこ持ってくためにパートナーの鶴田がほとんど回してたり、
シングルでもまず自分と譲らないから、そう呼ばれたのは不憫といえば不憫だね
80年のNWAレイス戦なんか鶴田に譲るべきだったな
>>62
馬場としては自分が日本人唯一のNWA王者、鶴田が
日本人唯一のAWA王者として箔付けのつもりかな?
NWAも一度は巻かせてあげたかったな。 >>54
そりゃピクピクムーブなんて、ファンクスのオーバーアクションを忠実に受け継いでますからね 鶴田はモリシー程度の評価されるんじゃないか
四天王とは違う選手だよ
やってみなきゃわからんよ。
それがプロレスの面白いとこ。
天龍はSWS旗揚げ会見の際に集まった連中の面子を見て
「100%失敗すると確信した」らしいが、それでも自発的にはSWSを離れなかったのは金払いが良かったからか
意地だよ
あと檄とパラの連中あともう少しはマシだと思ってたんじゃない
天龍に限らず解雇された高木を除けば誰も自発的には離脱しなかったのは
ギャラはきちんと支払われていたからだろう
ギャラが遅延するとWJみたいに逃亡者が現れる
>>68
>「100%失敗すると確信した」
ひどい話だな!(苦笑)
なら、誰が来ると思ったんだ?
UWF勢か?それでもプロレススタイルは合わない。
少なくとも川田くらい引っ張って来いよ! それまでのプロレス団体って、
新日にしても、全日にしても、FMWにしても
UWFにしても(第一次Uはちょっと違うが)
核になる選手が、志を共に出来る選手を率いて創設したなだよな!
猪木新日に対して、小鉄、木戸、藤波とか。
しかし、SWSは違う!ただ単に金に釣られて天龍を除いて雑魚が
集まっただけ。
>>64
鶴田はファンクスのコテコテアメプロに納得したんだろうな。
アマガチからプロレス入りするにあたり、ショー要素が重要だと
知ってて入ったわけだから。 >>64
鶴田がどっちかの肘を怪我してたことあったじゃん
それでその腕でラリアットして
「お〜〜!><」とか言って痛がって苦しんでるの見て
この人はほんものの馬鹿なんじゃないのかって恐れをなしたわw >>67
鶴田がAWA獲ったとき昭雄にあっちの関係者から社交辞令抜きに「中長期で使ってみたい」
という声がかかったというからやってみたら面白かったろうな、通用したかもしれないし >>74
あれは膝を痛めたビル・ロビンソンがブッチャーをワンハンドバッグブリーカーで叩きつけてその膝を抱えてのたうち回るパフォーマンスのオマージュだな 「金に群がった有像無像」
天龍以外のSWSの連中はこの言葉がしっくりくる。
しかも彼らは、金の卵を産む金のガチョウを自ら絞め殺すという愚行を犯した。
だが、そんな彼らこそがプロレスラーの本質を正確に的確に表していることもまた事実。
スープレックスは、ファンによく見えるようにゆっくりと大きな弧を描がいて投げなさい
星パン時代の鶴田は師匠ドリーの教えに従順だったな
>>78
ひとそれぞれ解釈あるかもしれないけど
すくなくともジョージと佐野は違うと考えてる
ジョージがインタで話してた「Uが来るって聞いてたから」
てのは事実だと考えてる
アリと対等に?闘ったイノキを師と仰ぎ崇拝し
サブミッションできるUの面々を「エリート」と呼んだジョージは、
夢を追って来たんだよ。。。 旗揚げ戦で石川が高田延彦ばりの紫レガースを装着していたのもUWFを相当意識していたのでは?
全く似合ってなかったけど(´・_・`)
前スレまでで出てたでしょ
G高野は会社の方針で8年も後輩の三銃士の下におかれることになって
「この団体で出世の芽はない」と見切りをつけた
あれだけしょっぱくて会社の期待を裏切り続けたら下にされて当然だけど
>>81
90年時点でのG高野の状況は
・会社から3銃士の下に置くと通告
・ソリが合わない現場監督長州
・年俸772万
と、まさに明るい未来が見えない状況であった。
こんなときに田中から
・君をエースにして部屋を任せる
・前田たちUFWも後から合流する
・契約金は1億円(谷津本)
これでは移籍をするのは当たり前で、契約更新をせずにSへ。
理想のプロレスを求めたとも言えるし、金で動いたと言えなくもない。
惜しむらくはG高野のS以降の惨めな人生だ。
新日本からSへの移籍は崇高な理想があったかのもしれないが、
その後の人生により「有像無像」と評価されるのは残念なことこの上ない。 ジョージに契約金一億円って狂っているw
はっきり言って一千万でも高すぎるよ
>>84
天龍と同格と勘違いせずに天龍という壁をブチ破るために何度も何度も挑みWWFが来た時は天龍のパートナーとしてWWF勢に立ち向かってればよかったのに >>84
なるほどなぁ
正直、>>78みてキミを「5ちゃんで読んだ知識だけ」をもって
ただただかつてのプロレスを愚弄するやからのひとりと思ってしまった。それは許せ。
キミは、三銃士の下にすると会社から通告されたジョージが
そのまま年収700マンもらって生きるのと、
新しい会社で経験を買われてトップとして働くのと
どっちを「かっちょええ生き方」と考えるのか。
「天龍か、天龍以外か」というなら、それはちょっとw
ぱっと考えて、ゴローちゃんも大矢さんも片山もいるわけなので
無理のあるアレだと思ったよw
システム上ことば足らずになるのは仕方ないから、
このようなツッコミは不本意かもしれぬが。 >>87
おれはむしろ、テンルーさんが仕留めそこなった相手
(パートナーが負けるとか)を、
クイックでいいからフォールしたりしたら
トリッキーに面白く序列が作れたかもって思うなw >>79
プロフェッショナルなレスリングができること。 >>88
もちろんSへ移籍する方が「かっちょええ生き方」
扱いや年俸というのももちろん重要だが
長州現場監督の下でG高野はやっていけないだろう。
それこそ北尾と同じようにどこかで必ずぶつかっていたはず。
90年の契約を更新しないでSへの移籍は大正解。
ただ残念なことに、そこでまるで結果を残せなかった。
その後も「クソダサい生き方」をしてしまったのも承知の通り。
高野兄弟はその最高の素質をまったく生かすことができなかったレスラー。
「俺たちメガネスーパーに騙された」
最期に兄弟でこれを思う存分にぶちまけてほしい!